
2017年2月23日〜26日、恵比寿IGAOにて「ARHBK POP-UP SHOP 2017 Winter」が開催された。前回インタビューした大山康太郎とのライブペイントデュオ「DOPPEL」の片割れでもあるBAKIBAKIこと山尾光平による「ポップアップ・ショップ」形式での展示である。これは単なる「作品展」というわけではなく、「BAKIBAKI柄」が盛り込まれたさまざまなアイテムを販売するというスタイルをとっている。氏もインタビュー中で語っていたようなミュージアムショップ的感覚と、IGAOという場所柄バーやクラブ的な雰囲気も同居した空間での、「エキシビション」ではありながらもリラックスした空間が恵比寿に出現した4日間であった。
今回のインタビューでは、「ポップアップ・ショップ」というスタイルへの思い、そして氏の作品を特徴づけるオリジナル・スタイルであるところの「BAKIBAKI柄」のルーツ、今後の活動へのヴィジョンなどを縦横無尽に語っていただいた。

ARHBK POP UP SHOP @ IGAO (2017) photo by Razy
<POP UP SHOPというスタイル>
−今日は「ARHBK POP UP SHOP」、クロージングパーティーお疲れ様でした。
BAKIBAKI(以下B):お疲れ様でした。
−今回ARHBK POP UP SHOPどんな感じでしたか?2017年一発目の展示ですよね?
B:そうすね。前半はCOCONANIっていう原宿のギャラリーでやって、新規開拓というか、色んな人に見てもらえたし良かったですね。後半は恵比寿IGAOで4日間やらしていただいて、結局分かったことははおれ夜の人間やなあって(笑)。飲んで音楽聴きながらいろんな仲間と会って。
−そういうクラブに近いというか、ナイト・シーンみたいな環境においてやるっていうのは原点回帰みたいなところがありました?
B:そうやね、発見としては今回持ち込みで持ってきてもらったものに描いて。
かなりいろんな素材に描けたし、コミュニケーションとりながらその場で描くっていうのもね、いい循環やなあと思って。ただ描くっていうだけじゃなくてだれかの大事にしてるものに描くっていう。いい気づきでした。

ARHBK POPUPでの持込BAKI柄ペイント
−今回この展示「ARHBK POP UP SHOP」についてなんですが、このポップアップショップというコンセプトはどこからスタートしたものなんですか?
B:2010年に麹町画廊でARAHABAKI展てのをやったんですけど、個展をやるってのは決まってたけど、何をやろうかなということになったとき、直前にロンドンに絵描いたり旅をしに行ってて、向こうでTシャツとか絵とかを販売とかしてたんですよ。日本やとTシャツがけっこう高くて、絵とかの価値が低いんやけど、そうしたら向こうのロンドンの人にちょっと怒られたというか、もっとちゃんと高く売れよというか。Tシャツはもっと安くていいやんっていう。そこでリアルな体験として、日本と文化がぜんぜん違うなというのがあった。それで日本でやるときに、じゃあそのプロダクト展として、模様をいろんなものに落とし込んでやるという、ミュージアムショップ的な展覧会というか、そういうのがイメージとしてあって。

ARAHABAKI展@麹町画廊(2010) photo by Hajime Kato

ARHBK POP UP SHOP @ COCONANI (2017) photo by Razy
−なるほど。絵画だけではなく、他のアイテム数も多いし、パーティーのときは手に取りやすいというのもいいですよね。
B:絵っていうよりは使えるものに落とし込んだほうがいい。用の美ですね。
今年からはポップアップは半年に一回とかでやっていきたいですね。
あとはそうやなあ、露出する機会を東京でも地方でも、海外も行きたいし。去年は動かなかったからね。
−動いてないときは制作していたんですか?
B:やるときとやらへんときの差が半端なくて。年々溜め込んで瞬発的にやるスタイルになってきてる。
絵描きが本業やから絵のことで悩むこともあんねんけど、まあそういうときはDJとか、バスケとかとか。本職の絵以外はたいした事できないけど、趣味で気分転換しながら活動してますね。
<2017年のバキバキビジョン>
−じゃあ今年は動いてく感じで。今年の活動のテーマはありますか?
B:今年の前に、去年を振返ると大阪に戻っていろいろ準備してた感じですね。もともとおじいちゃんが十三っていう土地で鉄工所やってた跡地があって、そこを今借りてスタジオにしてる。それが十三光(じゅうそうこう)スタジオっていうんやけど。十三っていうのは地名で光っていうのは光興業というおじいちゃんの会社で。実はその光興業の光をもらって自分の本名が光平っていうんやけど。
十三っていうのが忌数っていうかさ、ちょっと負で。13日の金曜日とか、1と3足したら4やし、そっちのイメージが強いねんけど、それに光をかけあわせることで両極になる。ただ光ってるだけだと嘘くさいなと思って。闇が深いほど光も輝くというか。
鉄工所やから平日は超インダストリアルな音鳴ってんねんけど、日曜とかにパーティやる時はとなりのおばあちゃんに一声かけて、近隣ともうまくやりつつ音出したりとかしてる。

