Life must be beautiful

とある女性戦略コンサルタントの日常生活の記録。1997年、女子大生日記として始まった「なほりん日記」も、なんと15年目(!)に突入しました。
就職、転職、結婚、そして管理職に・・・・。人生のステージは変わったけれど、気ままにつづっていきます。(尤も、最近はFacebookに移行気味ですが...)

2年3か月ぶりのつぶやき―近況とつれづれなるままに―

前回のブログの日付と、今日の差分。もう2年3カ月、いや、たった2年3カ月というべきか。

ものすごく久しぶりに自分のBlogにアクセスしてみた。4-5年放置していたような気すらしてしまうが、前回の日付を見る限り、2年ほどしかたっていないのが我ながら驚きだ。そんな放置Blogなのに、今でも1日50~100近いPVがあることに驚きつつ、せっかくアクセスした機会に、近況報告などしてみる。

P1030632この2年。近況報告をしておくと、仕事では、気がつけば勤続10年を超え、一応シニアマネージャーになった。そしてプライベートでは、結婚し、出産し、一児の母に。息子ははや1歳になり、仕事と育児の両立に日々奮戦中。周囲の協力もあって、無事に仕事に復帰し、海外出張もこなす日々だ。

仕事に120%のパワーで邁進していたころから比べると、夫と幼い息子と3人の生活は、大変なこともあるけれど、発見や喜びも多く、はるかに充実している。直近(といっても2年3カ月前)のブログに載せていたような高級フレンチは当分食べにけないけれど、そして、せっかく取ったソムリエ協会認定ワインエキスパートの資格も当分活かせそうにないけれど、自分はありあわせの残り物を食べつつ、顔中ケチャップでベタベタにして幸せそうにハンバーグをぱくつく息子に目を細める、母としての生活もなかなか良いものだ。

出産したら続けられないかもと思っていた仕事も、今のところは周囲のサポートのおかげもあって、何とかなっている。私が妊娠したころから、世の中ではアベノミクスのおかげか女性の活用が喧しく言われるようになり、日経新聞にはしつこいぐらい女性をキーワードにした特集が組まれ、私が勤めるファームも、女性の管理職・子育て中のママコンサルも増えてきて、サポート体制も充実してきた。

これまで、私が大学に進学するころには世のバブルがはじけ、就職するころには氷河期と言われ、20代は仕事に邁進していたら負け犬と揶揄され、と逆風(?)に慣れていた私としては、初めて経験する「追い風」かもしれない。

ブログについては、これからも更新するのか、今は分からない。以前のように何かをWebに発信していきたい欲求よりも、家庭の中の小さな会話を大事にしたい自分がおり、定期的に更新するエネルギーが相対的に下がってきたのは事実だから。でも、だからと言って閉じるのではなく、しばらくはここに、こうしてただよわせておくのも悪くないかな、と今は考えている。

これからも、気が向いたら更新しようかな。

※最後に:この2年間にメールをくれたかもしれない方々へ
ここに掲示していたLivedoorのメールアドレスですが、いつのまにかLivedoorがサービスを終了していたようです。そんなわけで、もしこの2年間の間にメールを下さっていた人がいたら、全く見れてません。ごめんなさい!
最近はFBぐらいしか更新していないので、フルネームを知っている人は、フルネームで検索してみてください。
または、コメント欄にいただければと思います。

25年前の記憶をたどって

クアラルンプール(通称KL)のBlogだからKLogでも書こうっと。

・・・と、思っていたものの、実際はそんな余裕もないまま、はや数カ月。

今回の特殊プロジェクトでは、日本では想定し難いことが続々と起こるので、途中、本気で辞めようかと思ったことも正直あったのだけれども、ぎりぎりのところでいろんな人に助けられ、なんとか乗り越えることができ、気がつけば、もう8月だ。

新卒で投資銀行に入社し、IBD(投資銀行部門)のM&Aチーム、そしてコンサル・・・と、世の中的に狡況稾貝爐粉超で10年以上やってきて、超・長時間勤務、という意味での激務にはある意味不感症になってしまっていた私だけれど、アウェイ環境の中、それなりの規模のチームを率いて、現地のクライアントと直接対峙する立場になり、かつ、20代の頃のように何晩も徹夜できるだけの体力もなくなったとあっては、昔のような犹間的犒稾海箸呂泙唇磴辰唇嫐でのチャレンジの続出だった。

と、そのあたりのことは、いろいろあるけれど守秘義務上ほとんど書けず、かつ書いてもあまり面白くないので割愛するとして、せっかくなのでいくつか備忘録を残してみようと思う。

いずれにしても、一つ改めて感じたことといえば、夫なり両親なり、そして上司なり、私はとても周囲の人に恵まれているなということかな。

というわけで(どんなわけで)以下ばらばらと備忘録をば。

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【備忘録:25年ぶりの故郷再訪編】

マレーシアに来て1ヶ月が経った、とある日の夕方。クライアントトップと3時間のディスカッションを終え、ふとカレンダーを見る。「そうか、今日は金曜日なんだ―」。この1カ月、土日もほとんど働き続けていたが、今週末はようやく久しぶりに休めそうだ。

周りの同僚たちに、”週末は、クアラルンプールにいるより、プーケットやランカウイなどに脱出するのがいいよ”と薦められていたことを思い出し、ふとAir Asiaのサイトを見てみる。何気なく、しかし真っ先に検索した先は、私が子供時代を過ごした第二の故郷、ペナン島。幸いまだ空席があったので、さっそくチケットを購入。翌早朝の便にてペナンに向かうことにする。

翌朝は6時台にホテルを出て、空港へ向かう。Air Asiaが発着するのは、LCC(ロー・コスト・キャリア:格安航空会社)専用のターミナル、通称LCCTだ。名前からするにどれだけ簡素な空港なんだろう、と思ったけれど、十分小奇麗な空港だ。

ペナン行き LCCT

Air Asiaは初めてだったけれど、機体は新しいし、十分快適。むしろ飲み物サービスなどがない分落ち着けるほどだ。1時間ほどの快適なフライトを経て、無事にペナン島・バヤンレパス空港に到着。懐かしのペナン!小さな空港の建物は、私が住んでいた25年前の姿のままだ。小さな空港のタラップを降りると、ギラギラとした灼熱の太陽に照らされた、乾いた熱風が体をつつむ。

突然思い立って訪れただけに、さしたる目的地も定めていなかったけれど、いざ到着してみると、急にノスタルジックな想いに包まれる。

そうだ、昔住んでいた家を訪ねてみようか―。

辛うじて覚えていた断片的な記憶を頼りに、Google mapとGPSで位置を確認する。便利な世の中になったものだ。空港を出ると、タクシー運転手に場所を告げる。”何もないよ、住宅地だよ?”・・・怪訝そうな顔をする運転手に、いいから、と促す。・・・・そして、25年前の我が家へと向かう。もう廃墟になってしまっただろうか、それとも、まだ誰か住んでいるのだろうか?期待と不安が入り混じる中、住宅街の手前でタクシーを降り、記憶を頼りに歩いてみる。見覚えのある公園を過ぎ、そして我が家へ・・・。

公園 自宅

かくして、我が家は存在した。それも、なんだかバージョンアップして。私が住んでいたころは白塗りとレンガだったのだけど、レンガの代わりに、おしゃれなダークブラウンの木枠がはめ込まれている。庭には高級そうな車が3台も止まっていた。全く様変わりしてしまった感もあるが、よく見ると間取りはそのままだ。2Fの手前が両親の部屋で、その奥が子供部屋だったっけ・・・。どんな人が住んでいるんだろう?・・・思わずインタホンを押してみたい衝動にかられたが、25年前にここに住んでいたんです、なんて人が突然現れても困るだけだろうと思いなおし、ひっそりと家を後にした。

昔よく遊んだ公園をぐるりと巡り、昔に思いを馳せたところで、次は、通っていた小学校にいってみたくなった。自宅からは、スクールバスで約15分程度だった。早速タクシーを捕まえようと通りに出てみる。・・・がしかし、タクシーが、来ない。10分待てども1台も通らない。

そういえば、ガイドブックには、”ペナン島には流しのタクシーはほとんどない”と書いてある。昔は、インド人ドライバーの運転するトライショーという人力自転車がそこかしこにいたものだけど、25年のうちにすっかり車・バイク社会と化したようで、そんなトライショーすら見つけられない。

青白塀の家仕方なく、記憶を頼りに、学校まで歩いてみることにする。確か、白地に青い塀の家の門で右折するんだよね・・・と思いつつ歩くこと10分。・・おお、あった。25年前そのままの配色の塀が・・・。

