過去記事をクリック展開仕様に改める作業、思いの外手間かかるw
とりあえず直近2年分やったけど、過去にさかのぼるほど文章の構成がよく言えば詩的でロマンティック、悪く言えば支離滅裂な感情の垂れ流しになっているので、導入の(警告のw)文章を追記するかもしれません。

あと「自分の料理レシピ」カテゴリを「絵以外の創作」に名称変更予定です。
というのも、去年の年始に目標にした「ソリティアを延々やってしまう精神状態になったときは、より有意義な代替作業(雑巾を縫うとか)をする」を続けていたら、雑巾は何枚か縫ったんですが、単純な直線縫いばかりではつまらないので帽子と小物入れの型紙を買い、着なくなった服を分解してちくちくするようになり、それなりなものが出来たので、せっかくだから展示しようと思ったからです。
もうね、年明けてからはかどりまくりなんだよ(゚Д゚)クソッタレ
まぁミシン持ってないし使ってないから完成は遅いし、目的が作業による精神安定であって数作ることではないので、品数はまだ3つです。
けど思いつくままどんどん制作できてストレスがほとんどなくて、絵では同じようにできない不思議さに気づかざるをえませんでした。

私はいつも描くのが遅い遅いと感じて苛立っているのですが、客観的に描くこと自体が遅いほうなわけでは決してなさそうなのです。
冷静に考えて、速く描くことはそもそもそんなに重要なのだろうか?と疑問に思うし、私にとってそんなにも解決するべき困っている課題とは言えない気がします。
絵で仕事をしようとするとき、まぁ絵に限らないんだけどお外で、社会の中で何らかの仕事を為し報酬をもらうことを考えるとき、私はいつも「自分がこれを仕事とするには速さが足りない」と思ってしまうんだけど、たぶん全然見当違いなんです。
私には世界が、品質や内容や技術の高さなどの全てを差し置いて、何よりも『速さ』に価値をつけているように見えるのだけど、それも私だけに見えている世界であって事実ではないのです。
漫画家だのイラストレーターだのを目指して応募とかしている人は、「この程度の画力では駄目だ」とか「センスがない」みたいなダメ出しをされて却下されたことが必ずあると思うんだけど、『絵で仕事をする』のに画力とかデッサン技術とかセンス、オリジナリティ、そして描く速さとかいったものの必要性は究極的にはたぶん二の次なんですよ。
だって冷静に周りを見れば、あなたよりも絵の下手な人、センスもオリジナリティもない人、そして描くのも遅い人がいくらでもプロをやっていて、そんなプロよりもずーっと絵が上手くて、センスがあって個性的な作品を作りだせて、毎日のように作品を生み出している人がアマチュアでただの趣味で絵を描いているんじゃないですか?
『週刊ジャンプで連載する漫画家になる』のであれば、コマ割り漫画でストーリーやキャラクターをジャンプ読者の興味を引くように魅せる画力やセンスなどの技術や、一週間で10数ページ以上仕上げられる速さといったスペックを身につける必要はあるかもしれません。
でも『絵で仕事をする』のであれば、現在のどんなにしょぼいスペックでも仕事としてできることが実は石のように転がってて、最も必要なことはそれを探し出すこと、仕事をする意志なんだと思います。
 
私、仕事をしたくないんだなぁって最近とみに思うんですよね。
社会や他人に対し何かを為した時、それに対する目に見える報酬を直接もらいたくない。 
おカネを稼いでも使いたくない人っているけど、私はおカネを稼ぎたくない。
私に為せることは意外とけっこうあるはずで、それをいくらでも仕事にして生活できるんだと思うんですけど、自分で直接それを使って社会からおカネを引き出してくるのは嫌なんですね。
でもおカネないと人間社会で生きて行くのちょっと難しいだろうなとも思います。
ぶっちゃけ換金作業は誰かが代わりにやってくれて、稼げた額から私に必要な糧をくれたらいいんですけどね。
私の為せることを誰かが何千万円に膨らまそうと、それはその人が引き出したものだからいくらでも好きにしたらいいんです。
私は、快適に健康に暮らせる住まい(風呂トイレ別でw)と衣服と食事、あとROができれば十分ですw
貴金属も宝石も、酒も煙草もいらない、ささやかですよ。
でも社会にモノを流通させておカネを引き出してこられる人間って、モノを作り出す人に対する感謝がなくて、自分が利益を最大限独占することばかり考えている奴が多いように見えて、あまり信用できない。
そういう輩に自分の為せる事を渡して搾取されたくはない。
ていうかたぶん、換金作業を汚いことだと思っているんだろうな私。
だからそれをやりたくないし、それをできる人のことも信用できない。

てかまぁそれはちょっと置いておいてですね、絵を描くことと、あと今思いつくのは12分の1スケール模型、いわゆるドールハウスなんですけど、このふたつの創作には裁縫の分野にはついていない『枷』がついているようだということです。
TwitterやTumbrに描いた絵をぽいぽいアップロードしている人っているけど、あの素早さが私にはずっと信じられなくて、どうしてそんなにも気軽に思いつくままに何のためらいもなく絵を描けるのか羨ましかったんですけど、裁縫では同じことができてる気がします。
ということは、私がそういうTwitterお絵かきさんと人種が違うのではなく、絵を描くという分野に何か余計な重しがついていて、自由に行動できないということではないかと思ったわけです。
とりあえず気づいたっていうだけのメモね。長くなったけど。