2016年10月23日
I hate say "I hate."
嫌いな作家がいます。
とても有名な作家なので、どんなものかと思って1冊読んでみたのですが、とてもつまらなかったので、この作家の本はもう読むのをやめようと思いました。
もしかすると、私の読んだ1冊だけが駄作で、ほかはすべて大傑作なのかも知れません。ですが、私の中で、もうその作家に名誉挽回の機会はありません。その作家の別の作品を読む気にはならないからです。
さて。
先日、とあるクリエイターがヒット映画を非難して大騒ぎになりました。
非難するのは別に構いません。「俺はこれが嫌い」と言うのは自由です。そんな事も言えない環境の方がよほど不健全でしょう。
問題は、件のクリエイターによる非難が、映画そのものに客観的な欠点があるように論じた事にあります。
「良い」や「面白い」といった評価は、最終的には主観によってしか論じる事のできないものです。「良い」「面白い」と感じるのはあくまで、個々の人間だからです。ですから、多くの人が支持している(あるいは支持していない)という状態も、一つの指標に過ぎません。冒頭に書きましたように、多くのファンがいる有名な作家でも、私にとっては「つまらない作家」なのです。ここで言う「つまらない」は、もちろん私の主観ですので、正確には「私がつまらないと感じた作家」であり、「嫌いな作家」は「私がつまらないと感じたので私が嫌いな作家」となります。
「俺はこれが嫌い」ならば、どこが・なぜ嫌いなのかを明瞭にすれば済むのであって、そこに客観的な「良さ」や「面白さ」があるかないかと論じるのは、おかしな事です。プラトンのイデア論のように、純粋な「良さのイデア」「面白さのイデア」は、実体としてつかめるものではありません。もう少し俗な表現として、「ウケる要素」「売れる要素」ですらも、これこそがそうであるという絶対的なものはありません。そんなものがあれば、エンタメ業界に苦労はないのです。
もちろん、「より多くの人が『良い』『面白い』と感じる内容」と「そうでない内容」はあるでしょうし、売れるためにはそれだけでも充分だと思います。ただし、それはあくまでも、多くの主観の集合体であって、客観的・絶対的なものでないのです。
念のために書いておきますと、「作家個人が人間として嫌いなので作品も嫌い」というのは、まったく別の話です。「言を以って人を挙げず、人を以って言を廃せず」と『論語』にもあるように、良い話を書くから良い人だとは限りませんし、逆に人としておかしな作家でも、それだけで作品までまとめて切り捨てるのは早計です。
さて本日のお相手は、誰の何を読んでその作家が嫌いになったかは秘密にしておく6月でございました。女が行方不明になって男が探しに行っても見つからなかったけど何の説明もなしに女が帰って来る、という、あらすじでまとめてみてもやっぱりよく分からない話です。
次回更新までの運勢:ぷち凶。大当たりの作品に会える機会はなかなかに少ないものです。
ラッキースポット:アマゾンのオススメはかなり的確ですごいです。楽天ブックスは前に楽天ブックスで買った本をオススメしてくるボンクラです。買うわけがないでしょう、前にお宅で買ったんだから。
とても有名な作家なので、どんなものかと思って1冊読んでみたのですが、とてもつまらなかったので、この作家の本はもう読むのをやめようと思いました。
もしかすると、私の読んだ1冊だけが駄作で、ほかはすべて大傑作なのかも知れません。ですが、私の中で、もうその作家に名誉挽回の機会はありません。その作家の別の作品を読む気にはならないからです。
さて。
先日、とあるクリエイターがヒット映画を非難して大騒ぎになりました。
非難するのは別に構いません。「俺はこれが嫌い」と言うのは自由です。そんな事も言えない環境の方がよほど不健全でしょう。
問題は、件のクリエイターによる非難が、映画そのものに客観的な欠点があるように論じた事にあります。
「良い」や「面白い」といった評価は、最終的には主観によってしか論じる事のできないものです。「良い」「面白い」と感じるのはあくまで、個々の人間だからです。ですから、多くの人が支持している(あるいは支持していない)という状態も、一つの指標に過ぎません。冒頭に書きましたように、多くのファンがいる有名な作家でも、私にとっては「つまらない作家」なのです。ここで言う「つまらない」は、もちろん私の主観ですので、正確には「私がつまらないと感じた作家」であり、「嫌いな作家」は「私がつまらないと感じたので私が嫌いな作家」となります。
「俺はこれが嫌い」ならば、どこが・なぜ嫌いなのかを明瞭にすれば済むのであって、そこに客観的な「良さ」や「面白さ」があるかないかと論じるのは、おかしな事です。プラトンのイデア論のように、純粋な「良さのイデア」「面白さのイデア」は、実体としてつかめるものではありません。もう少し俗な表現として、「ウケる要素」「売れる要素」ですらも、これこそがそうであるという絶対的なものはありません。そんなものがあれば、エンタメ業界に苦労はないのです。
もちろん、「より多くの人が『良い』『面白い』と感じる内容」と「そうでない内容」はあるでしょうし、売れるためにはそれだけでも充分だと思います。ただし、それはあくまでも、多くの主観の集合体であって、客観的・絶対的なものでないのです。
念のために書いておきますと、「作家個人が人間として嫌いなので作品も嫌い」というのは、まったく別の話です。「言を以って人を挙げず、人を以って言を廃せず」と『論語』にもあるように、良い話を書くから良い人だとは限りませんし、逆に人としておかしな作家でも、それだけで作品までまとめて切り捨てるのは早計です。
さて本日のお相手は、誰の何を読んでその作家が嫌いになったかは秘密にしておく6月でございました。女が行方不明になって男が探しに行っても見つからなかったけど何の説明もなしに女が帰って来る、という、あらすじでまとめてみてもやっぱりよく分からない話です。
次回更新までの運勢:ぷち凶。大当たりの作品に会える機会はなかなかに少ないものです。
ラッキースポット:アマゾンのオススメはかなり的確ですごいです。楽天ブックスは前に楽天ブックスで買った本をオススメしてくるボンクラです。買うわけがないでしょう、前にお宅で買ったんだから。