August 2004

August 31, 2004

One Of These Days

台風吹き荒れる今日の岡山。そんな日に会食の約束をするバカ二人。
予定していた飲み屋が、台風のため休業。かわりの飲み屋を探すが、どこも同じである。ゴーストタウンと化した岡山を幽鬼の如くさまよう二人。風に吹かれ、雨に煽られ右往左往。結局しばらく歩いた後、天下のチェーン店『魚民』に落ち着く。
2年ぶりの会話は将来のことや、恋愛、友人、母校、建築…と多岐にわたり、あれよこれよといううちに時間が過ぎていった。印象的だったのは、彼女が前に増して笑うようになっていたことと、えらく大人っぽくなっていたことだ。2年もすると、余裕で人は変わる。その一方、変わらない部分に安心したり。
再開は面白い。同窓会や、成人式を避けてきた自分だが、もったいないことをしていたのだなと少し後悔した。覆水盆に返らず。

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August 29, 2004

ロコローション

爺様の顔を見るべく備前市まで出かける。加えて、叔父が先日、日本伝統芸展の伝統工芸師に三年連続入賞したので、そのお祝いも持って行く。日本伝統工芸師ってのがどれだけ凄いものかはわからないが、三年連続ってのは史上三人目らしく、そこそこの偉業のようだ。凄い。
叔父は何かと苦労人で、人生紆余曲折を言葉の端々から匂わせる独特の語りをする方だ。久々の会話だったが、他の親族にはない妙味を出していた。釜ヶ崎に行った、と話をすると「どえらいことするな〜」とコメント。身近な人で釜ヶ崎を知ってるのは叔父が初めてだった。
叔父との話を済ませ、爺様の部屋に行くとテレビを見ながら椅子に腰掛ける爺様がおった。爺様は相変わらずで、安心した。
68歳で胃癌を患いながら生き延び(手術後には「いてーいてー」とのたうつ)、75歳で木登り中に地上5メートル程の高さから転落(尚且つ転落後半日程真冬の備前に放置される)、腰骨を粉砕骨折しながらも生き延び、今年78歳。異様なタフネスは健在であった。
一緒にいる間に、ふかした煙草は5,6本。やめろと言われる米のジュースも決してやめることがない。不摂生を絵に描いたような生活をしながらも、その顔は生気に溢れ、日ごろ節制をする自分を嘲笑ってくれる。
爺様は俺を見るなり「太った」と何度も繰り返し、最後まで途絶えることがなかった。「鍛えた」でも「ごつくなった」でもなく「太った」としか形容することが出来ない爺様の語彙力、感覚。不摂生によって培われた人生観は、俺がどんなに鍛えても、大きくしても「太った」なのだ。そんな視点が心地よい。だって、他の誰も自分が太ってるなんて言いません。
その人ならではのコトバを聞ける瞬間ってのが好きだ。綺麗でも素敵でもなく、どちらかと言うと皮肉や悪意に聞こえる文句でも「らしいな」と思わせてくれる語り、時に必要だと思うのです。語った当人にしてみれば「直さなければ」と思ってるような言葉(爺様は口の悪さを今更直そうなんて思っちゃいないでしょーけど)。最も「らしさ」が出ていて、大切に感じます。
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August 28, 2004

釜ヶ崎ブルース其の七

040828-1511.jpg今より大阪を離れます。映像のこと考えると名残惜しく、まだ居たほうがええかなーとも思います。だいぶ慣れてきたし、今日も素敵な出会いがありました。しかし、そろそろ身体を動かしてうまい飯を食いたいのです。
仮にも格闘家。ドヤのヤクザに「すっごい耳やな〜」と話かけられたら練習せずにはいられません(でもホント、次回はもっと身体鍛えて釜潜入てのがアリだなと思いましたね。『暴力』を想起させる肉体は普通でないおっちゃん達に良くも悪くも絡みやすいのです。映像やる格闘家ってのは、やはり珍しいだけに武器)。
何よりメシですね。相方も心酔する大阪新世界のメシ、わるかないですが、正直僕の舌にはあまりあいません。やはり西日本一番の飯は岡山のラーメンとおかんの料理ですねん(偽善。何故なら日本一は二つもない)。それに未だ結果を知らないでいるUFC(アメリカの総合格闘技の大会です)も観たいですねん。そんなこんなで今から帰郷。
あぁ後、誰も信じてくれないかもしんないけど、逆ナン(って言うんですかね)されました。話し掛けられて、去りぎわに「電話番号と住所教えて。連絡したい」って。旅の魔力ですかね。好きな女性がいるんで…とは言えなくて。教えてしまった…携帯番号……続きを読む

