2006年07月21日

再発売

今月、かつて自分が「楽曲の全てを作曲」したタイトルが再発売になっ
た。約2年がかりだった。海外録音も含めて自分のあらゆる能力を出し
切った仕事だったし、本当に魂をこめて打ち込んだ。けっして大ヒット
とはいえないけれど、それでも数十万人のファンの人達が楽しんでくれ
たと思う。いっときそのゲーム会社の重役が登場するCMや大々的
かつ捨て身の広告戦略で話題をさらったゲーム機だった。その機種が忘
れられていくと共に、あのタイトルも忘れられていったのだが、ここに
きて最新機種への載せ変えという形で再発売されたのだった。

当然ながら僕の魂をこめた音楽が再び使われている。いろいろな事情が
あって僕の名前はもうそこにクレジットされていない。そうなるかもし
れない、とは思っていたが実際にかつてそこに刻まれていたものが削り
取られている画像を見せられると、予想しないほど自分はゆらいだし、
傷ついた。こんなにもろい自分があるとは思ってもいなかったので、か
なり面食らってしまった。おかげで一部の友人にはとても恥ずかしい醜
態をみせてしまったりしたものだ。なかなか大人になれない。

権利の問題を意見してくれる人もあったし、心の弱さをずばりと指摘し
てくれる人もあった。なんにせよ、先方は経営戦略的にやるべきことを
やっているだけであって、なにかルール違反があるわけではないのだ。
会社に所属していた当時の楽曲はすべて権利ごと置いてきたのだから。
今更とやかく言える筋合いではない。

現実の自分は我が分身である音楽と引き裂かれたのだが、自分の魂はあ
の音楽のなかに永遠に宿っている。自分の名前がそこに刻まれていない
としても。我が分身達の行く末を自分自身がしっかりと見守っていれば
そいれでいいのだ、と思うことにした。

自分が書いた曲は永遠に忘れることができない。いつどこで聴いても瞬
間に思いだす。それを書いた日の苦悩と、そして産み出した瞬間の喜び
も。ありありとよみがえる。時空をこえてその日、その時に帰れるの
だ。そんな自分でいられる限り、きっと誰かがまたあの音楽に耳をかた
むけて覚えてくれるかもしれない。そう思えば、気持ちも晴れようとい
うものだ。音楽は聴いてもらってなんぼだ。


こんなことで揺さぶられている場合じゃない。そろそろなにか新しい音
楽を作ってみることにしよう。
  

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2006年05月15日

ほんとかな?DS用になるって

DS用に開発が進んでいるというニュースが流れていました。
ほんとうかなぁ〜。びっくりだな。

期待とちょっと不安と・・。複雑な心境。
もちろん、嬉しい!!ことですけれど。

DS、それまでにはゲットしておかないとね。

もう関与してないからカセットは自分で買わないとねぇ。

(社員だった当時は、自分の直接作ったタイトルの
 カセットはサンプル、貰えました。でも、ファミコン版、
 もうどっかいっちゃって自分では持っていないのでした。)

  
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2006年04月18日

再発売

古巣から拙作が再発売となった。感慨深い。

というより、いったいどうやって動かしたのか?
ふと考えてみた。ソースコードは残してきたはずだが、
きっと膨大なストレージの奥底に潜んで誰も
取り出せなかったのではないかと思うし、そんな面倒な
ことはいくらなんでもやらないのではないか。

昨今のハードウェアは当時のCPUのおそらく数百倍の
処理能力を持っていると思うので、ソースコードなんか
なくっても、ハードウェアをエミュレーションすることも
可能なのかもしれない。

僕が在籍していた頃から、「ターゲットをすげかえる」
という事については伝統的な匠の技がある会社だった。

実際、僕もPC上でひとつのゲームソフトのアセンブラー言語
レベルで、様々なCPU向けに書き換えたりする仕事を随分と
こなしたものだった。

Z80のコードを6809、6502、あるいは8086、はては
68000まで
まったく互換性のないCPUにマシンコードレベルで手作業で
載せ変えていく作業は、単調ななかにもひとつひとつ、手で
掘り下げていく達成感があった。そして、それは確実に
商品になって市場にでていったし、少なからずのファンの
人たちが購入し、それなりに「感想のハガキ」なんかも
送られてきた。仕事の充実感はそういった環境で、しっかりと
得られたものだった。

