2008年10月04日

ブログ移転のお知らせ。

長い間お世話になったブログとお別れしようと思います。

6年間、このブログに投稿していました。
高校2年の冬からです。
(古い記事は、その都度消してしまい残っていませんが…)

前から旅行に重点を置いたブログを書こうと思っていました。この夏40日ほど旅行に行ってきたのですが、これを期にブログを移行しようと決めました。
勝手ながら、今まで方向性がつかないブログになっていたのでいい機会だと思いました。

新しいブログは
http://blog.livedoor.jp/across_border_s/

上になりますので、よろしくお願いします。

基本的にURLが変わっただけで記事を投稿する人間も投稿する記事の特徴もほとんど変化ないと思います。
日々思ったことを書いていこうと思います。


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2008年08月17日

For the...

明日から、海外旅行に出かけてきます。

主に中欧を廻ってこようと思います。

しばらく更新が途絶えると思いますがご了承くださいまし。

「自分が見てきた世界はこんなに小さいんだ…」と言わしめるような圧倒的な刺激を得る事ができれば、この旅は成功だと思います。
後は、元気な姿で成田に帰ってくること。健康第一です。

体調はすぐれませんが、これだけ長い期間(約40日)海外に一人旅に行くのは、今回が最初で最後だと思います。
だからこそ、今回の旅行は(体が許す以上)思いっきり楽しんでこようと思います。


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2008年08月12日

東京に戻って。

今日、実家から東京に戻ってきました。

世間はお盆の帰省ラッシュに入る時分、逆に実家から帰ってくると交通機関が空いていて気分良く帰ってこれました。
来週から海外旅行に行くので、そろそろ準備も始めなければいけません。


甲子園も観に行ってきました。
母校・松商学園は慶応に6−4で負けてしまいました。
それでも強豪校を相手に、なかなかいい試合をしていて観ていて清清しかったです。
ストレスのたまる試合ではありませんでした。
3年前、初めて私は甲子園に行きましたが、あれから松商は3回甲子園に出場していますがすべて初戦敗退です。くじ運が悪く、いつも強豪校とあたってしまうという理由もありますが、どこが相手でも勝って校歌を聞きたいですね。
91年のセンバツ準優勝を最後になかなか甲子園では活躍できない松商…。
王者復権を祈り、来年に期待を寄せます。


18日から40日ほど海外旅行に行ってきます。
主に中欧を中心に旅行をしてきます。
不安の方が多いですが、それなりに楽しんでこようと思います。


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2008年07月27日

甲子園一回戦 松商の相手は…

本日、第90回甲子園の各都道府県の代表がすべて出揃いました。

長野県の松商学園の対戦相手は、北神奈川代表慶応義塾となりました。

私は、六大学野球でも相手側によく慶應を見ますが(笑)
まさが甲子園でも、相手になるとは思いもしませんでした。
しかも慶應高校は慶応大学と塾歌も応援パターンも同じです。
(早稲田もそうですね。ただ実業は付属ではないので校歌は違いますが、応援パターンは全く一緒です)

8月5日 第3試合
松商学園 対 慶應

とても楽しみになってきました。
優勝候補の筆頭である東海大相模との延長13回の激闘は、テレビ観戦でも臨場感があり、見入りました。


5日の試合、アルプススタンドで観戦したいと思います。


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2008年07月22日

松商学園−佐久長聖

2008年度、高校野球長野県大会の決勝は、"横綱対決"ともいえる松商学園と佐久長聖の戦い。

個人的な感想としては、今年の長野県の地方大会は例年よりも盛り上がったのではないでしょうか。
まず、東海大三の甲斐投手。プロも注目のMAX151キロのストレートや縦のスライダーを操る好投手です。そして、センバツを盛り上げた丸子修学館とベスト8にも入った長野日大。
松商学園−須坂東や佐久長聖−諏訪清陵などの接線も盛り上がりました。



さて、結果からいうと、松商学園が佐久長聖を下し2年連続の甲子園出場となりました。

実際に松本市営球場で観戦していましたが、非常に緊迫したゲームでどちらが勝ってもおかしくない、そんな試合でした。
松商は去年とほとんど同じメンバーですが、守備が非常にいい。特に小原・奥野の二遊間は甲子園でも楽しみです。
長聖は打率が良く、春の県大会では松商に大差で勝っています。両チームとも決勝にふさわしいチームでした。

私は、松商OBということもあって、今年は甲子園に観戦に行こうと思います。
心配していた、内定先の用事とブッキングしなかったので(試合の次の日ですが・・・)3年ぶりに甲子園に行こうと思います。

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2008年07月11日

モラトリアム

大学4年も夏を向かえ、学生最後の夏を謳歌しています。

高校時代、特進コースにいて朝から晩まで勉強漬けだった私は「せめて大学は楽しみたい」と常に考えていました。今通っている東京の大学も自分がもっとも楽しんで4年間を過ごせる、と断言できる大学だと自分で決めて受験しました。その決断自体は間違っていなかったと今でも思っています。
クラスの誰よりも大学について調べ、学べる学問も調べた自信がありました。
それともう1つ、「日本史で習った場所に自分の足で行ってみる」という夢もありました。教科書では感じられない生の歴史を自分の目でみたいという気持ちがあったからです。

大学には無事に受かりました。私の母校は進学校とはとても言えない高校だったので、私の進学を聞いて先生たちは大変驚いていました。
大学1〜2年の時の私は、英語サークルに所属しのめり込み、積極的に活動に参加しました。大学2年では最難関の国家試験を目指しダブルスクールもして勉強に励みました。自分に重圧をかけながらも楽しい生活をしていました。しかし、私は「旅行」に全く行かずに2年を過ごしました。

大学2年の終わり、資格勉強にも行き詰まり、孤独な時間を過ごしながら、ふと考えてみました。「自分の見ている、身をおいている世界は、もしかしたら、とても小さい物ではないのだろうか…」「最近、あまり楽しくない」
私は、気分転換に友達と3泊で名古屋〜伊勢に旅行に行きました。特筆すべき点はありませんが、夜まで食べられるだけ食べて、飲めるだけ飲み、ハードスケジュールで観光を行い、”やりたい放題の3日間”を送って、自分の中で何かがふっきれました。(ちなみに、この後、急性胃腸炎になり5日ほど寝込む事になりました)


「保身に走るよりも、学生時代は外界に向けて走れ」とその時思いました。
その夏、青春18切符で四国に1週間、九州に10日ほど旅行をしました。
各地で、かつて日本史で習った史跡を見ながらの旅でした。疲れたけど、本当に楽しかった。自分で動いて、自分で見る。これほど単純でありながら、これほど充実感を感じるものはありませんでした。