大阪・十三光スタジオ (2016) photo by Razy
−共存型のコミュニティというテーマ、そうした社会性を考えてる感じもありますか?
B:ほんま世間はいろんな人おるからね。長く続けてきたいしコミュニケーションをとってってのは大事かなあと。
−持続可能性というか。話はちょっと飛躍するかもしれないけど、自然信仰、八百万信仰であるとか、アニミズム、日本固有の文脈、そうしたものに関心があると話していて感じるのだけど、それらがコミュニティのあり方にヒントになっていたりもしますか?
B:「やおよろず」って八百万やんか。日本の人口が1億2千万。1億2千万割る800万で15人に1人は神様って言う持論(笑)15人に1人はリーダーがいて、村というかコミュニティになってて、ぜんぜんいいんちゃうかなって。ギリシャ神話とかでもそうだけど人間くさい感じがあるよね。もちろん仲のいい神様もいれば悪い神様もいて当然やし、それの集合体で成立するような。
―話を戻すと、東京ではなくどちらかといえば十三光をベースに、大阪中心で活動を続けると。
B:大阪を拠点に制作しつつ、京都は発表の場は多いから特にバキ柄の親和性をのばしていきたい。地元に戻ると、東京のような瞬発的な盛り上がりはないかもしれないけど、地道に積み重ねていけるようなものがあると思う。
―京都だとどんな場で活動していますか?
B:昨年末とかリッツカールトン京都のホテルのカウントダウンで、障子を屏風みたいに立てて裏から映像あてて、ショウケースでのライブペイントとかかな。時間の流れ方が独特やし、空気感も京都ならではのがやっぱあるから、それをパッケージングしてやってくとか。
残るっていう意味では京都ってのはパーティーひとつとっても続けるってことに価値を見出す文化。
それは感じる反面、京都の中だけで終わっちゃうカルチャー、なかなか外に持ち出しにくいという面もある。そういうのの橋渡しをしていきたいっていうのもありますね。

カウントダウンパーティ@リッツカールトン京都 (2016-17) photo by Relaxmax
―海外で積極的にやることは考えてますか?
B:そうやねえ、言葉の問題もあるけど、まあそれでもアジアは頻繁に行きやすいかな。一発行って終わりじゃなくてコンスタントに行きたいし、もしくは半年とか一年滞在して制作して・・・っていうのは今年できるかってのは分かれへんけど、ビジョンとしてはありますね。
―今後のビジョンをまとめるとすればどのような感じでしょう?
B:和とストリートアートみたいなのでここ数年ブランディングしてきたから、それを日本国内でやるのももちろんいいことやと思うんだけど、日本のことを日本でやるんじゃなくて、日本的なものを海外でやることによってはじめて評価されるというか。そういう意味で今年は海外でそういう機会を作って、パワーアップして日本でできるようにもしたい。
<ARHBK/BAKIBAKI>
−先ほどアニミズムとか八百万信仰の話が出ましたけど、モンモン(大山康太郎)に話を聞いたときもそうだけど、ドッペルは2人とも、土着的なものからポップカルチャーまで日本的なものに影響を受けて、その文脈というのを強く意識している印象を受けますね。その流れで、「アラハバキ」という名前についてのルーツというか、そのあたりを聞かせてもらえますか。
B:「アラハバキ」っていうのは縄文時代の遮光器土偶の名前といわれいて、ドッペルもそうなんやけど、「真・女神転生」っていうゲームの悪魔の名前からとってん。いろんな国や宗教の悪魔や神様が交渉して仲間になったり。こっちの国では神様やけど違う国から見たら悪魔とかさ、そういうのを日本っていう場所で集結させて戦ったり仲間にしたり成長させたりっていう、その価値観。アラハバキというのが「器」としていろんな価値観を受け入れるような、そういうコンセプト。それはなかなか実体がないから伝えにくいねんけど。

