宙soraの独り言

心の鏡に映した事、不思議な体験、旅先での出来事などを気まぐれに綴ります。

物の豊かさ、心の貧しさ

人には我欲というものがある。
それは、大なり小なり人間なら普通にあるものだが、そこから自分だけ違うぞというと、それもまた、我欲に繋がる。
知り合いの和尚のところに相談に来た人がある日、和尚に「お金が無くて困ってます」と言って来た。
何でここでそれを言う?と和尚の返事が何となく判るだけに、少し内心笑ってしまった事があった。

「あんたね~ここまで何で来たの?自分の車で来たんでしょう?自分の車あるのにお金が無いって言うの?」

私自身も、それを改めて聞いて、たまには自分の身の周りをよく見直してみなくてはいけないな~と思った。
いつもの日常は普通に来て、普通に過ごして、夜も普通に寝る。
お腹が空いたら、冷蔵庫などには何かあって、なければ近くのコンビニやスーパーに普通に買いに行けば良い。
毎日、今日は何を着ようかな?と服を選んだり、普通にお風呂に入って毎日シャンプーをして身綺麗にしたり、美味しいものを美味しいと言いながら食べたり、友達や家族と他愛無い事を言いながら笑ったり・・・
これは普通であると言えばそうなのだが、この普通こそが最大の幸せなのだ。
物も、大抵、一家に一台冷蔵庫、テレビ、電話など家電がある。勿論、今では携帯電話は当たり前のように普及されていて、こうしたパソコンも普及している。
そもそも、こうして、ゆっくりパソコンに向かって、こうした事をすることはとても贅沢な事だと思う。
それを読む方々も、そこには携帯なりパソコンなりの通信手段があるからこそなのだ。
人間は物が豊かになり過ぎて、これは普通の世界であると、ある意味マヒしていると思う。
だから、もっともっと豊かになりたい、お金持ちになりたい、あれが欲しいこれが欲しい、などなど、我欲が尽きない。
物はどんどん豊かにはなるけれど、その分、人の心はどんどん貧しくなっていく。
この世に物が溢れ返る程に、心が繁栄されている次元は、殺伐とした世界へと色を変えて行くように思えてならない。
こうしたパソコンや携帯のような通信手段は便利な道具として扱うのにはとても有効的ではあるが、最近は人間がこの道具に支配されつつある。
だから、心が荒んだ次元にリンクしやすくなりおかしくなったり、依存度が増したり、孤独に苛まれたり・・・SNSでいいねボタンを押してもらうのに、どんどんムキになって囚われて疲れてしまう事はないだろうか?
心が貧しくなると、それは自分の来世に向かう道を作っていると思った方が良い。
人は誰しも、今ある肉体の舟を終わらせて、新しい舟に移る。
そこに移る場所は、肉体がある次元で選択するのではなく、心の次元で決まる。
神社仏閣でお願いごとはしない方が良いよ~というのは、その心が多くの人の我欲が集まる分、増幅しやすくなるからだ。
判りやすく言うと、
もっとお金が欲しいと願えば、その本能は「貧しい」となる。
恋人など対人関係が欲しいと願えば、その本能は「孤独」となる。
誰かと縁を切りたいと願えば、その本能は「逃げ出したい」となるので、自分自身がヘタをするとこの世から切られてしまうよう災いを呼ぶ事もある。
勿論、そこに呪いや憎しみなどの強い思いが生じている場合なのだが・・・これは自分の細胞を変換させてしまう事がよくある。それらはガンになる。
あくまで、心、魂の世界は曖昧で、人それぞれあるので、これを深刻に受け取らないように・・・
ただ、そのパターンを一部見て来た事もあり、別次元でも幽体離脱という経験の中で垣間見たり教えてもらったりした中にこのような事例があったという事だ。
三次元以外の世界は、この本能によって、瞬時に選別されて道が繋がってしまうというパターンは、二年に渡り幽体離脱の旅をして来た中において、これは常ではあった。
臨時体験はしても、本当に肉体から離れた事はないので、肉体から離れた魂がどこに行くかというのは、はっきり判らないが、このパターンからみると、似たような流れになるのではないだろうか?と思う。
肉体から離れる瞬間に本能が何を感じているか? 
そこに、不満、我欲、孤独などがあると、それに通じる世界に行ってしまうのは道理なのではないだろうか?
だからこそ、この三次元では、今、ここに置かれた自分自身を見つめ直し、満足して感謝をする心をたまには彷彿させる訓練をすることが良いと思う。
もっと言えば、ささやかでも自分の幸せを見出し、心から幸せだな~と思えたら良い。
私は、一人で美味しいものを食べている時はよく「幸せ~ありがたい~」と口に出して言うが、心で思うよりも口で出した方が尚良いだろう。

