2004年12月23日

ファミコンごときに「最高の音楽」?!

僕がH社に入社して3年目で任天堂からファミコンが
登場しました。それから次々に、任天堂のゲームがリリースされ、
会社の中でそれらを全てチェックしていました。

僕たちはゲームを作るのが仕事でしたので。評価用にあらゆる
ゲームソフトを購入することができました。それまではもっぱら
パソコンのタイトルを評価したりすることがもっぱらで、あとは
ゲームセンターを時々チェックしていましたね。ただ、ゲームセンターの
機材は、独自設計ですからあまり参考にならないわけです。
表現できる色数であるとか、動く速度、それから「サウンド機能」も
全く違うので。真似ることはできなかったわけですから。

それでも、僕はやはり当時のナムコのラインナップには非常に注目して
いました。グラフィックもさることながら、楽曲と効果音の完成度の
高さですね。あれには脱帽だった。

印象的だったのは、ゼビウス、ギャラクシアン、もちろんパックマンも。
あの音楽や効果音には心躍らされました。

ファミコンが出た時、任天堂のタイトルはどれもその音楽や効果音が
かなりクオリティが高かった。それは非常に刺激的でした。それまで、
僕たちが作っていたゲームはパソコンでいえば、X1という機種がメインでした。
で、X1ではBGMと効果音をリアルタイムに鳴らしながらゲームを実行する、
ということがまだ実現できないでいたんです。
今ならやればやれるんですが、当時の僕の経験値ではまだそれが出来なかったですね。

でも、すぐにパソコンの世界にもFM音源が搭載された機種が出回り始めて、
音楽も素晴らしい楽曲を提供する作品が現れるようになります。当時、
圧倒的にインパクトがあったのは「Y’s」でした。あのグラフィックと
サウンドは秀逸でした。音楽は古代祐三君で、後に仕事で何度もお会いすることに
なるんですが、彼がY’sで作りあげたサウンドは、僕にとってもすごい刺激でした。

さて、任天堂から出たいくつかのタイトルでなんといってもぴっくりだったのは、
「スーパーマリオ」ですね。これを語らずしてなにを語ろうか。

なんといっても、あの音楽は素晴らしかった。
とってもいい曲でした。

僕は任天堂という会社が、音楽をとても大事にしている事がわかって、その事が
素晴らしいと思ったんです。だから、それに負けないようないい曲を、自分が
この仕事に関わる限り、提供していきたい、作り続けていきたい。そう考えていました。
ですから、自分のタイトルにしても、他の社内のタイトルにしても、絶対に妥協しない
曲作り(当時は、監督する側として)にこだわり続けました。

時に、そのこだわりが強過ぎる為に、社内からはかなり反発をくらうこともあったし、
制作スタッフの反感を買うこともしばしば。まぁ、なんで僕がそこまで音楽にこだわるのか、
誰もわかってはくれなかったですね。なぜって、「音楽なんて売り上げに関係ない」って
会社も他の部署の人も考えていたからです。

実際、そうでした。ファミコンのタイトルというのは、玩具問屋さんが仕入れるのですね。
その仕入れを決める際に開かれる「内覧会」というのがあるんです。僕も何度か、参加した
事がありますが。で、その「内覧会」では、ほとんど音楽は聞こえないんです。
つまり、音の良し悪しは「注文数」には全く関係がない。
もちろん、雰囲気という事では「音がなっている」ことは大事だったと思います。
でも、楽しい画面なら「楽しい感じ」の音が、がんがん鳴っていればそれでよかったわけです。
要求されたのはそのレベルだったので、僕が音楽の表情だけではなくて、楽曲としての
クオリティをとことん時間と費用(時間=お金ですから)をかけようとするのか、
理解を得ることはできませんでした。

店頭で子供たちがゲームを買うときの様子を、しょっしゅう玩具店に視察に行きました。
でも、店先でも「音楽」はほとんど聞えないんですよね。また、ゲームが紹介される
コロコロやボンボンといった雑誌にしても、音楽のことがふれられることは皆無だった。
そんなわけで、「音楽」がどのような要素であるか、ということについて、
当時は社内でも誰も語らなかったし、誰からも評価されなかったんです。

でも、僕はいつも信じていました。

小さい子供たちが体験するゲーム。
それに何時間も何時間も没頭するんですから。
頭のなかでリフレインする「メロディ」がある。
それは一生その子の記憶に焼き付くに違いない。
音楽の原体験になるに違いない。
一生、携え得て持っていってもらうにふさわしい音楽を
提供したい。それに恥ずかしくないものを作りたい。

それが僕の信念でした。

それは間違っていなかった…。それが確かめられて本当に嬉しいです。

#やがて、ドラクエやFFが登場し、BGMのクオリティが評価され、
 数年後にはゲーム音楽はひとつの音楽ジャンルとして確立されるように
 なっていきます。
 それから先は、割りと音楽制作サイドの意見も通るようになっていきますが…
 それでも予算の割当は常に厳しかったです。
 少ない予算で、最高の曲を生み出そうとすると、
 どこかで誰かがボランティア(無償奉仕)をしなければなりませんでした。
 でも、いくらがんばっていい音楽を作っても給料が上がることも
 なければ、にわかに誰かがほめてくれる事もない世界です。
 そういうストレスが高じて、世に飛び出したくなった。
 これもまた一つの事実です。



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昔は特別思い入れがないゲームでも音楽は結構覚えちゃいました。 いや・・・、覚えさせられたと言った方が正しい表現かもしれません。 別にその音楽が好きなわけではないんです。でも覚えさせられてしまうんです! きっと、単調な音源が延々と繰り返されたからかもしれませ...
ゲーム音楽についてのお話【脳が感じる楽しい瞬間】at 2006年02月15日 03:08
この記事へのコメント
そうなんですか
ぼくは 子供のころは、世間の音楽にあまり興味を
持っていなかったため
口ずさむのはやはりゲーム音楽でした
(周囲に理解されづ。。。。)
でも今考えると
やはりファミコンには名曲が沢山あった
そして これこそ YMOを初めとする
日本のテクノ文化の先駆けだったのだ
と 
Posted by DOC at 2005年01月07日 23:52
ファミコンごときに、最高の音楽を提供してくれのは、やはりなんといってもドラクエのすぎやまさんでしょうね。あの人の存在がなければ、ゲームと音楽の融合はここまで進まなかったと思います。

スーパーマリオの近藤さんも、素晴らしい。でも残念ながら任天堂の社内の人が、公に姿を現わさないのでね。

そして、やはりファイナルファンタジーシリーズの植松さんでしょう…。この3人の名は、永遠に歴史に残っていいかな。と個人的には思っているのです。
Posted by sasagawa at 2005年01月13日 13:33
主に性的な癒しを求める女性が大半ですので貴方の優しさで
包み込んであげて下さい(´▽`*)
女性ユーザの約80%は現役風俗嬢やキャバ嬢ですょ★
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Posted by gesearch at 2006年02月01日 12:58
こんにちは。
コメント&TB失礼いたします。

>音楽の原体験になるに違いない。
>一生、携え得て持っていってもらうにふさわしい>音楽を提供したい。それに恥ずかしくないものを>作りたい。

今の自分の音楽性に過去のゲーム音楽は大きく依存していると思います。DOC氏も語られていますが、ゲーム音楽を思わず口ずさむ・・。そういう子供時代を過ごした人は結構いると思いますよ。
Posted by hal50325 at 2006年02月15日 03:18