そこを右折し、更に進むと、見覚えのある三叉路へ。そうだ。だんだん思いだしてきた。学校に行くには右折するんだけど、ここを左にいくと日本人墓地があった気がする。年に数回、学校行事として、日本人墓地の清掃に来た時の記憶が蘇り、左折してみる。

ほどなくして発見。近隣の人のマットレスが干してあったりするけど、くっきりと”日本人墓地”との表記が確認できる。

日本人墓地1 日本人墓地2

この日本人墓地は、決してガイドブックには載らないけど、悲しい日本の歴史の象徴なのだ。ここに眠るのは、主に「からゆきさん」(と幾人かの戦没者)だ。

「からゆきさん」−。江戸時代から昭和初期にかけて、日本の寒村の貧しい農家から身売りされた幼い少女たちが、はるばる娼婦として南洋まで連れてこられていたのだ。彼女たちは、からゆき(唐行き)さんと呼ばれ、明治時代後半には、ここペナンにおいても、100人近い日本人娼婦が働いていたのだそうだ。その多くは、劣悪な環境で働かされ、二度と故郷の地を踏むことなく生涯を終え、各地の日本人墓地に静かに眠っているのだ。からゆきさんの墓石を調べ歩いたとある研究者によると、その平均寿命は26歳だったとか。

改めて彼女たちに思いを馳せてみる。今、もちろん仕事は大変だけれども、望郷の想いを募らながら彼女たちが命を散らしたこの同じ地で、今この時代に、こうして働けていることの幸せを改めて思う。静かに手を合わせ、もときた道を戻る。

PJSこの道をまっすぐまっすぐ行けば、確か学校があったはず・・・。そこから、灼熱の中を歩くこと30分、日本人学校を発見。これも、25年前のままだった。

あの頃、初めて、世界には日本以外に外国という世界があることを知ったこと、そして初めて外国に暮らしてみて、将来は外国で働きたいと思ったこと・・・などが次々と思いだされる。

そうだ。そうして私は今、私を育ててくれたこの国の人たちのために働いているんだ―。

正直この1カ月はかなり大変だったけれど、このペナンの島が、私に初心を―25年前の初心を―教えてくれた気がした。

マレーシアにて―2週間経過。

成田を飛び立ったのが、もう2週間も前なんだと、改めて時が立つ早さに驚いてしまう。

・・・・今、私がいるのは、マレーシア。クライアントは現地の企業なのだけれども、大規模なプロジェクトゆえ、海外オフィスから助っ人(?)が集結。目下のところ、メンバーの所属オフィスは、アメリカ、フランス、ドイツ、ベルギー、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、そして私、日本・・というかなりインターナショナルな構成。

今まで海外と協働するプロジェクトは何度かあったけど、ここまでインターナショナルなプロジェクトは初めて。最初の1週間は、華僑なまりで超早口の英語に全然耳が慣れなくて、ほとんど聞き取れず、そんな中でプロジェクトマネージメントをしなきゃいけないという状況に、かなり精神的にも追い詰められたっけ。。2週間経って、超早口シングリッシュも、漸く、そこそこ、聞き取れるようになってきた。

それでも、日本で使ってるパワーの2倍の時間と集中力を裂いて、それで漸くパフォーマンスは○割・・というところ。おかげで、ここ2週間は、夜中2時に寝て5時過ぎにおきて…と、睡眠3時間ぐらいの毎日だった。漸く少し落ち着いてきたかな。

それにしても、東南アジアのこちらのオフィスは本当にインターナショナルだ。そもそも、マレー人/タイ人の同僚たち自身が、ほとんど欧米で高等教育を受けており、現地のデモグラフィーの中では、いわゆる超富裕層かつスーパーエリート。母国語+英語+α、と、大体3ヶ国語ぐらいはネイティブ級に扱えるし、国境を軽々と飛び越えて仕事をしている。私より少し年下のタイ人マネージャーは、目下のところ、月〜金はマレーシアで働き、週末は自宅のあるバンコクか、彼のガールフレンドのいるシンガポール、或いはバリやプーケットなどのリゾートで過ごすのだとか。そのガールフレンドも平日はシンガポールの投資銀行で働き、自宅はバンコク。みんな、いともやすやすと国境を越え、しなやかに働いている。

こういう世界もあるのだなぁ、と改めて刮目。これまで10年以上外資系に身をおいてきたけれど、働く場自体はほとんど日本だったので、こういう人たちと働くのは、ものすごく大変だけれど、改めて刺激的な毎日だ。

ともあれ・・・。それにしても長い2週間だった。ようやく、TGIF。明日は漸く少しゆっくりしよう。マレーシアといえば、大昔すんでいたなつかしの国。明日は、街を散策してみようかな。

成田空港なう

79725a1e.jpgいよいよ日本出発。

一昨日決まって今日出発…。超バタバタのなか、これから当面の間、海外ではたらくことになった。

海外出張はこれまでも数多くあったけど、中身や責任の大きさ、難易度、それに期間も、今回の案件はちょっと桁違い。

うう、さすがに武者震い…

というわけで…、不安山積ではあるけれど、チャンスだと信じて…行ってきます!

チャンスの神様

"God of the chance does not have back hair"(チャンスの神様は後ろがハゲ)

――確かアメリカの言い伝えだったか。チャンスの神様には前髪しかなく、しかもとても足が速いのだそうだ。そんなチャンスの神様を捕まえるには、来た!と思ったら、迷わず前髪に飛びつけ、というもの。彼が通り過ぎて、後からああやっぱり捕まえよう、と思っても、後ろ髪がないから、一瞬を逃すともう捕まえられないのだそうな。

今週、ちょっとしたチャンスの神様が私の前を通り過ぎようとしていた。正確には、一度目は、私は彼の前髪をつかむ勇気がなくて、彼はさぁーっと私の前を通り過ぎてしまった。…のだけれど、今回のチャンスの神様は、私になんとSecond chanceをくれたようで、角を曲がってもう一度、私の前を通り過ぎてくれた。

「えい!」

…私は、深呼吸をして、目をつぶって、思い切って神様の前髪をつかんでみることにした。

前髪をつかんでしまってから考えた。

本当にこれでよかったのかな。。本当に彼はチャンスの神様なんだろうか。実は間違って、貧乏神様だったりしないだろうか・・・・。とか。

とはいえ、落ち着いて、よくよく考えると、これまでも、彼の片鱗はこれまでも、ところどころで見え隠れしていたのだ。その神様を、私は積極的に追いかけはしなかったのだけれど、あえてこのタイミングで、私の前を通り過ぎ、そして、もう一度チャンスをくれた神様には、不思議な縁を感じざるを得ない。

それから数日。不安で仕方なかったけれど、気がついたらずいぶんいろんな人が私を助けてくれ、そして応援してくれた。

さぁて。そんなわけで、前髪をつかんじゃった以上、もう後戻りはできない。

これから、何が待っているか分からないけれど、いっちょ、がんばってきまーす!

ハイジの国からこんにちは(スイス弾丸旅日記)

■■■スイスで弾丸(手配)ツアー■■■
スペインでの会議を終え、向かうはチューリッヒ。とはいえ、スイス航空の運航状況が不明確で、スイスを経由できるかどうか出発直前まで不明な上、直前まで仕事が多忙だったおかげで、日本出発時には、スイス初日の宿しか確保していないというなりゆき任せぶり。マドリッドからスイスに向かう機内でガイドブックを読み漁ってスケジュールを立案。風光明媚で知られるルートを列車でぐるっと巡ることにする。チューリッヒ→ルツェルン→インターラーケン→グリンデルワルト→インターラーケン→ベルン→チューリッヒ、と、1泊2日で、6本の列車を乗り継いで回るルートだ。結構ハードそう…だけど、かつて夜行バスでトルコを一周し、ネパールの山間部に数週間こもり、ボロワゴンとラクダでサハラ砂漠をめぐった身としては、正確と名高いスイスの鉄道の旅なのだもの。行ってしまえばなんとかなるでしょう。

チューリッヒ駅・・・と、いうことで、チューリッヒ空港に到着するなり、空港内の鉄道駅で切符を購入し、駅のインフォメーションセンターで時刻表をゲットし、初日にチェックインしたホテルで翌日・翌々日のホテルをWeb予約し、漸く一息。相変わらず弾丸(手配)ツアーだなぁ。。(写真はチューリッヒの鉄道駅)

