社会
2017年02月07日
ビンボーの夜明け
ラジオ番組で占い師さんが、金運についてひとくさり話したあと、「金持ちはみんな占いを信じています。占いを信じないのは貧乏人です」と言っていました。
この発言の検証方法を書いておこうと思います。
ギロビッチが提唱した「2×2分割表」は、2つの事象の関連の有無を調べるための優れた方法です。
事象Aと事象Bの関連の有無を調べるには、
[1]事象Aと事象Bが共に成り立っている
[2]事象Aは成り立っているが事象Bは成り立っていない
[3]事象Aは成り立っていないが事象Bは成り立っている
[4]事象Aと事象Bが共に成り立っていない
の4種類のパターンで、どの程度の偏りが現れるかを見れば良い、というものです。
前掲の占い師さんの発言に当てはめた場合、
[1]占いを信じている金持ち
[2]占いを信じている貧乏人
[3]占いを信じていない金持ち
[4]占いを信じていない貧乏人
の4パターンに人を分類すると、[1]と[4]が多く、[2]と[3]は少なくなるはずです。
[1][2]が多く[3][4]が少ないのであれば、金銭とは関係なく占いを信じている人が多い、という結論になりますし、[1][3]が少なく[2][4]が多いのであれば、占いとは関係なく金持ちより貧乏人の方が多い、という結論になります。
もちろん母集団、つまりどこの誰をこの分類に当てはめるのかも重要ですし、「占いを信じている/いない」「金持ち/貧乏人」の定義と区分にも厳密さが求められます。
件の占い師さんはここまで検証した上で「金持ちはみんな占いを信じています。占いを信じないのは貧乏人です」と発言したのでしょうか。
ここから先は意地悪な想像です。
ラジオに出演するくらい有名な占い師であれば、[1]のパターンの人と接触する機会は多いのではないでしょうか。占いを信じている人は占い師への接触頻度が高いでしょうし、有名な占い師であれば客層は金持ちに偏る事が予想されます。もし、その個人的な体験を元に[1]が多いと言っているのであれば、それは元にしたデータが偏っているからだと言えます。
[4]が多いという発言についても、「占いを信じないから貧乏なんだよ」という発想が生み出した虚像である可能性があります。
[2][3]についても「少数の例外」として軽視あるいは無視している可能性があります。
もう一つ。件の占い師さんは「トランプ大統領の当選を予言していた」とも言っていました。
この発言自体は事実なのかもしれません。しかし、それ以外の当たった事例と外れた事例については、彼はまったく発言していませんでした。
例えば韓国の朴政権の混乱を彼は予言していたのでしょうか。ほかにも世界にはたくさんの国がありますが、それらについて彼はどんな予言をし、その予言はどの程度の精度で当たっていたのでしょうか。
たった一つの予言が当たっただけでは、それが単なる偶然である可能性を否定できないのです。
さて本日のお相手は、[4]に当てはまる6月でございました。
次回更新までの運勢:吉。これから起きるすべての良い事は、この占いが当たった証拠です。
この発言の検証方法を書いておこうと思います。
ギロビッチが提唱した「2×2分割表」は、2つの事象の関連の有無を調べるための優れた方法です。
事象Aと事象Bの関連の有無を調べるには、
[1]事象Aと事象Bが共に成り立っている
[2]事象Aは成り立っているが事象Bは成り立っていない
[3]事象Aは成り立っていないが事象Bは成り立っている
[4]事象Aと事象Bが共に成り立っていない
の4種類のパターンで、どの程度の偏りが現れるかを見れば良い、というものです。
前掲の占い師さんの発言に当てはめた場合、
[1]占いを信じている金持ち
[2]占いを信じている貧乏人
[3]占いを信じていない金持ち
[4]占いを信じていない貧乏人
の4パターンに人を分類すると、[1]と[4]が多く、[2]と[3]は少なくなるはずです。
[1][2]が多く[3][4]が少ないのであれば、金銭とは関係なく占いを信じている人が多い、という結論になりますし、[1][3]が少なく[2][4]が多いのであれば、占いとは関係なく金持ちより貧乏人の方が多い、という結論になります。
もちろん母集団、つまりどこの誰をこの分類に当てはめるのかも重要ですし、「占いを信じている/いない」「金持ち/貧乏人」の定義と区分にも厳密さが求められます。
件の占い師さんはここまで検証した上で「金持ちはみんな占いを信じています。占いを信じないのは貧乏人です」と発言したのでしょうか。
ここから先は意地悪な想像です。
