2004年09月19日

Tumkurへ

Tumkurは私と風船くんが出会って1年近く暮らした場所。私達の10周年を
記念して行こうと思いつつ、のびのびになっていましたが、昨日念願
かなって行くことができました。
当時バンガロールとの往復には政府のボロボロバスを使い、
ボコボコの道を延々と行かなければなりませんでしたが(あちこちで
トラックが引っくり返っていたり、潰れた車があったり、とにかく事故の
多発道路でした)、バジパイ元首相が始めたインドの主要都市間の道路整備
計画によって半年前くらいに完成した道路のおかげで、まるで日本の高速
のような快適な道路になっていてビックリでした。
料金所もできて有料道路でしたが、片道20ルピー程度なら払ってもいいと
思う位、以前とは段違いの道路状況に月日の流れを感じました。

私がTumkurを訪れるのは98年が最後だったと思います。
94年に初めてTumkurを訪れてから、仲が良かった友人とも音信不通に
なってしまったので(彼女とは去年偶然道路ですれ違いましたが、
ものすごい交通渋滞で車を止めることが出来ませんでした。彼女に女の子が
いること、バンガロール在住ということはそれでわかっていたのですが)、
彼女の実家に行って、連絡先を聞くというのも今回の訪問の目的の一つ。

まずTumkurに着き、昔通ったレストランで昼食。ウェイターもマネージャも
変わっていましたが、レストランは昔とまるで同じ。昨日はガネーシャ・
フェスティバルでお客もほとんどいませんでしたが、ギーライス、パニール
バターマサラ、ダマル、ナンとクルチャ、ゴビマンチュリアンを家族3人で
平らげてしまいました。りおりおは普段ゴビマンチュリアンはちょっと辛くて
食べないのですが、昨日は食べ過ぎるくらい食べて、お腹をこわさないか
心配してしまったほど。やっぱりここのべジタリアン料理はおいしい。
私達の舌がここの味に慣れているからでしょうか?

そして当時住んでいたホテルを見て、風船くんの大学を見に。
風船くんの大学は当時とは比べ物にならないくらいキレイになっていて、
構内に図書館、カフェテリアや郵便局まで出来ていて、これが
10年経ったってことなのねえ、と妙に納得してしまいました。

夕方Tumkurの友人ラタの家へ記憶を頼りに向かうと、彼女のお父さんが
出てきました。今週末はプージャだからラタも実家に里帰りしている
んじゃないかなという私の思惑どおり、彼女は今Tunkurに帰省中で
姉宅にいるとのこと。お父さんがお姉さんのところに案内してくれる
そうなので一緒に向かうと、新興住宅地にその家はありました。
最近建てたそうでまだ新しい、大きなきれいな家です。
まず出てきたのはラタの姪ディープティ。初めて会ったとき彼女は
10歳。当時の面影はほとんどなく、すっかりきれいなお嬢さんになっていました。
大学でコンピュータサイエンスを勉強しているんだと言っていましたが
これじゃあ私も年を取るわけです。
ラタや彼女の家族と笑顔の対面を果たし、家の中に飾られたガネーシャ像
(家庭でこんなに豪華に飾り付けをしたのははじめて見ました)にお参りし、
連絡先を交換しバンガロールへの帰途につきました。
ラタは4歳の女の子のお母さんになっていて、そしてもうすぐまた赤ちゃんが
誕生します。「もう仕事は辞めたの。家庭と仕事の両方は私には無理だわ。
最近すっかり怠け者になっちゃたのよ。」と言って笑っていましたが、
すっかりインドの幸せな妻、母になった彼女を見てああ良かったなあと
思いました。
それにしてもこの保守的なインドの家庭がよく私のような外国人を
当時暖かく迎えてくれたものだ、と今更ながら感謝です。

変わってしまったようで、でも変わらない私達のTumkur。
りおりおは初デビューでしたが、また行ってみたいな。
私も風船くんも言葉にならない充実感でいっぱいの良い休日でした。

↓ラタのお姉さん宅でのプージャ
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