ドロをかためて淡々と毎日、日干しレンガを作る職人さんの
充実感と同じようなもの?かもしれない。


なんにせよ、これでもはや稼働する装置を探すことすら
難しくなりつつあるファミコン本体とカセットを
探す苦労をしなくてすむわけだ。老後の楽しみには、
やはりDSをターゲットとして選ぶべきかな?


  
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2006年01月21日

いろいろな楽しみ方があるのだなぁ。

最近、けっこう「迷宮組曲」の音楽の話題を
あちらこちらでみかけます。
ゲームの作者である自分としても、それはそれで
嬉しいものです。楽しんで頂ければなにより…。

ただ、楽曲をダウンロードできるようにしている人も
中にはあって、ちょっと心配。

個人的には、作曲家が良し、といえばそれでいいんじゃないか、
と。心情的には思ってはいます。ですが、JASRACが管理している
曲は、もしも指摘された場合は当然、楽曲の公開は中止するしか
なくなるでしょうし、さもなければ支払うべきものを支払うしか
なくなるかも。後者はあまり現実的ではないですね。

ポッドキャスティングなどで、アレンジした楽曲を流したり
した場合、どうなるのか。そのあたりは今だにJASRACとしての
姿勢は定まっていないのではないでしょうか。

音楽は作家の権利がしっかり守られていますから。
それはそれでルールだからいい事なんだけれど。
アレンジをして、発表する楽しみも音楽を愛する人達の
権利としてきちんと認められるようになって欲しい。
mp3をアップロードしたりダウンロードしたりが、
まったく苦じゃない環境(ネットのインフラ)が
完全に整った今という時代ですから。
ルールの整備もしっかり追いついて欲しいな。

既得権で守られている世界ってどうしても進化や
成長が遅くなっちゃうようですね。
それじゃぁいけないと思うんだけどね。

  
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2006年01月12日

全社中で対戦してた頃

ボンバーマンで思い出したこと。


ある企業の昼休み風景…本社も支社も、営業も経理も、
開発室はもちろん、社長室でも…。秘書のお姉さんも、
社長も新入社員も、かなり年配の部長さんも、
ゲームが得意も不得手も関係なく、全員で交代しながら
対戦モードで大騒ぎをしている会社があったとしたら。
世の中の人はいったいどう思うのだろうか。

でも、そんな風景がごくごく普通の日常でしたね。
ファミコンからプラットフォームが進化していく課程で、
パッドが2つしかない、という制約から解放されたんですね。
そして4人対戦ぐらいは平気なぐらいにゲーム機も
発展していきます。

ボンバーマンの話題を書いたら、あの対戦モードが
産まれた頃の社内の風景を思い出しました。

ゲームのプロトタイプが完成した頃からそれは始まり、
それが発売されてそれなりにヒットしても尚、お昼休みの
対戦の時間は続きましたね。それぐらい、実際に面白かった、
のです。

あまり操作が上手じゃない人は、爆風をさけてじっと
している戦法がけっこう通用しました。ちょこまかと
動いている人が積極的に仕掛けて、自爆するのを
待つわけです。けっこう運もあるし、タイミングで
以外と勝てたりするし、気合いをいれてがんばっても
負けちゃったりする。人生のように、一寸先はなかなか
わからないもの。

それと、1ラウンドが実にいい頃合いで終わる。
そんなに集中力もいらないし。なんといっても、
勝っても負けても後に残らないんですよね。
どういうゲームの進行になっても、みんながスッキリ
して終われます。そういうゲームってなかなか無いと
思います。

H社にはもう一つの看板タイトルの鉄道すごろくゲームが
ありますけど。あれも同じですね。ただ、あちらのほうは
少しプレイ時間が長い。でも3〜4人でやると、延々と
続けてやってしまう魔力がありました。

