■ライブの前日にこれを書いています。皆さんがこれを目にしているということは、色々な発表が滞りなく行われ、ワンマンが無事に終わったということですね。来てくれてどうもありがとう。明日の僕はちゃんと歌えてましたか。そうだったらいいのだけど。
■僕等は名前を変えることにしました。話自体が挙ったのは今年に入ってからです。
まず何よりも先に、Lyu:Lyuという名前が好きだった人達には申し訳ないと思っています。勝手に決めてしまってごめんなさい。突然のことで困惑させる部分もあると思う。実際にバンド名が正式に変更されるのはまだ先だから、ややこしいけれど今はまだLyu:Lyuです。
この8年間、Lyu:Lyuとして色々な場所でライブをしてきました。様々な人達と出会って、沢山の人達に観てもらえるようになって、何枚もCDを出して、沢山の音楽を作りました。嬉しいことも、悲しいことも、はらわたが煮えくり返ることも、本当に沢山あった。目の前で観ている人達が全員敵に思えたことも、歌に集中できなくて心が折れかけていたのを観に来た皆に助けてもらったことも何度もありました。今までLyu:Lyuとして僕等と出会ってくれた全ての人達を心から愛しています。本当です。あなた達がいてくれなかったら、僕等はとっくの昔に音楽をやめていました。
どこかで話したか、それとも誰にも話していなかったか、ちょっと記憶が曖昧なんだけど、僕はこのバンドを組んだ時、メンバー二人に最初にいくつかの話をしました。もしこのバンドが上手くいかなかったらもう一生バンドは組まないということ、歌うこと自体はきっと死ぬまでやめないし、いわゆる「バンド形態」でライブをすることもあるかも知れないけれど『バンド』を組むのはこれが生涯最後だ、といったようなことです。
その気持ちは今でも変わっていません。この3人のバンドが僕の生涯における最後のバンドであり、それ以上のものはありません。
そして今、改めて自分達がこのバンドでやりたいこと、表現したいもの、辿り着きたい場所、目指したい目標について考え話し合った時、Lyu:Lyuという名前に区切りを付けて、僕等の活動に新しい名前を付けるべきだという結論に至りました。
僕等が、そして僕自身が結成当初からやりたかったこと、表現したかったもの、それは2014年に「GLORIA QUALIA」と「ディストーテッド・アガペー」を世に出した時、ある程度表現し終えたという手応えのようなものを感じていました。これは完全に僕個人の話ですが、僕はずっと自分が「本当の意味では音楽をやっていない」と思っていました。僕は自分が言いたかったことや過去に言えなかったこと、自分自身のプロパガンダのようなもの、頭の中で何度もぶっ殺したあいつのこと、謝りたくても謝れなかったこと、そんなようなものを音楽の力を利用して人に理解、承認してもらおうとしただけで、純粋な意味で音楽をやっている人達とは自分は違うのだ、という気持ちがどこかにあったと思います。きっと自分は音楽じゃなくたって何だって良かったのです、ただ自分を吐き出すことができれば。小説だろうが演劇だろうがダンスだろうが絵画だろうが何でも。でも今は、音楽でなければ駄目です。あの2014年から時が経って、もっともっと自由に純粋に「音楽」に殉じたいと思うようになりました。自傷行為にも似た呪いの言葉を吐き出すだけの歌から、もっともっと広い世界へ足を踏み入れてみたくなりました。そして、それができる機会は今を置いて他に無いと思いました。
ただ、これだけは言っておかなければと思うのですが、多分僕等はそれほど変わりません。ただ今よりもっと自由になるだけです。今まではあえて見せなかった一面を見せるようになったり、今までは作ることの出来なかった歌に挑戦したり、多分そんなものです。名前を変えたくらいでこの嫌な性格まで変えられるならどんなに良いだろうと思うけれど、残念ながらそんなことはあり得えないと今までの人生で分かっているから、どんな名前であろうと結局僕は僕でしかありません。どんなに望んでも人は自分以外を生きることは出来ません。だから、その点においてはきっと安心して大丈夫だと思う。
新しい場所へ行きたいのなら、今までに築いてきた居心地の良い古い場所からは出発しなければなりません。名残惜しい気持ちも無いわけではないけれど、向かう先にはもっと大きく広い世界があるのだと今は信じています。