それにしても、世界中のホテルを即時予約できるなんて便利な世の中になったものだ。ほんの10年ほど前まで、ネット予約といっても予約締め切りは1週間以上前。突然ふらりと旅するのが常だった私の場合、勿論そんなサービスは使えず、予約なしで現地に赴き、空港で片っ端から電話かけたり、空港の観光案内所で予約してボラれたり、直接ホテルに訪ねていったり、いろいろ大変だった。その頃からすると隔世の感だ。利便性そのものも向上したし、何より口コミが正確なので、ハズレのホテルやレストランを引くことがなくなったのが大きい。

■■■ルツェルンの赤いサイ■■■
ルツェルン翌日、いざアルプスに向け出発。今日の目的地、グリンデルワルトまでは、正味3時間半ぐらいなのだけれど、時刻表を片手にぶらり途中下車の旅。チューリッヒを抜けて15分もすると、いかにもスイス!という感じの緑の草原が広がる。

列車の中で読もうと小説を持ってきていたけれど、車窓の景色がすばらしくて、小学生みたいに窓に張り付いているうちにルツェルン到着。(左:ルツェルン駅から町並みを眺める)

ルツェルンルツェルンは、ルツェルン湖沿いに広がる、スイス7番目の都市。かつて黒死病(ペスト)で壊滅状態に陥ったという暗い歴史を持つ町だけれど、底抜けの快晴のもとでは、そんな過去などまるで幻のようだ。(右:ルツェルン中心部)

時刻は11時。少し早いけれど、ルツェルンでランチをとることに。グローバル版"食べログ"ともいえるTrip Advisorのサイトでレストランを検索。ルツェルン1位のレストランはイタリアンだったので、2位のスイス料理の名店、"The Old Swisshouse"へ。

Old swiss house「ヘンゼルとグレーテル」に出てくるお菓子の家のような佇まい。Trip Advisorのレビューによると(ああ、Webって便利・・)、"スイス滞在中最高のレストラン"、"特にチーズコロッケはマストアイテム"などと絶賛されているので、期待しつつチーズコロッケを頼んでみる。確かに美味。でも!!男の人の親指サイズのチーズコロッケ4つで35スイスフラン(3,000円)って高くないか?・・・歴史的にかなり円高の今でさえ、スイスの物価は、以前経験した北欧のそれ並。あちらも、ミートボール3つで3,000円だったっけ。結局、オマールエビのスープ、コロッケ4コ、グラスワイン1杯、のランチで6,000円也。(@@;)

そういえば、スイスの大卒初任給って確か平均60万円だった気が。日本で6,000円出したら、ミシュラン2つ星級のフレンチでフルコースのランチが食べられるよー。・・・とか思うと、相対的な満足度という意味では、複雑な気分。

ランチ後は、ルツェルンを離れ、一路インターラーケンへ。そんな、駅へ向かう私の前に赤いサイが現れて一言。
赤サイ

サイ:「サイなら!」

うーん・・・・・・。デジャヴが・・・・。ヨーロッパにはサイケなサイが多いのか????

■■■グリンデルワルトへ■■■
世界の車窓からルツェルンからインターラーケンに抜ける峠越えの路線、"ゴールデンパス・ライン"は、スイス随一の景観、との呼び声も高いルート。

緑の牧草地、アルプスの山々、トルコブルーの湖・・・。どの1ショットを切り取っても絵になる、そんな風景が続く。次々に現れては消える景色に思わず見とれてしまう。

そしてアルプスの麓の町、インターラーケンに到着。そこから更に乗り継いで、グリンデルワルトに到着したのは午後4時すぎ。天にそびえるアイガー、ユングフラウといった3-4000m級の山々に囲まれた美しい村だ。
グリンデルワルト2 グリンデルワルト
(グリンデルワルトの風景)

観光案内所に出向き、ハイキングマップとアクティビティの案内をもらう。いくつかの中で、目に留まったのがパラグライダー。そう、いつかやってみたいと思っていたんだった!ということで思い切って申し込み。いやぁ、初パラグライダーがユングフラウだなんて、贅沢!

パラグライダーを申し込んだ後は、その日はグリンデルワルトの村を2時間ほどハイキング。「アルプスの少女ハイジ」作者の宮崎駿は、ちゃんとスイスに滞在して丹念にスケッチしたそうで、まさにハイジそのままの景色が広がる。思わず、"やまびっこはなぜー、遠くまで聞えるの〜♪(略)教えて〜♪アルムのもみの木よ〜♪"と一人口ずさむ私。ここを訪れた日本人の1割ぐらいは、多分私と同じ行動に出てるはず。。

■■■ユングフラウでパラグライダー■■■
さて翌日。いよいよパラグライダーだ。
パラグライダー1朝、指定の場所で迎えを待つ。時間きっかりに、日に焼けたおじさん登場。どうやら彼がインストラクターらしい。

車で30分、そこからケーブルカーと、最後はリフトを乗り継ぎミューレンへ。グリンデルワルトは一面緑で春が訪れていたけれど、ケーブルカーを降りたあたりから、一面の雪景色。乗客も半分ぐらいはスキーを担いでいる。更にリフトにいたっては、完全にスキー場のそれ。スキー板をはかずにリフトなんて初体験だ。。

ということで、びっくりするぐらい高いところまで上り詰め、そこからスタート。

雪の上にパラグライダーを広げ、準備完了。
パラグライダー2 パラグライダー3

インストラクターのおじさんとしっかり体をくくりつけ、1・2・3、Go!の掛け声でスタート。怖い、と思った次の瞬間、ふわりと体が宙に浮く。

「わぁ!」

パラグライダーは上昇気流をうまくうけて、しばらくすると出発地点よりもはるか高いところにぐんぐんあがっていった。

ユングフラウが目の前だ。鳥のようにぐるんぐるんと旋回を繰り返す。全然怖くない。なんて爽快なんだろう。。多分、イントラのおじさんだけだったら、風をうまくとらまえて、何時間でも回っていることができるんだろう。

パラグライダー4ひとしきり、といっても10分ほど旋回したところで、ゆっくりと降下を始める。氷河が削ってできた、見事なまでのU字谷を、パラグライダーはゆっくりと優雅に舞いながら谷の合間を進む。本当に鳥のよう。自分で操れたらこれ、気持ちいいだろうなぁ〜。

慣れてきたところで、急降下・急旋回など最後いろいろと楽しませてくれ、ふわりと着地。20分ほどの空中散歩が終了した。いやぁ〜はまりそう。。尤も、ユングフラウで初パラグライディングをしてしまうと、他にどこでやるんだ、、という感じだけども。

パラグライダー終了後は、最寄の駅・ラウターブルンネンまで送ってくれるという彼の申し出を断り、そこから駅まで1時間半ほどハイキング。本当にのどかで美しい風景が広がる。ああ、なんてフォトジェニック・・。思わず、もってきたスケッチブックを広げ、筆を執る私。
ロイターブルンネン2 ロイターブルンネン1

美しい景色に見とれ、ふと気がつくと3時すぎ。今日中にチューリッヒに戻ることを考えると、そろそろ出発すべき時間だ。後ろ髪を引かれつつ、駅に向かう。

■■■ベルンへ、そして旅の終着■■■
さて、2つの列車を乗り継ぎ、午後5時すぎ、スイスの首都・ベルンに到着。実はスイスの首都はチューリッヒでもジュネーブでもなく、ここベルン。

ベルン首都なのに、町の中心部には車が入れず、今だにトラムが行きかう美しい町だ。しかも、町の中心から500mもいけば、遠くアルプスの山々と一面の緑が広がる。国土は狭いし言語は4つに分断しているし物価は高いし兵役もあるし、自宅に核シェルターを作らないといけない国だけど、この環境だけは、羨ましい…。

そういえば、先週、イギリス人のヘッドハンターから、スイス勤務のM&A戦略関連のポジションはどうか?と、お誘いが来てたっけ・・・。うっとり。投資銀行→戦略コンサル計10年+、というキャリアは、世界各所からお声がかかるという意味では役に立つらしい。・・でも、M&Aねぇ・・・(以下略)

ベルンを3時間ほど散歩し、またスケッチを一枚描いて、チューリッヒへ。スペイン・トレドで経験した真っ暗な朝とは対極で、サマータイムの日暮れは遅い。漸く夕闇迫るチューリッヒの駅のホームに列車が滑り込んだのは、夜9時に近かった。

そうして私のスイスぐるり半周は終了。翌日、チューリッヒから、結局また欠航してしまった直行便にかわって、フランクフルト経由で帰途へ。最終日には日本から30通ぐらいメールが入っていて、すっかり日常に引き戻されつつも、かなりリフレッシュした数日間だった。