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August 27, 2004

釜ヶ崎ブルース其の六

040827-1158.jpgもう、暑すぎるわけです。
おてんと様が照りつける日中「精神病院から逃げてきた」と豪語するオヤジに絡まれる。それはもう徹底的に。色々案内されたが、どこまで正しいのかわからない。ただ、これは釜ヶ崎の魅力の一つである。
アルコールで浸された脳みそから滴りこぼれる話は、聞いているうちにウソかホントかわからなくなる。同じ話が何度も繰り返され、そのたび微妙に内容が違うのだ。本人は同じことを言ってるつもりなのだろうが聞いてる人にすれば、段々わけがわからなくなる。理解の遅れは次第に「話の真偽は?」という疑念にかわる。
「カメラに映し出されたものは果たして事実か?」ドキュメンタリーでよくでる命題。釜ヶ崎のオヤジのあやふやさは、その命題の比喩になりうると思うのだ。映像における事実なんて非常に曖昧なもので、こと編集(という意志)や演出(ヤラセ)を介して提示されるものに事実なんて存在するのだろーか。
わけがわからないオヤジの話を通してドキュメンタリー論を展開出来るのでないか…なんて妄想しながら日は暮れます。
現実と虚構の混ざりあいの妙と言ったらプロレスなんかもそうでないか。今でこそハッキリ境界線がひかれつつあるが、かつてのガチンコか八百長かといういかがわしい謎掛け(いかがわしさはプロレスにとって大事な要素だ。だからこそ、プロレスラーは決して「スポーツマンシップ」なんて口にしない)。その『妙』が凄く好きなので、今でもプロレスラーになりたい(名乗りたい)という夢は捨ててません。しかし、そんな夢はアホなんですね。人に「サイキョーになりたい、時々半径500メートル圏内では俺が最強だと思いながら生きている」なんて話せば決まって笑われます。切ないものです。
あぁ、オトモダチが恋しい。オトモダチとお酒が飲みたいものだ。ドヤのオヤジの心の一言
「酒が趣味で、生きがいで…人生酒だけになってしもうて。ただ、酒あるとこに人おるんや。どんなんでも話が出来る。ん……酒っちゅうよりぬくもりが欲しいんやな」
切なすぎた。やりきれなくて酒を呑むのでない。酒に人のぬくもりをみて、呑む。話聞きながら泣いた。しかし、釜ヶ崎で『酒』を呑むことが出来ないオレはどこまでいってもよそ者。たとえ涙を流しても。

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August 26, 2004

釜ヶ崎ブルース其の五

040825-1809.jpg・朝昼、曜日の感覚が薄れてくる今日この頃。ここ数日、場所が場所なだけに若い女性を殆ど見ない。まったく見てない。そんな状態で先日、アメリカ村に行った。国でもかわったかと錯覚する程若い男女だらけ。もー行き交う女性、皆に恋をしてしまいます。こんな状態で元の環境に戻ると知り合い全員に恋をしてしまいます。あぁ、ヤバい。
・新世界を歩いてたら三島ド根性の介を見かける。さすが地元。どうあがいても負けるんだろうな。しばらく練習していないので、はやく身体を動かしたい。
・思わぬ助っ人の出現で今まで撮れぬモノを撮影成功。感謝多謝。
・何かを撮影するというのは本当に難しい。改めて実感。撮る行為について知れば知るほど(考えれば考えるほど)難易度が上がる。
・そして難易度の上昇と共に感じるのは、同じレンズを向けるのでもビデオカメラのレンズとカメラのレンズでは、行為として明らかに差異がある。当然な話だが、今までは結構似てると思ってた。
・自分が所有するVX-2000は装置としての存在感、威圧感が強い。なんせ、デカイ。まるで大砲。
・今回はひたすら撮ることの難しさを痛感させられた体験である。
・釜ヶ崎の朝は活気がある。一日のうちで最も活き活きしている時間ではなかろうか。昼はどんよりと沈んだセンターに絶えず喧騒が聞かれ、手配師が労働者を値踏みする。低血圧なんぞクソ食らえ。朝だ、陽が昇り命の息吹を感じる。
・後悔はし続けるべきだ。
・ホルモンは美味い。放る(ホル)臓物(モン)が名前の由来だそーだが、女性ホルモン等の『ホルモン』とはどーいう関係だろうか。
・通天閣は意味不明。新世界ってネーミングは凄い。
・春の映像と足せば、一先ず『学生』レベルの映像は作れそうだ…が…。

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August 23, 2004

釜ヶ崎ブルース其の四

040823-1610.jpg思い出はいつの日も雨。雨で撮影出来ず。ヤバい。何時まで雨は降るのだろう。ノーカメラで歩くカマはカマである。ただ感じることは出来るが残すことが出来ない。それは困る。
三十秒程向かいのドヤにカメラを向ける。…凄いものは撮れた……が…。

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August 22, 2004

釜ヶ崎ブルース其の三

カメラを所有することでセカイは一変する。『一変』というより『浮き彫り』にされると言ったほうが、自分の感じた印象には近いかもしれない。
今居る場所がなんなのか。自分の立場とはどこなのか。道具の効用は如何なるものか。カメラという道具を通じて世界と接することで(世界の)見方が変われば、当然見られ方も変わる。釜ヶ崎でカメラを持つ持たないの差はでかい。
持ってなけりゃ、女子供でも(一応)安全に歩けます(なんせ隣の部屋は女の子二人組でした)。持った日にゃあ、屈強の男子でもそう簡単には歩けません。
『恐くて』『恐ろしい』だけが釜ヶ崎の姿とは口が裂けても言えません。しかし、全然恐くなくて人情イッパイの街とも絶対に言えないのだ。
あーおそろしい。おそろしい。


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August 21, 2004

釜ヶ崎ブルース其の二

040820-2357.jpg夜。風呂に行く。浴場から聞き慣れない言語が聞こえる。「あぁ、外国人だな」と思いながら浴場へ。案の定、ガタイのよろしい外国人男性がひぃ、ふぅ、みぃ…よにん。英語かと思ったが、よく聞くとフランス語のようだ。自分が浴場へ入ると彼らの視線がこちらに集まる。自分は別に特別凄い身体なわけでもなく、立派なナニを持っているわけでもない。日本の風呂で日本人は珍しいものでもないだろう。彼らの異常なまでの視線を不思議に思っていると、奥のサウナからすっぽんぽんの外国人女性が男たちに誘導されるように出てきた。これが原因だったのか。究極のジェンダーフリー。フランスの女性はワキの手入れもしなければ、スネの手入れもしないと聞くけど、異性と風呂も全然OKらしい(偏見)。バイリンガル釜ヶ崎。おそるべし。