大学3年の後期には、アイルランド、エジプトに行きました(詳しい旅記は別に書いてあります)
もうこの時は、だめでした(笑)どうだめだったかというと「世界はでかいや」という一言でした。大学3年まで海外旅行に行かなかった自分を後悔すると共に、大学4年の計画もほとんど決まりました。

「できるだけお金を貯めて、海外に行こう」

就職活動を終えて、地元企業に内定をもらった私は、なんだかモラトリアムのような形で旅行を捉えていました。社会人になったらできないこと、と捉えていました。それゆえ、旅行は楽しいけれど、社会人はつまらないと勝手に考えていました。
完全なモラトリアムです(笑

しかし、最近は、全くそんなことは考えず、やりたい事もありますし、社会に出てチャレンジしたいものも見え始めてきました。
もう一度旅行をする意味を自分の中で確かめて見ようと思います。

おそらく、後数回しかできない海外旅行、これだけは学生時代に何が何でも成し遂げてみたいイベントです。
それこそ、高校時代の自分が夢見た自分の延長線だと考えて取り組みたいと思います。


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2008年07月09日

旅行計画 多忙期のミュンヘン

2008夏は、約40日間ヨーロッパへ出かけます。
その予定を立てているのですが、なかなかうまくまとまりません。理由のひとつは、資力の問題です。ユーロが高く、お金があっても消えていきます。まして、夏なのでオンシーズンということもあり、移動、宿泊にも追加して料金を取られます。

計画では、タイ航空でバンコクに3日間(ストップオーバー)滞在した後、ドイツのミュンヘンに入ります。そこからイタリアを抜けて、中欧〜東欧を回ろうと考えています。帰路で再びミュンヘンに入り、そこからバンコク経由で成田に帰ってくるのが9月の終わりの予定です。


なかなか決まらなかった事の1つに、ミュンヘンの宿があります。
帰路に際し、ミュンヘンに何日か滞在するのですが9月下旬はそう、”オクトーバーフェスト”という世界最大規模のビールのお祭りが開催されます。
本当に夜とかはお祭り騒ぎらしいのですが、このお祭りのお陰でどこの安いユースホステルも満室になっていました。「ネット予約の枠が埋まっても、直接メールすれば空いていたりする」と聞き、確かに当日の飛び入り客もいる訳ですし、6〜7件ほどミュンヘン市内のホステルに直接メールをしましたが、残念ながらすべて"Unfortunately..."な結果しか帰ってきませんでした。

仕方なく、ややミュンヘンから遠いダッハウなどのホステルも尋ねてみましたが、結局満席で対応してくれませんでした。
そもそも、オクトーバーフェストの存在をほとんど忘れていた自分の責任でもありますが、ここまで宿が見つからないのは久しぶりでなんだか不甲斐なくなってきました(笑)
こうなったら当日飛込みでミュンヘンの観光案内所に行こうとも思いましたが、まだ時間があるのに保険もかけずに旅行に行くのもどうかと思いますし、多忙期に飛び込みで行くのは、それはそれで迷惑だと思いました。そこで、少し遠く(かなり遠い)なりますがアウクスブルグのYHを予約しました。


計画では、ミュンヘンに入る前はニュルンベルクにいるので、ロマンティック街道を南下してアウクスブルクに入れば丁度いいやと思ったからです。それに、そのままフュッセンにいってノイシュバンシュタイン城を見れば、ロマンティック街道を満喫できると思いました。


とてもミュンヘンとはいえない場所に泊まる事になりましたが(笑)、残された僅かな学生生活の集大成ともいえる旅行なので楽しみながら計画しています。

上に集大成と書きましたが、この旅行が終わったら、(現段階の計画としては)学生最後の"1人卒業旅行"として冬に中東へ旅立てたらな…と今から考えています。





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2008年06月21日

バランスが大切。

今、短期でお中元のアルバイトをしています。
都内の百貨店です。
仕事内容はお客様のお品物とお届け先様のご住所を打ち込み受注精算する仕事です。
自給はなかなかいいですが、やはり気を遣います。
それに客も客で要求が高く、時には理不尽な態度をとられることもあります。
こちらもこちらで少ない研修期間を経て、ほぼ半ソルジャー(にわか仕込の意味)の状態で売り場に駆り出されるのでミスも多々あります。

これぞサービス過剰国、JAPAN!!!

最近、毎日このバイトです。
店内はお中元のピークということもあり、客でごった返しており窓もないエアコンをつけ続けたフロアなので、目が乾くわ肌も乾くわ、で大変です。

それでも、夏旅行を充実させるためには今頑張らねば!1と励んでおります。明日もバイトです。



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2008年06月15日

名古屋にて2.

前回の続きです。



げんなり気分だった私たち二人にさらに拍車をかける悲劇が襲ったため、私たちの戦闘意欲はゼロに等しくなりました。

魚は釣れない、港まで時間がかかる、餌のオキアミがバックを汚し友人がオキアミを常温で保存してまい使えなくなる、カードがなくなる、焼肉食べすぎでお腹を壊す、これらの〕汁曚靴┐震簑蠹世豊不測の事態が積み重なり、次の日の釣りを中止する事に決定しました。
ちなみに次の日は、伊勢の方まで釣りに行くつもりでした…。

それに夜ですが、彼は深夜バイトがあるため出かけてしまい部屋には私だけになりました。とりあえず、銭湯に行ってその日の疲れや嫌な出来事をすべて湯に流し、吉野家で夕飯を食べて帰りました。帰ってからは爆睡です、朝3時半に彼がバイトから帰ってきたときは気づきましたが何言ったか覚えていません。

次の日。
私は起きましたが彼が爆睡の番です。それにしても、生活のリズムが狂っているのか全然起きません。彼がベットの端で寝ていたので、私も反対側で寝ようと横になりました・・・。すると・・・不思議なことに、気づいたら一時間経過していました。このベッドには、何らかの魔力がある…。寝たものをひたすら寝かせる魔力が…。急いで起きて顔を洗いました。この開放感を、過去の偉人の言葉を借りて”魔術からの解放”と名づけました。
彼は一度起きて「じゃあ、4時半に服を買いたいから買い物に行こう」とだけ言いました。4時15分、彼は再び睡眠に入りました。

結局、彼が起きたのは夜の7時を回ったあたりでした。
かれこれ、8時間の睡眠から目を覚ますも、もはや買い物は無理なので近場で済ますことにしました。家の近くのラーメン屋に行って、ラーメン食べて、寝て(彼は再び睡眠についた)もはや制御不能となったため、この日は1日何もせずに終わりました。