今回、外から眺めてみて感じたことは、日本は大変な時期ではあるけれど、全て自粛するのではなくって、やっぱり気分転換は大切!なんじゃないかということ。それでまた元気になって日本のために尽くすというのも、ひとつのあり方じゃないかと思ったり。明日からまた、がんばろう。

マドリッド駆け足見てある記

■■■マドリッド到着■■■
s-IMG_32354月4日―。欠航したスイス航空便の代替便として、ANA便にてミュンヘンへ。日系航空会社の料金は欧州系の2倍(!)ぐらいするので、ある意味、ラッキーアップグレード。本来のスイス航空便より遅れること3時間、日付が変わる直前に、無事にマドリッドに到着した。

会議の開始は翌々日。明日は丸一日自由時間だ。日帰りでグラナダのアルハンブラ宮殿に行こうか、ウマイヤ朝の都・コルドバに行こうか…と時刻表を調べる私。

がしか〜し、前者は鈍行で往復9時間、後者は往復5時間半。しかも利用できる列車は実質1日1-2本。完全私用なら行く所だけど、万一列車が遅れたりしたら肝心の会議に出られなくなるので、泣く泣く断念。代わりに一番近い世界遺産、トレドに行ってみることに。マドリッドからは鈍行で30分ほどでいけるトレドは、6世紀に西ゴート王国の都となり、16世紀にフェリペII世がマドリッドに都を移すまで、千年もの長きにわたって栄え続けた古都だ。

■■■トレド小旅行とマドリッドの美術館■■■

s-IMG_3240翌朝は4時すぎに目覚める。日本からヨーロッパに到着すると決まって悩まされるのが時差。4時といっても日本時間ではお昼前。パッチリ目が冴えてしまったので、朝6時すぎの始発でトレドに向かう。ところが、サマータイム中だけあって、夜明けは7時55分。遅!真っ暗な中出発し、朝7時にトレドに着いてもまだ暗い。ガイドブックによると、主な観光スポットも、軒並み10時にならないと開かないとか。う〜ん・・・。薄明の中、駅から30分ほど歩いて旧市街へ出てみる。が、勿論人っ子一人いない。そりゃそうか。日本で言えば、朝4〜5時に、外人が一人で鎌倉とか奈良を散歩するようなものだ。

トレドトレド自体は、アルカサール(宮殿)とカトリックの大聖堂を中心にした中世の城塞都市だが、8世紀にはウマイヤ朝に支配されたこともあり、町並みはどことなくイスラム文化の名残を感じさせる街だ。散策すること数時間。あらかた見てしまったので、10時すぎには帰路につくことに。

その頃には太陽は燦燦と輝き、真っ青な青空が広がっていた。最後にふと街を眺めると、いつの間にか次々とカラフルな大型バスが到着し、サングラスをかけた大量の観光客がドバドバと街に吐き出されていた。多くの観光客が見るトレドといえば、こういう姿なのだろう。そういう意味では、ひっそりと静かな古都の姿を堪能できたことは、とても貴重かもしれなかった。

マドリッド市街昼前にはマドリッドの街に戻り、ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコなど、スペイン画家の作品が充実したプラド美術館、そしてピカソのゲルニカがある、ソフィア王妃芸術センターを回る。

後者は、現代アートの美術館なのだけれど、ゲルニカ以外は(ある意味ゲルニカも)飛びすぎていて、やはり理解できず。一面真っ青なだけとか、セメント版をナイフでめちゃくちゃに傷つけただけとか、雑誌の切り貼りとか、、、。それも『芸術』かもしれないし、写真技術が進んだ今、写実的であることの重要度は薄れたのかもしれないけれども、18世紀絵画の圧倒的な技巧に比べると、現代アートは、見るたびにやっぱり残念な気がして仕方がなかった。

■■■カンファレンス備忘録■■■

さて、翌日・翌々日はカンファレンス。とあるテーマに関して、最新のトレンドや手法を共有するのが主な目的。詳細は割愛するとして、主な学びは2つ。

1つは、日本の現状に対する世界の捉え方と、そのインパクトについて考える機会を得たこと。
2つ目は、プロジェクトマネジメントに関して。
コンサル市場が成熟した欧米の方が、よくも悪くもプロジェクトの進め方が画一的で、スコープが明確であるのに対し、日本は、クライアントごとのカスタマイズ度が高く、スコープの抽象度も高い。そのため日本では、かゆいところにより手が届く一方で、構造的に「石橋を叩いて渡らない」的なことが発生しやすく、結果として意思決定の速度が落ちがち。

欧米流の、割り切り度の高いプロジェクトマネジメント手法については、事情も違うので全てはコピーできないけれど、学ぶべきものも多かった。

■■■マドリッド・グルメ備忘録■■■

そんなこんなで、2日間のカンファレンスは無事に終了!!というわけで仕事はここまで。以下は休暇として、むかうはハイジの国、スイス

最後に今回のグルメ備忘録を。今回は仕事ということもあり、前回のバルセロナほどは下調べもできなかったけど、一応マドリッドの名物レストランは3つほどはしご。

ラ・バラッカ(La Barraca)
★★★☆
パエリアの専門店。木曜日にも関わらずスペイン人で予約が満席。シーフードのパエリアは僅かに芯が残っていてちょうどよい歯ごたえで美味。ただ、パエリアの注文は2人前からで、かつ1人前が日本で言う2人前をゆうに超えるので、4人で2人前注文しても十分な量。いろいろ食べ比べできないのが難点。。

●ボティン(Casa Botin)
★★★
s-IMG_3286創業は1725年。世界最古のレストランとしてギネスブックに載っているとか。日本で言うと享保10年、江戸は8代将軍徳川吉宗の時代だ。でも、創業享保xx年級の老舗って日本にもいくつもある気がするんだけど、世界最古かどうかって誰がどう判断するんだろう?

子豚の丸焼きで有名。子豚ちゃんは、軟らかくて普通においしいけど、特筆!…と、いうほどのことはなし

Casino de Madrid
Casino De Madrid19世紀に創設されたカジノ。現在は、会員制の社交クラブとレストラン。レストランは、ミシュラン2つ星で、世界で一番予約が取りにくい、といわれるバルセロナ郊外のレストラン、エル・ブジ出身のシェフが腕を振るう。確かにものすごくゴージャスな雰囲気。。

これだけ縮小もーど。ふひひとはいえ、最初のカクテルパーティーのみ参加して、その後抜け出したため、料理については残念ながら不明。参加した人によると、「美味だけど、ソースが甘めで日本人の口にはあまり合わないかも」とのこと。いつかは、本家エル・ブジに行ってみたいなぁ。。右は一緒に参加した同僚と。珍しく外資系っぽい?!光景

ミュンヘン→マドリッド→ジュネーブ→フランクフルト経由、帰国〜

6a9ee27b.jpg成田→ミュンヘン→マドリッド→チューリッヒ→フランクフルト→成田、と移動続きの9日間を経て、昨日無事に帰国しました。

今回の旅の本来の目的は、マドリッドで行われたカンファレンスへの参加。こんな時期ではあるけれど、漸く1つプロジェクトが終わったので、数日間の休暇をくっつけての仕事半分・休暇半分の旅でした。マドリッドは日本からの直行便が無いので、スイス航空を利用し、成田→スイス→スペイン・・、と辿るはずが、地震の影響で出発の2日前に成田→スイス便の欠航が確定。急遽ミュンヘン経由で現地入りすることに。

運行再開したばかりの成田エクスプレスで成田に向かったのですが、乗客は全車両合わせて10人弱。(写真は私が乗った車両。ちなみに到着後ではなく移動中です。つまり完全貸切状態…)空港は節電で暗いし、人もまばら。改めて日本が今、異常事態なんだなぁ・・ということを実感する幕開けとなりました。

更に、帰国便も、スペインからスイスに移動したところで欠航が確定し、今度はスイスからフランクフルト経由で何とか成田に到着。・・しかも漸く着いたと思ったら、着陸するなり「先ほど大規模な地震が発生し、現在、成田空港発の鉄道は運行を停止しています。地上交通網については到着ロビーにて情報をご確認ください」との機内アナウンス。

