September 24, 2009

ヘヴン

川上未映子『ヘヴン』を読む。

ヘヴンヘヴン
著者:川上 未映子
販売元:講談社
発売日:2009-09-02
おすすめ度:3.5
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アンチも多いそうな川上嬢。僕、好きなんです。顔が。美人です。

文章も、初期から読んでいて。ライブ活動だ何だまでフォローはしていないけど。
マルチな才能が極めてコラージュ的というか、同時代的なセンスで。追いかけていて損はない人なんじゃないか、って入れ込みがあります。

さて。ヘヴン。14歳の少年が主人公で、虐めをテーマにした作品です。
虐めの構造って色んな解釈があると思うのですけど、僕が思うに虐める側、虐められる側。それぞれ役割が偶々振り当てられて、その役割を甘んじることに没頭していく・・・。
そんな構造である、と考えています。
特定の人物の或る欠陥が原因で虐めが生じるならば、虐められる人物はどの環境にいっても虐めをうけるでしょうが、現実はそうでもないです。小学校の頃虐められてても、中学に進むと虐めがピッタリ止まる。つまりは環境がかわることで、虐めが終結する。そんな現実は至る所にありふれている。個々には何の変化もないのに。虐め―――あるいは暴力と言い換えてもいいかもしれませんが、それは絶対的に世の中に存在していて、人と人との関係性の中で、形を変えて顕在化していく。

たまたま虐める対象に選ばれてしまった。そんな瑣末な理由で、加害と被害の構造が生み出される。集団意識も手伝い、誰もが無意識のまま暴力の螺旋に参加する。虐めの本当に恐ろしいのは、そんな渦にある・・・僕はそんなことを夢想する26歳です。

ヘヴンは、そんな虐め(暴力)の構造を描くことに挑戦している―――と感じたのでありました。
加害と被害の関係に優劣がなく、それぞれのキャラクターが絶対的に存在している。特に物語後半、虐めグループの一員と虐められっこが言葉を交わすシーンは白眉でありまして。世の中の仕組みを抉りださんとする緊張感にあふれているものでした。

登場人物の大半は虐めの構造に対して、無自覚な参加を余儀なくしています。しかし一名ほど、その構図に対して気付きのまなざしを持ち、世界に問いかける人物がいるように見受けられました。
その人物と、その周りのギャップがどこか一抹な寂しさを感じさせるものでありまして。

もし、僕たちがこの世界に蔓延する虐め―――強いては暴力の構図に気付くことが出来たなら。その時は何を感じ、どうアクションするのでしょうか。

m-13_30380 at 23:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

September 10, 2009

女子バスケットボールについて話した

先週末、大学の同級生の友人と呑んだ。教職にかかわる仕事をしている友人だ。友人が、日々の業務の合間をぬってドキュメンタリービデオを作り始めたと聞き、話をすることになったのだ。

知り合いの結婚式の帰りだった友人と、ゴールデン街で合流し、ビデオについて話す。
何を撮っているのかを訊ねると、社会人による女子バスケットボールチームであると、彼は答えた。

女子バスケットボール!


プレイヤーが全員、女性。そのキーワードだけで、何か色めきたった僕は、真剣に何を撮れば面白いのかを考えることにした。

スポーツをプレイする目的はさまざまだ。しかし、プレイヤーが社会人になることでその目的が、矮小化して語られるきらいがあると感じている。
学生ならば、部活動がある。全国大会があり、相手に勝利する為、技術を向上させ、ゲームに勝つこと。学生という身分、モラトリアム期間も手伝って、ただ競技に没頭することが許される。

しかし、学生時代を終え、社会に属すると途端、スポーツとのかかわり方は難しくなる。
勤労し金銭を蓄えなければ、生活が出来ない―――夢や目標よりも、ただひたすらに押し寄せる現実の前に、身体を動かすことを忘れてしまう。
もし、学生の時分のように、競技に身を委ねたければ、プロフェッショナルとして、スポーツそのものを社会生活に取り込むしかない。その為には、そのプレイそのものを、第3者が対価を伴って尚、見たいと思わせるようなレベルに鍛えなければいけない。すなわち、上手くなければ意味がない―――そんな価値観の誕生である。極端だが、そのように思う。

