2006年07月21日
再発売
今月、かつて自分が「楽曲の全てを作曲」したタイトルが再発売になっ
た。約2年がかりだった。海外録音も含めて自分のあらゆる能力を出し
切った仕事だったし、本当に魂をこめて打ち込んだ。けっして大ヒット
とはいえないけれど、それでも数十万人のファンの人達が楽しんでくれ
たと思う。いっときそのゲーム会社の重役が登場するCMや大々的
かつ捨て身の広告戦略で話題をさらったゲーム機だった。その機種が忘
れられていくと共に、あのタイトルも忘れられていったのだが、ここに
きて最新機種への載せ変えという形で再発売されたのだった。
当然ながら僕の魂をこめた音楽が再び使われている。いろいろな事情が
あって僕の名前はもうそこにクレジットされていない。そうなるかもし
れない、とは思っていたが実際にかつてそこに刻まれていたものが削り
取られている画像を見せられると、予想しないほど自分はゆらいだし、
傷ついた。こんなにもろい自分があるとは思ってもいなかったので、か
なり面食らってしまった。おかげで一部の友人にはとても恥ずかしい醜
態をみせてしまったりしたものだ。なかなか大人になれない。
権利の問題を意見してくれる人もあったし、心の弱さをずばりと指摘し
てくれる人もあった。なんにせよ、先方は経営戦略的にやるべきことを
やっているだけであって、なにかルール違反があるわけではないのだ。
会社に所属していた当時の楽曲はすべて権利ごと置いてきたのだから。
今更とやかく言える筋合いではない。
現実の自分は我が分身である音楽と引き裂かれたのだが、自分の魂はあ
の音楽のなかに永遠に宿っている。自分の名前がそこに刻まれていない
としても。我が分身達の行く末を自分自身がしっかりと見守っていれば
そいれでいいのだ、と思うことにした。
自分が書いた曲は永遠に忘れることができない。いつどこで聴いても瞬
間に思いだす。それを書いた日の苦悩と、そして産み出した瞬間の喜び
も。ありありとよみがえる。時空をこえてその日、その時に帰れるの
だ。そんな自分でいられる限り、きっと誰かがまたあの音楽に耳をかた
むけて覚えてくれるかもしれない。そう思えば、気持ちも晴れようとい
うものだ。音楽は聴いてもらってなんぼだ。
こんなことで揺さぶられている場合じゃない。そろそろなにか新しい音
楽を作ってみることにしよう。
た。約2年がかりだった。海外録音も含めて自分のあらゆる能力を出し
切った仕事だったし、本当に魂をこめて打ち込んだ。けっして大ヒット
とはいえないけれど、それでも数十万人のファンの人達が楽しんでくれ
たと思う。いっときそのゲーム会社の重役が登場するCMや大々的
かつ捨て身の広告戦略で話題をさらったゲーム機だった。その機種が忘
れられていくと共に、あのタイトルも忘れられていったのだが、ここに
きて最新機種への載せ変えという形で再発売されたのだった。
当然ながら僕の魂をこめた音楽が再び使われている。いろいろな事情が
あって僕の名前はもうそこにクレジットされていない。そうなるかもし
れない、とは思っていたが実際にかつてそこに刻まれていたものが削り
取られている画像を見せられると、予想しないほど自分はゆらいだし、
傷ついた。こんなにもろい自分があるとは思ってもいなかったので、か
なり面食らってしまった。おかげで一部の友人にはとても恥ずかしい醜
態をみせてしまったりしたものだ。なかなか大人になれない。
権利の問題を意見してくれる人もあったし、心の弱さをずばりと指摘し
てくれる人もあった。なんにせよ、先方は経営戦略的にやるべきことを
やっているだけであって、なにかルール違反があるわけではないのだ。