相変わらず薄暗い到着ロビーでは結局そんな案内はなく、みどりの窓口の掲示板も"調整中"の張り紙。アナウンスもなく、切符売り場は長蛇の列。窓口でようやく"運休"を知らされ、ため息をつきながら列を離れる人々。数少ない説明も日本語Onlyの上、京成やJRの売り場の人は"No Train"、"Train stop"と首を振るだけで、バスなど他の手段の案内もしないので、到着早々途方にくれる外国人。私自身は携帯検索を駆使してバスを乗り継ぎ帰宅したのだけれど、私が非英語圏で到着早々同じ目にあったら結構厳しいなぁ・・・。今、外国人の日本行き旅行の大量キャンセルが相次いでいるけれど、確かにこういう状況じゃキャンセルも仕方ないかも。

それにしても、しばらく日本と日本語から完全に離れ、9日ぶりに日本のTV番組を見ると、報道内容が全体的に暗すぎることに驚いてしまいました。。。花見・入学式・各種レジャー・イベントなど、あれが延期になった、これも中止になった、と自粛ムードをより煽るようなニュースの比率が、震災や原発の実情を伝えるニュースよりも多いような。。過度な自粛ムードが広がって、精神的・経済的な"二次被害"が思った以上に拡大してるなぁ、という印象。

勿論海外でもFukushima/Earthquakeは連日トップニュースだったけれど、そういう"暗さ"にフォーカスした報道は皆無。勿論、他国だから、というのはあるだろうけど、日本の報道のトーンは異常だな、と感じました。本来、幸いにして大きな被害にあわなかった我々にできること、それは、募金、節電、落ち着いた行動、それに、過度に感情的な対応をするのではなく、心身共に明るく生活して、日本(と日本経済)の再建に尽くすこと!なのだと思います。

…だから、というわけでもないですが、Nahorin blogはそのうち今回の弾丸絵日記もぼちぼちUpしていきます〜。

!Hola! from Madrid, Spain

!Hola!

Now I am at the international airport in Madrid, Spain.

After I attended a global conference here in Madrid, now I am heading to Zurich where I will spend my weekend for 2 days, then will go back to Japan via Frankfurt. Why Frankfurt? - Because my original direct Zurich-Narita flight has been canceled. In fact, many flights to/from Narita, especially European airlines', were canceled after the earthquake, and so was mine.

To my surprise, even many flights has been canceled, there still be so many vacant seats in remaining flights to and from Narita. My outbound flight from Japan was quite empty ("gara-gara") which was very rare for this season...

Well, it's time to get on the plane. See you soon-

震災のこと+今私たちにできる節電の話

ブログネタ
東日本大震災に対して「何か」できること に参加中!
東北地方太平洋沖地震にて被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。。

前回のエントリからはや4ヶ月。Blogも書かねば、、と思っていたころに、まさかこんな災害が起こるとは・・・。あの日―、10分後に控えたクライアントミーティング出発の最終準備をしていたら、突然の大揺れ。オフィスからは避難命令が出、交通網も麻痺し、携帯も不通な中、何とかmtgの延期を願い出て、ようよう徒歩にて帰宅。帰宅後、初めてTVを見て、あまりの惨劇に言葉を失ったのでした。。

それから10日。あれだけの人命が失われたことのショックと、忘れていたはずの阪神大震災当時の記憶が蘇えってしまい、どうやら私は最近毎晩うなされているようなのですが(ごめんねぇ…>夫)、漸く向き合う余裕が多少なりとも出てきたような気がします。

1日も早い復興に向けて、今私たちにできることといえば、募金と節電でしょうか。以前、プロジェクトの関係で、電力需要について調べたこともあった身として、微力ながら、いくつか節電のポイントについて記してみたいと思います。

■10−19時のピーク時を避ける

以下の図は、日本の時間帯別使用量。電力消費量は時間帯によって大きく違い、日中10−18時が特に大きいことがわかります。
電力使用量時間帯別
上記の図は、最も電力使用量が多い真夏の例なので、日中の冷房需要がない3月は少し状況が違い、日没に一斉に皆が点灯する18−19時に需要ピークを迎えます。

一方、1時間あたりの電力供給可能量は常に一定なため、停電回避のためには、ピーク時の需要が供給可能量を下回ることが必要です。つまり、特に10−19時の電力を節電することがより重要になるのです。

この観点で見ると、先日、ナイターも強行すると宣言したセ・リーグには、ぜひとも再考を促したいものです。東京ドームのナイター1試合の総電力使用量は、一般家庭の1日の総使用量の6,000世帯分に相当する5−6万kwh、と報道されていますが、本来は1時間あたりで比較すべきで、5−6万kwhをナイター前後計6時間で消費すると仮定すると、一般世帯のピーク時電力(約0.5kw/h)の約2万世帯分。これは、千代田区(2.2万世帯)の全世帯数分にほぼ相当するわけです。

■照明よりも『熱の出るもの』を特に節電する

次に、具体的に何を節電するべきか、について。少し古いデータですが、資源エネルギー庁(H16)を元にした家庭の電力使用量の内訳です。
graph_denryokuryou
上記で分かることは、"照明よりも熱源系の占める割合が高い"ということ。節電というと照明をこまめに消すイメージですが、実は電気代に占める照明の割合は僅か16%。一方、エアコン・電気カーペット・衣類乾燥機・食洗器・温水便座など、熱源系の割合は40%程度です。エアコン・乾燥機などは普及率の差もあるので、乾燥機や食洗器・温水便座などを多く使用している家庭では、熱源系の占める割合は更に高いでしょう。

熱源系が電気を食う理由は、消費電力の大きさにあります。例えば、エアコン(暖房)・ヒーター・ドライヤー等の出力は大体1200W程度。一方、蛍光灯は1本30−40Wです。1200Wのエアコンを10分節約すれば、30Wの蛍光灯を7時間消すのと同じ節電効果があることになります。(ちなみに、よく節電で言われる"待機電力"は、7%程度で、生じる不便の割に、インパクトは小さい)

従って、
・乾燥機/食洗機は使わない(または時間を短くする)。使うなら10−19時以外
・エアコン・電気カーペット等は極力使わず、厚着で対応。使うなら10−19時以外
・アイロン・ドライヤー等はなるべく短くする。使うなら10−19時以外
・冷蔵庫の開け閉めを控える/冷蔵庫に詰め込みすぎない
・温水便座はOffにする

等ということが、節電する上で特に効果的です。

■4月以降の見通し―正念場は、7-8月。

さて、上記のように節電し、当面を乗り切ったとして、今後どうなるのでしょうか。

東電のプレスリリースによると、震災前の東京電力下の4月の通常需要は約4,100万kwh、現在の供給能力は3,400万kwhということで、その差は約700kwhです。東電としては、火力発電所の稼働率を上げるなどして、4月末までには4,000万kwhの供給力を回復させ、計画停電を回避させたいとのこと。但し、短期的にはそれ以上に供給能力を高めるのは難しそうです。

一方、以下は、電力需要の月次推移。
月次電力需給
4月以降、恐ろしいことに、そして当然ながら、気温が上がるに従って電力量は増えていきます。2001年の場合、7月の電力需要は4月の約1.5倍。つまり供給4,000万kwh/日に対して、通常需要は6000万kwh/日、その差2,000万kwhに達してしまいます。東京電力が、現時点で「6月以降は計画停電の再導入をせざるを得ないだろう」との見込みを示しているとおり、正念場は今年の夏と思います。

つまり、夏までには、今よりも一層の節電(というよりも、"ピーク分散")を実現するだけの生活習慣を身につける必要があるのです。

スキミング被害(@@;)

先日、見知らぬフリーダイヤルから何度か電話があった。仕事中で出られず、恐らく、保険などの怪しいセールスの電話だろうし、、とつい放置していたら、クレジットカード会社から、至急確認をしたいので連絡をくれ、と速達が。

流石に何事?と思って電話をしてみたところ・・・

「お客様、最近、30万円ほどの買い物をされましたか?」

出張用の飛行機決済など、高額決済は何度かした覚えもあったので、えーっと、・・ともじもじしていると、11月某日(土曜日)、茨城県某市で、高級輸入雑貨・宝石店で29万円の買い物をした形跡がある、とのこと。ちなみに、同日に、やはり茨城県で、無印良品で数千円の買い物もしていることになっているそう。

自慢じゃないけどその日は、土曜日ながら某プロジェクトで終日フルで仕事をしていたため、茨城県などに出かける余裕は全くなく。

との旨を伝えると、

「あー。。スキミングの被害に合われていますね・・・」

ええー?!私のカードは手許にある。一方、茨城県で使われたのも、ネット通販などではなく、実際のカードをスキャンした結果だそうで、ということは、私のカードが偽造された様子。一時的に無くした覚えもないし、一体どこで偽造されたんだろう。。。確かに、ここ数ヶ月、香港などの怪しい?アジア圏でも何度か使ったし、毎日のように(深夜)帰宅のタクシーでもこのカードを使っていた。