競技をやること―――それ自体の目的が、競技の得手不得手でもってしか語られない…ということは如何に貧相なものか。上手い下手だけではなく、ただプレイを楽しめる競技。そんな価値観を許容し、はじめて競技の成長もなし得る。僕はそう思っている。

野球や、サッカー。誰もが親しみ、巨額の富を築く可能性があるプロスポーツは大体、その要素を秘めている。
酔っ払いが、深夜のバッティングセンターでストレスを払拭すると共に、汗を流す。ビール片手にナイター中継を観戦したお父さんが、居間で素振りを行う。そういった競技への触れ合い方が、野球にはある。サッカーもそう。ボールがあれば、ヘディング。新聞紙を丸めてでも、ベッドをゴールに見立ててシュートする。そんな触れ合い方が許容されているように思える。だからこそ競技人口が増え、結果、競技のレベルをあげる。

バスケットボール。スラムダンクという名作漫画によって全国的に知名度こそ広がれど、競技のあり方として、その幅は狭い。プロリーグも満足し育たず、ストリートとプロバスケのいがみ合いなんかもあると聞く。つまりは、価値観が単一的なのだ。

ただ競技を楽しみ、汗を流すこと。

それが許容されて始めて、本質が見えてくるのではなかろーか。
アマチュア、そして社会人の女性が行うバスケットボールから、何故バスケに興じるのか。そして、何がそこまで女性たちを魅了するのか?そんな動機が見えてくるVTRになると、とても素晴らしいことだろう。

友人が追っている女子バスケットチームは、ただの趣味として片付けられないほどのものだという。休日には必ずメンバーで集まり、練習をする。夏休みには合宿まで行い、技量を磨く。彼氏も作らず、合コンもせずに。チームの皆はそれぞれ、仕事や家庭を持つ身。
20台前半だったら、もっと将来のことを考えてもいいじゃないか?僕ら一般人が抱きがちな疑念を払うように、汗を流す女性たち。
プロになるわけでもなく、何故女性たちはバスケに情熱を傾けるのか。最早、ただの趣味とは言い切れない情熱をビデオが映し出すことが出来たならば。それはそれは、素晴らしいものだろう。

とりあえず、一度は撮影現場に顔を出すことを約束し、友人と別れた。

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September 04, 2009

最近走りこみをしている

ここ数日、走りこみをしている。

インターネッツとは便利なもので、自分のランニングコースを地図に打ち込み、どれだけ走ったかだとか、いくらカロリーを消費したか等を表示することが出来る。人類総メディア化の昨今ならではなのか、ジョギングのデータをブログに簡単に貼り付けることも出来る。毎日続けて、ブログに残していけば変わっていく身体なんかを体感できるかもしれない。これは、非常に便利だ。



しかし、こんなものを誰もが観覧できるweb上にアップしていると、自分の住まいや個人情報が簡単に推測出来てしまう。少なくとも、僕が仮に僕でない赤の他人だとして、僕の本名を聞かされ「僕をリサーチしろ」と指名されたとする。インターネット上にわずかに存在する僕の名前から当ブログを割り当て、ジョギングのデータを閲覧し、ヤサを割る…。ウェブ上に存在する現時点の情報でそれは可能である。
そうでなくても暇人の僕はそんな感じで、こっそりブログをはじめ、ネット人格を謳歌している知人何人かを見つけている。この人、ブログやってたんだ。しかも、こんなキャラだったとは…てな具合で。

―――そんなことを想うと、とても恐ろしくてジョギングのデータをアップすることなんて出来ない。

走りこみを済ませた後は、大体DVDを見たり、本を読む。
昨晩は、フランク・ダラボン監督『ミスト』を見た。
宣伝やら予告では、結末について異様に言及されていたようだが、結末自体はそれほど特徴的なものではなく、それに至る伏線はあらゆる場所にはられていた。そこそこ映画を見ている人なら、別に「やられた!」と思うほどのものではないように思う。
むしろ、カルト化する集団と個人をわかりやすく描いており、そういった意味ではロメロのゾンビ映画に通じる「彼らは我々だ」感というか、劇中で登場人物に襲う恐怖を、(東城人物の)外側と内側、両面で描いていたのが良かった。それは舞台がスーパーマーケットだし、必然なのか。
また、B級臭が濃いのも良かった。

