2005年08月12日

「熱情――田中角栄をとりこにした芸者」出版秘話 (第三十四話)

辻和子さんは、田中角栄氏のお妾さんである。ご自身を「2号さん」というので、わたしも遠慮無しに言えば、元宰相の愛人である。
いまでも国民的人気のある元日本国総理大臣田中角栄氏に囲われた神楽坂芸者であったことが、辻さんに数奇な運命をもたらせた。
辻さんはいまも元気で、神楽坂にお住まいである。辻さんが居住する高級マンションの5階の窓からは、眼下に、陽光を銀色に乱反射させている牛込掘りの大きな見渡せる。その中空には、フィリピンなどの南洋諸島から飛来したコアジサシという、嘴が黄色くて身体の白い小型の美しい夏鳥が、水中のモツゴを狙ってホバリングに余念がない。
さらに向こうには、ひと連なりに続く桜土手公園が展望できる。
この土手で七年間の地中生活を送ったアブラゼミたちは、真夜中に、ソメイヨシノのごつごつした幹に這い上がったあと、、数時間かけて背中を割って殻を抜け出し、神楽坂のケヤキ並木に飛来して夏の風物詩である蝉時雨を降らせている。
わたしが辻和子さんに知己を得て、田中角栄氏と生活した日々を「熱情」という単行本にまとめて講談社から出版したのは、神楽坂の蝉時雨がそろそろ終りかけた2004年の9月3日であった。あれから2度目の暑い夏を迎えて、はや1年が経過しようとしている。
蝉たちは、地中の7年、地上の2週間でその命を全うするのに、私たちは自己の肉体と周囲の環境の変化に耐えながら、生き続けている。
周囲の環境はすこしづつだが確実に変化している。
小状況でいえば、わたしと「熱情」の取材・編集過程で苦労をともにした、講談社古参のベストセラー編集者 F氏が、いろいろな思いを抱きながら、数名の腹心編集者を伴って講談社を去っていった。
F氏は講談社入社の同期生あり、新左翼運動への同調、講談社への途中入社と、時代の環境を共有した友人であった。
F氏を語ることは、講談社のある典型的な側面、なかんずく成長拡大期の大手出版社の出版形態を語ることであり、ベストセラーづくりの方法を検証することであり、急進的な思想心情が企業のなかでどう変わって、どう変わらなかったのかを考える上ですこぶる役立つように思えるので、次回以降に改めて言及してみたい。
大状況としては、今回の「郵政解散」である。
小泉純一郎が不倶戴天の敵として闘った経世会(旧橋本派)は、田中角栄が膨張拡大させた古い自民党の原形質を残存させている最大派閥であった。
小泉の原点は、かつての総裁選で争って田中角栄に完膚なきまでに叩きのめされ
て敗れさった福田赳夫である。
「日本列島改造論」を日本工業新聞社から出版して大ベストセラーにし、意気揚々と総理の座に坐った角栄は、総裁選挙で桁違いの買収資金を使い、大蔵官僚上がりの優等生福田赳夫を蹴落として「日本国総理大臣の座を金で買った」のである。
総裁選のまっただなかで、金に目がくらんで田中を裏切ったのが中曽根康弘である。
改憲論者としていまなお影響力を保持している中曽根は、金の匂いに敏感な風見鶏の真の姿を、そのとき、国民の前でさらけ出している。
福田赳夫の一番若い子分だった小泉は、福田が田中に負けた夜、福田のもとに駆けつけてワーワーと泣いた。祖父が刺青大臣だっただけあって、その孫も直情径行である。
小泉は田中も中曽根も許さなかった。
後年、中曽根が比例区の終身1位の座を滑り落ち「まるでテロリストのやり方だ」と怒って小泉に罵声を浴びせても、小泉は怯まなかった。小泉は、田中派、経世会、橋本派という流れを生涯の宿敵と信じ、郵政族だった田中派の牙城の郵政改革に踏み込んでいる。
ちなみに田中角栄、中曽根康弘の子供たちが田中真紀子、中曽根弘文である。
総裁選挙直後の記者会見で角栄は「わたしわー、金を使った事実はゴザイマセン」とだみ声で語っていたが、田中角栄以来、日本の政治が金まみれになったのは衆目の一致するところである。
総裁選挙で動く金は、それ以前から比べるとけたが違ってきたし、政治は数あわせだと言ってはばからない田中のもとに、ポストの欲しい有象無象の政治家が参集した。
金丸信、竹下登や、小渕、橋本、小沢、梶山、羽田など、のちに七奉行といわれる有力政治家を膝下に従えた様子は、飛ぶ鳥を落す勢いであった。田中軍団としてやりほうだいであり、利権構造、政官業の癒着は、ここらを元年にしてまず間違いはない。
それほど田中角栄は、日本の政治を金権方向に歪めていった。
田中角栄本人は、立花隆の「田中角栄−その金脈と人脈」という雑誌論文で息の根を止められたが、田中は去っても、金権構造と数あわせの政治は、竹下、橋本、小渕の歴代直系総理に引き継がれてきたし、大平、宮沢らの直角内閣もその呪縛からは自由にはなれなかった。
福田は、均衡財政、田中は拡大路線と、ふたりは対照的だったが、いまの世の中は福田路線が主流になりつつあるので、小泉の政治理念には追い風である。
日本人は忘れやすい。
田中政治の害毒に散々苦しめられながら、またぞろ田中角栄待望論や田中角栄の再評価が始まっている。
その点、小泉は、ただ只管、田中政治、経世会政治と対決してきたし、いまもそ
うしている。
小泉と田中真紀子が結びつくはずもないが、真紀子にとっては、父角栄を裏切った竹下派、経世会許すまじで、敵の敵は味方とばかり、小泉の「女房」を演じてしまった。
その政治上の夫だった小泉が、いま田中政治の根幹を倒そうとしている。分かりやすい。
そのあまりにも純粋で分かりやすい姿、しかも快哉を叫びたくなる喧嘩上手小泉のポピュリズムのなかに、限りない危うさを感じてしまうのは、決して私だけではなかろうと思う(続く)。  
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2005年07月29日