ラジオに出演するくらい有名な占い師であれば、[1]のパターンの人と接触する機会は多いのではないでしょうか。占いを信じている人は占い師への接触頻度が高いでしょうし、有名な占い師であれば客層は金持ちに偏る事が予想されます。もし、その個人的な体験を元に[1]が多いと言っているのであれば、それは元にしたデータが偏っているからだと言えます。
[4]が多いという発言についても、「占いを信じないから貧乏なんだよ」という発想が生み出した虚像である可能性があります。
[2][3]についても「少数の例外」として軽視あるいは無視している可能性があります。
もう一つ。件の占い師さんは「トランプ大統領の当選を予言していた」とも言っていました。
この発言自体は事実なのかもしれません。しかし、それ以外の当たった事例と外れた事例については、彼はまったく発言していませんでした。
例えば韓国の朴政権の混乱を彼は予言していたのでしょうか。ほかにも世界にはたくさんの国がありますが、それらについて彼はどんな予言をし、その予言はどの程度の精度で当たっていたのでしょうか。
たった一つの予言が当たっただけでは、それが単なる偶然である可能性を否定できないのです。
さて本日のお相手は、[4]に当てはまる6月でございました。
次回更新までの運勢:吉。これから起きるすべての良い事は、この占いが当たった証拠です。
2016年10月23日
I hate say "I hate."
嫌いな作家がいます。
とても有名な作家なので、どんなものかと思って1冊読んでみたのですが、とてもつまらなかったので、この作家の本はもう読むのをやめようと思いました。
もしかすると、私の読んだ1冊だけが駄作で、ほかはすべて大傑作なのかも知れません。ですが、私の中で、もうその作家に名誉挽回の機会はありません。その作家の別の作品を読む気にはならないからです。
さて。
先日、とあるクリエイターがヒット映画を非難して大騒ぎになりました。
非難するのは別に構いません。「俺はこれが嫌い」と言うのは自由です。そんな事も言えない環境の方がよほど不健全でしょう。
問題は、件のクリエイターによる非難が、映画そのものに客観的な欠点があるように論じた事にあります。
「良い」や「面白い」といった評価は、最終的には主観によってしか論じる事のできないものです。「良い」「面白い」と感じるのはあくまで、個々の人間だからです。ですから、多くの人が支持している(あるいは支持していない)という状態も、一つの指標に過ぎません。冒頭に書きましたように、多くのファンがいる有名な作家でも、私にとっては「つまらない作家」なのです。ここで言う「つまらない」は、もちろん私の主観ですので、正確には「私がつまらないと感じた作家」であり、「嫌いな作家」は「私がつまらないと感じたので私が嫌いな作家」となります。
「俺はこれが嫌い」ならば、どこが・なぜ嫌いなのかを明瞭にすれば済むのであって、そこに客観的な「良さ」や「面白さ」があるかないかと論じるのは、おかしな事です。プラトンのイデア論のように、純粋な「良さのイデア」「面白さのイデア」は、実体としてつかめるものではありません。もう少し俗な表現として、「ウケる要素」「売れる要素」ですらも、これこそがそうであるという絶対的なものはありません。そんなものがあれば、エンタメ業界に苦労はないのです。
もちろん、「より多くの人が『良い』『面白い』と感じる内容」と「そうでない内容」はあるでしょうし、売れるためにはそれだけでも充分だと思います。ただし、それはあくまでも、多くの主観の集合体であって、客観的・絶対的なものでないのです。
念のために書いておきますと、「作家個人が人間として嫌いなので作品も嫌い」というのは、まったく別の話です。「言を以って人を挙げず、人を以って言を廃せず」と『論語』にもあるように、良い話を書くから良い人だとは限りませんし、逆に人としておかしな作家でも、それだけで作品までまとめて切り捨てるのは早計です。
さて本日のお相手は、誰の何を読んでその作家が嫌いになったかは秘密にしておく6月でございました。女が行方不明になって男が探しに行っても見つからなかったけど何の説明もなしに女が帰って来る、という、あらすじでまとめてみてもやっぱりよく分からない話です。
次回更新までの運勢:ぷち凶。大当たりの作品に会える機会はなかなかに少ないものです。
ラッキースポット:アマゾンのオススメはかなり的確ですごいです。楽天ブックスは前に楽天ブックスで買った本をオススメしてくるボンクラです。買うわけがないでしょう、前にお宅で買ったんだから。
とても有名な作家なので、どんなものかと思って1冊読んでみたのですが、とてもつまらなかったので、この作家の本はもう読むのをやめようと思いました。
もしかすると、私の読んだ1冊だけが駄作で、ほかはすべて大傑作なのかも知れません。ですが、私の中で、もうその作家に名誉挽回の機会はありません。その作家の別の作品を読む気にはならないからです。