なんというあっけない終わり方なのか…。
この日は本当にぐだぐだでした…。


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名古屋にて。

今月は、ほとんどがバイトで埋められ搾取される生活を送らねばなりません。
何もない週末が今週の土日だけなので名古屋に遊びに行くことにしました。



今まで、新幹線や在来線を乗り継いで名古屋にいったことはありますが、今回は高速バスできました。青春18切符が使えない今、在来線で来る理由もなかったので、今回はバスに揺られました。バスが30分ほど遅れ東京を出発。名古屋に着いたのは午後、それから友達の家に行きます。

友達はシゴトに行っていたので、隠しておいた鍵を引っ張り出して先に部屋に入ります。何度かこういう事はありました。「勝手に入って休んでいて」となんと親切な友人でしょう。しかし、彼の家、言い方は悪いですが「衛生面が人類の暮らしうる限界レベル」と形容しても過言ではないほど、えらい騒ぎになっていました。
私は、まずドラッグストアに向かい、消臭剤・芳香剤と洗濯機クリーナーとゴロゴロ転がす粘着クリーナーを買ってきました。宿泊代の代わりとして私ができる仕事は、この”おぞましい”部屋を掃除することでした。どれほどすごかったかは、言い出すと切りがありませんが、彼のプライバシーも考えて割愛させていただきます。

今回のお土産は、名古屋駅で買った地酒です。毎回、東京でお土産を買うのを忘れてしまうので、名古屋の土産を買って、名古屋在住の彼に渡しています。前回は名古屋コーチンパイでした。



私は、安易にも今回の遠出を1万円以内で収まるんじゃないか?と考えました。

高速バス3000円×往復=6000円
宿代 なし
お土産(酒)+掃除用品=約2000円
釣り場までの交通費 往復約2000円
釣竿等 約1500円

これらを足すと…
私は自分の安易な計画を恥じると共に、やけくそでその日、彼と焼肉に行きました。



今回の目的は、海釣りをすること。
10年ぶりで、もちろん竿もなにもありません。近くの上州屋に行き(これがまた遠くかなり歩かされた)安い竿と仕掛けを買い、エサの冷凍オキアミ(小エビ)を買ってきました。

ようし!明日は始発で常滑の港で釣りをするぞ!!

意気込みました。
次の日の朝、私は4時半に起きました。友達は…用意ができたのは始発5分前でした。急いで家を出ますが、駅近くになって…「餌は??」…家に帰り餌をとってきて、もちろん始発は通り過ぎました。その後も、常滑で滑り込みに失敗し(前にエスカレーターからはみでそうなほどの巨体の女性がおり、抜かせなかった)電車を20分待って、港に着いたころにはもうお日様が昇っておりました。



海は荒れていました。風が強く波もやや高く、とてもつり難い状態でした。
私はこの港をネットの釣り情報サイトで見て選びましたが…、想像とは異なり、かなり上級者向けの磯でした。そこで釣りをしている人もおそらくチヌ釣り専門のような感じでした。

”本日、天気晴朗ナレドモ、波高し、風強し、おまけに釣り場は危険で、熟練者多し、釣果ノ興廃、コノ一戦ニアリ”

まさにそんな状況。
仕方なく、釣り場を散策、おっさんがアイナメ(っぽかった)を釣る。なかなか大きい。餌はゴカイかイソメか?オキアミしかないので、解け始めたオキアミを付けて釣りを開始…。





…まったく、反応なし。

前日は、
「明日、最低でも30匹は釣ろうぜ」
「じゃあ、明日の夕飯は焼き魚かな?」
「おうおう、食べきれないほどつれるからな、ははは。」
「特大の伊勢えびか」
「それにタコを肴に酒だな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その日の成果は、、、カニ一匹でした。

15cmくらいのカニを釣りました。
引きはほとんどなく、カニがじたばたするので、バイブのような振動がありました。
魚の気配が全くなかったので、タナとか考えずに底つりしてたら掛かったカニさんです。

…30cmの伊勢えびは、夢のまた夢…です。



睡眠不足、そしてほとんど釣れず…。

二人とも、げんなり気分で帰りました。
帰りの電車はもちろん、各駅で爆睡です。


◆帰宅後、二人に悲劇が襲います。

まず、友人ですが、餌の冷凍オキアミが解けて彼のバックの中で汁が漏れました。
気づくも遅く、バックからとてつもない異臭が…。そして驚くべきは、彼の行動です。なんと、ショルダーバックをそのまま洗濯機の中に放り込み洗い出しました。もう、やけくそだったのでしょう。一回動かすも、においが取れず、なんと二回転目…もう、見ている私も涙目です。
結局、未だにベランダに干してあります。

二つ目に、私がキャッシュカードを紛失しました。
超焦って探すも…ない!!!!仕方なく、紛失センターに連絡して即座に使用停止にしました。使われてなければいいんだけど…。
ショックです。



続きは後日。

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2008年06月11日

エジプト旅行記

※思い出しながら書いていたので、いくつか地名等に誤りがありました。見つけ次第、訂正しミスがないように努めていますが、もしありましたらご了承ください。


夏に1人の友達から打診があった。
「12月は航空券も安くて、格安ツアーが沢山あるから行こう」とのことで私も同意し、ヨーロッパの国へ行くべく予約をした。しかし、旅行会社から電話があり、「残念ながら、そのツアーにはお客様2人しかご応募がなかったもので…」…私たち2人だけ??なんとも悲しい話である。12月の平日出発のコースに応募する人はあまりいないのだろう。仕方なく、旅先変更を迫られた。
「現在ですと、イタリア、ドイツ、トルコ・・・あとエジプトですね」

やはり、魅力的だったのはエジプトだった。
ピラミッド、ツタンカーメン、ナイル川…想像が膨らむ。しかも、ツアー変更ということで割引になりなんと10万程度でエジプトに旅行できる事になった。これはお得すぎる。私たちは決意した。


◆カタール 

カタール航空、という航空会社は2007年現在成田には就航していない。なので関西国際空港まで行く事になった。出発の日、夕方には大阪についていた、関空内の土産物屋を見ながら待つ事半日。23時発・・・のはずが、調整が遅れているとのことで出発したのは結局午前1時半だった。

約10時間のフライトで、我々はカタールのドーハ国際空港に着いた。
着陸の時、草木がほとんど生えていないアラビアの砂漠を飛行機から眺め、とてつもない感動を覚える。正に異世界だった。12月と言えどもドーハは熱風が吹き荒れ蒸し暑ささえ感じた。
トランジットが1時間を切っていた。確か30分程度だったと思う。ダッシュである。添乗員さんも仕事中とはいえ、かなり焦っていた。目的地についてもいないのにトラブルになったら、仕事どころではない。なんとか間に合って、ドーハ⇔ルクソールの飛行機に乗る。次はエジプトだ!と思ったその時、今回の旅での最初の衝撃を受ける。
ドーハを離陸した飛行機が空高く上がっていく、またしても窓際の席だった私はドーハの町並みをみた。私の中でドーハとは、乗り継ぎの中継都市でしかなかった。しかし、目の前のドーハは違った。高層ビルが立ち並ぶ近代都市だった。建設は続き、いくつもの高層ビルが建造中だった。ここまでとは思わなかった。中東資本の強さを知ると共に、急速なインフラ整備を必要としている事がわかった。地理的にも欧米⇔アジアの間にあり資源も豊富な中東の可能性を垣間見た瞬間だった。