そして、この日本に生まれた魂はとても稀有で恵まれている事を忘れてはならないと思う。







故人はどこに?

もうすぐお盆時期でもあるので、このようなタイトルにしたという訳ではないのだが、前回の記事に連鎖して、「故人はどこに?」があまり詳しくは載せられなかったので、続きという事で連投です。

あまりこのような事を深刻に信じてしまうと、げんなりする事も多いので、人それぞれの見解の中でチョイスして落とし込んでもらいたい話である。

誰しも生まれて来て、この世をいつかは去る。
そればどんな人でも大なり小なり同じである。
しかし、肉体は去っても、その肉体に留まっていたエネルギー体、魂とも言うが、これは無くならない。
目には見えないが、形としては成してはいないが、それは残る。
その残り方が様々で、流転する方向性もまたバラバラではあるが・・・
しかし、故人としての意識が残されている期間というものがあり、それもまたその故人が生前、もの凄く精神感応が強い方、もしくは成仏に近い魂の存在、もしくは物凄くこの世に未練を残すタイプのもの、強い意識があればあるほどにその故人としての個性はしばらくはこの世に留まる。

それも日に日に薄らいで行き、大抵の人はやはり49日辺りで霧散するかのようにどこかに消えてしまう。
この世の理の川に同一したか、もしくは自らの意識に近い次元に入り込んだか、もしくはこの世の自分の意識に近しい領域に縛られたか・・・それもまたそれぞれではあるが、強い意識を持って肉体を離れた魂は、いつまでも自分がこの世界にいるものだと思い込みも激しく残ってしばらく形を成している場合もあるのだが、それも日に日に薄らいで、自分がどうしてここにいるのか?誰なのか?どこに行けば良いのか?という迷子になるケースも多い。
そして強い意識だけが残留する。その個体だけなら大した障害にはならないのだが、大抵はそれらと同等に引き寄せられるモノと合体して集合体として、そこに留まるケースもある。
そして、更に、その集合体に引き寄せられる生きた人間もいる。
良い場所なら良いのだが、ホラースポットとして有名な場所、曰く付きな神社仏閣などを訪れる時は十分注意した方が良いだろう。

この辺りの話は色々ややこしいのでまた少しずつ思い出した時にでも・・・


理の川


この世は人間にとって、非常に便利で都合良く、そして生きている人間の為に沢山の儀式?がある。
儀式というと、ちょっと言葉が違うような気もするが、最近文章を書いていないので言葉足らずではあるのでニュアンスとして読んだ方は受け取って欲しい。

人間世界は沢山の国や文化があるが、私は日本人なので、日本目線の文化での事で・・・
もうすぐ、盆である。
ところにより7月だったり、8月だったりではあるが、やることは多少様々なれど、故人を偲ぶという意味では同じである。
私個人も去年、その儀式の中でも初盆というものを経験済みである。