会社に所属していた当時の楽曲はすべて権利ごと置いてきたのだから。
今更とやかく言える筋合いではない。
現実の自分は我が分身である音楽と引き裂かれたのだが、自分の魂はあ
の音楽のなかに永遠に宿っている。自分の名前がそこに刻まれていない
としても。我が分身達の行く末を自分自身がしっかりと見守っていれば
そいれでいいのだ、と思うことにした。
自分が書いた曲は永遠に忘れることができない。いつどこで聴いても瞬
間に思いだす。それを書いた日の苦悩と、そして産み出した瞬間の喜び
も。ありありとよみがえる。時空をこえてその日、その時に帰れるの
だ。そんな自分でいられる限り、きっと誰かがまたあの音楽に耳をかた
むけて覚えてくれるかもしれない。そう思えば、気持ちも晴れようとい
うものだ。音楽は聴いてもらってなんぼだ。
こんなことで揺さぶられている場合じゃない。そろそろなにか新しい音
楽を作ってみることにしよう。
2006年05月15日
ほんとかな?DS用になるって
DS用に開発が進んでいるというニュースが流れていました。
ほんとうかなぁ〜。びっくりだな。
期待とちょっと不安と・・。複雑な心境。
もちろん、嬉しい!!ことですけれど。
DS、それまでにはゲットしておかないとね。
もう関与してないからカセットは自分で買わないとねぇ。
(社員だった当時は、自分の直接作ったタイトルの
カセットはサンプル、貰えました。でも、ファミコン版、
もうどっかいっちゃって自分では持っていないのでした。)
ほんとうかなぁ〜。びっくりだな。
期待とちょっと不安と・・。複雑な心境。
もちろん、嬉しい!!ことですけれど。
DS、それまでにはゲットしておかないとね。
もう関与してないからカセットは自分で買わないとねぇ。
(社員だった当時は、自分の直接作ったタイトルの
カセットはサンプル、貰えました。でも、ファミコン版、
もうどっかいっちゃって自分では持っていないのでした。)
2006年04月18日
再発売
古巣から拙作が再発売となった。感慨深い。
というより、いったいどうやって動かしたのか?
ふと考えてみた。ソースコードは残してきたはずだが、
きっと膨大なストレージの奥底に潜んで誰も
取り出せなかったのではないかと思うし、そんな面倒な
ことはいくらなんでもやらないのではないか。
昨今のハードウェアは当時のCPUのおそらく数百倍の
処理能力を持っていると思うので、ソースコードなんか
なくっても、ハードウェアをエミュレーションすることも
可能なのかもしれない。
僕が在籍していた頃から、「ターゲットをすげかえる」
という事については伝統的な匠の技がある会社だった。
実際、僕もPC上でひとつのゲームソフトのアセンブラー言語
レベルで、様々なCPU向けに書き換えたりする仕事を随分と
こなしたものだった。
Z80のコードを6809、6502、あるいは8086、はては
68000まで
まったく互換性のないCPUにマシンコードレベルで手作業で
載せ変えていく作業は、単調ななかにもひとつひとつ、手で
掘り下げていく達成感があった。そして、それは確実に
商品になって市場にでていったし、少なからずのファンの
人たちが購入し、それなりに「感想のハガキ」なんかも
送られてきた。仕事の充実感はそういった環境で、しっかりと
得られたものだった。
ドロをかためて淡々と毎日、日干しレンガを作る職人さんの
充実感と同じようなもの?かもしれない。
なんにせよ、これでもはや稼働する装置を探すことすら
難しくなりつつあるファミコン本体とカセットを
探す苦労をしなくてすむわけだ。老後の楽しみには、
やはりDSをターゲットとして選ぶべきかな?
というより、いったいどうやって動かしたのか?