私はアラビア半島に惹かれた。ひたすら続く砂漠、そしてエメラルドグリーンの海。このまま飛行機がここに着陸したら、砂漠を歩き、海で泳げるだろうか…などと楽観的な旅行者気分に浸りながら、延々と窓の下に広がる砂漠を見つめた。現実は灼熱の暑さと緑のない荒涼とした岩と砂だけの地なのだろうが…空から見る砂漠はとても綺麗だった。

<<ここからは正確な日記ではなく、行った場所を中心に書いていきます>>

◆ルクソール

<観光場所>ルクソール神殿、カルナック神殿、王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿、メムノンの巨像、ホルス神殿、コムオンボ神殿。

ルクソールと言えば、10年前にテロが起こり多くの犠牲者を出した場所でもある。ただ、そんな素振りもなくナイルの流れはゆるやかで町も落ち着いていた。この日は金曜日、そう、イスラム教の金曜日は祈りの日。モスクに設置されたスピーカーから1日中コーランが流れる、そんな異国情緒が漂う町だった。

観光場所は主に神殿、とにかく感想は”でかい”
どこからこの柱を持ってきたのか?どうやって神殿を建てたのか?これだけのヒエログリフをどうやって彫ったのか?スケールの違いを思い知った。当時の首都(テーベ)だったルクソール、新王国時代や中王国時代と言われても、世界史に疎い私はやはり聞きにくい。歴史をもっと知っていれば、より知的好奇心に駆られるのだが…と悔やむ。

◆ルクソールのスーク

ルクソールのホテルに着き、夕食は各自でとるよう言われた。「ホテルの近くにマクドナルドがあります。あまり遠くには行かないようにしてください」と添乗員に言われるも、私たち2人は結構遠くまで歩いた(おそらく添乗員さんの予想を超えるくらい)ガイドを見ながらルクソールのスーク(≒商店街)に出かけようと、夜のルクソールに出た。

行く途中、1つの屋台があった。バックを売っているらしい。なんだか面白い柄で欲しくなった。どのくらいだろう?と聞いてみる。エジプト人の親父は「100LEだよ」という。あまりに高い。どうみてもほつれているし少し汚い。親父は「good material, new」などと宣伝してくる。それから約10分、片言の英語で値下げを交渉、半額までなる「OK50,」しかし、これ以上は無理とのこと。いや、高いだろということで、「No, thank you」といい去ろうとするがなかなか離さない。「これ以上安いものはない。この素材でこの値段はこっちも限界だ」しかし、これ以上交渉しても無駄なので屋台を出た。
すると親父、屋台を出てまで横に付いてくる。振り払うと、別の男がバックを持って「OK,50」とやってくる。それも振り払うと、また別の男が・・・。もう“販売リレー”である。少なくとも50mは続いた。その男も振り切ると「FUCKING Japanese!!」とはき捨てて去っていった。軽はずみな買い物はよしたほうがよさそうだ。

それをさらに感じさせたのが、ルクソールのスークだった。観光客は私たち2人をのぞけばほとんどいなかった。つまり、90%以上、エジプト人達が買い物をしている状態だ。そこでエジプトの客引きの洗礼を受ける。「ミルダケ、タダ」「ゼンブ、1ドル」「ヤマモトヤマ」「デモ、ソンナノカンケーネー」一体、どこからそんなトピカルな言葉を仕入れてくるのだろうか。とにかく結論は、「日本人観光客は、かなりの金を落としている」にいきついた。
スークの一番奥の出店で、水を買う。値段を聞くとなんと1.5Lが2LE(約40円)だという。さすが物価の安い国だけある。いままでのスークの売店がどれだけぼったくりだったのかが明らかになった。※ちなみに、後になって「水が2LEで買えたんですけど」とぼったくりの売店の親父に言うと「OK, 2LE」と返ってきた。最初からそうして欲しかった。

◆朝5時

次の朝、5時に目が覚めた。なにやら外からアラビア語が聞こえる。それも、かなり大きな音量で…。何かと思ったら、これはアザーンというもので、ムスリム達の朝のお祈りの合図なのだという。これはエジプトに限らず、イスラム教の国ではどこも同じらしい。

◆王家の谷で

なんと、今まで見公開だったツタンカーメンのミイラを見ることができるという。
それもかなり高額(確か80LE)だった。考古学者ハワード・カーターはどんな気持ちで発掘していたのだろうか。王の墓に入るたびに神秘の世界を見せ付けられた。特に有名なラムセス2世の墓は深く壁画も一番荘厳だった。ツタンカーメンは若くして亡くなった王であるためそこまでお墓は大きくない。しかし、未盗掘で財宝がすべて見つかっため有名になった。その財宝の量は、後日カイロ考古博物館で思い知ることになる。
ツタンカーメンのミイラだが、ほぼ完璧な状態で残されていた。貴重な経験ができたと思う。このミイラはハワード・カーターの意向で、博物館ではなくこの自分の墓に安置されているのだという。

◆アスワンへ
<観光場所>切りかけのオベリスク、アスワンハイダム、イシス神殿

◆アブシンベルへの後悔

アスワン、といえば世界遺産アブシンベル神殿を思い浮かべる人も多いと思う。今はスーダンとの国境近くにあるが、昔はアスワンハイダム建設によってダムに埋もれて水没の危機になった。ユネスコはじめ、各国の協力によって遺跡をそのまま移籍する作業が行われ、今この偉大な遺跡はエジプトを代表する遺跡の1つとして残っている。
この遺跡を見逃す理由はどこにもない。しかし、このツアーにアブシンベルの観光は含まれていない…有料のオプションツアーだった。かなりの高額である。正直、地元の旅行会社のツアーに申し込めばその10分の1以下の値段でいける。そこでオプションを使わずにアスワン到着後、自由時間を使ってツアーを探すことにした。しかし、自由時間があまりにも少なく、ホテルのロビーにも尋ねてみるが、明日出発のツアーはすでにないという。仕方なく、アブシンベル神殿へのツアーを断念するほかなかった。