さて。
先日、とあるクリエイターがヒット映画を非難して大騒ぎになりました。
非難するのは別に構いません。「俺はこれが嫌い」と言うのは自由です。そんな事も言えない環境の方がよほど不健全でしょう。
問題は、件のクリエイターによる非難が、映画そのものに客観的な欠点があるように論じた事にあります。
「良い」や「面白い」といった評価は、最終的には主観によってしか論じる事のできないものです。「良い」「面白い」と感じるのはあくまで、個々の人間だからです。ですから、多くの人が支持している(あるいは支持していない)という状態も、一つの指標に過ぎません。冒頭に書きましたように、多くのファンがいる有名な作家でも、私にとっては「つまらない作家」なのです。ここで言う「つまらない」は、もちろん私の主観ですので、正確には「私がつまらないと感じた作家」であり、「嫌いな作家」は「私がつまらないと感じたので私が嫌いな作家」となります。
「俺はこれが嫌い」ならば、どこが・なぜ嫌いなのかを明瞭にすれば済むのであって、そこに客観的な「良さ」や「面白さ」があるかないかと論じるのは、おかしな事です。プラトンのイデア論のように、純粋な「良さのイデア」「面白さのイデア」は、実体としてつかめるものではありません。もう少し俗な表現として、「ウケる要素」「売れる要素」ですらも、これこそがそうであるという絶対的なものはありません。そんなものがあれば、エンタメ業界に苦労はないのです。
もちろん、「より多くの人が『良い』『面白い』と感じる内容」と「そうでない内容」はあるでしょうし、売れるためにはそれだけでも充分だと思います。ただし、それはあくまでも、多くの主観の集合体であって、客観的・絶対的なものでないのです。
念のために書いておきますと、「作家個人が人間として嫌いなので作品も嫌い」というのは、まったく別の話です。「言を以って人を挙げず、人を以って言を廃せず」と『論語』にもあるように、良い話を書くから良い人だとは限りませんし、逆に人としておかしな作家でも、それだけで作品までまとめて切り捨てるのは早計です。
さて本日のお相手は、誰の何を読んでその作家が嫌いになったかは秘密にしておく6月でございました。女が行方不明になって男が探しに行っても見つからなかったけど何の説明もなしに女が帰って来る、という、あらすじでまとめてみてもやっぱりよく分からない話です。
次回更新までの運勢:ぷち凶。大当たりの作品に会える機会はなかなかに少ないものです。
ラッキースポット:アマゾンのオススメはかなり的確ですごいです。楽天ブックスは前に楽天ブックスで買った本をオススメしてくるボンクラです。買うわけがないでしょう、前にお宅で買ったんだから。
2016年07月06日
痾
『ジャイアントロボ THE ANIMATION 〜地球が静止する日〜』のおしキャラは双鞭の呼炎灼。
『To Heart』のおしキャラは来栖川芹香。
というネタを思いつきました。ダブルミーニング。
さて本日のお相手は、最近は喫煙シーンの規制でシャーロック・ホームズがパイプをくわえなくなったり(NHKの人形劇では学生という設定を踏まえてピロピロ笛でしたね)、葉巻がトレードマークの刑事コロンボが放送を規制されたりしているそうで、面倒な時代だなと思う6月でございました。
ホームズの『唇のねじれた男』は放送禁止用語の職業がキーポイントなので、放送に乗せるのは難しいかもしれません。
次回更新までの運勢:放送禁止用語が入っている昔の歌はけっこうあるので、当時は放送禁止用語でなかったのだと思います。
アンラッキーソング:
青島幸男『意地悪ばあさんのうた』
♪へへ ここらでチョイと ツンボになっちゃおう 全然聞こえません
笠置シヅ子『買い物ブギ』
♪わしゃ ツンボで 聞こえまへん
♪これまたメクラで見えません
クレージーキャッツ『無責任一代男』
♪居眠りしながらメクラ判
『To Heart』のおしキャラは来栖川芹香。
というネタを思いつきました。ダブルミーニング。
さて本日のお相手は、最近は喫煙シーンの規制でシャーロック・ホームズがパイプをくわえなくなったり(NHKの人形劇では学生という設定を踏まえてピロピロ笛でしたね)、葉巻がトレードマークの刑事コロンボが放送を規制されたりしているそうで、面倒な時代だなと思う6月でございました。
ホームズの『唇のねじれた男』は放送禁止用語の職業がキーポイントなので、放送に乗せるのは難しいかもしれません。
次回更新までの運勢:放送禁止用語が入っている昔の歌はけっこうあるので、当時は放送禁止用語でなかったのだと思います。
アンラッキーソング:
青島幸男『意地悪ばあさんのうた』
♪へへ ここらでチョイと ツンボになっちゃおう 全然聞こえません