ふと考えてみた。ソースコードは残してきたはずだが、
きっと膨大なストレージの奥底に潜んで誰も
取り出せなかったのではないかと思うし、そんな面倒な
ことはいくらなんでもやらないのではないか。
昨今のハードウェアは当時のCPUのおそらく数百倍の
処理能力を持っていると思うので、ソースコードなんか
なくっても、ハードウェアをエミュレーションすることも
可能なのかもしれない。
僕が在籍していた頃から、「ターゲットをすげかえる」
という事については伝統的な匠の技がある会社だった。
実際、僕もPC上でひとつのゲームソフトのアセンブラー言語
レベルで、様々なCPU向けに書き換えたりする仕事を随分と
こなしたものだった。
Z80のコードを6809、6502、あるいは8086、はては
68000まで
まったく互換性のないCPUにマシンコードレベルで手作業で
載せ変えていく作業は、単調ななかにもひとつひとつ、手で
掘り下げていく達成感があった。そして、それは確実に
商品になって市場にでていったし、少なからずのファンの
人たちが購入し、それなりに「感想のハガキ」なんかも
送られてきた。仕事の充実感はそういった環境で、しっかりと
得られたものだった。
ドロをかためて淡々と毎日、日干しレンガを作る職人さんの
充実感と同じようなもの?かもしれない。
なんにせよ、これでもはや稼働する装置を探すことすら
難しくなりつつあるファミコン本体とカセットを
探す苦労をしなくてすむわけだ。老後の楽しみには、
やはりDSをターゲットとして選ぶべきかな?
2006年01月21日
いろいろな楽しみ方があるのだなぁ。
最近、けっこう「迷宮組曲」の音楽の話題を
あちらこちらでみかけます。
ゲームの作者である自分としても、それはそれで
嬉しいものです。楽しんで頂ければなにより…。
ただ、楽曲をダウンロードできるようにしている人も
中にはあって、ちょっと心配。
個人的には、作曲家が良し、といえばそれでいいんじゃないか、
と。心情的には思ってはいます。ですが、JASRACが管理している
曲は、もしも指摘された場合は当然、楽曲の公開は中止するしか
なくなるでしょうし、さもなければ支払うべきものを支払うしか
なくなるかも。後者はあまり現実的ではないですね。
ポッドキャスティングなどで、アレンジした楽曲を流したり
した場合、どうなるのか。そのあたりは今だにJASRACとしての
姿勢は定まっていないのではないでしょうか。
音楽は作家の権利がしっかり守られていますから。
それはそれでルールだからいい事なんだけれど。
アレンジをして、発表する楽しみも音楽を愛する人達の
権利としてきちんと認められるようになって欲しい。
mp3をアップロードしたりダウンロードしたりが、
まったく苦じゃない環境(ネットのインフラ)が
完全に整った今という時代ですから。
ルールの整備もしっかり追いついて欲しいな。
既得権で守られている世界ってどうしても進化や
成長が遅くなっちゃうようですね。
それじゃぁいけないと思うんだけどね。
あちらこちらでみかけます。
ゲームの作者である自分としても、それはそれで
嬉しいものです。楽しんで頂ければなにより…。
ただ、楽曲をダウンロードできるようにしている人も
中にはあって、ちょっと心配。
個人的には、作曲家が良し、といえばそれでいいんじゃないか、
と。心情的には思ってはいます。ですが、JASRACが管理している
曲は、もしも指摘された場合は当然、楽曲の公開は中止するしか
なくなるでしょうし、さもなければ支払うべきものを支払うしか
なくなるかも。後者はあまり現実的ではないですね。
ポッドキャスティングなどで、アレンジした楽曲を流したり
した場合、どうなるのか。そのあたりは今だにJASRACとしての
姿勢は定まっていないのではないでしょうか。
音楽は作家の権利がしっかり守られていますから。
それはそれでルールだからいい事なんだけれど。
アレンジをして、発表する楽しみも音楽を愛する人達の
権利としてきちんと認められるようになって欲しい。
mp3をアップロードしたりダウンロードしたりが、
まったく苦じゃない環境(ネットのインフラ)が