調べてみると、最近のスキミングの手口は巧妙で、

1)店が知らないうちに店に侵入し、店のカードリーダーにスキマー(スキミングの機械)をセット
2)店員がグルで、カード決済の際にカード預かり、こっそりスキミング
3)満員電車の中で、非接触型のスキマーを使ってスキミング

などというパターンがあるそう。都内のタクシーは5万台もいるので、そのうち数台に不心得モノが混じっている可能性もあるだろうし、お金に困った店員がいたかもしれないし、更に、たまたまこのカードは、お財布の中で一番外側に位置しているので、満員電車で鞄の外からスキミングされていたらひとたまりもなく。

カード会社曰く、最初にユニクロや無印などの"よくある店舗"で低額の商品を購入し、使えるかどうかを試した後、間髪をいれず、(信用照会をされない限度額ギリギリの)20〜30万円の高額の買い物をする、というのが常套の手口だとか。茨城の2つの使用実績で、いち早く察知してくれたカード会社に感謝。

ただ、不思議なことに、29万円の引き落としは、同日にキャンセルされているとのこと。そこでカード会社のシステムでカードにロックがかかったため、その後、もう1件カードを使った形跡はあるが、カードが通らず取引不成立。以降ぱったり音沙汰なし、とのことで、実額の被害は、無印良品での数千円のみ。それもあっさりカード会社持ちになったので、個人的には実額被害はなかったのだけど、いろいろ言われてるスキミング、まさか自分が被害者(?)になるとは思いませんでした。怖い世の中だ・・・。

それにしても、何で29万円がキャンセルされたんだろう?

仮説1)犯人が悔悛?→まさかねー。っていうかその後懲りずに使用してるみたいだし
仮説2)犯人が男だったりして、店員が名義と風貌が違うことに気がついて、一旦通したものの、寸前で阻止した?→でも、それならカード会社に連絡あるはずだし、、
仮説3)実は、高級輸入雑貨店で、本物のブランドバッグや宝石を買って、同日、そっくりなニセモノをレシートなどと共に返品した?→としたら、今回の一番の被害者は、カード会社でも、私でもなく、茨城の高級輸入雑貨店。或いはニセモノを掴まされた次の消費者

実は、仮説3なのではないかと。そうだとすれば、気がつかれにくいし、なかなか巧妙。実際、今回も、たまたま過去に一度も使用実績のない茨城でやられたからフラグが立ったけど、このカードではそれなりに大きな買い物実績もあるので、私の生活圏である都内で同額の買い物をしていたら、フラグが立たなかった可能性が大有り、だそう。

しかし、対岸の火事だと思っていたスキミング。いやぁ、怖い世の中です。。。

ミュンヘン出張。

最近、新婚生活でデレデレしすぎて、Blogが滞ってるねー…と某同僚に指摘されたものの、そんなことはなく、暫くプロジェクトで死んでいたわけですが、漸く一息ついて、、、一応生きてます。

というわけで、書きかけて止まっていたドイツのお話を今更ながらにアップデート。会議に参加すべく、弾丸出張でミュンヘンに出張したのは先月の今頃。(なんともう1ヶ月。早い…)うちの出張は、大抵「超」がつく弾丸出張になるのだけど、今回は珍しく、土曜日の夜にミュンヘン入りできた。

・・・と、いうことは・・・。そう、ミュンヘンで1日フリータイムが!

というわけで、翌日は、ミュンヘンから列車で2時間ちょっとのところにあるフュッセンの街へプチ一人旅。フュッセンは、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったともいわれる中世のお城・ノイシュヴァンシュタイン城がある風光明媚な町だ。以前、夫に写真を見せられて、是非いってみたかったところ。(イメージ↓)
noiswen

こんな御伽噺そのままの景色が数時間のところにあるなんて!ということで、夕方にミュンヘン空港に到着したその足で列車の駅に向かい、フュッセン行きチケットを購入。翌朝、まだ暗いうちにホテルを出、早速フュッセン行きの列車に乗る。

IMG_2632車窓から、次第に白々と夜があける村々を眺める。ミュンヘンを一歩郊外に出ると、素朴な農家と、もう収穫を終えてしまった麦畑(推定)が広がる。途中、鈍行に乗り換え、2時間ほどでフュッセンに。そこから更にバスを乗り継ぎ、憧れのノイシュヴァンシュタイン城に向かう。

IMG_2663ふもとのチケットセンターでお城の入場チケットを購入。そこから歩いて40分ほど登るのだけれど、道の行く手をふと見やると、なんだか、白い。とっても、白い。山の上は真っ白すぎて何も見えない。…稀に見る濃霧だ。

時刻は午前11時半。朝に霧が出ると午後は晴れると(日本では)いうし…と、天候が回復することに一縷の望みを託しつつ、入城の時間は指定されているので、歩いて登りだす。

ところが、霧はどんどん濃くなっていく。結局、城門まで来ても、こんな感じ。
IMG_2648
うう〜〜。城〜〜〜(;;)

是非スケッチしたいと、絵具とスケッチブックも持ってきていたので、凍える山頂で2時間ほど粘ってみたものの、全く霧が晴れる気配なし。結局、午後2時を回ったところで、帰りの列車もあり、後ろ髪をひかれつつお城を去ることに。30分ほどかけて麓に下り、バスを待つ10分ほどの間に、すっかり食べそびれたランチ代わりに、カレー味の、あまりうまくないソーセージをもぐもぐとかきこみつつ、ふと山の上を見上げると・・・
IMG_2684
霧晴れてるし・・・!orz

IMG_2698残念ながら、このバスを逃すと、次のバスは1時間後。帰りの列車は2時間後になってしまう。翌朝の会議のことを考えるとそろそろ帰らねば・・・ということで後ろ髪をひかれつつ帰途へ。そんな帰途の車窓からは、ちょうど霧が晴れたあとの、憎らしいほどの晴天の景色が――。

――と、いうところで、私のドイツ・プチ一人旅は終了。残念。…まぁ、いつかもう一度来れることを期待。

会議自体は、グローバルな、私の興味がある業界の最新動向やトレンドをシェアリングする社内もので、非常に勉強になった。コンサル先進国である欧米に目を向けると、日本と全く違うドラスティックな案件まで手がけているようで、個人的には非常に感銘を受けたし、また、彼らから見たアジア(残念ながら日本ではなく中国とインド)への関心の高さや、先手の打ちぶりも非常に参考になった。また、プロジェクトでお世話になった上司、或いは海外メンバーとも直接いろいろと話ができて、改めて、いろんな人に助けられてるなぁーと実感できたのもよかった。
私も少しは恩返しが出来るといいんだけど。

フランス結婚式日記(4終):南仏コートダジュールへ

帰国からはや1ヶ月。そろそろ感動も薄れてきたし、帰国後の香港出張に加え、今週末からまたもやヨーロッパに出張する予定なので、今更感もあるのだけど自己満足日記は続きます。いよいよ旅は最終章、コートダジュールへ。

■9月3日:シャトー・エザ@エズ
アヴィニヨンからTGVに乗ること2時間半。映画祭の街カンヌに到着。そこで急行に乗り換え、ニーズへ向かい、更にローカル線に乗り換えて、到着したのは、Eze(エズ)の小さな無人駅。今日の宿は、切り立つ断崖絶壁の頂上にあるシャトーホテル、Chateau Eza。わずか10室だが、Ezeを代表するホテルだ。無人駅を降り、タクシーで宿に向かう。

ホテルの入り口らしきところに着き、タクシーを降りる。ホテルのポーターが我々の大きなスーツケースを預かり「ホテルは、この先を10分ほど登って下さい」と一言。10分?!確かに細い階段が続いている。…我々がホテルの入り口だと思ったところは、実はEze村の入り口でしかないらしい。というわけで、階段を歩き始めるも、気になるのは荷物の謎。徒歩10分かかるこの急な階段を、彼は、まるでシェルパ族のごとく、荷物を抱えて上るのか?それとも秘密のエレベーターがあるのか?断崖絶壁を吊り上げるのか?…謎は解けないまま、ホテルの玄関を目指す。