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August 20, 2004

釜ヶ崎ブルース

040820-1722.jpg一泊2000円のツイン宿を借りる。釜ヶ崎の中では最上級の宿と思われる。ベットの下に前の客が捨てていったろう飛行機のチケットが落ちていた。出発地、香港。目的地、大阪関西。自分達の前にも外国人がチェックインしていた。バックパッカーご用達の地として釜が機能しているのだ。

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August 19, 2004

地上の星

つかこうへい作・演出の『熱海殺人事件〜平壌から来た女刑事〜』を倉敷市芸文館アイシアターに観に行く。会場のキャパは20×8の約160人。それ程広くなく、規模としては小劇場になるのだろうか(詳しくないのでワカリマセン)。客層が普段観に行く芝居と違って「これがメジャーか」なんて思う。普段行く芝居は学生が多く、年配のおじちゃんおばちゃんは少ないので、観客の多くを30代、40代が占めていた会場にやや驚いた。10代後半から20代前半、学生らしき層は少なく、全体の2割程度か。ひたすら芝居に関係ない会場観察を行う。音照スペースが客席と隔たれておらず、会場最後部に何となく設置されていた。「どーなっとんやろなー」と興味深く眺めていたら(おそらく)照明の方と目が合った。何か知らないが嬉しそうな顔をしている。満員に膨れ上がった会場に歓喜の表情…といったところか。良い芝居が観れそうだと期待が高まる。開演五分前に諸注意のアナウンス、開演時間ピッタリに開演する。
芝居は聴覚の芸術であるという考えがある。舞台が何故『舞台』という非日常でいられるかというと、客席と舞台の間に、或る隔たりが作られているからもあろうが、何より芝居独特の発声があるからだと思う。腹式呼吸を用いて舞台から会場の隅々まで『伝わる』よう発せられるあの馬鹿でかい声量は、日常生活は勿論、映画などにおいても中々聞かれない芝居独特の音である。舞台上で役者さんが天性の、或いは修練によって作られた『声』を躍動させた瞬間、「芝居が始まった」と感じさせられることは少なくない。今回の芝居はまさにそうであった。開演後の第一声。暗転後の明転と同時に張り裂けんばかりの怒声が響く。それは思わずビックリして身体が動いてしまうくらいのもので。最初の一言で芝居のトーンは作られていた。
芝居が何を描いたものなのか、観終えた瞬間自分は明確な言葉としてあらわすことが出来なかった(観劇なんてのはそういうものかもしれないが)。この作品を通じて作者が描きたかったのは(伝えたかったのは)、愛憎絵巻か、極東問題か、少年犯罪か…或いは単なる喜劇か。それとも、それら総てか。分からなくなるくらいに混沌としていて、幾層にもドラマが積み重ねられ…それらが圧倒的情熱でもって観客に叩きつけられる。
「言葉に出来ない想い」というものがある。人間の根源的感情なんてものは、みなそういう形容がなされる。言葉に出来ないのなら、何で表せばいいのだ。セックスか暴力か。身を削るような試行錯誤。オンナとオトコと男と女の。それでも表すことが出来ない感情。伝わることのない感情。結局、言葉に立ち戻ってしまうジレンマ。身を削った後に生まれる言葉は語りではなく、叫びとなる。だから、劇中で役者は叫び続ける。役者の口から大量に飛び散る聖水(唾や汗)。激しくぶつかり合う肉と肉。これらがすごいのだ。
劇中で男がハリセンで女を殴りまくるシーンがあるのだが、本作を観るという行為はまさにそれだ。観客は作・演出のつかこうへい、そして彼率いる役者、スタッフ陣に芝居というハリセンでひたすらぶん殴られる。
ハリセンは素手で殴られるより痛くない。当たり前だ。グーで殴られた方が痛いし、怪我もする。芝居じゃない現実ってのは痛いんだ。ハリセンで殴られて大怪我なんて聞いたことがない。芝居を観て色んな感想を持てど、僕は変わらぬ日常を生きている。メシを食って、メールを打って、テレビを見て(井上負けちった…)、おかんと話して、風呂に入って、ストレッチをして、明日を思いながら寝るだけだ。ただハリセンは音がデカイ。まるで役者が台詞を叫ぶように。パーーン!パーーン!あの音は耳に残る。パーーーーン!…パーーーン!ほら、そうだ。今も耳にあの音が残っている。耳鳴りのように。パーーーン!!

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昼食

040819-1216.jpg『天神そば』という岡山では老舗とされる店で食す。帰郷の際は一度は必ず立ち寄る。それほどまでに美味い。幼少の頃から食い慣れている、というのもあるが、それ以上に他の店にはない独特の鶏ガラスープ。これが絶品なのだ。なんでも醤油と鶏の出汁だけで作られているとか。長年の経験で培われた微妙なさじ加減で生み出される秘伝のスープ。たまりません。
ただ、朝一番で食ったので、腹がヤバい。しかし営業時間が朝11時から4時までなので、胃腸が目を覚ますまで待ってられないのだ。男には胃腸を投げうってでも手にしたい食がある。

