金杯、シンザン記念と横目で眺めていた。まったく興味をそそるものがなかった。
 このまま、しずかに舞台から去ってもいい、ぐらいの静寂だった。

 しかし、いつまでも傍観者ではいられない。
「京成杯」「日経新春杯」「アメリカjCC」あたりは、磁力に吸い寄せられる砂鉄のように、じわーと気持ちを寄せねば。昨年は、ずっと始動は遅く、それはそれなりの余裕ではあったのだ。年間、20レースで十分楽しむように、密度を濃くしてやってきたのが、昨年の競馬だった。
 ことしは、固定化してしまうのは避けたいが、G兇離譟璽垢錬械娃葦澆如■猫気離譟璽垢錬苅娃葦澆任笋辰討澆燭ぁシステムでいくと、G兇錬械娃娃葦漾G気錬苅娃娃葦澆箸覆襦わたしにしたら、これは大きいが、これまで3年間、無事にやってきたのだ。2007年は、冒険の年だ。うまくいったら、あと3年の保障ができ、失敗した、仕事も遊びも趣味も、すべて失う。精神力の冒険だ。

 システム手帳を粗末に扱っていて、年があけての「目標計画」がなにも書かれていない。
 このまま、だらだらと過ぎてしまったら、あっというまに年の瀬だ。

 他人の意見に惑わされるな。自分で、理性を発揮しろ。

「婦人公論」に、競馬はロマンチスト、競艇はリアリストとあった。不可解な、説明のつかない負け方をするサラブレッドだもの、比べて競艇、競輪は人間の競争だ。すべてに、合理的な説明がつく。というのだ。でも、それ以外は、同じギャンブラーだが、ディープに群がるギャルやギャルソンをみていると、あながち否定もできない。馬券はとれなくても、ディープが走れば、いい。いうのだから。でももうそんな世界は、ない。ハードな勝負に勝ってきた男だけが残った、2007年の競馬場。
 いよいよ中山の「京成杯」で、出陣だ。(冬枯れの、明け3歳の未熟な馬たちの競馬だ。)
 一方の、「日経新春杯」は、はるか先の天皇賞のトライアルになるのだろうか。それは、登録メンバーのもよる。アドマイヤジャパンの復活はなるのか。