一旦、宿「東横IN 五条烏丸」に戻り、自宅に電話。
 ダンナはんと、ひなぼーさんは、日中は、昼寝しているうちに、夕方になってしまったという、のんびりな休日を過ごした模様であった。
 「アンタ、こんな時間から宿にいるの?」と、ダンナはん。
 「だって…あんまりそそられる飲み屋が宿の近くで見当たらなかったんだもん…」
 「えー!? せっかく旅先の夜を、そんなせまここしいシングルの部屋で過ごすなんてもったいないよ〜。宿の近くにないんなら、地下鉄で四条に出て、店探せばいいじゃん」
 その、せまここしいホテルに、勝手に申し込んで人を押し込んだのはアンタだろ! と、思ったが、確かに、無機質なビジネスホテルの1室でゴロゴロしているのも虚しい。

 キーをフロントに預けて、とりあえず、宿を出た。

 出たものの、やっぱり、地下鉄に乗ってまで飲みにいくのもなぁ…と、烏丸通りを歩きつつ、逡巡していると、万寿寺通りにひょいと入った先に、なんとなく、品のある、お寿司屋さんの看板が見えた。
 「寿し 喝菜」とある。

 暖簾の向こうの、少し紗の入った雰囲気のガラス戸の向こうには、カウンター席のみ。

 池波正太郎先生の食エッセイには、「初めての寿司屋に入る時には、ガラス戸から、ちょいと覗いてみて、カウンター席の他に、テーブル席があるなら、まぁ、そこそこな値段で飲み食いできる寿司屋だから、安心して、テーブル席に着くといい。カウンター席だけだと、ちょいと高級な寿司屋である場合が多い」というような内容が書いたあったような記憶が…。

 しかし、なんとなく、本当に直感でしかないけれど、雰囲気の良さに、惹かれる。
 万が一、一見さんお断りとかならば、不調法を詫びて、出てくればいいや…。

 ええい、ままよ!

 ガラスの引き戸をガラリと開ける。

 厨房には、一見して、温和そうで、人柄の良さげな板前兼店主と思われる男性と、そのおかみさんであろう、美人な女性。
 それから、カウンター席には、手前に夫婦らしき2人客と、奥には、垢抜けて、世慣れた雰囲気の2人の中年男性客の2組がいた。

 カウンター席は、10席ほど。

 「おこしやす」と、店主らしき男性が言った。

 「あの、1人なんですけど、いいですか?」と、私が言うと、「はい。大丈夫ですよ。どうぞ、お好きな席に」と、言われて、ホッとする。

 しかし、新参者、しかも、関東弁バリバリの、一応、女1人客の私…。

 明らかに、この店では、珍奇な客であろう。

 とにかく、おとなしく、控えめに、無口に。
 しかし、悪戯に、物怖じはせず。
 郷に入らば、郷に従えの精神で、静かに飲み食いすることを、心に決めた。

 「お飲み物は、何にしましょう?」と、おかみさんらしき女性に尋ねられる。
 「何がありますか?」
 「ええと、ビールに、日本酒、焼酎、ウイスキー、ワイン、それからソフトドリンクにウーロン茶とかありますけど…?」
 「それじゃあ、日本酒、お願いします。冷酒で」
 「はい」

 日本酒を待つ間、奥に座った世慣れた男性2人組と、店主の冗談交じりのやりとりを聞きながら、金額の書かれていない、メニューの札を見て、ちょっとだけ、ビビる。

 いやいやいや。
 確かに高い店なんだろうけど、せっかくの旅先。
 おいしいものをフンパツして食べに来たと思えば、何とかなるだよ…と、自分に言い聞かせる。

 やがて、日本酒と突き出しが出てくる。
 突き出しは、あんきも。それから、酢イカ。
 日本酒は、涼しげな透明なガラス器の急須状の徳利(?)で、ちゃんと最後まで、お酒が冷えたままであるように、細かく砕かれた氷が入る箇所まである。
 それに合わせた、ガラスのお猪口。

 あんきもも、酢イカも、とても新鮮で、美味。
 器の品のよさに、この店の料理やお酒に対する気配りみたいなものが、ど素人ながらも、伺えて、ホッとする。

 店主や、お客のやりとりを聞いていても、気さくでいながらも、品の良さが感じられる。

 世慣れた男性2人組も、夫婦もののご主人の方も、「先生」と呼ばれていた。

 後で、話の流れを聞いてみれば、偶然にも、この2組は、専門は違うけれども、開業医をなさっているお医者さんの客人であった。

 まもなく、世慣れた風の男性2人組客が、帰っていき、私と、夫婦者の2組の客が残る。

 「お客さんは、ご旅行ですか?」と、店主。
 「あ。はい。東京から来ました」
 「やっぱりねぇ、分かりましたよ、言葉がやっぱり関東の人だから、品がいいよねぇ」と、夫婦客のご主人が一言。
 「いや、東京って言っても、ほとんど神奈川みたいな東京の外れなので…」
 「ああ、それなら、M市ですか? ボクの叔父がそこに住んでるんですよ」と、店主。
 「そーなんですか」
 「それにしても、女性1人で、初めての店に飛び込むのって、勇気いったでしょう?」
 「あ。は、はい。なんか高級そうだなぁ…とは思ったんですけど、せっかく京都まで来たから、たまには贅沢して、おいしいものを食べてみようかと…」
 「ああ。それなら、この店は正解ですよ」と、夫婦者のご主人。
 「あ。ホントですか! よかったぁ! よろしくお願いします」と、店主に頭を下げる私。
 「それじゃあ、何から召し上がりますか?」と、店主。