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August 18, 2004

Thinking Of You

1)なんたることか。



予定も何もすっぽかして一日中寝ていた。ゆっくり休んで体力を回復出来たので、良い『休日』であったことは確かだ。同時に一日を無駄にしたという、貧乏性極まりない思考が顔をのぞかせる。田舎は生活に緊張感をなくす。だらだらしてしまい、日常には不毛な臭気がただよう。そんな時間も時には必要だ。息を抜く時間は、気を張る時間を作る為にも大事である。しかし、岡山に戻ってかれこれ五日。『そんな時間』と謳うには、ちょいとばかし長すぎる。



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August 17, 2004

Out Of Control

040817-1622~00.jpg後輩とスパーをする。やはり地方には総合格闘技におけるメソッドが行き届いていないのか、体系化された練習は出来ていないのだなと感じさせられた。続きを読む

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卒業写真

040817-0832.jpg中学の卒業アルバムを発見。何度見ても恐ろしい。7年前。

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August 16, 2004

The Reason

1)昨日は家でテレビ三昧だったので、少し外出してみた。



久々に歩く岡山の町並みは、細かい変化が見られて、時間の流れを感じさせてくれた。正月帰った時はロクに外出しなかったので(笑)気付かなかった。新しい建物が建っていたり、無くなっていたり。帰郷者が感じるようなことを一通り感じて



2)商店街を歩いていたら



中学の同級生二人に会った(笑)。彼女達が先に自分に気付き、声をかけてきた。
「宮井くんだ〜。こうやって人に会うの初めてだよ」



3)しかし



僕は彼女達の名前を思い出すことが出来なかった。名前を呼ぶことなく会話を進め、無難に別れた。会話において、名前を呼ぶっていうのは、意外に必要ない。けれど、あるとないとでは距離感が違う。相手との、そして自分自身との。『無難』を行使出来る時間を経て、「ああ、俺ら大人になってしまったんだなぁ」 と思った。



4)否



大人になってしまったではなく、子供ではなくなった、だ。



5)子供といえば



帰郷すると必ず、母校でトレーニングをする。高校で後輩とスパーリングを。中学の校庭でランニングや懸垂を。けど、最近の中学校って、門が閉め切られるのね(笑)。どっかの殺人鬼のせいだと思うのだけれど。コドモ達の遊び場なくなって、余計殺人鬼が出てくるぞ。自分達が親と同じ育ち方をしてないように、今のガキも俺らと同じ育ち方はしないだろう。にしても、何か間違ってるような気がしてならない。



6)こうして



オヤジになっていくのね。



7)仕方がないから



深夜、柵でも飛び越えて走るかと画策中(笑)。俺のルックスで見つかったら問答無用で捕まるな。それほどまでにヤバいルックスは持続中。久々にヒゲを伸ばして、こんなにもヒゲ濃かったんだなぁと驚いた。我ながら。



8)後は家に帰り



芝居関係の本を読みあさる一日。なんでこんなことやってるんだ(笑)。自嘲気味に。今読んでいるのは『つかこうへい傑作選』。人にケツ叩かれ新しいことが開けることが多かった俺の人生だ。決して、悪くない。無駄にはならないだろう。脚本書くなんて。



9)にしても



Hoobastankの『The Reason』は良いなぁ。ベタベタの泣きメロが古き良きHRって感じで良い。ゲイリー・ムーアで洋楽に目覚めた自分としては、こういった泣きメロはいつまでたってもツボなのだ。それに歌詞がまた良いのだなぁ。歌い易いし。


I'm not a perfect person
As many things I wish I didn't do
But I continue learning
I never meant to do those things to you
And so I have to say before I go
That I just want you to know

I've found a reason for me
To change who I used to be
A reason to start over new
and the reason is you

I'm sorry that I hurt you
It's something I must live with everyday
And all the pain I put you through
I wish that I could take it all away
And be the one who catches all your tears
That's why I need you to hear

I've found a reason for me
To change who I used to be
A reason to start over new
and the reason is You [x4]

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August 15, 2004

プライド

プライドグランプリ決勝。結末はノーコンテスト。王者が居ないという結末。これだからガチンコは恐い。恐すぎる。続きを読む

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August 14, 2004

ふるさと

040814-1106.jpgこれが岡山である…。










実家にて先日完成させた演劇の公演記録を母に見せる。今迄なかった壮絶な駄目出し。まるで想像できなかった角度からの批判は、相当に自分を落ち込ませた。
そんな母の感想をうけて(自分と話したことがある人ならわかると思うが)激しいディスカッションが行われる。「あのシーンはこういう意図なんだ」「こう思うから編集した」あれこれ屁理屈を駆使して、作品を理解してもらおうと試みるが、至らず。
ドキュメンタリー作品の多くは作品上映に監督が同伴し、トークショーや質疑応答を行うと聞く。自分と母のやりとりは、それに近いものだったのかもしれない。一時間弱、母は煙草をふかしながら、自分は居間をうろつきながら会話を重ねる。しかし、作品の力量不足は会話によっても補われることがなかった。
勉強になった。次の作品をつくるうえで。作品鑑賞後に受け手とで(作品の)『新しい見方』を創造してゆくのは、今後の自分の糧になる。
「作家は自分の作品についてあれこれ語るものでない」と思う時期があった。今も、作品の種類によってはそうである(超現実的な表現などは、未だに説明されないことで輝きを増すことがあると思う)。
しかし、あることを元に事実の再構築を行う記録映画は、享受者との対話によって、構築された事実を解体して現実に戻す作業は大切なのかもしれない。そこに戻ってきた事実は、当初と姿を変え、発見をもたらしてくれる。