2010 新婚旅行 (コートダジュール)10分後、漸く頂上に着いた我々の前に、シャトー・エザは現れた。入り口を入ると、まずテラスに案内される。

おお!――海沿いの無人駅からひたすら登ってきたそこには、見渡す限りの地中海が眼下に広がっていた。海抜400mを超える世界。圧巻だった。

地中海を眺めながらウェルカムドリンクを堪能する。それにしても、ここからの海の景色は絶品だ。海の藍と空の青とが、1つに溶けたように融合している。そういえばここEzeの町は、作家であり詩人でもあるジャン・コクトーが好んで滞在し、哲学者ニーチェが「ツァラトゥストゥラはかく語りき」の構想を練った場所でもあるという。地中海の碧さが人を思索的にさせるのだろうか。
2010 新婚旅行 (コートダジュール) 2010 新婚旅行 (コートダジュール)
ふと、日本を出てからの日数に思いを馳せる。今日で10日目だ。―10日なんて普段仕事をしていたらあっという間なのに、もう1ヶ月ほど旅をしているような気にさえなる。

昔、人の記憶について学んだ時に「その人が経験する新しい刺激の量によって、絶対的な時間感覚が決まる」と聞いたことがある。毎日決まった動作を繰り返していると、過ぎ去った日々は一瞬だと感じるが、幼児など、1日が新しい発見に満ちている場合は、1日をとても長く感じるのだそうだ。旅好きな私ではあるけれど、1日をこんなに長く感じられたのも珍しい。1人旅も良いけれど、2人で巡る旅は、それはそれで発見に満ちていて、なかなか良いものだ。

さて、一通りエズの町を散歩し、ディナーはシャトー・エザ内のレストランにて。ちなみに、このレストラン、明らかに一般人と全く違うオーラを漂わせる、セレブリティと思しき人々が数組。残念ながら私は、海外のセレブ事情には疎いのだけれど、確かに、ここは、カンヌとモナコのちょうど中間に位置する、超有名なプチ・ホテルなのだ。パリや東京の高級フレンチレストランよりもセレブリティに出会う率が高かったとしても、決して不思議ではない。ただそこに存在するだけで一般人と全くオーラが違うって、あるのねぇ。

さて。翌日は、Ezeのもうひとつの有名プチ・ホテルであるChateau de la Chevere D'orにてランチ。黄金の山羊の城、という名のこのホテルのレストランはミシュラン2つ星。海沿いの風が心地よく、そして味付けも薄味で上品でとても美味だった。
2010 新婚旅行 (コートダジュール) 2010 新婚旅行 (コートダジュール) 2010 新婚旅行 (コートダジュール)
ランチを終えると、Ezeともお別れ。いよいよ、今回の旅の終着地でもある港町、ニースに向かう。

鷹ノ巣村の入り口で荷物を受け取るところで、冒頭の荷物の謎が解けた。――なんと、驢馬(ロバ)だった。断崖を吊り上げるのでも、秘密の高速エレベーターがあるわけでもなく、中世の時の流れそのままに、驢馬が静かに荷物を運んでくれていたのだった。

■9月4日:ニース〜ヴィルフランシュ・シュル・メール
2010 新婚旅行 (コートダジュール)Ezeからニースへは、バスで20分ほどの道のりだ。ニースのホテルについて一休みしても、まだ夕方4時だった。私が5年前、ニースに来たときに訪れてとても綺麗だと思った港町、ヴィルフランシュ・シュル・メールに夫を誘う。ニースからは列車で10分ほどだ。

潮風に吹かれながら、6年前に1人で来た街並を、今度は2人で散歩する。

前回来たときは、ちょうど投資銀行からコンサルティング会社へと転職する合間の休暇だったっけ。私にとってこの小さな港町は、なぜか大きな節目の年に訪れる街となってしまった。あれからはや6年。まさかコンサルティングを6年も続ける/られるとは思わなかったけれど、それに、単調な毎日を繰り返していたつもりもないのだけれど、あっという間だったな。あと6年後は、私は、いや、私たちは、どこで何をしているんだろう?

そんなことを考えながら、海沿いの、やはり6年前に来たレストランで最後のディナーをする。ゆっくり堪能していると、気がつけば日もとっぷり暮れていた。

2010 新婚旅行 (コートダジュール) 2010 新婚旅行 (コートダジュール)
旅の終わりと、そして東京で始まるであろう、二人三脚での新しい生活に思いを馳せる――。私の頬が少し紅潮していたのは、夜風に吹かれつつ飲んだプロヴァンス・カシスの白ワインのせい、ばかりではなかったのだった。。

              〜フランス結婚式日記・完〜

フランス結婚式日記(3):南仏プロバンスへ

ロワールでの挙式を終え、翌朝には後ろ髪をひかれつつパリへ。パリでは、エッフェル塔を望むレストランでのディナーを最後に、両家の家族とはお別れ。ここからは1週間ほど、夫と2人で南仏プロヴァンスとコートダジュールを巡る。

南仏といえば、昔大ブームになったピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの12ヶ月」(下左)。ブームに遅れること15年。早速(?)Amazonで購入し、今更ながらプロヴァンス気分に浸った後、旅行計画を立てる。折りしも、相次いでCREAとFIGAROで南仏特集が発行されたので、即購入。今回宿泊するホテル・オーベルジュも全てその2冊からセレクトしてみた。CREA Travellerは、最近部数も減ったようなのだけれど、過去の経験上、なかなかセンスがよいので、期待に胸を膨らませて、いざ出発だ。


■8月31日:アヴィニヨンからリュベロン地方へ
パリ最終日の宿はルーブル美術館に程近いWestin Hotel。8時過ぎにホテルを後にし、リヨン駅からTGVに乗る。約2時間半ほどで、プロヴァンスの玄関口、アヴィニヨンTGV駅に到着。本日の宿泊先は、そこから40kmほど離れたお宿、Le Mas des Herbes Blanches(ル・マ・デ・ゼルブ・ブランシュ)。ここは、世界的にも優れたと認められるスモール・ラグジュアリーホテルとレストランの会員組織、ルレ・エ・シャトーの一員、ということで期待も高まる。

プロヴァンスを車なしで回るのは厳しい、と聞いていたけれど、見知らぬ地を大荷物抱えてドライブするのも大変なので、ここからはタクシー。
2010 新婚旅行(南フランス)途中、ゴルドの街を過ぎる。CREAの地図では、ゴルドから5kmほど、に見える。「もうすぐだね」と夫。ところが、行けども行けども宿につかない…。ゴルドを過ぎること20分。漸く宿に到着。

到着後すぐ、テラスに案内される。

その眺望は圧巻だった。リュベロン山脈のなだらかな田園地帯を望む高台の斜面にあるそのホテルからは、見事なまでのパノラマビュー。部屋からも、部屋のテラスからも、のどかな田園地帯が一望される。南仏ならではの真っ青な空に、明るいレンガのオレンジ、プールの水色が映えて、とにかく色鮮やかで美しい。

2010 新婚旅行(南フランス) 2010 新婚旅行(南フランス) 2010 新婚旅行(南フランス)
(左:プールからパノラマビュー、中:部屋からパノラマビュー、右:朝食もパノラマビュー)

2010 新婚旅行(南フランス)ところでこのホテル、CREAには"ホテルにヘリポートが備えられていることからも、その華麗な顧客層が分かるというもの"とあった。一休みして、ホテルの周囲を散策すると、突如1枚の看板が。見ると赤字で

       "HELIPORT"

と書いてある。…えっと、見渡す限り原野なんですけど…?まぁ、原野とはいえヘリポートとわざわざ看板立てるあたり、ニーズはあるってことね。。セレブはパリからヘリコプターでご到着されるのかしら。。

さて。ランチを食べ、周りを散策しても、ディナーにはまだ数時間がある。折角なので、世界遺産でもあるゴルドに行きたいね、ということで交通手段を探す。とはいえ、来たときの感じでいくと、どう考えても片道10kmは確実。バスも自転車もないし、徒歩も厳しいし、タクシーを呼んでもらおうとするも、あと2時間は来れないというし・・・。

2010 新婚旅行(南フランス)車がないとどこも行けない、とはこういうことか!と困っていたら、宿の若いお兄さんが「私が送りましょう」とホトケの一言。さすが、ホスピタリティの高さを誇るルレ・エ・シャトーの一員。というわけでお兄さんの好意に甘え、ゴルドへ。聞くと、やはり12−3kmはあった。お兄さん、助かったよ、ありがとう!(CREAの5kmって何だ〜…)

帰りも彼が迎えに来てくれ、無事にゴルド観光を終えることができた。ゴルドは、中世の雰囲気をそのままに残す、小さくてかわいい街だった。Figaroに載っている蜂蜜屋さんで買ったラベンダーの蜂蜜は、今でも我が家の朝食の友だ。

