というわけで、気晴らしにちくちく縫いつつ、トイレの絵と月見ぅどんの新しいサムネを描いてみてます。
いくつか気づいた違いがあるので、メモがてらつらつらと。

絵は、まずじゃあ描くかーとなったら、もうなんか一気に気が重くなって真っ白な紙を眺める状態でしたw
まぁいつものことなんですがこれがorz
どこからどう描けばいいのかわからない感じなんですよ、いつも。
ようやくおもむろに線を引いても、あれーなんか違うなーこれ・・・ってなって、また新しい紙を出し・・・の繰り返しで、おぼろげで曖昧なラフ画の欠片が何枚も重なっていきます。
以前はなんでこんなに苦しいんだろうと不思議で、私はTwitterお絵かきさんのようには描けない・・・とよく落ち込んでいたんですが、裁縫と比較したら理由は簡単でした。

裁縫の時も布の裁断がなんか気が重くて、新しい制作に踏み出す時はちょっとためらうんですが、これは『けものフレンズ』のコツメカワウソが「切っちゃったらもう戻せないっすから・・・失敗したらと思うと・・・よよよ;;」となっていたのと同じです。
きれいに切れなかったら・・・とか、これで合ってるかな・・・とかの心配でハサミを入れるのをためらっちゃうんだけど、もう失敗したらしたでいい!やってやる!と気合を入れたら始められるし、後は完成までスムーズです。
作り方と完成図がお外の世界にすでに存在しているものしか作っていないので、あれおかしいな?ってなったら、どこが間違っているのかそれと比べて確認すればいいし、あくまでもどこまでも、縫うという過程を行うために裁縫をしているのであって、オリジナル作品を美しく納得のいく出来に完成させることは目的ではないんです。

それに比べて絵は当たり前な話、完成図がお外にまだ存在していなくて、完成図をお外に生み出すのが行為そのものなんだけど、納得できる作品を描きあげたい欲求がとても強くて、過程は手段でしかなくなっているし、だから正直楽しくもなんともない、苦痛でしかないし、早く終わってよ!という勢い。
そして脳内の完成図は自分にしか見えないので、『これで合っているかどうか』は自分にしか決められないんだけど、たぶんその脳内イメージがよく見えていないから比べようがない。

いわゆる絵が下手な人、他人から見て何を描いたのかわからないモノを描いてしまう人というのは、頭の中のイメージがまずいい加減でぼんやりしているからだ、という説があります。

キリンを描こうという時、現実のキリンそのままの姿をはっきりと詳細に想像できるのであれば、誰が見てもキリンにしか見えないものを描けるというのです。
実際実物のキリンを観察しながら描けば、誰でも思い浮かべて描くよりは上手にキリンらしく描けると思います。

でも頭の中にどれだけはっきり思い浮かべられたとしても、そのイメージを紙面に変換出力するスキルはまた別に必要だろうと私は考えているので、それはちょっと極端な理論だと思うんですよ。
それにそもそも紙やインク・絵の具の特性やCGソフトの仕様を把握するとか、フリーハンドで滑らかな線が引けるとか色鉛筆でムラなく塗れるとか、そういうスキルがあるかないかでも描かれたものの状態は変わってくるじゃないですか。

縫い物で例えるなら、縫い目をまっすぐに縫うとか、あるいはミシンを操作するスキルがそれなりになければ、いくら作り方と完成図が判明していても、その完成図と同じモノにならないでしょ。
下手とか苦手とかってそういう、制作に必要な道具が上手く使いこなせない的な意味のこともあるし、ミシンを操作するスキルが上達しにくいみたいなことを、そっち方面にセンスや才能がない、と言う場合もありますよね。

とはいえ私、模写や写生のような、すでにある完成図と同じモノを紙面に再現するのはそこまで苦手ではないです。

だから私に足りていないのは、お外の世界にいまだ存在していない自分が描きたいものを脳内に鮮明にイメージする過程のほうだと思います。
まぁ絵を描かない平均的な大人よりは色鉛筆が使いこなせるけどCGソフトを操るのは未熟だし、そのくせCGで描いているし、ということはたとえ鮮明にイメージできたとしても、忠実に出力するだけの画力や媒体・素材の使いこなしレベルとなると、それも足りていないかもしれません。

ていうか思ったんだけどね、多くのお絵描き好きの人ってもしかして、誰かの完成品を見て「私もこういうの描きたい!」という動機で描いている・描き始めたんじゃないのかな。
私、絵に関してはそういうのあんまりないんですよね・・・
好きな絵師さんとか好みの画風とかはあるけども、それを自分の手で再現したくて描くっていうのはないと思う。
でも裁縫は、手元にあったりお店で見た製品などから、こういうの作りたい!で作ってる。
そこ決定的な違いかも。