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Roll with it

040814-0609.jpgこれより帰省。岡山に数日滞在後、そのまま大阪突入予定。そこで一週間弱、卒論の為ビデオ撮影。
大阪釜ヶ崎は春に行った時に比べ人の数が格段に増え、それに比例し『おっかなさ』も数段増しているらしい。前回は一発ぶん殴られるだけですんだが、今回はどうだろう。バラされないだろうか・笑。恐くて憂欝になる。また安定剤の世話になるのだろうか。あぁ、いい加減ホントに心の港を手に入れねば・笑。これは切実すぎる命題。
実家でプライドグランプリ決勝をPPVするのが唯一の楽しみだ。あぁ、後、高校の後輩が総合格闘技を始めたらしい。練習相手になるかは分からないが、練習するのが楽しみだ。後、家のメシをバカスカ食うのも楽しみだ。会う予定はないが、旧友に会えたら、それは楽しみだ。後、車を運転するのも楽しみだ(何が唯一だ。色々あるでねーか・笑)。
閑話休題(それはさておき)。
そんなわけで、今回帰省するにあたって、別れを言うのは大切だと感じたわけです。
「(二度と会えないかもしれないから)元気で、さようなら、ありがとう、ごめんなさい」
(幾らか誇張があるにしろ)大事を控えた我が身である。「今生の別れ」は半分ギャグであっても、残り半分はマジだ。一期一会とはよく言ったもので、人間いつ出会うのが最後かわからない。だからこそ「別れ」の挨拶はキチンとしとくべきだな、と。何処にいても科学の力で連絡がとれる便利な時代。それは時に別れを稀薄にさせる。距離を濁らせる。あーこわい、こわい。
オリンピックの開会式凄かったなぁ。ただ、競技増えすぎで何がなんだかわからん。
もー寝てないので支離滅裂。

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August 13, 2004

サイレント・ヴォイス

blue毎日日記を記しているが、段々書くことがなくなってくる。毎日記すべき出来事が起こるわけでもないし、僕の筆力が低いせいもある。筆力の上達は本当に難しいと日々痛感する。
文を上手くするに最も良い方法は、誰かに向けて書くこと、と教えられたことがある。一人に伝わらないものは、複数にも伝わらない。まず誰かを想定して書くことから始めるのが上達の近道というわけだ。その最もたるモノが手紙である。
きょうび手紙と言えば、携帯電話による電子メールが連想される。否定的な人も沢山居ようが、僕はこの電子メールを結構好む人だ。
普通文章ってのは原稿用紙何枚に及ぶ長文でない限り、全体を大体見回せる。しかし、小さな液晶画面で構成される電子メールは、文章の骨組みともいうべき全体像を見ることが出来ない。わざわざ画面を上下にスクロールさせ、吟味を繰り返さなければならない。この『不自由』が相手にコトバを伝える(組み立てる)うえで妙な緊張感を生んでくれるのだ。
加えて字数制限がある。最近はどこメーカーも受信字数を多くしていて自由にメールを作ることができる。しかし、ドコモの一部の機種は未だに500字までしか受信できない(ようだ)。自分の知り合いの多くは受信字数が多い物を使ってくれているのだが、ここ最近メールを交わすようになった人等で、『一部』に該当するドコモユーザーがいる。
それにメールを作るときは大変だ。用件確認しかしない相手なら良いが、無駄話や近況報告を主とする友人には、字数制限があるレポートを作成するような気分。コトバ足らずになって誤解を生まないか…字数を多く使うコトバでなく、簡略化された同義語を使わなければ……といったように、文に対して気を遣うことが増える。気遣いは相手が存在するから行われるものだ。これが最初に書いた、文を書く上での「相手を想定すること」に少し繋がる気がする。もしかしたら、500字制限で丁寧にメール作ってりゃ、文が上手くなるかな〜なんて甘い希望さえも。我ながらお気楽な性分である。
制約が生み出す『不自由』は、面倒でいて面白いものだ。自分にとって画像や音楽の添付でなく、500字制限のドコモユーザーとのメールが『電子メール』という技術の濃度を上げる。なんせ、そこに相手がいるんだから。
だから、僕の知り合いのドコモユーザー、変わらないで、そのままでいてください。不自由だけど、楽しいんですから。
「変わらない君でいて」
こう書くと、ポエジーな口説き文句みたいで面白い。

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August 12, 2004

チチをもげ!