ファミリーで楽しめるタイトルを生み出し続ける力は、
やっぱり社内の気風にあると思います。
作っているほうとしては、クリエイターとしての気負いが
あるから。他者に負けない、ヒット作を作ろうとします。
そうすると、なにか未来的なものになったり、ファンタジーに
なったり、どうしても真似っこになってしまう。
でも、けっして真似っこではなく、あの会社の空気の
なかから自然に産まれたのが、複数対戦のゲーム性だった
ような気がします。

在社中、とにかく毎日、楽しかったんですよね。
仕事に行くのが楽しかった。
学校に例えれば、登校拒否になる要素はあまりなかった、
という感じでしょうか。もちろん、苦しい、辛い時期も
たくさんありました。でも、こうやって思いでとして
ふり返って総決算してみると…。8割りの時間は楽しかったなぁ、
と思えるわけです。

毎日、もう一つの家族と一緒に過ごしているような感覚が
どこかにあったように思います。残業も常時ですから。
お昼も夜食も一緒にとったりします。それがほとんど
1年を通じてずっと続く。それが何年も何年も続く…。
しまいには、兄弟より仲良く、親子よりも会話が多い、
なんていうぐらいに近い関係になってしまうようです。

けっして広く世間をみてきたわけではないのですが。
そういう空気の組織を内包したまま、企業として活躍した
会社って、本当に稀だと思います。


その後、任○堂むけにパーティゲームをシリーズで作って
いくことになります。僕はシリーズ3の頃まで、曲と
効果音を監修しました。光田君がちょうどフリーになった
頃だったので。一本、お願いしたりして。なかなか楽しく
やらせてもらいました。
楽しいから、自分でも1曲ぐらい作ってみようかな、と
思って作曲したんだけど。ディレクターに没をくらいました。
上司の作った曲にボツを出せるとは!こいつはいいディレクターに
育ったなぁ、と感慨深かったですね(笑)。それを機会に、
その後の監修はすっかり後輩に委ねる決心がつきました。
今、おもえば…ボツになってもしょうがない程度の曲だったかな。
やはり作曲は真剣勝負。命をかけて取り組まなくちゃいけません。

  
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2006年01月08日

ボンバーマンシリーズのBGMのこと(2)

前回に続いて。

ファミコンがブレークして、社内が「ファミコン向けの開発」に
総動員体制になってしまったあたりから。

というわけで、当時、パソコンではそれなりにヒットしていた
「ボンバーマン」をファミコン用にリメイクしてみよう、
という流れになったのはとても自然ないきさつでした。

当時、僕はまだまだ開発要員としてはアシスタントの域を
出ておらず、音楽や効果音を作るのが得意ではあったけれど、
まぁごく普通のゲームプログラマーとして仕事をしていました。
作家を選ぶようなプロデューサー的な仕事はまだまだ未熟だった
ので、社内の誰かがあるプロダクションから一人の音楽家を
選んで連れてきました。それが竹間さんだったんです。

僕はスタッフのなかの一員でしかなくて、最初の頃はあまり
直接、竹間さんとコミニュケーションを持つこともなく、
そうこうしているうちに、ボンバーマンは産声をあげ、
名実共にその後、H社の看板商品になっていくわけです。

ありとあらゆるプラットフォームに移植されました。
年月がたって、僕が直接、陣頭指揮を取るようになったのは
スーパーファミコンになってからです。
その近辺から竹間さんとのやりとりを随分とさせてもらうように
なっていました。

一番、お互いの親密度が増した仕事というと、個人的には
スーファミの「ミロンの大冒険」というタイトルがありまして…。
実はそれほどヒットしなかったのですが、音楽については
非常にこだわりました。今でもほとんど全てのBGMを
覚えています。あれはサントラにしたかったんですが…。
それぐらいいい曲ばかり、竹間さんは書いてくれました。