次の日、自由行動だが、アブシンベルに行けない私たち2人はホテルに取り残された。(他の客はほとんどツアーに参加した)ゆっくり朝食を食べて、別の観光ルートを模索した。ガイドを見てみるとアスワンハイダム建設時にアブシンベルと共に移された遺跡がもう1つあるという。それがフィラエ島にあるイシス神殿である。アスワンからも近いので行ってみる事にした。

◆イシス神殿とアスワンのスーク

タクシーで船着場まで行く。エジプトには原則として信号がない。タクシーは猛スピードでとばし、人がいれば危険でなくてもクラクションをならしまくる。これがここでの流儀らしい。とばすとばす…と、前の車が右に曲がろうとして…いや、バイクもいる…“ ガ ツ ン ”ものすごい音がした…。ここに来て、生の交通事故を見てしまった。バイクは倒れていたが、けが人がいないことを祈る。
船着場についてから、船代を払う。ここも値引きできないかと聞いてみたが反応が薄い。しかし、なにやら「ベン、ベン」と言っている。ガイドブックに乗っていることが正しいなら…とペンを差し出すと、かなり喜んで値下げしてくれた。ここまで単純に値引きが行われるのが私たちの感覚だと違和感があるが、物価の概念がそこまでない(と思われる)人々であればこれが日常なのかも知れない。そして、何よりも“made in Japan”のブランドは効果があるようだ。
カイロでは濁っているナイル川も、アスワンまで上るとそれなりに綺麗だった。ボートでナイル川を渡りフィラエ島に向かう。船頭は、おそらく15歳ほどの少年だった。自分よりも若い少年が働きながら、ボートを運転しているのを見てなんだか複雑な気持ちになった。
フィラエ島は観光客も少なく、観光しやすい場所だった。天気はもちろん快晴でのんびりできたのでアブシンベルを見られなかった後悔もここでかなり軽減された。

アスワンのスークは、ルクソールのそれよりも広く長かった。香辛料から食べ物までさまざまなものが売られていた。昼食は、2LEのコシャリを食べた。量も多く、店内にはムスリムの女性が4人いただけだった。おそらく観光客などあまりこない、現地の人々が食べる本当のコシャリなんだろうか。エジプトの食べ物の中でこのコシャリが一番印象に残っている。

◆ アスワンからカイロへ

特急寝台列車ナイルエクスプレスで、アスワンからカイロまで北上した。アスワン駅では5〜7歳くらいの女の子が売店で親と働いていた。ここも値引いてもらうよう頼むと、なんとも言えない笑顔でOKしてくれた。
一晩走って、朝の6〜7時にカイロのラムセス2世駅に到着。寒い朝だった。

◆ カイロ
<観光場所>ピラミッド、スフィンクス、カイロ考古学博物館、モハメドアリ・モスク、ハンハリーリバザール

◆ピラミッド

エジプト、といえば誰もがまず思い浮かべるであろうピラミッド。開門と同時に多くの観光バスが駐車場にはいる。ピラミッドよりも、ピラミッドからみたカイロの空気の濁り方が半端ではなく、そっちのほうが記憶に残ってしまった。
カフラー王のピラミッドの中に入る。ピラミッドの中は小さく狭い道が玄室まで続いているため、腰をかがめながら入っていく。すれ違う人とも接触しながら奥の玄室を目指す。空気がこもり、腰をかがめながら入っていくので何とも気分が悪い。大いなる歴史を感じることなくピラミッドから出てきてしまった。

駐車場ではバスのおっちゃん達が、朝ごはんを食べていた。豆やトマトをナン(エジプトではアエーシというのか?)でくるんだもので、少しお金を払うと、作ってくれた。こういう現地の人々が食べているものを食べてこそ、旅行は楽しい。特にツアーだと“楽しい旅”で終わってしまい、現地の雰囲気を味わうだけで済んでしまう。バスのおっちゃんが直接作っている食べ物を食べて、うん、それなりに現地のものを食べている、という気になった。

午後は強行スケジュールだった。モスクを見学し、ハンハリーリでは買い物をせずにフレッシュジュースを2杯のみ、考古博物館に行った。
考古博物館、大きすぎてとても回りきれない。そしてこの博物館の25%にもあたる文化財がツタンカーメンの墓から出土したものだという。恐ろしい限りである。他の王様のお墓も、盗掘されずに完全な状態で残っていたら、どれほどの金銀財宝が眠っていたことだろう。当時の王の権力の大きさを感じた。
考古博物館を出ると、もう回りは暗くなっていた。カイロの大渋滞に巻き込まれホテルについたころには疲れきっていた。

◆日本へ

最後の日は、自由行動だった。スーパーへ行きハイビスカスティーやコーラ味の歯磨き粉、日本の歯ブラシの2倍くらい大きい歯ブラシを買ってお土産を整えた。バイトの関係で是非、ケンタッキーに行ってフライドチキンを食べたかったが行く時間もなく終わった、これは残念。
バスに乗ってカイロ空港へ、夕方の飛行機に乗った。
カイロの夕日は綺麗だった。




◆◆
エジプトへの旅行は、「観光を楽しんだ」というよりも、文化圏の違いに驚いた旅だった。それは特に宗教観の違いだった。私達は日常生活の中で宗教を感じる時があまりないから実感がないのかもしれない。ムスリム達にとって、生活と宗教は密接な関り方をしている。女性は肌を見せない、金曜日に流れるコーラン、5時になるアザーン、床屋の親父も昼にはメッカへ向かってお祈りをしているのを見て、宗教を持って生きる人々を知ることができた。
この旅行を終えて、次は1人で中東を回りたい、と思った。シリア、ヨルダンやオマーン、イエメンといった中東の国をいつか自分で回ってみたい。飛行機から見た砂漠や海の風景に影響されていますが、いつか絶対に回ります。
そのときを想像すると、なんだか気分が高まる。

中学1年の時、社会の先生(そこまで好きではなったが)が1番最初の授業で言った言葉が「社会をやる上で1番大切なこと、いや、社会以外でも1番大切なことは、『自分達のものさしですべてを測らない』ことだ」と言っていたのを思い出した。
好きではない教師だったが、彼が言おうとしたことが、今回の旅行でわかった、そんな気がした。



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2008年06月10日

アイルランド旅行記1


2007年秋にアイルランドに約2週間行って来た。
そもそも、海外に一人で行くのが初めての私が、なぜアイルランドを選んだのか。それは、高校時代に出会った一冊の本、ジェイムス・ジョイスの「ダブリン市民」が影響している。