完全に整った今という時代ですから。
ルールの整備もしっかり追いついて欲しいな。
既得権で守られている世界ってどうしても進化や
成長が遅くなっちゃうようですね。
それじゃぁいけないと思うんだけどね。
2006年01月12日
全社中で対戦してた頃
ボンバーマンで思い出したこと。
ある企業の昼休み風景…本社も支社も、営業も経理も、
開発室はもちろん、社長室でも…。秘書のお姉さんも、
社長も新入社員も、かなり年配の部長さんも、
ゲームが得意も不得手も関係なく、全員で交代しながら
対戦モードで大騒ぎをしている会社があったとしたら。
世の中の人はいったいどう思うのだろうか。
でも、そんな風景がごくごく普通の日常でしたね。
ファミコンからプラットフォームが進化していく課程で、
パッドが2つしかない、という制約から解放されたんですね。
そして4人対戦ぐらいは平気なぐらいにゲーム機も
発展していきます。
ボンバーマンの話題を書いたら、あの対戦モードが
産まれた頃の社内の風景を思い出しました。
ゲームのプロトタイプが完成した頃からそれは始まり、
それが発売されてそれなりにヒットしても尚、お昼休みの
対戦の時間は続きましたね。それぐらい、実際に面白かった、
のです。
あまり操作が上手じゃない人は、爆風をさけてじっと
している戦法がけっこう通用しました。ちょこまかと
動いている人が積極的に仕掛けて、自爆するのを
待つわけです。けっこう運もあるし、タイミングで
以外と勝てたりするし、気合いをいれてがんばっても
負けちゃったりする。人生のように、一寸先はなかなか
わからないもの。
それと、1ラウンドが実にいい頃合いで終わる。
そんなに集中力もいらないし。なんといっても、
勝っても負けても後に残らないんですよね。
どういうゲームの進行になっても、みんながスッキリ
して終われます。そういうゲームってなかなか無いと
思います。
H社にはもう一つの看板タイトルの鉄道すごろくゲームが
ありますけど。あれも同じですね。ただ、あちらのほうは
少しプレイ時間が長い。でも3〜4人でやると、延々と
続けてやってしまう魔力がありました。
ファミリーで楽しめるタイトルを生み出し続ける力は、
やっぱり社内の気風にあると思います。
作っているほうとしては、クリエイターとしての気負いが
あるから。他者に負けない、ヒット作を作ろうとします。
そうすると、なにか未来的なものになったり、ファンタジーに
なったり、どうしても真似っこになってしまう。
でも、けっして真似っこではなく、あの会社の空気の
なかから自然に産まれたのが、複数対戦のゲーム性だった
ような気がします。
在社中、とにかく毎日、楽しかったんですよね。
仕事に行くのが楽しかった。
学校に例えれば、登校拒否になる要素はあまりなかった、
という感じでしょうか。もちろん、苦しい、辛い時期も
たくさんありました。でも、こうやって思いでとして
ふり返って総決算してみると…。8割りの時間は楽しかったなぁ、
と思えるわけです。
毎日、もう一つの家族と一緒に過ごしているような感覚が
どこかにあったように思います。残業も常時ですから。
お昼も夜食も一緒にとったりします。それがほとんど
1年を通じてずっと続く。それが何年も何年も続く…。
しまいには、兄弟より仲良く、親子よりも会話が多い、
なんていうぐらいに近い関係になってしまうようです。
けっして広く世間をみてきたわけではないのですが。
そういう空気の組織を内包したまま、企業として活躍した
会社って、本当に稀だと思います。
その後、任○堂むけにパーティゲームをシリーズで作って
いくことになります。僕はシリーズ3の頃まで、曲と
効果音を監修しました。光田君がちょうどフリーになった
頃だったので。一本、お願いしたりして。なかなか楽しく
やらせてもらいました。
楽しいから、自分でも1曲ぐらい作ってみようかな、と
思って作曲したんだけど。ディレクターに没をくらいました。
上司の作った曲にボツを出せるとは!こいつはいいディレクターに
育ったなぁ、と感慨深かったですね(笑)。それを機会に、
その後の監修はすっかり後輩に委ねる決心がつきました。