普段は殆どの人があのようにどっぷりと仏事に浸ってはいないし、神社仏閣も好きな人は好きだが、大抵の人は大みそかに参拝したり、苦しい時の神頼みをするのが常ではないだろうか?
私の住む地域では、オショロ様、ナスときゅうりを牛と馬に見立てて、何とも愛嬌のある動物がお盆に登場する。
そしてこの地域では、ナスを二つ、牛二頭で、ご先祖様方の送迎をするという・・・・沢山の荷物を持って行き来するからだそうだが!
あの世の世界を行き来するのに、帰りに手土産を沢山持たせて帰ってもらうという・・・これらの儀式は生きている人に、あたかも故人はあの世で楽しく暮らしているんだよ~会えないけれど、どこかでちゃんと暮らしてるんだよ~という希望や夢のようなものを与えている。
普段は神社仏閣をスルーして神がかり的な事を信じていないような人々でも、これらの儀式だけは別なのか、迎え火、送り火が後少しの期間で巷を賑やかす。
そして滅多に集まらない身内が集まり、歓談と共に故人を偲ぶ。
何とも素敵な光景だな~とその時、私は思った。
人は普段はあの世的な事は全く考えもせず、目の前の事のみでアクセクと毎日を機械的に過ごしている。
だからこそ、こうした風習、儀式というものは、たとえ僅かな期間の事でも、心の奥深くどこかに根付いて、普段は忘れていてもあの世との繋がりが保たれるように思える。

しかし、ここからがちょっとげんなりするような話なので注意。

冒頭でも伝えたが、この世は人の都合の良いようにできている。
それは人の心が現実を直視できず、どこかに拠り所とした希望や夢がないと寂しさや苦しさが募るからでもある。
だからこそ、仏壇や墓が故人の代わりになっている。
あれらは、故人の為ではなく、残された人のためである。

では故人はどこに行ったのか?

その昔、千の風になってという歌が一世風靡したが、この歌の中には、この世の理を示す歌詞がつづられている。
作者不明だというが、これを作った人はきっと彼岸に達した人なのだろうと思う。
彼岸という言葉が出たが、これは実に曖昧で判りにくいから、端的にあの世での成仏だと言っているが、ここでちょっと彩色してみる。

この世はエネルギーの川のようなもので取り巻かれている。
レインボーのまるで綿あめ製造機の中にあるように、キラキラと繊細なエネルギーの糸があちらこちらを光の粒子と共に流れ、あちこちで螺旋が天地を行きかい、渦巻いている。
それらは誰の目の前にも太陽の光同様、そこにある。
手を伸ばすように心で魂で、それらに自分のエネルギーを延ばすと、それらに普通に繋がることができる。
それらはこの世の理でもあり、そこに少しでも繋がれば、自然の流れの中に正しき理の中に繋がることができるので、自分の意思も運命も現在未来も、少しずつその流れに沿ったものになることができる。
人間は我というものが強い存在なので、なかなかその理に全面的に触れる事が出来ないが、それでも少しでも触れる事ができれば、そこに閃きという形で運が開けていく。
思い立ったら吉日ということわざがあるが、まさしくそうである。
その思い立つ閃きと共に即行動する事が、すなわち、その理に触れているという事に繋がる。
けれど、人は何かと迷いがちで、そこに多くのノイズも発生して誘惑もあるので、正しい選択がなかなか自分ではできない。
閃きもまた、自らを律していないと、それが本当に正しい閃きがどうか?とも言える。
この話は長いので、端的に言うと、彼岸に達したものというのは、この大いなる理の川に同一化した存在の事を言う。
そうした存在は、この世の理を更に強固にしながら、この地球の周りをエネルギーの風として取り巻き、渦巻いている。
小さな動物、鳥、魚、虫たちは、それらをよく熟知していて、その集合意識の川に自らを投じて、仲間と共に同じ行動が取れるようになっている。
空を飛ぶ多くの小鳥たちがそれぞれぶつからずに飛べるのはそのせいである。

そして、人間も、勿論普通にその理の川触れる事は可能なのだ。
人間がそれに触れるとアカシックレコードに触れると言う人も中にはいるが、多分、同一のものであると思う。
多くの智慧がどこからともなく湧き起こり、自分が知らないような事を知ってしまう事が誰しもにもあると思う。