「熱情――田中角栄をとりこにした芸者」出版秘話 (第三十三話)

このころから出版にメディアミックスと呼ばれる一連のタレント本やゲーム本が増え始めた。
わたしは一介の編集者であり出版研究者ではない。したがって経験上の話しに終始して恐縮だが、現象としては強く出始めたのは、この後であった。
1983年講談社は「気くばりのすすめ」を年間ベストセラーに押し上げていく。著者は鈴木健二氏。NHKの売れっ子アナである。
タレントとは、もはやテレビ露出が多いすべての人を指す。
あのお堅いといわれた朝日新聞でさえ「愛される理由」というタレント本をベストセラーに登場させた。一々は記さないが、それは今日に至るまでの変わらない現象である。
ついでに言えば1985年の「スーパーマリオブラザーズ」は、ゲーム本がはじめて年間ベストセラーとなった年である。
こうして、大手出版社では、テレビ、新聞、ゲーム、イベント、各種宣伝を含んで本を売り伸ばしていくメディアミックスの戦略が増大していった。
編集者が単独で企画し、社会がそれを受け入れて、自然現象として爆発していくよりも、当時「ブロックバスター」という言葉がもてはやされたように、仕掛け、連携し、相乗し、爆発させる技術、ずばりいえば言えば大衆操作技術が少しずつ長けていった。
わたしたち編集者には、編集自体の力量のほかに、このメディアへの仕掛け方の秘策をどれだけ持っているかも問われるようになってきた(第三十三話終)。  
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2005年07月22日

「熱情――田中角栄をとりこにした芸者」出版秘話・番外編 (第三十二話 その2)