新しい名前は「CIVILIAN(シヴィリアン)」といいます。これからも僕等をどうぞ宜しくお願いします。
コヤマ
■僕等は名前を変えることにしました。話自体が挙ったのは今年に入ってからです。
まず何よりも先に、Lyu:Lyuという名前が好きだった人達には申し訳ないと思っています。勝手に決めてしまってごめんなさい。突然のことで困惑させる部分もあると思う。実際にバンド名が正式に変更されるのはまだ先だから、ややこしいけれど今はまだLyu:Lyuです。
この8年間、Lyu:Lyuとして色々な場所でライブをしてきました。様々な人達と出会って、沢山の人達に観てもらえるようになって、何枚もCDを出して、沢山の音楽を作りました。嬉しいことも、悲しいことも、はらわたが煮えくり返ることも、本当に沢山あった。目の前で観ている人達が全員敵に思えたことも、歌に集中できなくて心が折れかけていたのを観に来た皆に助けてもらったことも何度もありました。今までLyu:Lyuとして僕等と出会ってくれた全ての人達を心から愛しています。本当です。あなた達がいてくれなかったら、僕等はとっくの昔に音楽をやめていました。
どこかで話したか、それとも誰にも話していなかったか、ちょっと記憶が曖昧なんだけど、僕はこのバンドを組んだ時、メンバー二人に最初にいくつかの話をしました。もしこのバンドが上手くいかなかったらもう一生バンドは組まないということ、歌うこと自体はきっと死ぬまでやめないし、いわゆる「バンド形態」でライブをすることもあるかも知れないけれど『バンド』を組むのはこれが生涯最後だ、といったようなことです。
その気持ちは今でも変わっていません。この3人のバンドが僕の生涯における最後のバンドであり、それ以上のものはありません。
そして今、改めて自分達がこのバンドでやりたいこと、表現したいもの、辿り着きたい場所、目指したい目標について考え話し合った時、Lyu:Lyuという名前に区切りを付けて、僕等の活動に新しい名前を付けるべきだという結論に至りました。
僕等が、そして僕自身が結成当初からやりたかったこと、表現したかったもの、それは2014年に「GLORIA QUALIA」と「ディストーテッド・アガペー」を世に出した時、ある程度表現し終えたという手応えのようなものを感じていました。これは完全に僕個人の話ですが、僕はずっと自分が「本当の意味では音楽をやっていない」と思っていました。僕は自分が言いたかったことや過去に言えなかったこと、自分自身のプロパガンダのようなもの、頭の中で何度もぶっ殺したあいつのこと、謝りたくても謝れなかったこと、そんなようなものを音楽の力を利用して人に理解、承認してもらおうとしただけで、純粋な意味で音楽をやっている人達とは自分は違うのだ、という気持ちがどこかにあったと思います。きっと自分は音楽じゃなくたって何だって良かったのです、ただ自分を吐き出すことができれば。小説だろうが演劇だろうがダンスだろうが絵画だろうが何でも。でも今は、音楽でなければ駄目です。あの2014年から時が経って、もっともっと自由に純粋に「音楽」に殉じたいと思うようになりました。自傷行為にも似た呪いの言葉を吐き出すだけの歌から、もっともっと広い世界へ足を踏み入れてみたくなりました。そして、それができる機会は今を置いて他に無いと思いました。
ただ、これだけは言っておかなければと思うのですが、多分僕等はそれほど変わりません。ただ今よりもっと自由になるだけです。今まではあえて見せなかった一面を見せるようになったり、今までは作ることの出来なかった歌に挑戦したり、多分そんなものです。名前を変えたくらいでこの嫌な性格まで変えられるならどんなに良いだろうと思うけれど、残念ながらそんなことはあり得えないと今までの人生で分かっているから、どんな名前であろうと結局僕は僕でしかありません。どんなに望んでも人は自分以外を生きることは出来ません。だから、その点においてはきっと安心して大丈夫だと思う。
新しい場所へ行きたいのなら、今までに築いてきた居心地の良い古い場所からは出発しなければなりません。名残惜しい気持ちも無いわけではないけれど、向かう先にはもっと大きく広い世界があるのだと今は信じています。
新しい名前は「CIVILIAN(シヴィリアン)」といいます。これからも僕等をどうぞ宜しくお願いします。
コヤマ