笠置シヅ子『買い物ブギ』
♪わしゃ ツンボで 聞こえまへん
♪これまたメクラで見えません
クレージーキャッツ『無責任一代男』
♪居眠りしながらメクラ判
2015年08月02日
ロ・ロ・ロ・ロシアンソー連っと
テレビでストラヴィンスキーの特集を見ておりましたところ、「彼はロシアの音楽家でソ連時代は」云々と説明されておりました。
さて、ソ連時代にストラヴィンスキーは「ソ連の音楽家」として紹介されていたのか、というのが本日の記事のきっかけです。
ソ連時代、ロシア語はソ連語と呼ばれていたのでしょうか。あの国がソ連になる前に書かれたロシア文学もソ連文学と呼ばれていたのでしょうか。一部のプロレタリア文学ならソ連文学という名も似つかわしいかもしれません。
国の名前というのは厄介なもので、「鯢戦争」の回で名を出しましたカレル・チャペック、彼は「チェコの作家」と言われる事が多いですが、あの地域も国名がコロコロ変わるので面倒です。チェコ・スロバキアがあった時代、チャペックはチェコ・スロバキアの作家として紹介されていたのかどうか。
変わるどころか消えてしまった国もあります。ポーランド分割でポーランドという国が「無くなった」時、ポーランド出身の先人たちはどこの国の人として扱われる事になったのでしょうか。
あるいは日本が朝鮮半島や台湾を領土としていた一時期、日本一高い山は富士山ではなく台湾の新高山(玉山)だったわけですが、その他の文物も「日本のもの」になっていたのかどうか。
反対に名前だけが変わらなくても、例えばアレキサンダー大王の時代のマケドニアと現代のマケドニアはもはや別の国です。
さて本日のお相手は、アンブロワーズ・ビアス『悪魔の辞典』で好きな項目は「【大砲】(CANNON):国境線を引き直す道具」の6月でございました。
次回更新までの運勢:凶。疑問を思いついても調べない方針で今回の記事を書きました。
ラッキーパーソン:その次代を知っている人に聞くのが手っ取り早いかと思います。
さて、ソ連時代にストラヴィンスキーは「ソ連の音楽家」として紹介されていたのか、というのが本日の記事のきっかけです。
ソ連時代、ロシア語はソ連語と呼ばれていたのでしょうか。あの国がソ連になる前に書かれたロシア文学もソ連文学と呼ばれていたのでしょうか。一部のプロレタリア文学ならソ連文学という名も似つかわしいかもしれません。
国の名前というのは厄介なもので、「鯢戦争」の回で名を出しましたカレル・チャペック、彼は「チェコの作家」と言われる事が多いですが、あの地域も国名がコロコロ変わるので面倒です。チェコ・スロバキアがあった時代、チャペックはチェコ・スロバキアの作家として紹介されていたのかどうか。
変わるどころか消えてしまった国もあります。ポーランド分割でポーランドという国が「無くなった」時、ポーランド出身の先人たちはどこの国の人として扱われる事になったのでしょうか。
あるいは日本が朝鮮半島や台湾を領土としていた一時期、日本一高い山は富士山ではなく台湾の新高山(玉山)だったわけですが、その他の文物も「日本のもの」になっていたのかどうか。
反対に名前だけが変わらなくても、例えばアレキサンダー大王の時代のマケドニアと現代のマケドニアはもはや別の国です。
さて本日のお相手は、アンブロワーズ・ビアス『悪魔の辞典』で好きな項目は「【大砲】(CANNON):国境線を引き直す道具」の6月でございました。
次回更新までの運勢:凶。疑問を思いついても調べない方針で今回の記事を書きました。
ラッキーパーソン:その次代を知っている人に聞くのが手っ取り早いかと思います。
2011年11月25日
バクゼン。
「児童教育には絵本が良い。テレビやゲームやネットやケータイはけしからん」というよくある論調の本を目にしまして、私も若いお母さんが赤ちゃんを抱きながら意識は完全に携帯に没入している光景を見るとあれはどうかと思う口なのですが、その本には明らかにおかしい記述がありました。
↓↓ここから↓↓
ゲームやケータイ・ネットにひたっていると、脳のなかでバーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界と現実の区別がつかなくなる。最近の小学生のなかには、人は死んでもどこかで生き返ると思っている子が、10数%から40%もいると、各種報告書は記している。
↑↑ここまで↑↑
1.幅が広すぎる
10数%と40%では差がありすぎます。もはや別の結果、あるいは「4倍」と見れば対立する結果とさえ言えます。
2.元にしたデータが分からない
「最近」とはいつからいつまでを指しているのか、「各種報告書」とは誰がどう調べた何という報告なのか、といった事が何一つ書いてありません。
3.「昔より増えた」のか?