大きな空の天の川

すっかりご無沙汰しておりました。
気付いたら7月で、6月を思いっきりスルーしておりました(笑)
別段何かあった?という訳でもなく、気まぐれなのでブログ更新を忘れていたというのもあります。
勿論、何もなかった訳でもないけれど、パソコンの前に居座る方向性が6月は違っていたようです。
というのも、アマゾンプライムの会員になったので、動画に思いっきりハマっていたと言った方が判りやすいかと(笑)
今日は七夕というのに、空には星の川ではなく、本当に大きな大きな天の川が日本列島を横断してしまっていて、西は大変な事になっていますので、西方面の方・・・くれぐれも気を付けてお過ごしください。

今ここに突然出没したのは、ここ最近、色んなキーワードが飛び交い、お風呂に入っていたら発信だよね~と降りて来たので登場しましたが、この時間からそれらをまとめてここに記すには眠気も相まって少々無理があるかと思うので、この7月はまたボチボチ再開していこうかと思います。
朝になったら抜けて忘れてしまってる可能性も私の事なのであるかと思いますがあしからず!

忘れないように少しメモを・・・
これらを見て思い当たる人もいるかと

彼岸
樹形図
虹色
普遍的
ソウルグループ
前世からの魂の調整

五月・・猿渡周る?

気付いたらもう五月も最終日になっていた!
そしていつものごとく、気まぐれなのでここも忘れて放置!
まるまる一か月以上も更新していなかったです(笑)

私はよく「サワタリマワル」という言葉を息子に使う・・・がしかし!この言葉、一体どこの方言なのか?いつの間にやら使っているのだが、ググッてもこの言葉は出て来ない。
漢字にすると多分「猿渡周る」というのだと思っていたのだが、猿があちこち徘徊するかの如く、あちこち周るという意味のつもりで使っていた。
まあ~どうでも良い話ではある(笑)

この五月、この言葉通り、私もあちこち猿渡周っていた。

あちこちなので、あちこちの写真がある。
五月分一気にというと判りにくいのだが、ここは自分の日記のつもりでもあるので、ため込んだ写真の一部をアップ♪
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一枚目の写真は判りやすいが、平等院である。
二枚目三枚目は、神仏霊場兼ねてあちこち回ったもので、洋館はその道中宿泊した民泊♪ 山林王のおじいさんが、国宝級のものが存在する三千坪のお庭を解放しているという・・・何だか凄い隠れ処的なところ・・・
紺色の服を着込んだ背の高い男衆二人・・・これは私の息子である(笑)身長二人とも181㎝ 185㎝なので目立つ!私も170㎝と高い方なのだが、二人と一緒に歩くと小さく見えるので何やら嬉しい~♪こちらは駒ケ根の光前寺である。
最後の御朱印は福井の毛谷黒龍神社の御朱印だが、これ何やら水色に変色しているのだが、本当は真っ白なページである。
私のオーラカラーと一緒に写ったかな?と・・・ちょっと怪しいものである。
ここは、とてもパワフルな神社である。
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何となくなのだが・・・空から龍に見られているような気配を感じたり♪

と・・・五月は他にも滋賀の特別拝観のお寺に出かけたり、思い立って一人で温泉に行ったりなどなど、本当にあちこち徘徊していた(笑)