この本を読み、当時の鬱屈したダブリンの雰囲気や麻痺的な人々の生活を垣間見ると共に、複雑な政治・宗教が入り乱れたこの国にいつか旅に出ようと考えるようになった。


2007年秋、日本はまだ残暑が厳しく半袖でも十分暮らせた。
アイルランドは寒いと聞いていたので、うすいアウターを一着忍ばせ割と小さなバックパックを背負い、成田を目指した。
初めての一人旅となるので、やはり成田に降りた時の孤独感が今でも甦る。行きかう人々を見ながら、これから私は一人で海外に行くのか…と思うと期待よりも不安で一杯だった。

成田を出発した飛行機は、12時間かけてロンドン・ヒースロー空港に着く。トランジットは約1時間半なのだが、込み合っておりかなり焦る。それもとてつもなくでかいヒースロー空港で日本人はいない。(自分の周りには一人もいなかった)待ちに待って、審査も軽くすみ、エア・リンガス航空のゲートまで…これがなかなか長いのだが…進み、ゲートでギネスを飲んでいる人々を見て、嗚呼、アイルランドまであと一歩なんだ、と心躍らせた。意外と間に合うものだ。

※エア・リンガスの飛行機の中で、「何か飲む?」と言われたので「コーヒー」と言ったら、サービスではなく2€とられた…。ちょっと驚いた。


ヒースローを発った飛行機は約2時間でダブリン国際空港に到着した。
夜の9時くらいである。寒い…。空港ではラグビーワールドカップの生中継をやっており、みんな釘付けになって見ていた。日本でもラグビーが人気になることを願いながら通り過ぎた(アイルランドはラグビー強いです)

入国審査を受け、EU圏外なのでかなり待たされ、何とか市内へ向かうバスの発着所についた。”Bus?”と尋ねたところ、”No, BUS”とアイルランド訛りの英語で返された。これが今でも衝撃的で、文化圏の違いを思い知った。(バス→ブス)”郷に入らば〜”ではないが、アイルランドの英語はなかなか聞き取りづらかった。

それにしてもオコンネルストリートは夜も賑やかだ。さすが、アイルランドの中心地だけある。それに、最近ここ周辺の地価もだいぶ上がってきているらしい。アイルランドの経済成長率は高くEU入りしたこともあり、出稼ぎが多く、色んな人種が入り混じっていた。

ホテルの場所がわからず、地図を広げながらアホ旅行者丸出しである。タルボット通りという通りを探すが、ない。散々迷った挙句「あーもういいや!」と思った時、自分の横にはあのジョイスのブロンズ像が立っていた。感動した、そして思わずシャッターを切る、アイルランド1枚目!!!この通りの名前も調べよう!!
…それがタルボット通りだった。

1日目は夜に着くので、予めB&Bを取った。しかし、B&Bと書いてあるものの、ただの安ホテルだった。芳香剤をコンセントに差し込む式に驚いた。そして、窓を開けて夜のアイルランドを眺めよう!と思いきや、、、そこは地下だった。そして窓から見えるのは、なんと物置である。それもかなり汚い、何年整頓されていないかわからないくらい汚い。これが、私の海外初一人旅の初夜だった。

※ホテルの朝食、アイリッシュブレックファスト、とても量が多い。これだけ食べれば、朝はもう十分。気に入った。

ここからは正確な日記ではなく、行った所、印象に残ったところを書いていきます。


まずは、ダブリンの中心地を回る。
リフィ川、オコンネル通り、テンプルバー、グラフトンストリート、セントスティーブンスグリーン、へと歩く。観光案内所へ行き、バスエーランのツアーを予約する。


グレンダーロッホという初期キリスト教文化の栄えた教会へツアーで行く。アイルランドのキリスト教はケルトの文化と融合し、独特の文化を生み出した。ケルト十字がその典型であろう。
朝に中央バスステーションに集合し、全員で15人ほど。2時間ほどかけてウィックロウの山脈の中に入る。バス、かなり飛ばします。めちゃくちゃ細い道(どう考えてもバスが通る道ではない)でもすっとばして80キロくらい出して走ってます。そして、バスの兄さん、とにかくアイルランドの歴史を解説、「ジョイスのユリシーズか、あんなcrazyな本の価値は僕にはよくわからない」と言う、思わず笑ってしまった。
グレンダーロッホは静かな山の中にある教会だ。あれだけ山の中にあればヴァイキングの侵略や独立戦争などの数々の戦いでも攻め難いし、見つかりにくいだろう。ケルト十字もほぼ完璧な形をして残っており、教会や見張りの塔も綺麗だ。

ツアーに参加した人たちの中で1人での参加は3人。あとは友達や家族だ。
その1人で参加した3人・・・なぜか、3人とも日本人だった。奇遇すぎる!ということでテンプルバーで3人で食事をした。有名な大手企業の会社員で「ちょっと遅い夏休みをもらいました」と言っていた、さすが福利厚生が整っている、普通の私企業ではこの時期に連続休暇など取れもしないはずだ…。もう1人の方は関西の方で、「アイルランドってマニアックでいいですよね」と言っていた。私には、超メジャーな国なのだが…。
全部あわせて40€もご馳走になった。誠意をもって、感謝の気持ちを述べた。学生の旅行中にここまで奢ってもらえると本当に助かる。正に神のような存在だった。


ゴールウェイという町はダブリンから約5時間ほどバスで走ったところにある。港に面しており、思ったより小さな町だった。一番安いB&Bを予約し、本当にただの民家+αのような家に泊まる。マダムは気品のあるおばあさんで若い頃は…さぞ綺麗だったろう。「何時に朝ごはん?」ときかれたので「7〜8時ですかね」と応えると「えっ、冗談でしょ?無理無理、9時にしましょ」と決められる。
部屋は綺麗で、バスも綺麗、客も中年の夫婦が1組、とても雰囲気がよく満足のいくB&Bだった。


世界遺産であるモハーの断崖は、ゴールウェイからバスで2〜3時間ほどかかる。とにかく壮大すぎて、言葉がでない。というよりも壮大すぎて、価値がわからなくなる。これは本当にすごいのか?と変な錯覚に陥った。
崖の先端にはオブライアン塔があり、断崖と塔の風景も十分フレームにいれる価値がある。大西洋は青かった。

モハーからドゥーランへ行く道が印象的だ。
海岸と大西洋、そしてひたすら続く道。のどかなアイルランドの地なのだが鋭利な岩が続き、とても神秘的な風景だった。
巨人の岩も見てきた。


ダブリンには路面電車のルアスがあるが、私はほとんど使わずなかった。
ただ、DARTという電車を使った。その電車でサンディコーヴという駅まで行きたかったからだ。
目的地はジェイムスジョイス博物館。
古い建物で、昔は見張り台として使われていたらしい。海に面しており、気温は10℃ほどなのに、海で泳いでいる人が何人もいて驚く。泳ごうと思えば…いや、寒中水泳だ。
博物館の中で二人の客と会う…が、なんと日本語を話している。話しかけてみると日本の大学で英文学御専門の教授と現在博士課程の教え子だという。教え子はジョイス文学を専攻しており、手には大量の付箋が貼られたユリシーズを抱えていた。学会の発表会のためアイルランドに赴き、そのついでに来たのだと言う。ついでなのでその日は1日御一緒させてもらうことにした。