1と2で見たとおり、「今」「どれくらい」いるのかが判然としないので「昔」「増えた」もどう定義していいか分からないのですが、その上でもなお「昔はもっと少なかった」というデータが出ていません。
「昔」も似たようなものだったかもしれないのです。
4.本当にバーチャル・リアリティだけが原因なのか?
3で見たとおり、「昔」「今」がいつを指しているのか分からないのですが、とかく槍玉に挙げられるゲームの代名詞ファミコンが発売されたのはもう30年近く前の1983年です。パソコンのウィンドウズ95でさえ16年前。
10年以上前から変化したのはバーチャル・リアリティ環境だけではありません。
バーチャル・リアリティだけに責任を押し付けてはいけないのです。
5.絵本の世界なら現実と区別がつかなくなっても良いのか?
触れているうちに「バーチャル・リアリティ(仮想現実)の 世界と現実の区別がつかなくなる」のは「ゲームやケータイ・ネット」だけでしょうか?
絵本でピーターパンか西遊記を読んで自分も空を飛べると思いこんでしまう子供がいたら、その子は彼らをまねしてベランダから飛び降りてしまうかもしれません。
あるいは桃太郎になりきって、鬼だと思った相手を殺してしまうかもしれません。
何しろ絵本の世界と「現実の区別がつかなくな」っているのですから同等に危険なはずです。
「ゲームやケータイ・ネット」とひとくくりにしているのも疑問です。
ゲームと違ってケータイやネットは現実と地続きの面もあります。
架空が悪いならケータイやネットより桃太郎の方が架空の世界ですし、現実が悪いならゲームの世界は架空です。
両者の間の、現実でないのに現実のふりをしている「仮想現実」という立場が良くないなら、実在しないサンタクロースなる人物がさも実在するかのように話す事も禁じなければなりません。
これに「夢を壊す」と言う人は子供に仮想現実を植え付ける犯罪者です。
最後に、この本にこそ出てきませんでしたがこういう話でよく出る主張を見てみたいと思います。
「ゲームの登場人物は死んでもボタンを押せば生き返る」
実際にゲームをやった事が明らかにない人の主張です。
私には心当たりがないのですが、「登場キャラを好きなように殺したり生き返らせたりできる」というシステムで遊べるのはどこから出ている何というタイトルのゲームなのでしょうか?
確かにマリオなら最終的に1-1に引き戻されるだけで繰り返し冒険ができますし、DQ1の勇者も「おおゆうしゃよ、しんでしまうとはなさけない」と王様に怒られますが一応は生き返ります。
しかし、主にRPGで、登場人物がゲーム内で死亡し最後まで生き返らない、という展開のシナリオは珍しくも何ともありません。
特にFF5のガラフなど、フェニックスの尾を使ってもエリクサーを使っても生き返りませんでした。
ゲームによっても死が永遠の別れだと伝える事はできます。
「最近の子供は生き物が死んでも電池を入れかえれば動くと思っている」
これは今に限った話なのでしょうか?
ゼンマイで動くおもちゃの時代に「生き物が死んでもゼンマイを巻けば動くと思っている」子供はいなかったのでしょうか?