■9月1日:リュベロン地方とワイナリーめぐり
2010 新婚旅行(南フランス)さて、翌朝は、日本から手配しておいたドライバーつきの車で、リュベロン地方を巡る。Webで探した現地の小さなツアー会社にメールを打って予約しただけだったので、ちゃんと迎えが来るか少し不安だったけれど、それは杞憂で、10時きっかりに女性ドライバー登場。彼女―カトリーン、と名乗った―とは、観光だけでなく、経済や雇用慣習の話などもしつつ、黄色い街ルション、アンティークの街ヴィシュル・ラ・ソルグ、などの見所を巡る。

本日の目玉の1つが、ワイナリー巡り。ローヌ河流域で最も有名なワイナリーといえば、シャトー・ヌフ・ドュ・パープ。温暖な南フランスらしく、シラーとグルナッシュ主体の、力強いボディーのスパイシーな赤ワインが中心だ。"教皇の新しい城"という名の通り、このワイナリーの祖は、昔世界史で習った『教皇のアヴィニヨン捕囚(1309−1377)』によりアヴィニヨンに滞在していたローマ教皇クレメンス5世。世界史の登場人物が14世紀に作り出した味を、21世紀の私たちがそのまま味わえるなんて、実はすごいことな気がして、なかなか感慨深い。

ワイナリーでは、ブドウ畑の土壌の違いや、醸造工程なども見せてくれる。教科書では一通り学んだけれど、やはり実際に見ると印象も大違い。もちろん、最後の試飲もエンジョイして帰路に。
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(左:熟成中zzz、中/右:同じブドウでも土壌が違えば味も変わる。左は小石、右は砂礫質で、ミネラル風味がより強いのだとか)

というわけで社会見学好きの私がワイナリーにひとしきり感銘を受ける一方で、夫が最も気に入ったのは、世界史の教科書にも必ず登場する、ローマ時代最大の水道橋、ポン・デュ・ガール(ガール橋)。歴史好きにも関わらず意外にもローマ遺跡訪問は初めて、という彼は、『ローマ人の遺跡に触っちゃった〜♪』と嬉しそう。なんだか、芸能人と握手した中学生とノリが一緒なんですが…。

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(左:ローマ時代最大の水道橋、ガール水道橋。右:民謡「アヴィニヨンの橋の上で」の舞台となったサン・ベネゼ橋)

そしてアヴィニヨンに入城。アヴィニヨンの宿は、元貴族の館をそのまま改修したという、格調高いプチ・ホテル、ラ・ミランド。ミシュラン一つ星を獲得したというレストランでのディナーも堪能。ディナーもおいしかったけれど、翌朝の朝食がなかなか素敵だった。

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(左:全ての部屋のインテリアが違うらしい。右:なんとなくロマンティックな朝食)

■9月2日:アルルへ。
翌日はアルルへ。ローマ時代の遺跡に加えて、この町の名を知らしめた貢献者といえばゴッホだろう。ここでゴーギャンと共同生活を始めた彼は、自分の耳朶を切り落としてサン・レミ・ドゥ・プロヴァンスの精神病院に入院するまでのわずか2年弱という短い期間に、『夜のカフェ』、『ひまわり(連作)』、『ゴッホの寝室』、『アルルの跳ね橋』、といった名作を次々に残したのだ。

その中でも、私が最も惹かれていたのが"夜のカフェ"の絵。そのカフェが現在も残っている、というので、早速出かけてみた。件のガイド、カトリーン女史曰く、こと味に関しては"The most DISGUSTING restaulant in the town. Never ever order food there!"とのことで、訓示に従ってカフェのみを注文。レストランの形容詞でDisgustingって。。と思って見渡すと、確かに、客はといえば、ほとんど観光客と思しき人々ばかり。真偽のほどは謎だけど、あながち嘘でもないのかも。確かに、これほど、味ではなく見た目と名前だけで商売できる飲食店も珍しいといえば珍しい。とはいえ、絵そっくりな写真が取れただけで、私は満足、満足。
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さて。そんなわけで、いろいろ回ったのに、本当にあっという間の数日間だった。明日は3時間の列車の旅を経て、いよいよ旅の終着点、コートダジュールだ。

<番外>アヴィニヨンTGV駅にて。駅の写真を撮ろうとしたらピンクのサイが視覚をサイぎって一言。
2010 新婚旅行(南フランス)

  サイ「サイなら」

  ・・・。
  ・・・・・・・。

あら、ごみんなサイ。。


おあとがよろしいようで。

フランス結婚式日記(2):挙式の日

■8月30日:結婚式の日
一夜明け、いよいよ挙式当日。スイートルームで朝を迎え、ルームサービスでの朝食を済ませた後は、自室でそのままヘアメイク。全身ヴィトンで固めたスキンヘッドのヘアスタイリストさんが登場して少し驚いたけれど、実際は実に気さくな、地元の腕利きサロンの店長さんだとか。日本人で全身ヴィトン固めだと引いちゃうけど、フランス人だと絵になるな〜、なんて

デザインはお任せしたところ、"ベルばら"級のお姫様縦ロールに。縦ロールなんてしたことなかったけど、ま、ある意味お城だから許されるヘアスタイル…っちゅうことで(^^;)直前に楽天で調達したプリザーブドフラワーの髪飾りと、これまた楽天で調達したウェディングヴェールをつけて貰って完成。

余談だけれど、今回の結婚式に関しては、ドレスや小物の購入、航空券・宿・列車等の旅ロジ手配まで、代理店は頼らず、ほぼ全て個人でネット手配。ここまでEコマースが浸透していない4-5年前だったら、この短期間での準備は絶対無理だったなぁ・・・って、閑話休題。
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続いてメイク。予定していたメイクさんが来られず、急遽、"店長さんのお友達"が駆けつけてくれた。彼女は毎年パリコレでも活躍しているそう。パリコレ級(?)アーティストにメイクしてもらう機会なんて、もう一生ないかも…。

準備が整うにつれ、妹・両親・夫・夫の家族、、と、皆次々と部屋を訪れてくれる。なんだかみんなソワソワ、、。今思えば、このソワソワ感もいい想い出。
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(左:窓の外を眺める夫 右:リングピロー。こちらはAmazonで材料を購入して徹夜で自作したっけ)

準備が整い、ブーケを抱えて、いよいよお城の脇にある小さなチャペルへ。入り口には、可愛らしいウェルカムボードが添えてある。
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DSCF0537そして入場。父と一緒にバージンロードを歩く。父も心なしか緊張気味。(・・・お父さん、ドレスの裾、踏んでるし・・・(汗))

そんな(?)荘厳な雰囲気の中、式が始まる。セレモニーマスターである伯爵の進行のもと、暗記しようとして挫折した誓いの言葉を、カンペを読み上げつつ述べ、指輪を交換し、誓いのキス、結婚証明書への署名…と続いて、30分弱で式は終了。

準備に何時間も、ドレスや小物の調達まで入れると延べ何十時間かをかけた割には、あっという間だった。両親は涙ぐんでいたけれども、緊張のせいか、感傷に浸る暇もないまま終了しちゃった・・・、というのが正直な印象だった。それでも、参列してくれた家族には、とてもおごそかで、いい式だった、といわれて一安心。ともあれ、これで、このBlogでも長らく「夫(仮)」だった彼も、晴れて「夫(真)」に昇格だ。ということは、これで私も「人妻」に。うーん、、実感沸かない・・・。(それにしても、なんで"人夫"って言わないのに"人妻"なんだろう。って閑話休題その2)

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(左:全面に15世紀のフレスコ画が残る歴史的なチャペル 右:羽ペンで結婚証明書に署名する)

w-IMG_1043お城の周辺で記念写真を撮った後、ウェディングドレスのまま家族とガーデンパーティー。日本のホテル挙式と違い、1日ほぼ貸しきりなので、本当にのんびりとすごせる。とはいえ、ウェディングドレスにも関わらずお腹いっぱいランチを食する新婦というのも珍しいかも...。

挙式とランチを終えると、このお城で過ごせる時間もあとわずか 明朝にはパリに戻り、そして南フランスへの旅が待っている。夕食までの自由時間を慈しむように、スケッチをしたり、ボート遊びに興じたり、或いは散策したりして、一日が静かに暮れていく。

・・・東京と同じとは思えない非日常な時の流れ。こういう時間が過ごせたことが、何よりいい記念になったと思う。ロワールは日本からあまりにも遠いのだけれど、いつか、節目の年にはぜひ再訪したいな。

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