2006年06月
2006年06月18日
上棟祭
建物が棟まで上がると上棟祭(上棟式)が行われます。しかし、現在住宅の新築ではほとんど行われませんので、ここからは津八幡宮様御旅所新築工事の時の上棟祭次第を元にご説明いたします。建物にはかぶら矢など飾り付けがされ、正面に祭壇が設けられます。参列者は、まず手水で口と手をすすぎ祭壇の前に並びます。
先ず 修祓(しゅばつ) 参列者がお祓いを受けます
次に 降神の儀(こうしんのぎ)
次に 献饌(けんせん)
次に 祝詞奏上(のりとそうじょう)
次に 切麻散米の儀(きりぬささんまいのぎ)
次に 槌打の儀(つちうちのぎ)
工匠が二人棟木の上に立ち木槌をもちます。屋下に一人振幣を持ち、屋上に向かい幣を左右に振りながら振幣の唱え詞を唱えます。工匠はその詞に応じ、「オー」と応え棟木を木槌で打ちます。
振幣の唱え詞
一回目「千歳棟」(せんざいとう)
二回目「万歳棟」(ばんざいとう)
三回目「永永棟」(えいえいとう)
次に 散餅散銭の儀(さんぺいさんせんのぎ)
工匠二人が神前に進み、神職より三宝(銭・餅)を受け、表鬼門・裏鬼門に捧げます。
次に 玉串奉天(たまぐしほうてん)
参列者が玉串をささげ、二拝二拍手一拝で拝礼します
次に 撤饌(てっせん)
次に 昇神の儀(しょうしんのぎ)
直会(なおらい) 神酒拝載(しんしゅはいたい)
神酒を頂き、神饌のお下がりを頂きます
上棟祭に参加させていただいたのはこの一度きりです。式に参加してみて、前回も書きましたが、昔は建物を建てるということは大変な事業だったのだなあと思います。棟が無事上がったことの喜び、この建物がいつまでも残って欲しいという希望、地の神・山の神を始めとする神々への感謝、いま日本人が忘れつつある神仏への懼れの心、感謝の心など多くのものが感じられました。
(上棟祭の様子は、ホームページに写真が出ていますので見てください)
先ず 修祓(しゅばつ) 参列者がお祓いを受けます
次に 降神の儀(こうしんのぎ)
次に 献饌(けんせん)
次に 祝詞奏上(のりとそうじょう)
次に 切麻散米の儀(きりぬささんまいのぎ)
次に 槌打の儀(つちうちのぎ)
工匠が二人棟木の上に立ち木槌をもちます。屋下に一人振幣を持ち、屋上に向かい幣を左右に振りながら振幣の唱え詞を唱えます。工匠はその詞に応じ、「オー」と応え棟木を木槌で打ちます。
振幣の唱え詞
一回目「千歳棟」(せんざいとう)
二回目「万歳棟」(ばんざいとう)
三回目「永永棟」(えいえいとう)
次に 散餅散銭の儀(さんぺいさんせんのぎ)
工匠二人が神前に進み、神職より三宝(銭・餅)を受け、表鬼門・裏鬼門に捧げます。
次に 玉串奉天(たまぐしほうてん)
参列者が玉串をささげ、二拝二拍手一拝で拝礼します
次に 撤饌(てっせん)
次に 昇神の儀(しょうしんのぎ)
直会(なおらい) 神酒拝載(しんしゅはいたい)
神酒を頂き、神饌のお下がりを頂きます
上棟祭に参加させていただいたのはこの一度きりです。式に参加してみて、前回も書きましたが、昔は建物を建てるということは大変な事業だったのだなあと思います。棟が無事上がったことの喜び、この建物がいつまでも残って欲しいという希望、地の神・山の神を始めとする神々への感謝、いま日本人が忘れつつある神仏への懼れの心、感謝の心など多くのものが感じられました。
(上棟祭の様子は、ホームページに写真が出ていますので見てください)
2006年06月14日
上棟
建て方の作業が始まりました。大工さんたちは誰に指示されるということも無く、黙々と柱を土台の上に差し込み、柱を立てていきます。1階の柱が立てられると、次々にクレーンで梁や桁などの材料が運ばれていきます。とても一人では持てないような材料も、クレーンにかかれば軽々と吊り上げ、大工さんの手元まで運ばれます。みるみるうちに2階の床組みも組上げられ、2階の柱を立て始めます。今回の建て方の作業は大工4人手伝い2人と、いつもより少ない人数で行なっていましたが、1日で棟まで上げることができました。
運ばれる丸太などの材料を眺めながら、クレーンなどの無い頃の建前は、ずいぶん大変な作業だったのだろうなと想像しました。梁を1本上げるのも一苦労だったと思います。私の手元に1枚の写真があります。昭和30年代の建前の風景です。写真を見る限り平屋の建物のようです。今まさに大きな丸太を梁の上まで上げようとしています。梁の上に5人、太い丸太にロープを架けて、二人が梁の上でそれぞれロープの端を持ち引張り上げ、下では5人の職人さんが丸太を支えています。
現在のように先行して架けられる足場も無く、上の5人はみんな狭い幅の梁の上に立っています。1本の丸太を上げるのにいったいどれくらい時間がかかったのでしょう。現在とは作業のスピードは格段の差です。当時、材料を運ぶにしても大八車に乗せ、人力で運んでいたそうなので、1軒の大工さんが家を建てられる地域も狭かったと思います。住宅が地場産業であった時代です。
どんどん便利になり、家も消耗品のひとつのようになってきましたが、私自身、自分の家の上棟の日に感じた、喜びと感動の気持ちをもちつづければ、いつまでも家を大切にしていけるのではないかと感じました。
運ばれる丸太などの材料を眺めながら、クレーンなどの無い頃の建前は、ずいぶん大変な作業だったのだろうなと想像しました。梁を1本上げるのも一苦労だったと思います。私の手元に1枚の写真があります。昭和30年代の建前の風景です。写真を見る限り平屋の建物のようです。今まさに大きな丸太を梁の上まで上げようとしています。梁の上に5人、太い丸太にロープを架けて、二人が梁の上でそれぞれロープの端を持ち引張り上げ、下では5人の職人さんが丸太を支えています。
現在のように先行して架けられる足場も無く、上の5人はみんな狭い幅の梁の上に立っています。1本の丸太を上げるのにいったいどれくらい時間がかかったのでしょう。現在とは作業のスピードは格段の差です。当時、材料を運ぶにしても大八車に乗せ、人力で運んでいたそうなので、1軒の大工さんが家を建てられる地域も狭かったと思います。住宅が地場産業であった時代です。
どんどん便利になり、家も消耗品のひとつのようになってきましたが、私自身、自分の家の上棟の日に感じた、喜びと感動の気持ちをもちつづければ、いつまでも家を大切にしていけるのではないかと感じました。