2004年03月09日

坂マニアのB型主婦が先導した江戸切絵図であるく落語「黄金餅」の世界

井手のり子さんはB型主婦である。あふれるアイデア、果敢な行動力、人をネットワークする情熱、こまやかな気遣い。どれをとってもB型の典型だ。
A型は日本人の最大公約数的血液型で、緻密で着実だが発想の飛躍がない。0型は超人的な行動力とアイデアにあふれているが、人のつながりをつくるときB型ほど気を遣わないのでしばしば破綻する。AB型はよく分からない。わたしの親しい先輩同僚にもなんにんかABがいるが、いまだに特長がつかめない。そういえばわたしの父もAB型で、距離感の取り方が難しかった。
わたしは彼女と偶然にしりあう幸運に恵まれた。
わたしが編集発行する季刊雑誌「神楽坂まちの手帖」の4号の特集企画に「坂」を考えたのが昨年の11月。わたしは神楽坂そだちであるが、育った実家は、その坂のいちばんの下であった。そのため坂の生活を余り知らない。
3号を発売した直後に4号の特集を考えるのだが、そのときは地名、花柳界、商店会、伝統芸能などの企画ががうかんだ。地名は少し準備がいる。花柳界は敷居がたかく取材が難しい。商店会は読者への売り方に工夫がいる。伝統芸能はこちらの知識が生半可だ。
結局マイナスを消した選択で「坂」がきまった。
坂といっても、自分たちで記事を書いていただけでは、坂好きの読者がいたら満足できなかろう。さてどうしよう。
悩んでいるうちに日にちがどんどんたっていく。
「平松さん、おもしろい本があるよ」
共同編集長の川口翠子さんが編集部に飛び込んできたのは年が明けた1月初め。いかにも川口さんらしく新年のあいさつもそっちのけでぽんと机に本をおいた。
写真集「東京の坂」という本であった。
手にとって見ると、素人っぽい写真が編集されている。写真家は中村雅夫と書いてある。
「さて聞いたことのない写真家だね」
「だって坂しか撮らないのよ」
坂専門の「坂道写真家」というのが世の中にいる。日本はひろいとつくづく実感した。
座談会は、この中村さん、わたし講談社の友人でこれも不思議な肩書きで売り出し中の「日本坂道学会会長」山野勝さん、それに神楽坂商店会の煎餅屋の福井会長の3人である。
ところが座談会当日中村雅夫さんにひとりの気品ただよう女性が付き添ってきた。それが井手さんだった。
中村さんは高齢で足が弱っているようだった。それで介添えが必要だったのかもしれない。
だがそれだけではなかった。井手さんは飛び切りの坂好きで、病が昂じて「坂を歩く会」を主宰しているという。
たまたまわたしを筆頭にむくつけき男たちばかりで華がないと困っていたわたしは、井手さんに座談会に加わってもらうことにした。
「いいですよ」
この辺の反応はB型らしい。ものおじしない。A型なら遠慮する。AB型はなかなか決めない。O型は、自分が司会したいといってもめる。
座談会は無事終了して、神楽坂のわたしの店で飲んだ。そのときに盛り上り、井手さんから坂の資料をみせてもらった。わたしの坂狂いはここが原点なのだ。
さてその井手さんがメールをよこした。
「この度、名人志ん生師匠の落語【黄金餅】のコースを江戸切絵図であるきます。参加しませんか」
落語研究家の友人立川末広の援助をえて、近々わたしの居酒屋で「神楽坂わらだな寄席/一九・吉窓真打二人会」を主催することもあって、落語を勉強したいとおもっていた矢先だった。
当日は天気予報がはずれて暖かい好天だった。
あつまったのは10人。出発点の上野駅で、大手のM不動産本社研究機関で町並みを研究しているTさん、高校時代から落研で落語に付き合ってきたAさん、江戸切絵図を研究し江戸の町発展の軌跡を追っている異色OLのIさん、江戸ものなら何でもござれの博覧強記の中年サラリーマンWさんたちにかこまれて、しあわせそうにしている井手さんがいた。
全員そろったところで、東上野に移動。黄金餅の主人公が、死んだ貧乏長屋のともだちを棺桶で担ぎ出す起点である。東上野はかつての下谷万年町。出身のかたには悪いが、貧乏な地域で、大道芸人などもすんでいたおもしろい町だったらしい。唐十郎の出身地でもある。
わたしたちは切り絵図でここを確認した。ここからは12キロ、三里の道のりである。
さっそく三枚橋、鳥居様の屋敷を通過。どら焼きのうさぎやに後ろ髪をひかれながら五軒町、堀様の屋敷を通ると秋葉原の電気街。外堀(神田川)をわたっていまはない筋違御門を想像しながら鍋町、鍛冶町、石町と日本橋の江戸通りに添う。南伝馬町あたりからは銀座。ホコテンでにぎわうなか、江戸切絵図を手にきょろつきながらもくもくと歩く10人の集団は、日曜日のギンブラ客にはなんとみえたことだろうか。
まして腹を減らしで倒れそうになった情けないわたしを救うため、袋パンとペットボトルのお茶が配られたから、歩きながらの10人のぱくぱくもぐもぐ、きょろきょろ、もくもくは、鳥インフレエンザで揺れる日本をさらに恐怖させたかもしれない。
土橋、愛宕下、天徳寺と好調に進行。おかめ団子の飯倉片町、永坂とさらに快調にいくはずだったが、弘法も筆の誤りのたとえがあるように、順調すぎると最後が鬼門である。ここで井手さんがコースをまちがえた。そのおかげでわれわれは、コース外だった麻布の狸穴坂をくだれたのである。坂を勉強するわたしには僥倖といってよい。
いよいよ最後の最後の麻布十番から大黒坂。そして目当ての木蓮寺(落語のなかだけの寺名)に。すでに夕空である。雲が金色や紫に色づいてきた。微妙な夕日を反射する枯れ木の光と陰の美しさ。村のなつかしさを失っていない江戸・東京の現風景。それがいまわたしの眼前に展開している。まるで黄金餅そのものの南麻布の風景である。
しかもさらにわたしたちはその一角にふしぎな光景をみた。それは夢のようでもあり、タイムスリッピ幻想のようでもあった。まさに異空間に踏み込んだ。
そこには昭和30年代の建物群がひっそりと忘れられたように佇んでいたのだ。人気はまったくないのに、昨日の新聞が置いてあり、電気のメーターが回っており、街灯に灯がついている。
わたしは思わず「つげ義春」の「ねじ式」の世界を連想していた。また「時をかける少女」を。
こわごわだが去りがたい気分に支配され、全員がだまって立っていた。
ここもいつか巨大なマンションにかわる。私たちが体験した黄金餅」の木蓮寺の夕暮れのしみじみとした情感の世界を、後世のひとたちは、わたしが体験したようには追体験できない。そうおもうと、すこしばかりさみしく、かなしかった。
かえりは麻布十番の老舗蕎麦屋「堀井」でこの不思議な体験を語らった。だれかが「わたしたちがきっとヘンタイだからよ」といった。こんなたのしい、おもしろい体験ができるならいつまでもヘンタイでいてもいいとおもった。


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