「出版社のベストセラー作りと出版の蟻地獄」

Iさんを仮に元岩さんと呼ぼう。元岩さんは黒柳徹子に原稿を頼んで本にしたい
と思ったが、忙しいタレントのこと、一気は書けないので、社内の女性雑誌に連
載をしてから本にまとめる戦術をたてた。月刊雑誌では挿し絵が欲しいというこ
とになり、元岩さんはいわさきちひろさんに頼むことにした。いわさきさんが他
界された自宅後には「ちひろ美術館」が設立され、多くの来場者を迎えているが、
当時はまだお元気なころだった。元岩さんは、講談社細胞の共産党員である。細
胞というと生物学的だが、共産党は戦前から支部といわず細胞と呼んで会社単位
の小組織を統括していた。わたしの先輩編集者 Mさんはそのキャップであった。
東大出のいかにもインテリ風で、特攻隊を送り出す仕事をしていて敗戦を迎えた。
講談社の共産党員はみなすぐれた編集者であった。文芸の Mさんは、五木寛之、
野坂昭如など売れっ子作家から信頼されていたし、週刊現代グラビア班の Nさん
は、有能なカメラマンといい仕事を残した。そしてみな良質な組合運動、労働運
動の活動家であった。元岩さんはその一線からはやや後退いていたが、党員では
あった。いわさきちひろさんのご主人は大物共産党員松本善明氏で、国会議員弁
護士だった。ちひろさんも、機関紙「赤旗」によく寄稿していた。元岩さんが、
ちひろさんを挿し絵につかいたがったのは自然な成り行きであった。ちひろさん
も、元岩さんの経歴を知っていれば、応援したくなったろう。こうして黒柳徹子
文、いわさきちひろ絵という最良のコンビで連載が始まった。何ヵ月もの連載後、
元岩さんが所属する学芸第二出版部からやっと単行本の企画書が書籍会議のかけ
られた。会議は、編集担当役員が主催し、宣伝、業務、営業など大勢の関係者約
20人が出席し可否が問われる。もっともすでに現場会議を通ってくるので、こ
こはお披露目の形式という意味で開かれることが多い。黒柳徹子氏なら会議参加
者で知らないものはいないから、好感をもって企画はつつがなく通過した。しか
し部数となると、販売は厳しく査定する。元岩さんは黒柳徹子という知名人の本
だからと、大きな部数を期待したが、結果として8000部であった。元岩さん
はがっかりしたが、こうした葛藤は販売と編集の常である。しかし、このほとん
ど期待されていない本がじわじわと売れ出した。「蒼い時」のように仕掛けたベ
ストセラーではないので、水が辺りを浸していくような進行であったが、それは
驚くべき動きだった。始めはあまり協力的ではなかった宣伝部も、販売にいわれ
る前に宣伝案を元岩さんに相談に来るようになっていった。バスに乗り遅れたく
ない、こうした雰囲気になれば、編集の勝だ。この間のことは元岩さんも語って
いるしいろいろな所でかかれているので割愛するが、売れそうだと目をつけた時
の戦略とノウハウを、 講談社販売部はこの時に学んだと思う。それはやがて 83
年の鈴木健二著「気くばりのすすめ」などに活用され、ベストセラーの講談社の
栄誉を確立した。しかしその反面、 編集、 販売ともに売らんかな主義に陥り、
部数戦争になっていったことも否めない。「売れるが勝ち」となると、少数のな
かに真の意見が潜んでいると確信している編集者などをだんだん隅に追いやる結
果になっていく。十人十色が文化の本質であるのに、十人一色に染まっていった
ら、文化の全体主義化である。80年代初頭から10数年は、こうした雰囲気が
蔓延し、地味ながらも優れた編集者が仕事しにくい雰囲気が出来ていった。「蒼
い時」が出版界に残した置き土産は
1.タレント本は売れる
2.持ち込み大歓迎(編集プロダクションが大手出版会社の企画立案を補完する)
3.書籍にもゴーストライターの用が増加する
4.出版後の広報の重視
「窓際のトットちゃん」はゴーストライターを起用しなかったが、それ以降の講
談社のタレント本で売れ行きのいい物は、あらかたそうした態勢で制作されてい
く(第三十二話終)。  
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2005年07月15日

「熱情――田中角栄をとりこにした芸者」出版秘話 (第三十二話)