左:真・女神転生(1992) 右:ARHBK IMAGE photo by RAZY (2007)
それと、アラハバキって秋葉原(アキハバラ)のアナグラムでもあんねんけど。アニミズムと、今のキャラクター文化ってすごくリンクする思ってる。いろんなキャラがいていいし、愛される、人気があることによってパワーを増してくキャラクターが生まれる。そういう価値観がコンセプトとしてはある。
−以前、「アニメは浮世絵に次ぐ日本の代名詞だ、だからアニメをやらなあかん」って言ってましたよね。そういうとこから、やっぱりアニメやマンガといったカルチャーはしっかりとベースにあるんですか?
B:そう。マンガ、アニメ、ゲームっていうレイヤー。ゲームってレイヤーは村上(隆)さんの時代にはあんまりなかったと思うねんけどね。子供のころはジャンプを月曜にガチ見して、悟空とか前田大尊のひとコマを翌日学校の机にソラで書くんですよ。で、チヤホヤされていい気分になる(笑)。そこがルーツでそのままライブペイントやってる感じ。あと、初めて鉛筆デッサンは幼稚園か小学校低学年の時のゾイドのゴジュラスかも。おもちゃというか、そういうとこはルーツですね。
−「バキバキ」という名前はどのように命名されたんですか?
B:もともと2001年からドッペルっていうライブペインド・デュオをやってて、その頃にはもうそのいわゆる「バキバキ模様」を描いてたんやけど。でモンモンと2人でやる時に、お互いのモチーフに名前をつけないと絵を描くときにコミュニケーションがとりにくいというのがあって。自然におれの描いてる模様を「バキバキしたやつ」ってお互い言い出して、んでモンモンの模様を「トライバル」って言ってて。「バキバキ」と「トライバル」で描こうみたいな感じで。そのころは本名の「YAMAO」で活動してたんだけど、わかりやすいし「バキバキ」をアーティスト名にしようってことになって。
ちょうどその時期おれも東京に出てきたてで、一日で会う人の量とかも多いなあみたいな、名前も覚えられへんなあみたいのがあってさ、バキバキやったら覚えやすいやろうなあとおもって。言いやすいし。
おれ器用貧乏というか、キャラも描くしいろいろやるけど、これという一本筋がないなあと悩んでる時期もあって、その時に生まれたのがあの模様。武骨で描き始めのときはガタガタやし、洗練もされてないけどなんかこれを描き続けていこうと初めて思えたモチーフ。自分で初めて絵をコントロールできた!って思った。で、当時の友達とかに電話して「できたで!」って言ったんだけど誰も無反応みたいな(笑)
でも、やり続けることで重みも増してきたり認められるようになった。やり続けれることを見つけられるかどうかってのはすごい大事っすよね。
−そのバキバキ模様のデザイン面で言うと、日本の伝統的な麻文様からの影響?
B:それを今回のインタビューではちゃんと伝えておきたくて、もともとバキ柄はなんというか、例えば漫画AKIRAに出てくる放射線状のレリーフや集中線、メカの装甲の重なりなど近未来的なイメージからインスパイアされてんけど、麻にまつわる文化にはやっぱ興味があって、それに触れるほど自然と形が寄ってったというかね。
んで北海道の友だちに「これ麻の葉模様みたいね」言われて、それで俺も意識するようになって。最初は麻から別にスタートしたわけじゃないんだけど、形が勝手に寄ってった。


一個一個は直線の集まりなんやけど、それが集まっていくことでゆるやかな植物みたいな曲線になってくというか、ハイスピードカメラで植物が育ってくみたいな映像あるけど、あれにイメージは近い。植物が芽から発芽して幹になって枝になって・・・自然界で生まれる美しいラインっていうのは、いきなりできるんじゃなくて、積み重ねてできていくもんで。バキ柄もきれいな曲線を描くために直線を描いてる。遠回りやけど積み重ねることで、自然界の花とか風景とか、それを人の力で再現するって言うのがテーマ。
形の持つ力、アイヌの模様とか、呪術的な文様って、まだ海外のアートに翻訳されてないんちゃうかと。たとえば岡本太郎的な文脈だとか、そういう部分の日本的レイヤーは自分にとって大事かな。
−今回気づいたのは、この柄って、禅の道というか、シンプルで、なんでも受け入れられる感じがありますね。コラボしやすいデザインというか。
B:主張しながら共存したいというか。
はじめのアラハバキの話に戻るけど「器」っていうか。たとえば土偶って言うのも空洞やし、器やと思ってるから。そんな感じの受け皿というか、いろんな価値観を内包するというかね。
<守・破・離>
―前回モンモンにインタビューしたときがちょうど成人の日だったので今後の世代を担う若いアーティストに向けてのメッセージを聞いたりしたのだけど、今回もそれを聞いてみたいなと思ってますがどうでしょう?
B:守る・破る・離れる。守破離(しゅ・は・り)。茶道の世界に少し触れた時に知った言葉なんだけど。「守」は、人のまねからまず入る。まねっていうのは師匠のことを守るということ。その次の段階が「破」、(師を)破る。そのあとに「離」、(師から)離れるっていう。離れたらまた守、下の世代がついてくる。
師匠てのは心の師でも良いし若い人はまねからのスタートでいいと思う。いきなりオリジナルな天才なんて居へんし、そこをいきなり目指すんじゃなくって、やり続けることによって、いろいろそぎ落とされていくところがあったり、師匠にはできない自分にしかない事も見つかると思う。途中で守で辞める人もいれば、破で辞める人もいるし、離まで行ける人はほんまに限られてると思うねんけど。それで食べようと思ったらもちろん人のまねでは食べれないと思うし、食べれてる人と同じことやっても無理やと思うし。精神性みたいなところは参考にすべきやけども、人がやってることと同じではなかなか難しい。やりつづけれることを見つけられるだけでも幸せやとは思いますね。
―本日はありがとうございました。





ARHBK POP UP photo by RAZY (2017)
(2017年2月26日収録)
インタビュー:桑原昌平
文・構成:梅田英弥