スーファミのボンバーマンでサントラを作った仕事も
やりました。あれはなかなか面白かったですね。

スーファミからデジタルアウトでトラック毎に
ダビングしまして。リミックス版を作ったんです。
あんなにハイクオリティでスーファミの音源が
収録されたCDは、他には存在しないでしょう。
調子にのって、マスタリングの為にわざわざ
ファンハウス(当時)のスタジオを借り切って…。
なんで、スーファミの音をミックスする為に
SSLのコンソールを通さなきゃならんのだ、と
普通なら思うでしょうけど。尋常じゃない事を
やりましたね。今なら、あほじゃないのか?
と思われるような事をたくさんやりました。

それだけ、遊びが許された時代だったんです。
そういう空気がまだまだ社内にはありました。
とっても些細なことに、とことんこだわってみる。
究極までやりつくしてみる。

そうすると、気持ちが大きくなれちゃうんですよね。
なにかこう、全てやりつくしてしまい、もうなにも
残っていない、というような感覚が。

でも、そういう仕事の中心には「核」がないとダメです。
つまり、まずは「いいメロディ」が必要なんです。

僕はメロディのない音楽はあまり好きじゃない。
ビートだけ、サウンドだけ、というのじゃ味気ない。
音楽というのは「旋律」ありき、でしょう。
もちろん、リズムもビートも音色も、アレンジも、
テンポも、構成も全て大事な要素です。

でも、結局は「メロ」が顔なんですよね。
顔のない音楽はつまらないし、飽きられる。
なんだかんだいっても、心に残っていくのは「メロ」です。

モーツァルトの生涯を題材にした映画「アマデウス」のなかで、
サリエリが登場します。モーツァルトの音楽は多くの人が
その「メロ」を鼻歌で思い出せてしまうけれど、サリエリの
それは誰も思い出せない。その表現はあまりに対極的でした。

僕自身もまた後半では、作曲家として仕事をしたりするように
なるのですが、当時はまだ自分なりにメロを書いてみる、
という段階ではありませんでした。

竹間さんは、僕達の依頼に応じて、いつも素晴らしい
「メロ」を書いてくれた。おしげもなく、自分のもてる
精神力を注ぎ込んで、それはそれは心に残るメロを
提供してくださった。おかげで、ゲームも売れた。
けっして音楽が全てではないけれど、その付加的な
要素としてはとても大きい比重を占めているはずです。
スタッフは代わる、デザインも代わる、でもBGMは
ずっと代わらなかったんです。
ボンバーマンシリーズのメインテーマとなるメロは
ずっとずっと受け継がれていく事になりました。

でもですね、やっぱり僕はミロンの大冒険のメロが
どれも好きだったなぁ。

そんな作曲家として、顔のあるメロを産み出していく
事の苦悩も、その課程も、かくさず見せてくれた人が
竹間さんでした。

その体験があったから、後に自分もまたスーファミ、
としてサターンというプラットフォームで自ら作曲して
いく決意ができたと思います。

メロを書くのは大変です。

ゲーム音楽に、顔のあるメロを書いてくれる作家は
実は、ほとんどいないんです。誰もそこまで「心」を
割いてくれない。そういった意味でいえば、僕達に
音楽の心を教えてくれた初めての人が竹間さんだったんです。

で、結局、僕がプロデュースしていくタイトルの基準は、
全てがそこになってしまった。だから、僕が監修した
作家の人達は皆さん、ひどいめにあったと思います(笑)。
申し訳ないぐらい、NGを出しまくった…。
それぐらい、顔のあるメロを産み出せる創造力、というのは
簡単にひねり出せるものじゃぁないと思います。
なぜって。それは「愛の力」だからです。

キノコさんも、今ではあまり覚えていないみたいだけど(笑)
あの当時はそれなりに僕はNGを出したし、かなり注文を
つけたはずです。顔のある音楽を…というのが、僕の変わらない
オーダーだったんです。

後に、光田君や、植松さんという素晴らしい業界の
仲間にも出会っていきますが。なんといっても、僕の
ゲーム音楽の原体験には、竹間さんの「姿勢」が
強く刻みこまれているのです。


今でも、こうやってまがいなりに音楽活動をしていますが。
いかに心をこめて、愛をこめて音楽を創作し続けていくか、
それって命をどう生きるか、そのものにつながっていきます。