六月はまたどこに行こうか?と思っていたら、家人から鎌倉に行こうと誘われ土曜日に出かける予定♪ アジサイが楽しみである。

日記はここまでとして、今日、ここに記そう~と思い立ったのは他の事である。

最近、ふと思った事・・・これはあくまで持論なので、これに関することは人それぞれの思いがあるので、反感もあるだろう・・・

少し難しい解釈になるので言葉不足になるだろう・・・・

人はどんな人でも皆、等しく平等である。
同じところからやって来て、同じところに行く。
誰かが特別な事なんて一つもない。

と、大まかに言うとそうなる。

人間の今ここにある三次元レベルでは、様々な事象と環境にまみれて、様々な善悪などの二元性の問題が跋扈している。
しかし、それはあくまで表面的な事であり、魂レベルでは、それらは全て、自らが選び選択してそのような状況に持っていったことである。
よく人は、運が悪いとか良いとか言う。神様に守られているとか、罰が当たるとか、祈願すると良い事があるとか、そういうの全く信じない人でも、年末年始には神社仏閣にそれぞれ手を合わせて様々な事をつぶやく。
自分の中に信じるものがあるのは、とても素晴らしい事だと思うし、それがよりどころとなって自分自身を精進するのも良いだろう。
それで自分自身が変われば尚の事良い起爆剤ともなる。
そう、あくまで起爆剤のようなものである。

人が生きて行く上で当たり前にある空気、太陽、そして地球という素晴らしい環境・・・
それらは等しく皆にある。
皆はそれを当たり前のように受け取って生きている。
それを拒否する人は、殆どいないだろう。
そしてそれと同じく、良運だとか、何かの守護だとか、良い流れ導きというものは、誰か一人のために特別に存在するものではない。
それは大きな光の河のように常に皆の前に等しく存在している。
それに包まれていると言っても良いだろう。
しかし、人間は、それに気づかず、どんどん遠ざかるような選択ばかりして自ら遠ざけている。
それらを受け取るのも受け取らないのも、自分次第なのだ。
自分がそれらを受け取れるように変わり、選択することで、それらはいつでも目の前にある。

それらは欲しても、決して受け取れるものではない。
欲を出せば出すほど、遠ざかる。
願えば願う程に遠ざかる。
何かの策略?そんなものは更に遠ざける事にしかならない。
人間がそれにもがけばもがくほどに、真の光の河には到達はできずにおかしな道に進んでしまう事も多々ある。否、殆どがそうした困難な道に入り込む。
しかし、そんな中でも自分が選んで行く道というものがあり、それは間違えなければ近道にもなり遠回りにもなる。でも間違ってもそれがダメというものでもない。それが必要だからこそ時間がかかるというもの・・・
それだけ魂のレベルをあげて行くには、困難な道に進み、様々な弊害を乗り越えながら、混沌とした中にもみくちゃにされなければ、磨かれる事はない。

良縁がある人、運の良い人、更に良い環境にいる人は、それだけに多くの道のりを乗り越え、魂をそれなりに磨いて来た人なのである。
だからこそ、選択を間違えずに道をたがえずに進めるので、更に良い事をつかむ事ができる。
そういう人との縁もまた、自分が選択して選んだ道なので、自分次第なのだ。
勿論、自分が近づきたくても、その縁とすれ違ったり、拒否されたりというのもあるだろうが、それもまた、必然である。
勿論、運が良いからと言って、その座にあぐらをかくような事をすると、途端に真の道から反れてしまうのは、それもまた必然であり、自分が選択したことなのだ。

私はどちらかと言うと、無神論者であり、無宗教な人間である。
では何で神社仏閣に巡礼としているのか?とまたそこが矛盾しているのだが、自分でも何故だろう?と思っていた。
そして、ああ~そうなのかと思った事が、感謝という気持ちを参拝という形で現すため、ずるいので、そういう対象物がないとなかなかできない自分を律するために、巡礼は私にとってのライフワークとなっている。

福井に出かけた時、あちらの友達夫妻にご案内された料亭で見かけた絵にこのような言葉が書かれていた。
写真で撮らなかったので、少々曖昧で言葉が違うけれど(笑)

月が美しい
花が美しい
それを美しいと思う心が美しい

とても深い言葉である。


それにちなんで私も詠んでみた。

遠くで鳥が鳴いている
足元に小さな花が揺れている
目を閉じると風が通り過ぎ
パクッと空気を味わってみる
この世は何て瑞々しい
by lila









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愚者ネコ語り

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