「窓際のトットちゃん」は戦後日本ベストセラーの金字塔をうちたてた巨大部数の書籍である。
その後「五体不満足」や「ハリーポッター」など次々に怪物のようなベストセラーが出現したため陰がうすれたが、いまでも文庫や翻訳本をいれたらその地位は揺るがないのではないだろうか。
しかしこの本は「蒼い時」と違っていて、自然発生でベストセラーになった一つの典型であった。
黒柳徹子さんは、テレビや雑誌で始終登場する有名人だったが、どこか文化人の匂いのする人であった。
したがって、残間氏が本にした山口百恵と違い、普通の編集者が自身の編集常識のなかで原稿を書かせたいと思う対象の人種である。
編集者は本好きな人種である。人見知りする人、対人関係が苦手な人も多い。こういう人にとっては、芸能界は踏み入りたくない世界なのである。世界が違い過ぎるのである。
芸能界にはそれなりの人付き合いの方法論があるが、一般の書籍世界とは大分違う。
夕方でも「おはようございます」という挨拶にまず戸惑うが、奥にいけばそれどころではない常識が跋扈している。
それはさて置き、「窓際のトットちゃん」を企画したIさんは、あまり目立たない女性編集者であった。
この女性がどんな過程で巨大部数を獲得する企画を実現できたのか。
ここに新しい時代のベストセラーの作られかたがある。(第三十二話終)

  
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2005年07月08日

「熱情――田中角栄をとりこにした芸者」出版秘話(第三十一話)

残間江里子という名前を聞いてピンと来る人は、メディアのことに相当感度がよい。この女性は一般には馴染みがないが、出版業界ではよく知られた人である。
その知名度が一挙に上がったのは1980年のことであった。
「蒼い時」という本を知っている人は多い。いまも集英社文庫に収録されている。
当時人気絶頂だった流行歌手山口百恵の自伝であるが、その生い立ちを赤裸々に描写した点では単なる馴れ合いの芸能本とは異質であった。
しかしこの本が山口百恵という歌手の知名度を利用して、出発点からベストセラー狙いの本であることは明らかであった。
本は3ヵ月で100万部という驚異的な売れ行きでミリオンセラーを記録していった。
企画を売り込みに歩いていたのは、地方局のアナウンサーから出版業界に身を転じた女性ライアーで、講談社資本系列の光文社が発行している週刊女性自身の取材記者をしていた。それが残間氏であった。
女性週刊誌という言い方は、一般形容詞としては、「内容がなくてスキャンダラスな芸能記事が多い週刊誌」の蔑称だが、しかし週刊女性自身が培ったライター集団の優秀さは出版業界では有名であった。草柳大蔵、竹中労、平岡正明、そして編集者あがりの児玉隆也など錚々たる人脈である。
残間氏がこの週刊誌のライター群に所属したことは彼女の野心が垣間見える気がするが、取材で知り合った山口百恵を口説き落とし、手記を取材し、ゴーストライターをして、出版社に売り込む、今で言えば出版プロデュースをしたのである。
光文社の親会社の講談社にもこの話は持ち込まれている。しかし当時出版社とくに老舗出版社には、企画料という概念がなかった。
あったとしてもごくわずかの金額で、それは企画料というには恥ずかしいようなものであった。
その時代に、「蒼い時は企画料100万円のほか印税の要求がのっていた。
100万円と当時聞かされたわたしの印象は、いまの感覚でいえば500万円くらいの感じであった。
講談社が逡巡しているうちに、動きの速い残間氏は集英社ではなしを決めたしまった。
いまでこそ集英社は利益で講談社を凌駕しているが、そのころはまだまだ講談社の足元にも及ばなかった。
わたしは大学卒業時点で集英社に内定していたが、それを蹴った。
集英社が新興出版社で、対外的に知られた雑誌は「月刊明星」くらいしかなかったからであった。
その集英社は、平凡出版の「平凡パンチ」を真似て「週刊プレイボーイ」を創刊し、「アンアン」を模して「ノンノ」を刊行し、なりふりかまわず雑誌業界に旋風を巻き起こして一定の実績を挙げ、徐々に講談社の牙城に迫っていたころである。
新興出版社は、あたらしい動きに順応するのが早い。
残間氏にさっさと100万円を支払い、「蒼い時」をあれよあれよという間にベストセラーに押し上げていった。
その数字をみた講談社の面々はひどく悔しがったが、当時の講談社では、こんなに順調には売れなかったろう。そこは、若々しい集英社と老体の講談社との差異である。
しかしこの「蒼い時」の衝撃は、講談社にも大きな振動を起こしていった。
それまではベストセラーといっても、自然発生的な現象が多かったが、「蒼い時」以降は、明確にベストセラーを狙うという意識が、会社にも編集者にもではじめた(第三十一話終)。



  
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