August 07, 2004

銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜
宮澤賢治の童話「銀河鉄道の夜」の映画化。誰でも一度は読んだことのあるこの物語。小さな頃、本で読んだだけではイメージが湧かなかった記憶はありませんか?この映画はアニメーションという手法を存分に生かし、賢治の幻想的な世界を見事に映像化しています。また、登場人物を猫として描くことで賢治世界へのイメージの干渉を、上手く抑えることに成功しています。

いじめられっ子のジョバンニと幼なじみのカンパネルラ。カンパネルラはとてもよくできた優等生なのでジョバンニをいじめている子達にも人気があります。ジョバンニもそんなカンパネルラの身を気遣って、ちょっとカンパネルラから離れ気味。二人の間柄はちょっと疎遠。でも、カンパネルラは決してジョバンニの悪口をいいません。そして、ジョバンニも心からそれを信じています。

父親の不在、病気の母、ジョバンニは学校に行き、家計を助け、友達と遊ぶ暇もありません。そんな星祭りの夜、ジョバンニは祭りで賑わう街を後にし、一人寂しく丘の上に寝転がって星を眺めています。そして、ジョバンニの前に突然列車が現れ、物語の扉が開きます。

列車に乗り込んだジョバンニの前には、カンパネルラが座っています。二人は銀河鉄道に乗り、とても幻想的な旅にでます。

結論から言うと、この列車は「死出の旅」です。カンパネルラは、ジョバンニをいじめていたザネリを助けるために川に飛び込み、死んでいるのです。

物語の序盤、カンパネルラが呟きます。「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸いなんだねぇ。」この時点でカンパネルラの死を知らないジョバンニは彼の言っていることの意味が分かりません。カンパネルラは人を助けて自ら死んだことを一番幸いなことだ、と、言っているのです。

二人の旅は続き、最後に列車に残ったのはジョバンニとカンパネルラの二人。ジョバンニはカンパネルラに尋ねます。「けれども本当のさいわいは一体なんだろう。」カンパネルラはこたえます。「僕わからない。」物語の序盤に、自分の身を犠牲にしても人を助けることが「一番のさいわい」と言っていたカンパネルラの答えは、「僕わからない。」に変わっていました。

その後、ジョバンニが「カンパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」と語りかけた時、カンパネルラの姿はジョバンニの前から消えていました。

この列車には一つのルールがあります。より善いことをした人がより遠くまで旅に出られるというルール。それならば、最後に列車を降りたカンパネルラこそが一番「本当のさいわい」に近づいたのでしょうか?いいえ。最後まで乗っていたのはカンパネルラではありません。

物語の最後、地上に戻ったジョバンニはカンパネルラの死を知ります。そして星空に誓うのです。本当のさいわいを捜してこの地上で生きていくことを。

人生とは「本当のさいわい」を探し続ける旅のようなもの。でも、「本当のさいわい」はその人生そのものでもあるんだよ、と賢治が語りかけている気がします。

最近の研究で、賢治が埋めたお経の場所を繋ぐと、見事な星座が浮かび上がることが分かったそうです。


銀河鉄道の夜

新編銀河鉄道の夜

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●4/18「銀河鉄道の夜」古き日本にこんなきれいなファンタジーが・・【くらのすけ映画社楽天支社】at April 18, 2005 11:47
この記事へのコメント
ファンタジックな世界はやはりアニメに限りますね
なるほどなっとく
又、遊びに来てください
Posted by くらのすけ映画社 at October 30, 2005 08:47