ロメロといえば、一番最近のダイアリーオブザデッドは凄くよかった。万人に受けはしないだろうが、公開当時劇場で、完璧なゾンビ映画だな…と唸ってしまったのを思い出す。そもそも設定や物語が、ドキュメンタリー好きの僕のはまったというのがある。


作品は、ここ数年流行のPOVを用いたフェイクドキュメンタリーで、これがゾンビ映画の性格と非常に合致していた。限られたものしか捉えることが出来ない主観の歪みをうまく演出しており、老いて尚、時事性を踏まえた作品を作り出すロメロ御大の少年性に惹かれた。
低予算ゆえ、限定された舞台劇だったが、それがまた、主観という限られた視野を(結果的に)、描いており、偶発的に生まれた良作であった(計算され尽くされた作品も当然魅力的だが、さまざまな要因が絡みあい偶発的に生まれ、ある時代に配置される作品。それも、また乙なものである。)。

ダイアリー・オブ・ザ・デッド プレミアム・エディション [DVD]ダイアリー・オブ・ザ・デッド プレミアム・エディション [DVD]
出演:ミシェル・モーガン
販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2009-04-24
おすすめ度:3.0
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September 03, 2009

BACK ON MY FEET


BACK ON MY FEETBACK ON MY FEET
アーティスト:ブンブンサテライツ
販売元:SMR
発売日:2009-07-01
おすすめ度:5.0
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BOOM BOOM SATELLITES。
最初聴いた時は洋楽みたいだなぁ。格好いいなぁ。…と、随分感動したことを思い出す。
インターネットのおかげで、さまざまなアーティストに触れることが容易になった。お蔭で随分雑食になったものだけど、結局頻繁に聴くアーティストってのは数年前と大差ないことに気付く。

そんなことを思っていたら、Oasisのノエル・ギャラガーがバンドを辞めるとのニュースが飛び込んできた。ノエルのいないOasisなんて、あ〜ちゃんのいないPerfume。いや、押尾のいないLIVのようなものである。

昔に比べると聴く頻度は減ったものの、新譜が出れば一応はチェックし、その中には1曲くらいはアンセムとなり得る曲がある―――そんな存在だったOasis。

ノエル・ギャラガー自身は一人でも成立するものだと思う。Oasisの楽曲の殆どを彼が作曲し、ソロステージを何度もこなしていた。まぁ、ポール・ウェラー的な立ち位置に属するんじゃないか…そんな空想がたやすい。

しかし、Oasisはどうなってしまうのか。リアムのかく曲も悪くないが…
アルバムを通してみてノエルの脂っぽい曲の中に、リアムのさらっとした佳作が入ってくるのがよかったのだ。

劇場版東のエデンはOasis使うのだろうか。




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August 31, 2009

選挙に行った

横浜に用事で出かけた後、選挙に行ってきた。今の住まいは、目の前が区役所なので世間の世間ムードも相成って、非常に投票に足を運びやすくなっている。

19時過ぎ、投票締め切りギリギリに駆け込んだのだのだが、区役所には多くの人が集まっていた。投票に不慣れなのか、あたふたする若年層が目立った―――ような気がする。



今期、鑑賞しているアニメ『化物語』。
「今期、チェックしている」なんて、ヲタ以外何ものでもないなァ…と思いつつ、やはりアニメって一表現として舐めちゃいけないなと痛感する。
原作は、ライトノベル?ミステリー?…どのジャンルに属する作品なのかが分からないが、少なくとも純文学にカテゴライズされることはないだろう西尾維新の小説(ちなみに、氏の作品は何も読んだことがない)。