作曲家が書く「メロ」っていうのは、その人の命そのものと
いっていいものです。それを軽視する人を僕はけっして
許せないわけです。権利の事なんかも、いろいろと
問題がおきたり、収集がつかなくなりそうな事もありましたが、
そういう問題の中核はいつも竹間さんでしたね。いえ、けっして
彼女がトラブルメーカーだったのではなくて「あたりまえのこと」を
アピールしていただいただけだったんです。
でも、僕たちは音楽の「心」について、なにも分かっていなくて、
右往左往してばかり。そんな時代もそれなりに長くありました。
その節はどうもご迷惑をおかけしました…。
おかげで、著作権のこともずいぶん分かるようになりました。

本当に音楽家で生活していくっていうのは、いろんな苦労が
あるもんです。

でも、素晴らしい仕事ですよ。本当に。
時代を越えて、心に残る「メロ」をこの世に産み出せるんですから。
素晴らしいパワーだと思います。それも、けっして害にならず。
けっして無駄にならない。いい音楽って、全ての人にとって
いい薬になり得ますから。

竹間さんは、最近ではアラブ古典音楽のエキスパートとしても
大活躍の模様。実は、僕もちょっと指南を受けたことがありますが、
非常に奥深い世界です。そんな話もいつか書いてみようかな。
  
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2006年01月06日

現在の音楽活動の事

いっきにタイムシフト。
「現在」について。

現在、ゲーム関係の仕事は全くゼロです。
「天外魔境・第四の黙示録」の時に、
一緒にサントラを作った長山君が長山企画という
会社を作って独立してがんばっているので、
彼が作詞をする時は、曲を書きたいなぁと
思っていますが…。今のところ、ゲーム業界とは
なかなか復縁するチャンスがありません。

ゲームの企画だって、関わってみたいんですけどね…。
まだ、現在の自分が安定していないので、しばらくは
厳しいかな、と思います。


今現在の、音楽を作る環境については…
今、制作用に使っているLogic Proの
環境には、たくさんのソフトシンセが
入っています。

僕は元来、ピアニストなので、ピアノ音源は
かなりこだわってます。作品として、ピアノ音源を
メインにしたものも多いので。そういう時は、
「Ivory」という音源を使います。
このなかに「ベーゼンドルファー」というメーカーの
ピアノの音色が入っているのですが、これがメインかな。
スタンウェイ、ヤマハのピアノはどうも自分の好みでは
ないので。

ピアノソロでコンサート活動もやっていますが、もしも
会場にベーゼンドルファーがあれば大変嬉しい…けれど、
そういうホールを使えることはまずないかなぁ。
ピアニストは、ピアノを選べない不自由さがあります。
せめて、本物が欲しい!ですが、自宅のはヤマハです。

他には、SampleTankというサンプリング音源、それと
Atmosphere、Stylusといったところかな。それぞれ、
シンセパッド、リズムセクションなどを担当します。

独立した今はゲーム音楽はまったく作っておらず、
ヒーリングミュージックのジャンルでがんばっています。
まだまだ売れてませんが、少しずつ多くの人に聴いて
もらえるようになるよう、日々勉強中。

丁度、オーケストラ音源のライブラリーが新しく
発売されたので、それを購入しようかと悩んでいるところ。

制作用のマシンはPowerMacですが、そろそろCPUパワーが
不足してきたかなぁ。もうすぐモデルチェンジが
あるようなので、買い替えるかもしれません。

ファミコンの音楽を製作していた頃は、MIDIが
流行り始めた頃でした。でもソフトシンセなんて
想像もできない世界。今では、パソコンに音源が
入ってしまいますので、ほとんどハードウェア音源を
買う事がなくなってしまいました。ちょっと寂しいけれど、
コストもかからず、場所もとらずで、おおいに助かります。


新しいアルバム作りにもとりかかりたいのですが、
なかなか時間がとれない状況が続いています。
音楽家としての仕事だけでは生計がなりたちません。
現在の、もう一つの僕の顔はスピリチュアル・カウンセラーと
レイキヒーリングの教師です。瞑想やヒーリングを指導したりも
しています。本当に音楽で食べていくのは大変なことです。
今も…昔も…。