ダブリンに戻り、3人でグラフトンストリートの近くのレストランに入る。
メニューの表紙には、あのジョイスの肖像画が…。アイルランドではジョイスがここまで親しまれているのか、それともこのお店がジョイスと何か関係があるのか…?とりあえず、ランチを食べて、レストランを出た。
その後、国立歴史博物館と国立図書館を見学し、「今日はありがとうございました」と別れた。
一期一会、というやつだろうか。いつでも連絡が取れる今の時代、連絡先も交換せずに別れた。これもなんだか今では哀愁を感じるのである。

※日本に帰ってきて、調べておったまげた。
そのレストランだが、デイビーバーンズという名前で、なんとジョイスが何度も訪れた、ゆかりのレストランなのだという。なんという偶然だろうか。ジョイス専攻の博士課程の彼女も調べただろうか、調べたらきっと私よりも驚いたに違いない。


2つのユースホステルに滞在した。

1つのホステルでは、フィンランド人の女性2人とクロアチア人3人と同じ部屋になった。クロアチア人に「今夜、飲みに行こうぜ?」と言われた。せっかくなので、彼らと話す事にした。
ジャーナリストを目指しているらしく、リアリティを求めていると言う…だから黒澤明の映画が好きらしい、私も黒澤明は大好きなので、話が盛り上がった。日本酒の話やアニメの話をして彼らは出て行った。なかなか知識が豊富だ。服のセンスも悪くない。スタイルはいいのでとても似合っている。そんな彼らを信用して、夜のダブリンに出た。

深夜0時を回ったテンプルバーは人でごったがえしていた。
バーに入ろうとするが、止められる。「ちょっと待ってて、女の子を連れてくるから、約束してるから」と言われるが…。
・・・普通にナンパしている。「そんな簡単にうまくいくかよ…」…あれっ、女の子を連れてきている。とりあえず握手したけど、女の子が嫌がっていそうなので、無理しなくていいよ的なことを言ったら去っていった。やはり無理やりはよくない。それにしても連中は飽きずにナンパの嵐、東洋系を狙って「ジャパニーズフレンズもいるよ」的なことを言っている。
・・・勘弁してくれ。
そもそも、女の子はいいから、ギネスを飲みたいのだ。我慢できずにそれを伝えた。何とかパブに入るが「OK、じゃあ君が買ってきて、あとで金払うから」というのだ。もう信用できない。私は「金…」といい続けた。10分ほど攻防が続くが、彼らは折れて、「じゃいいよ、帰りたければ帰れ」と、ここにいる理由もなかったので、そのまま帰って先に寝た。

しかし、ことはこれで終わらなかった。
午前2時、うるさくて起きる。もちろんクロアチア人の帰宅である。3人とも母国語ででかい声でしゃべりまくる。私は頭にきたが、なかなか言い出せない。すると、フィンランド人が「ねえ、ちょっと静かにしてくれない。私たちは寝ようとしているのよ」
ク「俺たちだって話したい事があるんだ」
フィ「だからってこんな深夜に大声で何言ってるのよ、私たち、寝たいの」
ク「でも、このJapanese Guyは寝ようとしてるぜ」
フィ「あたしたちは眠れないの。彼だって寝ようとしてるんだわ。とにかく、黙って。」

…数分の沈黙、その後、彼らはまた話し出す

フィ「いい加減にしなさい、これ以上しゃべったら、ロビーの人に言って出て行ってもらうわ。いいから黙りなさい、SHUT UP!!!」

生の会話で初めて、SHUT UPを聞いた瞬間だ。
そして、彼らは静かになった。しかし、驚いたのは、彼らは次の朝、アウターのジャケットも脱がずに靴を履いたままベットの中で寝ていた。衝撃である。


次の朝、彼らに呼ばれた。
「OH, my friend, 行ってしまうの?」(いつ友達になった?)
「どこへ行くの?」と言うので曖昧に「遠くへ」とごまかす。
「ごめん、じゃあ、お金…ない?」
いい加減にしろ、と思って「遠くへ行くのです、それでままたね〜」と笑顔ですたこらさっさと逃げてきた。何なんだ連中は!

バックを取りに行くと、女の子が2人…
…昨日、ナンパされて握手した女の子だった。旅行者だったのか…。かなり、気まずかったです。


もう1つのユースホステルでの話。10人部屋。
部屋に入るなり、ヒゲの男性が1人、それもブリーフ一枚で突っ立っている。そのシュールさに目が点になりながらも、挨拶。イギリスから会社の出張できているらしい、マンチェスター出身だが、セルティックが好きらしく「シュンスケ〜、シュンスケ〜ナカムーラー」といって握手した。
他にも会社員が多く、ほとんどがイギリスからだった。しかし、何人かはスコットランド出身なのだろうか、とてつもない訛りで何を言っているのかさっぱりわからない。笑顔で私に向かって話しかけてくれるが、何を言っているかわからないので「Pardon?」を何度言った事か。そして、結局わからなかった。

夜なんだが、うるさくてうるさくて、本当に深夜になるまで眠れなかった。しかも、この英国人紳士は、fu*kin'を連発。やはり思った以上に会話の中にこの単語を入れる事があるようだ。それを考慮しても、言いすぎだ。

上のベットのアジア人は、水しか出ないシャワーを浴びて、1人で青りんごにかぶりついていた。




あっという間の2週間が過ぎた。
ダブリン最終日は、とても寒い朝だった。バス停の前で白い息を吐きながら待っていたのを覚えている。初めて、1人で海外に滞在した達成感と、なんでそれをもっと早く(大学1年の時)やらなかったのか。とても悔やまれた。写真の中の世界を、小説の中の世界を、自分自身の目で”自ら”見ることの重要さを再認識した。晴れたり雨が降ったりとても天気の不安定な国、そしてかなり物価の高い国、のどかな風景がずっと続く国、そんなイメージを持った。

アイルランドに触れる授業で、アイルランド文学専門の教授が「最近のアイルランドは変わり果てたよね、特にグラフトンストリート。」といっていたが、急速な成長を辿るアイルランドに、もはや変化は必然なのかもしれない。だけど、時間がゆっくり流れ馬や羊、牛が沢山見れる牧草地がなくなって欲しくないなとも思います。