一人称の進行する作品にありがちな、メタなストーリーテーリングが少々うっとおしい感があるが(露骨なヲタク文化語りなど)、文字や写真を使ったコラージュっぽい独特の映像演出や、“動かさない”ことにこだわった対話シーンなど、色々工夫している。

物語の多くをキャラクターの対話に費やし、徹底的に画を動かさない。陰影を省いた平坦な止め画で展開する。まるで紙芝居のような作品。それでいて、各話に一度はやってくるアクションシーンは、かなり滑らかにダイナミックにうねる。
静と動のコントラストがなんとも病み付きになり、毎週を楽しみにしている。自分、キモイ。

m-13_30380 at 01:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

August 29, 2009

久々

2ddc6c2f.jpg1日の訪問者数が0になって、1週間。
ようやく誰も見なくなってきたということで、ブログを再開させようと思う。えらい問題おこしているのに、同じ場所でいつまでやれるか再トライしてみよう。

この夏。夏らしいことが一つもないまま、もう8月を終えようとしている。
夏休みなんてものを生活からなくして数年。それでいて尚、何か遊ばなきゃあいけないと強迫観念のように襲ってくるアレはいったいなんだろう。

思い出と言えるものは殆どない。強いて言えば、夏の初め(6月28日)。
満員の池袋サンシャインシネマで見たヱヴァ新劇場版の衝撃が未だに焼きついている。終劇後、拍手がおこる映画に初めて出くわした。ヲタク達の熱が常人のそれと差異がある―――ということを差し引いても、滅多に見られない現象だと思う。

お蔭で様で、アニメヲタの血が再燃し。
数年前、ポストエヴァ作品なんて呼ばれた『交響詩篇エウレカセブン』を50話一挙鑑賞をしたりして、惰性をむさぼっていた。
『エウレカ』は作画が好みであったこと、それに加え過去の名作からの愚直なまでの引用が、そこそこ気に入った(パクリだとか揶揄されるそれを、僕はあんまり気にしない)。

また、PS3でUFC2009の体験版を落として、ちまちまチャック・リデルで遊んでいる。完全なインドア。

m-13_30380 at 22:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)映画 

January 30, 2009

カルマを背負った

2009年が明け、はやくも1か月が経とうとしている。
今年は数年ぶりに故郷岡山で正月を過ごし、英気を養った。なぜ、地元に戻るとああもまぁ、やる気がなくなり怠惰になるのか。未だにわからない。
おそらく、地元に友人が殆どなく、誰とも会う予定がたてられない…即ち、僕の人望の無さに起因するものだと思うが、それにしても、だ。

「人望がない」といえば、僕は人生始って25年。誰からも、結婚式に誘われたことがない。20代も半ばにさしかかると、周囲で結婚の話、出産の話の一つや二つ聞こえるようになるのだけれど、「式に誘われた」となると僕はまるで経験がない。

「結婚」で思い出した。
年始早々、人の結婚話を破談にさせた。僕個人としては、遅かれ早かれ二人は別れを選ぶだろう、と思っていた。しかしながら、第三者がこの話を聞けば、誰もが僕が二人の仲を壊したと信じて疑わないだろう。
年始早々カルマを背負った。
反省はしている。しかし、後悔はしていない。

おわり

m-13_30380 at 17:20|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

December 14, 2008

2008年について

2008年も終わる。
印象に残った出来事、諸々を綴っていこうと思う。

■Nine Inch NailsのLights In The Sky Tour
とにかく、凄い。音が好みであろうが、なかろうが、一度なんらかの方法でそのライブアクトは見るべき。
ジェームズ・キャメロンが映画化するという話があり、期待に胸膨らませていた。しかし、バンドが以前契約していたレコード会社との間で曲の権利問題などで、最近ぽしゃったと聞く。全世界のファンが(悲しみで)泣いた。
何でも、現在世界中のファンがそれぞれ、独自に撮影した映像をインターネット上でアーカイブ化しようという動きもあるそうで・・・。
かつては盗撮、海賊版と揶揄されるオーディエンスのライブ撮影。
人類総メディア化の現在、アーティスト公認(或いは黙認)の集合知として、きわめてクリエイティブに作用するならば、それにこしたことはない。