  
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ボンバーマンシリーズのBGMのこと

キノコ国本さんとブログがつながってから、
彼のブログを通じて、いろいろと世界が
ひろがっています。

今日はついに、ボンバーマンシリーズのBGMの
ことばかり語られている掲示板にたどりつきました。

最近は仕事が多忙なので、あまりネットを調べ回ったり
していなかったのですが。とても感慨深いものがあります。

その掲示板では当然ながら、作曲家であるChikiさんの
事もコメントがたくさんみられました。

僕の大恩人でもあり、今でも素敵な友人の一人である
竹間ジュンさんのことをちょっと書いてみます。
クレジットは、たいがいJun Chiki Chikumaさんに
なっていたと思います。

初代のボンマーマンは、実はX1というパソコン上で
産まれました。当時、僕はH社に入社したての頃。
開発室に足を踏み入れた時に、まっさきに目撃したのが
まさしく産声をあげたばかりのボンバーマンの画面。
あれはいったい何年の事なのだろう。'81年ぐらいじゃ
ないかな。
X1はシャープのテレビ事業部の力作。テレビ事業部だけ
あって、ディスプレイはテレビ内臓だった。というより、
テレビそのものだった。おかげで開発室では、わざわざ
ビデオ用のモニターを買わずに済んで、省スペースに
多大な貢献をしてましたっけ。
X1は当時としてはなかなか高性能なパソコンで、
タイマー割り込みがないのは仕方ないけれど、素性が
よくてプログラムもとても組みやすかった。
Z80のアセンブラーでずいぶんゲームを組んだものです。

X1用にはマシン語で最初にSPIDERというシューティングゲームを
作りましたが、覚えてくれている人はいるだろうか…。
あれはAppleIIの「A.E」というシューティングゲームの名
作が
ありまして、それをパクった内容です。というより、足もとにも
及ばない代物でしたが、自分なりにはよくできたかな。

X1版はタイマー割り込みもなかったので、音楽を自由に
鳴らすことができなかった。初代のボンバーマンはBGMは
なかったんです。

やがてファミコンがブレークしまして、どんどんゲームを
売り出していこう、という方針が打ち出され、社内では
ほぼ全てのゲーム開発スタッフがファミコンシフト体勢に
なってしまいました。ロードランナーは外国から版権を
買ってきて売り出しました。オリジナルのApple版は、
かなりマニアックな感じだったのですが。ファミコン版は
可愛いキャラに変更したおかげか、かなりヒットに
なりました。今ではああいったシンプルで奥深いゲーム性を
もつタイトルがほとんどないので。自分のように古い
タイプの人間が楽しめるタイトルがほとんどなくなって
きました。
(実はクルクルランドがとっても大好き人間です。といっても、
 通じないだろうなぁ。僕がクルクルランドが唯一のストレス
 解消だったなぁ。無限にステージをクリアできるぐらいに
 上達しましたよ。)

あれ…全然、竹間さんのはなしに戻れないですね。
続きはまた。

  
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2005年12月09日

懐かしいファミコンBGM復活の機運?

キノコさんのブログからトラバを遡っていったら…。
往年のファミコンの音楽を作った人達に、改めて
FM音源で新曲を作ってもらって…それをアルバムに
するなんていう企画があるのですね。

面白いなぁ。

僕もお手伝いしてみたいかも、なんてちょっと
思っちゃった。

もっとも、僕がファミコンの音楽を監修していた頃に、
もっぱら依頼した作家さんっていうと、キノコさんを
始め、あとはあの超有名シリーズにまで成長した
ボン○ーマンを担当してくださったTさんとか。

実はTさんとも、メールで連絡は今でも取りあっていて。
他にも幾つかのタイトルを手分けして依頼した人達が
います。なかには、たとえばサ○ンのSさんとかも
いるわけですけどね。

やっぱり、たくさんの人の耳に染みついているんだなぁ。
完全にもはや一つのナツメロのジャンルになりましたね。

  
Posted by m9concert at 07:05Comments(0)TrackBack(1)