ケルトのCDを聞くと、アイルランドを思い出す。
日本で買ったCDだけど、なんだか思いで深いCD。
音楽に疎い人間だけど、通りではよく音楽が聞こえた。
これもアイルランドの一面。フィドルなんかの音楽が聞こえてくる。


まだまだ見たりない。
私は、地球のほんの小さな領域にしか足を踏み入れていない。
もっともっと見たい。まだまだ見たい。
学生であるうちに、もう大学3年生になってしまったけれど、でも残された時間を使って、多くの国に行きたい、多くの文化・宗教・歴史に触れたい、学びたい。



そして、その約2ヵ月後、私はエジプトにいた。


m-63_06375 at 22:14|Permalink

2008年06月06日

6月半ば

本日もアルバイトの研修です。
短期アルバイトですが、老舗でのバイトのため研修期間も長く色々教え込まれています。
接客なので、やっておいて損はないかと。


早慶戦の影響で、終わった日は12時間寝ていました。
それからというもの、リズムが崩れたらしく8時には眠くなります。
そして、寝るとおきません・・・。困りものです。


来週は名古屋に出かけようと思います。
名古屋の知人と釣りに行こうという話になりました。
何がつれるか楽しみです。

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2008年05月30日

明日は早慶戦!!

日付かわって、明日が早慶戦です。

六大学野球はほとんど全試合観に行っていますが、残念ながら母校は明治に破れ4連覇を成すことができませんでした。
その明治は、8期ぶりの優勝ということでさぞ盛り上がったと思います。

明治の応援席は、おそらく六大学野球、ひいては大学野球の中で最も応援が激しく観客動員数も多いと思います。
ちょっと、羨ましいときもあります。

今年の明治を優勝に導いた選手の一人が、岩田投手です。
今まではあまり表舞台には出ませんでしたが、それは去年まで明治にいいピッチャーが何人もいた(古川、久米、水田など)ことが大きな理由でしょう。
岩田投手には、早稲田の打線も残念ながら手が出せなかった…
ヒット3本、3塁を踏むことなく早稲田は破れました。
(特に上本主将の不調が心配です。またピッチャー返しで脚を負傷した斎藤も)
4年になって注目を浴びた岩田投手には、秋季も期待しながら観戦したいと思います。
早稲田にとっては残念な結果でしたが、まだ早慶戦も残っていますし、何より秋季に向けて踏ん張ってほしいところです。今期は2年生の活躍が目立ちます、これからが楽しみです。



さて、早慶戦。

去年は、慶應の加藤投手(現ヤクルト)をなかなか打ち崩せず、苦戦しました。
去年は、春秋共に、月曜日まで伸びました。

去年は、相沢、中林、両投手を打っている早稲田打線ですが、今年の締りの悪さがどうでるか…早明を払拭するような試合を期待します。



もちろん、今年も優先席の最前列で観戦予定です。



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2008年05月22日

口笛吹いて。

は、今期初めて読んだ小説(短編集
重松清の本。

就職活動も終わり、俺も同期も来年からは社会人。
僕の場合は銀行だけど、みんなそれぞれ、公・民問わず、社会に出るのか〜

上記の本を読むと、子供の大人に対する「なぜ?」がいくつも出てくるけど、僕はもうオトナ側なのかもしれない。。。
子供の考えを客観的に見てしまう・・・。

大人の階段上っても、"シンデレラ"だった人を思い出せるのか、なんだか楽観と悲観が交差して複雑です。

m-63_06375 at 20:42|Permalink

2008年05月16日

べんきょう研究所

恩師の突然の訃報を聞き、すっとんで実家に帰った。

中高とお世話になり、卒業しても、帰省するたびに会っていた人だ。

先生には、ニューヨークに連れて行ってもらった。
中学2年の時だ。
先生は、すべて計画は生徒に立てさせた。自分は何もしない。
本当に酷い旅だった。だけど、先生は「帰ってこれたから目標は達成だ」と日本についた時に言った。

先生から多くを学んだ。
特に大学に入ってから、一緒に飲みに行ったときのこと、毎回塾に行った時のこと、友達と押しかけた事、いつでも、先生は僕らに有意義な時間を過ごさせてくれた。


何の借りも返していない、
にもかかわらず先生は逝ってしまわれた。


自由な人だった。
でも先生の気持ち、今すごいわかる。
自由だけど、強い責任感を持った人だった。


先生、無茶な旅行が好きになってしまったのは、あんたのせいだ。
そして、ありがとうございました。


最後にしてくれた握手、忘れない。



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2008年04月03日

釣りぼり

市ヶ谷の釣堀に行ってきた。

上京するときから、あの釣堀に一回は行ってみたいと思っていた。
総武線・中央線に乗って市ヶ谷を通ると必ずあの釣堀が見える。

上京したてのころは、あんな小さな場所でないと釣りができないほど東京は狭いのか…と思いながら見ていたけど、
今では、なんの違和感もない。

友人と一時間、つりを楽しんだ。
たった2匹しかつれなかった。
隣のクシャクシャの帽子にぶかぶかのブルゾンを着たおっさんは10匹ほど釣り上げていた。沈まぬウキを見ては、目の前に広がる外堀の桜を眺めた。
時は夕刻、橙色に染まる空に満開の桜が新鮮な色彩を私に与えてくれた。

また、ゆっくりできる時に行きたいと思う。


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2008年01月08日

流れに沿って

流れに沿って行くのは決して簡単な事ではないと思った。。。

去年の後期は国内外を問わず、旅行していました。
旅行をすると色んな新しいものが見えてきて自分を刺激してくれました。
月並みな感想ですいません笑

年末年始は京都に滞在していました。
一昨年の大晦日は、そばを食べて年越しでした。
去年は、、、気付いたら今年になってましたw

今月は、テスト、レポート、部屋大改築。
この3本柱でやっていこうと思います。
バイトはなかなか入れそうにないなぁ


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2007年11月11日

ONCE

アイルランドから帰ってきました。

色んなものを見てきました。

自然、文化、歴史、等。

サンディコーヴの海沿いを歩きながら散歩。
これが一番落ち着いた場所でした。

ジョイスもかつては歩いていたんだ。


12月にも海外に行って、
それを区切りに就活に移行していきたいと思います。

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2007年10月09日

アイルランドへ

週末からアイルランドへ一人旅に行ってきます。

海外初一人旅なので、とても不安です。

バックパック一個背負って行ってきます。

生きて帰ってくることが目標です。

ジョイスの『ダブリン市民』を高校のとき読んで、正直何を言いたいのかわからなくて、でも大学入ってちょっと視野が広くなった今読み返すと色々感じる事があります。

そのジョイスが暮らしていた(海外生活が長かったようだが)ダブリンに行けると思うと心躍ります!!

デジカメ買いました。
沢山写真を撮ってこようと思います。

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