今の自分のルックスは相当にヤバイ。あまり人と会わないので、何となく放置していた髭が伸びっぱなしなのだ。整えているわけでもなく、『無精髭』以外に形容出来ないそれは、清潔感のはるか彼岸にある。
今日は帰郷の為、大学に学割を取りに行った。只今夏休み。知ってる顔に会うわけもないと、髭も剃らずに手ぶらで短パンTシャツ、部屋着のままで家を出る。なんせ、大学行って学割を発行するだけなのだ。当然と言えよう(と自分に言い訳しながら)。
駅を降り、大学までの長い道のりを歩く。手ぶらで通学路を歩くというのは大学四年間で初めてでないか。妙な解放感を感じる。午後2時、炎天下の元を歩くこと数分。いよいよ大学に到着するところで、前方に可憐な後ろ姿をみつける。純白の衣服を身に纏い、日傘を差して優雅に『夏』を歩くその少女は……知り合いでした。んでもって、少女でもなかった。
僕が気付いた刹那、彼女は何に反応するでもなく、後ろを振り向き、自分を一瞥する。笑いを堪えながら、何か汚物を観たかのような嫌悪の表情を浮かべた。笑いと嫌悪が同居する独特の表情だ。彼女の表情は何時も相反した複数のモノが混沌として交じり合っている。そりゃ、人間だから矛盾する感情が内在してて当然。彼女はそれが『良く顕れる』というか、ひょっとすると魅力の一つかもしれない。僕は「もしもし〜!」と彼女を呼びとめ、大学への道を共にする。
小走りで彼女に追いつくと、開口一番「何なのその格好?どこのオッサンかと思った」……そうですよね…。もはや自分は笑うしかない。ちょっと、身だしなみには気をつけようと思った。
彼女は演劇研究会の練習で登校したと言う。「(稽古場に)寄ってけば?」との誘いがあり、学割を発行後、稽古場に顔を出す事にした(部員でもないのに)。
「オッサンが来たよー」と彼女が僕の来訪を告げた次の瞬間、皆の視線が僕に向けられ笑いが起こる。「なんですかそれー(笑)」ボーボーに伸びた無精髭を指しての言葉。うーむ。やはり髭は剃る…或いは整えなければいけない…常日頃から。そのまま稽古を見学して(参加したとも言う)、帰宅。素敵な暇つぶしが出来た。
帰り道、濃くもなく薄くもない、のどかな夕暮れがさす時分。彼女と話す。
曰く「私は四年で卒論手付かずっていう、ヤバイ状態。今日も夜まで家で勉強してた方が良いってのはわかってる(夜に予定がある様)。けれど、予定キツキツの中、台本を一週間で覚えたり、頑張ってる役者演出たちを知ってしまうと稽古場に来てしまうんだなー。主催として来ないといけないと思ってしまうんだなー」。
そんな想いを胸に片道一時間以上をかけて稽古に参加。しかし、稽古場で居眠りしてしまう彼女。前述したコトバと明らかに矛盾したそれは、厭(あ)きられかねない行動だ。「寝るなら空いた教室で寝てください」と後輩に注意(?)されてしまう彼女。何とも不器用ではちゃめちゃな人である。
そんな姿を、『人間らしい』と感じることが多くある。そして不器用を体現する彼女の行動は、弾劾されるものでなく、素敵なものだと思う。この好意的解釈は、自分が(不器用を被った)当事者でないから行われるものかもしれない。不器用を『人間らしさ』だけで肯定できるほど、現実は生易しいものではないから。
しかし、ハチャメチャで損得を度外視した感情の熾(おこ)り。その奥に『誠意』なんてシロモノが隠されてる希望。願わくば、そんな部分を想像してあげられるような、観てあげられるような関係を。

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August 11, 2004

Guerrilla Radio

プライドGP決勝が今週日曜に迫っている。
何だかんだで凄く楽しみである。やる側になってからファン精神というのが薄れてきて、以前ほど興行を待つのが楽しみでなくなった。が、いざ始まると興奮して見入ってしまう。それは闘いを覆う空気に四の五の言わせない凄みがあるからだ。それほどまでに今のプライドの熱は高い。
ただ、総合格闘技界の底辺で練習してると、明らかにその熱は『バブル』であることが分かる。総合格闘技(或いは格闘技)なんてホントは地味で、泥臭くて、汚いものなのだから。決して格闘芸術(ファイティングアーツ)と形容される美しいものではない。
それに今回のグランプリが盛り上がっているのも、実は様々な味付け(マッチメイク、演出)があってこそと、斜めに観ることも可能だ。
「本当に強い奴だけを揃えたトーナメントでない」ドライに達観しようと思えばいくらでも出来る。
が、リング上で繰り広げられる闘いを観るとそんなのどーでもよくなってしまうのだ。地味で泥臭くて汚いはずのものが凄く輝いてて。いや、地味で泥臭くて汚いから輝くんだろう。それを惜しげもなく吐き出してるから。決勝に残ったどの選手からも、勝利への渇望をビビットに感じ取ることが出来る。
「勝ちたい」という感情は泥臭いものだ。逆に「負けたくない」はスマートなものだと思う。勝負に出なければ負けることはないのだから(勝負に出ないことが負けという考えも出来ますけど、とりあえず)。負けないのは実は簡単だ。
フツーの人はそう簡単に地味で泥臭くて汚くはなれない。負けたくないし、勝利という泥の中に飛び込むのを嫌がる。勝利とは実は泥沼なのだ。こと格闘技に限っては。
だから、憧れる。そんな場所に向かって命を懸ける人達に。

m-13_30380 at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 格闘技 

August 10, 2004

I LOVE YOUの逆襲

久々にCDを購入。購入したのは
Neurosisの『The Eye Of Every Storm』と
Date Course Pentagon Royal Gardenの『Structure et Force』。
Neurosisは日本の主要ロックジャーナリズムからは(ほぼ)黙殺されているが、人間の根底に潜む精神の重さを表現したバンドとして世界的な評価はべらぼうに高い(らしい)。以前から気になっていて、今日店頭で見かけたので衝動買いしてしまった。
「おいTOOL、少しは見習ったらどうだ」
Neurosisの『The Eye Of Every Storm』に寄せられた-UR CHICAGO-のレビュー。僕はTOOLというバンドが大好きなので、これ以上ないキャッチコピーなのである(笑)。簡単に「そんなに凄いのか、聴いてみよう」となるわけです。
一度通しで聴いてみたが成る程、重い。重くて、ポリフォニック。予期せぬ場所から音が飛んできて、それら全てが聴覚でなく、触覚を刺激するような『体験』。自然に身を委ねる音ではなく、確実に『引きずりこまれる』音。
もう一枚はDate Course Pentagon Royal Gardenの『Structure et Force』。菊地成孔率いるDate Course Pentagon Royal Garden。僕はこの菊地成孔の文章が好きなのだ。キザでニヒルで格好つけた文章。でもくやしいかな、かっこええんです。
当然、音楽も好み(だからCD買うわけで)です。菊地成孔のサイドプロジェクト(?)SPANK HAPPYなんかも大好き。デートコースのファーストアルバムも、凄く聴きこんでいるんです。自分の中での入場曲ランキングトップ10(自分がプロ格闘家になった時、どの曲で入場するか妄想するわけです)にデートコースの『HEY JOE』(ジミヘンのカバー)が、かなり上位にランクされているぐらいで。デートコースの『Structure et Force』は聴いた事がなかったので何となく購入。ファンク色が強くなってて、踊れる音になっておりました。今後、ゆらりゆらりと聴いてくことになると予感。
後は家で『シティオブゴッド』を観て、料理して、メールうって、日が暮れる。やること沢山なはずなのに、なくなってきた。

