2014年01月24日

Tribes1/19@新国立劇場小劇場 

Tribes 1/19マチネ見てきました。
今年は140字のツイッターに籠らず、ちゃんと長く文章を書いておきたいなと思って久しぶりに感想文。

今年初めの観劇は、結構しんどいものでした。
良い舞台だったのは確かですけど、終わって客電が点いても、しばらく言葉を発せなかった。

ふとした時に思い返すと、トライブスの世界が内臓をじわじわと食い荒らしていっているように感じます。
最初は真っ白だったのに、徐々に灰色に、黒に、染まって行ったシルビアのよう。

正直なところ、あれを見た感想を書いて残しておかなきゃと思うのだけど、
何をどう表現していいか、まだ自分の中でも全てを咀嚼しきれてない状態です。





「黒」の世界で生きることを選択できたのに、白の世界に留まり、そこに居る人とだけ過ごすことに魅力を感じてしまった、田中圭演じるビリー。
「白」の世界に生まれて、黒から白に変わる人を間近で見て、自分も白くあろうとして、なのに黒に出会って、其処に留まりたがる中嶋朋子のシルビア。
二人の出会いと、ビリーの家族を通して描かれる舞台。

黒と白、というのは、登場人物の音の聞こえ方をビジュアライズして、 黒=健常者、白=聴覚に障がいを持っている人と、塗り分けた結果の色という認識でした。
実際に衣装はビリーの家族たちは皆黒、ビリーは白いものを身につけている。

背景も真っ黒い舞台の中で、白はふわりと綺麗に浮き上がってて。

幕が開いて一幕は、「黒が悪、白が善」なのだろうと安易に思った。
喧々諤々と強い言葉を投げあう黒い服を着た家族から、一人浮き上がる白い服のビリー。
怒声をかわす家族たちは悪に見え、舌足らずに喋り、時折ふわふわと笑顔を見せるビリーは単純に凄くかわいらしいと思ったし、善い子に見えました。

でも、二幕に至ると、それは違う事、黒か白かは、ただの意思疎通手段の違いだということに、嫌でも気づかされる。
トライブスというのは、直訳で「種族」。
「黒」と「白」という「種族」がそれぞれいるだけで、どちらが善でも、悪でもない。どちらも善悪合わせ持つただの人間だという側面が見えてきて。

確かに黒は健常な人々、白は聴覚に障がいがある人々という括りなんでしょう。
だけど、それは単純な「聞こえ方」ではなく、「聞き方」。
言うなれば、話を聞く時の心持ちの違いなんじゃないか?
そう思うと、実際にシルビアは、「健常者として聞きたい」と気持ちが変化するにつれ、最初白い服だったのに時間が経つにつれ徐々に灰色に染まって行ってる。

その違いは、何よりも、ラストシーンに至るまでのビリーとダニエルの関係性に見られるように思いました。

両極端に居るビリーとダニエル。
何をしても全て否定され、愛した女性との関係は破壊され、早く出ていけと言われ、誰より抑圧されてるのに、学者になって父の期待に答えたいと思っている黒い世界の長男。
父には誰よりも賢いといわれ、家にいろと言われ、笑顔を向けられ、けれど家族の中に居場所は無いと考え、家から出て行こうとするビリー。

トライブスの主役は、ダニエルのようにも見えました。
本来、ダニエルは、誰よりも早く黒い世界と白い世界の違いに敏感に反応して、違う世界にビリーが連れて行かれることを危惧していて。
それは弟への依存だったかもしれないけれど、二つの世界の狭間を埋めようとしていたように見えた。
「教えろよ、手話でどうやるのか」
何度もそう言ったのは、劇中ダニエルだけだった。
それは本来、二つの世界に橋を渡せる言葉だったはずなのに、と切なくなる。

中盤以降、ダニエルはピアノの下でうずくまっていることが多い。
ピアノは、食卓であり、議論の場所であり、ビリー以外は全員ピアノを弾く、という点でこの舞台上で家族をつなぐものの象徴に見えていました。ダニエルはそのピアノのしたで塞ぎこみ、結局今の家族が壊れるのを嫌がって、ビリーの話の本質を聞こうとしていない。

そして。忘れがちですが、ビリーもビリーで、ダニエルの話を聞こうとしてない。
シルビアに恋しているビリーはダニエルの忠告を聞かなかった。
何よりラストシーン、ダニエルは手話、即ちビリーの言葉を使って思いを伝えたのに、ビリーは結局「聞く」のを拒否してしまった。
ダニエルは最後の最後で黒の世界から一歩出ようとしたけれど、ビリーは、白い世界から出てこなかったように見えました。

登場人物は、全員「聞く手段」「伝える手段」に捕らわれていて、シルビアも含め全員が『自分の世界の言葉』を使って意思を疎通する事に拘ってたんだけど、
ビリーとシルビアの手話での会話、
そしてラストシーンのビリーとダニエルの会話を見ると、
結局コミュニケーションは手段じゃないのかもしれないと思う。
聞こうとしなければ同じ言葉でも伝わらないし、聞こうとするなら違う言葉でも伝わるのかもしれない。

そういう意味で、一番「聞こう」としたのは、シルビアで、
シルビアは、ダニエルに聞こえている声を自分も聞き、黒に染まろうとしてた。

ダニエルと、ビリーとシルビアに焦点を当てた結果そう感じたけれど、
この舞台は登場人物それぞれの「聞き方」と「伝え方」を考えることでまったく違う話になる気がする。

でもひとつ気になってるんですよね。
ダニエルを拒否したビリーは、本当のビリーなのかなぁと。
ダニエルと声で会話するときのビリーは、ずっと子音の発音が出来ない喋り方だったんだけど、
ラストシーンのビリーは、流暢な喋り方だったんですよね。
ダニエルの中だけで聞こえてた声なのかも、ともちょっと思う。

終わってから、私は違うtribeに属する人の言葉を、「聞こう」としてるのかなぁ?と自問自答してしまった。
自分の属する家族、コミュニティと、周囲にいる大事な人々とのコミュニケーションについて問題提起の楔を打ち込まれたような、そんな気持ちにさせられる舞台でした。


役者さんたちは、皆さんとてもすばらしかったです。
特に田中圭くんの聾の演技は、まるで本当に音が聞こえていないかのようだった。
鬼気迫る手話も、最後にダニエルに『愛してる』の伝え方を教え、そして何も聞かずに去っていく表情も。
芸人交換日記のDVDを見たときに、あ、この人絶対舞台で本領発揮する人だなって思ったけど、
生で見て、実感しました。あのひと、舞台の人だ。


2014年、いい観劇初めでした。

m-22_80797 at 02:39│Comments(0)TrackBack(0)clip!観劇関連色々。 

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