 そこで私は、やはり、以前読んだ、池波正太郎先生の食エッセイでを思い返す。
 「初めての寿司屋での注文は、まず、お任せで頼むが一番だ。率直に予算を言って、それに合わせた中身を頼むこと。お任せとなれば、職人も腕の見せ所で張り切るし、予算がはっきりしていれば、プロならば、それなりの配慮をしてくれるはずだ」というような内容を語っていらしたような…記憶が…。

 「ええと…それじゃあ、お任せで…」
 「じゃあ、コースメニューみたいな感じでよろしいですか?」
 「あ、はい、お願いします」

 おお。ミステイク。
 予算をはっきり言わなかったな。
 しかし、そもそも、回らない寿司屋の相場をよく知らないからなぁ…。
 な、なんとか余分に持ってきているから、何とかはなるだろう…。
 幸い、明日も平日だから、銀行で足りなくなったら下ろせばいいし…。

 そう、腹を決めた。

 私の冷酒も進んできて、本日周った、寺社の話やら、人力車の話をしたりして、座が盛り上がる。
 ダンナはんが、1歳児のひなぼーを預かってくれて、1泊2日の旅に出るという話になって、店のおかみさんや、夫婦者のお客さんの奥さんが、ウチのダンナはんを褒め称える。
 そして、お客さんの奥さんも、近々、ハワイに行くという話になって、その話でも盛り上がる。

 そんな中、じゃがいもを裏ごししたという、絶妙な汁物が出され、舌鼓。
 焼き魚も、普段は、敬遠しがちな私だが、とてもおいしくいただく。

 そんなおいしいものをいただきながら、話の流れの中で、この店は、つい最近、昨年10月にOPENしたばかりだと聴く。

 お客さんの筋もいいのは、きっと、ここの店主と、おかみさんの人徳なんだろうなぁ…。

 やがて、夫婦者のお客さんも引けて、ついに、私だけになる。

 いよいよ、お寿司である。
 初めて、京寿司というものを食べた。
 関東の江戸前寿司と違った、おいしさがある。
 店主によると、江戸前と違って、御飯にお酢だけではなく、ほんのりと味がついていて、ちょっと甘めの味わい。
 「関西の方では、やっぱり、押し寿司とかが主流ですから、どうしても、御飯にもしっかり味がついてないと、落ち着かんのでしょうなぁ」と、店主。
 …こういう、お寿司の味わいがあるのか…。
 それから、江戸前寿司にはない、アイナメ(京では別名で呼ばれているのだが、名前を失念)の握り寿司も美味だった。
 それから、旬のものとして、筍の握り寿司というものも、初めて食べた。
 江戸前寿司でも、お馴染のネタも、おいしい。
 何よりも、新鮮なのだ、魚介類が。

 そして、食事もひと段落着く頃に、店主から、名刺を頂戴した。
 この店の店主は、あとでネット調べてみたら、京のとある有名割烹で十数年仕事してきて、独立された方なのだそうだ。

 むむぅ。道理で、本格的だと思った…。

 そして、もう1枚、名刺を頂戴する。
 東京・西浅草は合羽橋道具街の近くで、店主の弟弟子さんが、京寿司の店を開いているそうだ。
 「すし468」というお店だそうで、「もし、浅草方面に行かれる場合には、よかったら、行ってやって下さい。ウチの弟弟子に、『京都で、ものすごくおいしい京寿司屋があるって聞いてきたんですぅ〜』てゆうてくれたら、ものすごく照れ屋なんで、カーッて耳まで真っ赤になりますから」と、店主。

 ちなみに、「468」は、「ヨーロッパ」と、読むそうな。
 若い人にも、本格的な寿司を食べて欲しいという、願いが込められているとか何とか…。

 いずれ、その弟弟子さんの店に行ってみたいものだな…と、思いつつ、私は、丁寧で親切な、店主夫妻に見送られて、宿の方へと歩いていった。

 お任せしたコースの金額は、日本酒代も含めて、1万円でお釣りがくる程度だった。
 あんなに、おいしいのに、なんて良心的な…。
 それとも、相場なの? これって?

 再び、「寿し 喝菜」も訪れたいものだが、その場合、「東横IN 五条烏丸」を利用せねばならないのかと思うと…ジレンマだなぁ…。
 「寿し 喝菜」は、夕方からしかやっていないし…。

 私の京都旅での当面の夢の宿は、憧れの「ラディソン都ホテル京都」に宿泊することなので(究極は、「俵屋旅館」に宿泊することだが、これは、夢の又夢、であろうなぁ…(-_-;))…。

 ともかく、初日の締めに相応しい、とても気持ちのいい、京寿司での一夜であった。

 これも、東寺の大日如来さまのお導き…なのか…?

 そんなことを、うつらうつらと思いつつ、宿に戻って、夕食後、ウダウダしながら、就寝…。
つづく