つづく

m-13_30380 at 15:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 05, 2008

すいません

すいません。
私、Perfumeのライブ見に日本武道館に行こうとしています。

m-13_30380 at 18:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

August 13, 2008

和光、落日の日。

4年ほど前から、毎年この時期になると思いだす『All Japan Dance Festival Kobe』。
数年前に数奇な縁で関わり、その後「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら…」と自ら出場まで果たした。大会に出場するチームの多くが体育大学、或いはダンスサークルという中、素人同然の和光学生が大会をかき回す。まるで漫画のようなダイナミズムに和光の真髄を見て、惚れこんだ。
毎年、入賞を逃しつつも、「インパクトは一番?」「なぜ、あれで受賞できない?」多方面から、受賞よりもありがたい言葉の数々をもらうことで、和光ismを表現し続けた、と思っている。

そんな和光大学。今年4度目の出場で始めて受賞を果たしたらしい。しかも、日本女子体育連盟理事長賞と音響賞のダブル受賞なんだから、大したものだ。一報は人づてに聞いた自分。あわててmixiのコミュニティを覗くと、確かにそうあった。
結果を素直に喜ぶべきか、それとも微かに浮かぶ「もやもや」を語るべきなのか。捻くれ者な自分、当然選ぶのは後者であった。

まず、最初に断っておくのは、今年の出場作品を僕は一度を見ていない。だから、作品そのものの評価はできない。僕が想うのは、今回受賞に至ったプロセスの評価だ(しかも、その情報は伝聞がベースで、一次情報は無いに等しい)。

和光の大学の場合、大会に出場するメンバーは、毎年、学期ごとに始まるダンスの講義を受講した者から選ぶ。当然、踊る作品も年度の頭から考えられ、テーマ、楽曲、振り付けすべてを1からスタートされる。他の大学の場合、1年以上費やして作品を練り、僕らが作品を立案するころには、テーマも、曲も、振り付けもある程度は出来上がっている。この時点で、練習時間に差が出てしまい、同じ土俵に立つ上で、不利であるという指摘もあった。しかし、それまで見ず知らずの他人だった連中が毎年4月に出会い、8月の大会目指して切磋琢磨する過程に和光大学が描く漫画的ダイナミズムはあった。そして、その魅力も。
その素人感にこそ、僕は魅了され、そんな「いい加減」な団体が格式高い大会をかき回すのに面白みを感じていた。伝統ある他チームには出せないミラクルを起こせるのは、そんな凸凹な団体だったからだと思うし、様式化される大会に風穴を開けるとしたらそんなところ、と思っていた。

しかし、今年受賞した和光大学はこれまでとは違った。今回、大会で演じる作品は昨年度別の舞台で上演した「花」という作品のリメイクだったのだ。これまでより月日をかけて育てられ、長いスパンで成熟させられた作品。つまり、それは年間通して大会を狙い、作品を仕上げてくる他の体育大学、ダンスサークルの製作プロセスと何ら違いはない。これを成功の法則に乗っかった、と見るのはあまりにも捻くれ者な自分だからなのかもしれない。しかし、今回の受賞は、従来の和光大学のメソッドでは「やはり受賞は無理」と間接的に証明してしまってるのではないか。

それでいて、メンバーはきっと
「ほかの大学は1年かけて作ってるものを、出会って3,4か月で作る場違い大学が受賞。素敵。奇跡。」
だ、なんて思ってるに違いなんて思うと、絶望的な気分になる。
まだ、「これまでの和光の方法では無理」と自覚してればよいのだが…
実質的に1年かけて作品を作り、既に大会出場が4度目の和光大学。それを未だ「場違い大学」と特権意識を持つこと自体が不可能なのだ。
場に染まり、システムに組み込まれ、その中での結果を胸を張って誇れるようになる。その上で、既存の枠組みを越境する力を、次の世代に願わくば。

ゆとり世代、乙…

僕も歳をとった。


m-13_30380 at 14:22|PermalinkComments(1)TrackBack(0)日記