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August 09, 2004

僕の人生の今は何章目ぐらいだろう

7f16dc7a.jpg何度観ても泣いてしまう映画がある。『素晴らしき哉、人生!』がその一つ。
現実を肯定するのは力が要る。だって、日常なんて退屈を紡ぐ時間に過ぎず、世界は欺き合い、殺し合いで溢れてる。全てを悲観させる出来事はそこらじゅうに転がってて、何時でも絶望への準備が整っている現実。そんな現実を「素晴らしい」と謳うのはとても難しい。力を振り絞って「素晴らしい」と謳ってみても、それは理想主義と一括されることが少なくない。「素晴らしさ」を手にする(実感する)のには様々な障害が立ちはだかっているのだ。そんな現実の前に「素晴らしい」と謳う力を失いそうになった時観る映画がこれである。
昨日芝居を観て、「(自分が作るとしたら)どんな作品が作りたいのだろう?」と思い、レンタル屋で映画を物色していると行き当たった。
『素晴らしき哉、人生!』はオーソドックスな人情喜劇である。「アメリカの良心」とも言われたフランク・キャプラ監督の人間に対する眼差しは他のどんな人情作品よりも暖かい。自分はこの温度が好きなのである。何度観ても良い作品。こんな作品が作れたら、なんて妄想。未見の方は是非。
ちなみに、フランク・キャプラ監督は第二次世界大戦以後、戦争の後遺症で人間不信に陥り、思うように作品を撮れなくなったと言われていて(キャプラは戦争のプロパガンダ映画も作らされている)数作撮った後、64歳で早々に引退。
現実を肯定するのは力が要る。

m-13_30380 at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画 

August 08, 2004

Learn To Fly

1b96e755.jpg昼に千葉合宿から解放され、そのまま東京へ戻り、ぶらぶらと時間をつぶし、夕方から劇団750ccの『八月』というお芝居を観て、ようやく怒涛の週末も終りである。

劇団750ccのお芝居は今年の春にも一度観ているので、これが二度目となる。去年の春にやられたものが好みでなく、正直「二度と観ない」とまで思った。しかし、今回好きな役者さんというか、演技を観てみたい方が出演すると聞いて観にいくことにした。悪い言い方をすると「身内の付き合い」だ。
劇場がある阿佐ヶ谷駅に降りると浴衣姿の女性を沢山見かける。どうやら町の祭りが催されているようだ。目の保養をしながら、ART THEATERかもめ座を目指す。千葉帰りなので3日分の着替えやら何やら入ったリュックが重くてしょうがない。うだるような汗を書きながら10分少々で目的の場所に着く。地図には徒歩7分とあったが、腰痛と疲れで歩くのが遅いのだ。
劇場に入ると知った顔がいたので、挨拶して隣に腰掛ける。他愛のない話をしながら公演を待つ…といきたいところだが、後から来た知り合いに話しをもっていかれたので、オレは一人うわ言のように「千葉の空は青かった…東京の空は黒い…」と言う他なかった。そんなこんなしてると公演が始まる。5分押しぐらい。
芝居の内容は『熱い芝居』と自称する前公演の流れを汲みつつ(それが劇団の色ってやつなのでしょう)、戦争をテーマにした青春劇。シーン毎のテンションが高く、全てのシーンがクライマックスという印象をうけた。
聞こえは良いが褒められたものではない。今回のそれは、緩急がなく、作り手が「良い」「熱い」と想うシーンを切り貼りしたように感じたからだ。熱いシーンだけを集めれば、熱い作品が生まれるかもしれないが、人に届くかどうかはわからない。言ってみれば映画の予告編のようなものだ。
喜怒哀楽、それら全てが線でなく点で描かれていた。唐突な感情表現に、自分(ら)観客は付いていくことが出来ず、置いてけぼりを食らうだけだった。これは前回も感じたことである。
また第二次世界大戦中の日本を舞台にしているのにかかわらず、挿入曲が洋楽中心だったのが気になった。どうも世界観を破綻しているような気がして。好意的な感想が出にくい芝居であった。
公演後、知り合いと「おつかれ」といった声を交わし、早々に帰宅。颯爽と帰宅する様は、お師匠さんに近づいてきた、なんて思いながら(道場の先生は大会等で目当ての試合が終わると、すぐさま帰宅。ちょっと他の試合観ていこうかな〜なんてのはナシ)。
帰りの電車の中で芝居のことを考えていた。散々文句はあるが、自分ならどうするんだ?と。観る側ならばどんな文句も許されるが、やる側になると、(その作品が)良くなる方法を答えられなければ、文句は許されない。
いやぁ、やる側じゃないから許すも許さんも無いのだけど、妄想癖がある自分は、最近やる側を強く妄想してるのでした。ホントに脚本どうしよう?脚本だったら演出もするのかなぁ?なんて。