さて本日のお相手は、死をテーマにした絵本では『わすれられないおくりもの』が好きな6月でございました。


次回更新までの運勢:凶。
死ぬ話では宮沢賢治『よだかの星』もかなり泣けた記憶があったのですが、読み直してみたらそれほどでもありませんでした。
とことん嫌われる場面が見所。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card473.html
ラッキースポット:青空
ラッキーアイテム:文庫
↓↓ここから↓↓
ゲームやケータイ・ネットにひたっていると、脳のなかでバーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界と現実の区別がつかなくなる。最近の小学生のなかには、人は死んでもどこかで生き返ると思っている子が、10数%から40%もいると、各種報告書は記している。
↑↑ここまで↑↑
1.幅が広すぎる
10数%と40%では差がありすぎます。もはや別の結果、あるいは「4倍」と見れば対立する結果とさえ言えます。
2.元にしたデータが分からない
「最近」とはいつからいつまでを指しているのか、「各種報告書」とは誰がどう調べた何という報告なのか、といった事が何一つ書いてありません。
3.「昔より増えた」のか?
1と2で見たとおり、「今」「どれくらい」いるのかが判然としないので「昔」「増えた」もどう定義していいか分からないのですが、その上でもなお「昔はもっと少なかった」というデータが出ていません。
「昔」も似たようなものだったかもしれないのです。
4.本当にバーチャル・リアリティだけが原因なのか?
3で見たとおり、「昔」「今」がいつを指しているのか分からないのですが、とかく槍玉に挙げられるゲームの代名詞ファミコンが発売されたのはもう30年近く前の1983年です。パソコンのウィンドウズ95でさえ16年前。
10年以上前から変化したのはバーチャル・リアリティ環境だけではありません。
バーチャル・リアリティだけに責任を押し付けてはいけないのです。
5.絵本の世界なら現実と区別がつかなくなっても良いのか?
触れているうちに「バーチャル・リアリティ(仮想現実)の 世界と現実の区別がつかなくなる」のは「ゲームやケータイ・ネット」だけでしょうか?
絵本でピーターパンか西遊記を読んで自分も空を飛べると思いこんでしまう子供がいたら、その子は彼らをまねしてベランダから飛び降りてしまうかもしれません。
あるいは桃太郎になりきって、鬼だと思った相手を殺してしまうかもしれません。
何しろ絵本の世界と「現実の区別がつかなくな」っているのですから同等に危険なはずです。
「ゲームやケータイ・ネット」とひとくくりにしているのも疑問です。
ゲームと違ってケータイやネットは現実と地続きの面もあります。
架空が悪いならケータイやネットより桃太郎の方が架空の世界ですし、現実が悪いならゲームの世界は架空です。
両者の間の、現実でないのに現実のふりをしている「仮想現実」という立場が良くないなら、実在しないサンタクロースなる人物がさも実在するかのように話す事も禁じなければなりません。
これに「夢を壊す」と言う人は子供に仮想現実を植え付ける犯罪者です。
最後に、この本にこそ出てきませんでしたがこういう話でよく出る主張を見てみたいと思います。
「ゲームの登場人物は死んでもボタンを押せば生き返る」
実際にゲームをやった事が明らかにない人の主張です。
私には心当たりがないのですが、「登場キャラを好きなように殺したり生き返らせたりできる」というシステムで遊べるのはどこから出ている何というタイトルのゲームなのでしょうか?
確かにマリオなら最終的に1-1に引き戻されるだけで繰り返し冒険ができますし、DQ1の勇者も「おおゆうしゃよ、しんでしまうとはなさけない」と王様に怒られますが一応は生き返ります。
しかし、主にRPGで、登場人物がゲーム内で死亡し最後まで生き返らない、という展開のシナリオは珍しくも何ともありません。
特にFF5のガラフなど、フェニックスの尾を使ってもエリクサーを使っても生き返りませんでした。
ゲームによっても死が永遠の別れだと伝える事はできます。
「最近の子供は生き物が死んでも電池を入れかえれば動くと思っている」
これは今に限った話なのでしょうか?
ゼンマイで動くおもちゃの時代に「生き物が死んでもゼンマイを巻けば動くと思っている」子供はいなかったのでしょうか?
さて本日のお相手は、死をテーマにした絵本では『わすれられないおくりもの』が好きな6月でございました。
次回更新までの運勢:凶。
死ぬ話では宮沢賢治『よだかの星』もかなり泣けた記憶があったのですが、読み直してみたらそれほどでもありませんでした。
とことん嫌われる場面が見所。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card473.html
ラッキースポット:青空
ラッキーアイテム:文庫