今、おもえば…ボツになってもしょうがない程度の曲だったかな。
やはり作曲は真剣勝負。命をかけて取り組まなくちゃいけません。
ある企業の昼休み風景…本社も支社も、営業も経理も、
開発室はもちろん、社長室でも…。秘書のお姉さんも、
社長も新入社員も、かなり年配の部長さんも、
ゲームが得意も不得手も関係なく、全員で交代しながら
対戦モードで大騒ぎをしている会社があったとしたら。
世の中の人はいったいどう思うのだろうか。
でも、そんな風景がごくごく普通の日常でしたね。
ファミコンからプラットフォームが進化していく課程で、
パッドが2つしかない、という制約から解放されたんですね。
そして4人対戦ぐらいは平気なぐらいにゲーム機も
発展していきます。
ボンバーマンの話題を書いたら、あの対戦モードが
産まれた頃の社内の風景を思い出しました。
ゲームのプロトタイプが完成した頃からそれは始まり、
それが発売されてそれなりにヒットしても尚、お昼休みの
対戦の時間は続きましたね。それぐらい、実際に面白かった、
のです。
あまり操作が上手じゃない人は、爆風をさけてじっと
している戦法がけっこう通用しました。ちょこまかと
動いている人が積極的に仕掛けて、自爆するのを
待つわけです。けっこう運もあるし、タイミングで
以外と勝てたりするし、気合いをいれてがんばっても
負けちゃったりする。人生のように、一寸先はなかなか
わからないもの。
それと、1ラウンドが実にいい頃合いで終わる。
そんなに集中力もいらないし。なんといっても、
勝っても負けても後に残らないんですよね。
どういうゲームの進行になっても、みんながスッキリ
して終われます。そういうゲームってなかなか無いと
思います。
H社にはもう一つの看板タイトルの鉄道すごろくゲームが
ありますけど。あれも同じですね。ただ、あちらのほうは
少しプレイ時間が長い。でも3〜4人でやると、延々と
続けてやってしまう魔力がありました。
ファミリーで楽しめるタイトルを生み出し続ける力は、
やっぱり社内の気風にあると思います。
作っているほうとしては、クリエイターとしての気負いが
あるから。他者に負けない、ヒット作を作ろうとします。
そうすると、なにか未来的なものになったり、ファンタジーに
なったり、どうしても真似っこになってしまう。
でも、けっして真似っこではなく、あの会社の空気の
なかから自然に産まれたのが、複数対戦のゲーム性だった
ような気がします。
在社中、とにかく毎日、楽しかったんですよね。
仕事に行くのが楽しかった。
学校に例えれば、登校拒否になる要素はあまりなかった、
という感じでしょうか。もちろん、苦しい、辛い時期も
たくさんありました。でも、こうやって思いでとして
ふり返って総決算してみると…。8割りの時間は楽しかったなぁ、
と思えるわけです。
毎日、もう一つの家族と一緒に過ごしているような感覚が
どこかにあったように思います。残業も常時ですから。
お昼も夜食も一緒にとったりします。それがほとんど
1年を通じてずっと続く。それが何年も何年も続く…。
しまいには、兄弟より仲良く、親子よりも会話が多い、
なんていうぐらいに近い関係になってしまうようです。
けっして広く世間をみてきたわけではないのですが。
そういう空気の組織を内包したまま、企業として活躍した
会社って、本当に稀だと思います。
その後、任○堂むけにパーティゲームをシリーズで作って
いくことになります。僕はシリーズ3の頃まで、曲と
効果音を監修しました。光田君がちょうどフリーになった
頃だったので。一本、お願いしたりして。なかなか楽しく
やらせてもらいました。
楽しいから、自分でも1曲ぐらい作ってみようかな、と
思って作曲したんだけど。ディレクターに没をくらいました。
上司の作った曲にボツを出せるとは!こいつはいいディレクターに
育ったなぁ、と感慨深かったですね(笑)。それを機会に、
その後の監修はすっかり後輩に委ねる決心がつきました。
今、おもえば…ボツになってもしょうがない程度の曲だったかな。
やはり作曲は真剣勝負。命をかけて取り組まなくちゃいけません。