m-13_30380 at 23:46|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

August 07, 2004

青いカナリア

040807-1131.jpg主要シーンの撮影を終える。千葉ロケは今日で終わりの模様。あまり疲れは感じないが、とても面倒な日々だった。
しかし、田舎の自然っぷりに心震わされたり、撮影の合間に沢山写真を撮ったり、楽しいことも多々あった。千葉の空は東京よりも青い。自分が所有するデジカメ、キャノンG5は青が綺麗に写ると言われている(らしい)が、それが最大限に発揮された感じだ。久々に良い写真撮れた実感があった(よく見るとダメかもしれないが)。
また監督宅で『スーパードクターK』という漫画に出会う。今までタイトルすら知らなかった作品だったが驚いた。笑いまくり。感動しまくり。真面目と笑いの境界線を目にもとまらぬ勢いで駆け抜ける「劇画」という表現手段は本当に素晴らしい。
最近の漫画にはあまりみないスタイルなだけに、これを成功足らしめた(全42巻にもわたる長寿作品!続編もあるらしい。)要因は単なる時代性なのだろうか?
しかしそれならば、今自分が感銘を受けるのは何故だろう。やはり良い作品は時代を超えるのだ。
作品の善し悪しや理想は今回の撮影中もずっと考えていたし、先日友人からもらった創作に関した熱いメールを反芻したりして、結論が出にくいことを悶々と思う一日であった。

m-13_30380 at 21:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

August 06, 2004

トラブルメーカー

040806-1157.jpg今日の撮影終了。僕が仕事すべきシーンはゼロでした。
つまりは『居る必要がない』と言い切ってしまってもよく、どこか気まずさを覚えながら撮影隊に同行。執念で必要シーンを撮り終えたスタッフを素直に尊敬。ややだれることがあった集中力も、要所ではしっかり持直して制作に臨んでいた。
が、天の邪鬼ひねくれ大王の自分である。尊敬と同時にやり方への違和感を蓄積させていた。
思っていても言えない歯痒さ。
或るやり方をよしとしている場に対し、わざわざ意見を言うのはどんなものだろうが「場を乱す」ということで必要悪とされる側面がある。既に一度「やらかしている」自分はある程度自粛しなければならない。とらぶるめいかあになるものではない。
作品の質や、自身の向上より、まず『その場の楽しさ』を重視するコミュニティーにおいて、トラブルは絶対的に不要のよう。
頭では分かるのですが、本質的にバカな自分はまだまだ理解が及んでないのでした。

m-13_30380 at 22:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

August 05, 2004

映画

040805-2031.jpg監督の家に到着。こーいう『お泊り』はいつ以来でしょうか。監督、役者で衣装合わせ中。僕はスーツを着ています。
監督邸に着くまで各地でロケハンを済まし、海にも行きました。僕はトランクスで入水。グレイシーばりに波と格闘。海辺で走ったり、普段やらないトレーニングをするのは楽しいものです。

m-13_30380 at 20:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

見切り発車

040805-1149.jpg二時間程電車に揺られ待ち合わせ場所に一番乗り。変な優越感。初めて降りる駅はいつもドッキドキです。
今日より映画撮影の為千葉の奥地で合宿(?)です。

m-13_30380 at 11:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

August 04, 2004

酒と泪と男と女

d2ef6fde.jpg僕はいつも試合が終わると気晴らしに酒を呑んでいる。それは時に祝い酒であり、時に自棄酒である。
なんせ試合に向けて最低でも1ヶ月、最長で2ヶ月間は禁酒を課しているからだ。飲酒解禁!ということで馬鹿みたく酔っ払うのを一つの楽しみとしている。ちょっとした自分に対する御褒美みたいなもので。
他の選手やプロ選手がどうしているのか知らないが、僕は禁酒を主に減量と精神的に己を『磨ぐ』為に行っている。今回、減量はさほど厳しいものでなかったが、その分気持ちを集中させる為に、割と長い間禁酒していたと思う。一月半ぐらいか。その間、断れない酒の席では烏龍茶(酒の席で酔っ払いを素面で視ることほど断絶を感じさせるものはない)。大学の祭り等も素通り…。
よーやく酒が呑めるぞー!と思ったら…一つ盲点が。

呑 む 相 手 が い な い

故に禁酒続行中。ガハハハ。
酒をコミュニケーションツールとして扱ってきた自分は『一人で酒を呑む』という習慣が身についていない。これは致命的である。酒との付き合い方を覚えないといけないのかな。
そして今日から練習再開。明日から週末までは所属もしてないサークルの映画作りで監禁生活(監禁と言っては失礼だけど)。
果たして週末にやる知り合いの芝居は観れるだろうか。ああ…お酒呑むのいつになるんだろう。そして、誕生日を過ぎてから作り始める誕生日ビデオってどうなんだろう(自問自答)。
考えながら日々は流れます。続きを読む

m-13_30380 at 15:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

August 03, 2004

夜明けの歌

040803-0845.jpg朝からカレーを作る。作っていると視界がぼやけてくる。自分の頬を伝うものが涙だと知った時は驚いた。なんで泣いてるんだろう。
押し殺してきた感情が爆発したのだろうか。涙を押さえようとすればするほど、それはとめどなく流れ出る。涙には浄化作用があると聞く。何か知らない感情が自分を洗い流してくれようとしているんだ。おそらく。
タマネギはクソ親切。

m-13_30380 at 15:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)