おはようございます。あんずの種院長の須藤隆昭です。

昨日の夕陽は綺麗でした。釧路の空、好きです。


昔、多感な10代後半の頃、好きになった女性から、

「平行線で歩きたい」と言われたことがあります。

どんな意味なのか、あまり理解できませんでしたが、

僕が、残念な気持ちになったのは覚えています。

「議論は平行線をたどる」 と言うのも、妥協点すらないこう着状態のことを指しますよね。

でも、

同じ希望に向かって進むなら、バラバラになるより、平行線も悪くないのかもと思いました。

その時に、10代の僕は、

「指先の触れ合う距離でもいいから、平行線で一緒に歩きたい」

とその女性に伝えました。

肩を組んで、一丸となって歩くのが無理でも、指先の触れ合う距離でもいいのかな、思ったからなのでしょう。

何キロも遠く離れた平行線も想像出来なかったのでしょう。


「平行線は交わらない」 と数学の定理で学びました。

「太陽光線は地球上では平行に降り注ぐ」というのも理科で学びました。

でも、太陽光も電球の光も、元は放射状に広がっています。

何光年という距離があるから、平行になっているのです。

逆にいうと、

平行線も時間や距離によって交わることもあるのだと気づきました。


それが、希望なんだと思いました。

無理だと思っていた願いが叶うことがあります。

数学や理科の定理を超えたものがあります。


「どうせ無理」 かもしれないけど、「無理じゃないかもしれない」


微かな光があれば。


夕日が沈む前にみせてくれる

微かな光が、

明日の希望になることもあります。


「平行線もいつか交わる」


10代の時に思ったことですが、

今もそう思います。