60分の1秒の世界

最近のゲーム機はかなり進化したので。
もうそういうことはなくなったのですが。

ファミコンというのは、かなり原始的なマシンでした。
機能的な制約のなかで、その最たるものは最小分解能が
「60分の1秒である」というもの。

これはどういう事かというと。
音楽の世界では、テンポの表記は「一分間に四分音符がいくつ」
というもの。そこから八分音符、十六分音符の長さが
割り出されていくわけです。
実際、計算してみるとわかりますが…。
それらを誤差なく正確に刻みだそうとすると、ものすごい
短い周期でタイマーがカウントアップしていく必要がある。

ところが。

ファミコンというのは、とにかく「60分の1秒」単位、
という区切りしかない。そういうタイミングでしか
全ての処理がさせられないのです。

これはタイマー割り込み機能といいますが。
最新の機器には、おそらくこのタイマーが
ものすごい高速で、それも複数の回路が
組み込まれて、簡単に実現されているはずです。

ところが、原始時代のファミコンには全ての一定時間毎の処理
(つまり、画面を動かす、ジョイスティックを検出する、サウンドの
処理をする)は、「60分の1秒」ごとに処理する方法しか
持たなかったのです。

「60分の1秒」というのは、1秒で60回の処理
ですから。
1分間では3600回の処理です。

「四分音符=120/分」というちょっと早めのテンポ設定だと。
30回、タイマーがまわったら四分音符ひとつ分の長さ、
という処理をサウンドドライバーが行うのです。
八分音符は15回です。では十六分音符は???
7.5回というのは不可能なので。
8回、あるいは7回です。(誤差が出るので、ずれないように
余りを手で計算しながら補正します)
三十二分音符は…4、4、4、3とか。
とにかく、誤差がでるわけです。

これがなかなか「微妙なゆらぎ」になってしまいます。
リズムがしっかりとタイトに刻んでいないと気持ちが
わるい、「絶対音感」ならぬ「絶対リズム感」のような
ものを感覚的に持っている音楽家も「稀に」いますから。
そういう人に曲の依頼などすると、後が大変です。
「もっとリズムを正確に」とか、「もうちょっと早く」とか、
「ここを3連音符にとか」とか。もう絶対に無理な
注文をつけられてしまいますが。

あなた、それは無理なのよってな事を、実際に音を
鳴らしながら試行錯誤。お互いに、眉間にシワよせながら、
歩みよりようのない歩みよりが日夜続くのです。

このストレスに打ち勝った作曲家だけが、ファミコンの
ゲーム音楽作家へのゲートをくぐれた事はいうまでもありません。

いや〜。ほんとに皆さん、ご苦労さまでした。

#しかし…このテンポの制約をみごとに超越した、
 絶妙なリズム感の音楽を産み出した人達もいました。
 何事も、使いこなせば上達するもの。
 ファミコンという「楽器」への愛情のなせる技なのかな、と
 思いました。任○堂さんとか、コ○ミさんの音はいつも
 バツグンにいい出来でしたね。

#ファミコンでは絶対に60分の1秒以上に早い周期での
 処理は不可能なのですが。
 その不可能を可能にしたサウンドドライバーを実現した
 ゲームソフトが一つだけありました。
 それは僕が音を移植したアーケード版がオリジナルの
 ゲームで「POOYAN」というタイトル。
 あのサウンドドライバーは元が300分の1秒で動いていて、
 それを実現しないと、風船の割れることが鳴らなかった。
 仕方ないので、強引にファミコンで300分の1秒の処理を
 実現させましたが…。今でも、あれはよくできた音だ、と。
 感心しちゃいます。
 といっても、ファミコンのサウンドドライバーを作った
 人じゃないと、わからない苦労ですね。

#長年、60分の1秒の世界で仕事をしていると、
 60分の1秒の間合いが「感覚」でわかるようになってし
まいます。
 目でも追えるし、耳でも判別ができます。
 あと60分の2秒、前にずらして…とか。そういう
 言葉づかいが日常になっちゃう(笑)。

  
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