昨年、近畿中小企業行政協会納税貯蓄協会から原稿依頼を受け、掲載されました『豊中市制について』(平成20年11月17日付け発行)を「今日のひとりごと」として紹介させて頂きます。

今回の原稿依頼については、紙面の関係上1200字以内で提出するようにとの制約もありましたので、主観や感想を交えず、客観的事実を出来うる限り正確に、しかもより多くの史実を読者の皆様に提供したいと考え、簡潔に纏めてみました。
従って、面白みやより詳しく記述できなかったことに対しましては、先に述べました事情を考慮して頂き、豊中市の歴史的事実の「導入編の入り口」程度にご理解頂きたいと思います。

豊中市制について
豊中大地は先史時代の遺跡や桜塚をはじめ多くの古墳が分布している。
昭和39年に恐竜のただ一つの直系子孫として「生きている化石」と言われる世界最大のワニの化石が、日本で初めて待兼山(大阪大学豊中キャンパス内)で発掘され、「マチカネワニ」と命名された。
また、市内最大の荘園であり文化遺産でもある今西氏屋敷跡は、現在府指定から国指定へ検討が進められている。
戦国時代には豊島地方を舞台に豊島河原合戦が展開されたと太平記にも記され、刀根山城・原田城などが築かれたが、新興勢力に滅ぼされている。
明治維新を迎え、明治22年4月、摂津国豊島郡新免村、南轟木村、山ノ上村、桜塚村、岡町村の5カ村を合併し、豊中村が誕生した。
豊島郡の中央にあたることから初めて「豊中」の地名が生まれたと伝えられている。
明治43年には、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄宝塚線)が開通し、宅地化が進んだ。
また、大正4年には高校野球の前身である全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンド(現在は住宅地の玉井町)で初めて開催され、第一回高校ラグビー大会も同7年にこのグラウンドで開催されている。
豊中市の誕生は、昭和11年10月15日に豊中町、麻田村、桜井谷村、熊野田村が合併し、18.18k屐人口38,770人・7,977世帯、大阪府内で4番目、北摂では他町村に先駆けての市制施行であった。
豊中市の変遷を概括的に観てみると、昭和14年市章を制定。
S21年市制施行十周年を記念し豊中市歌を発表。
S22年中豊島村、南豊島村、小曽根村を編入。
S28年三島郡新田村のうち大字上新田を編入。
S30年豊能郡庄内町を編入し、現市域が確定。
S37年現市第一庁舎が完成。
S38年サンマテオ市(カリフォルニア州)と姉妹都市提携調印。
S40年平和都市を宣言。猪名川流域下水道協定が成立。
S41年千里ニュータウン構想に基づき新千里北町が完成。
S41年に市制施行30周年を記念し、キンモクセイとバラを市の木と花に決定。
S49年沖縄市と兄弟都市宣言。
S53年豊中市総合計画策定。
S58年非核平和都市を宣言。
S59年人権擁護都市を宣言。
S61年新豊中市総合計画策定。
平成4年市役所第二庁舎完成。
H7年阪神・淡路大震災で府内最大の被害。
H8年現在の豊中・池田ケーブルネットが放送開始。
H9年新豊中病院完成(柴原町)と市のホームページを開設。
H10年行財政改革大綱と実施計画を策定。
H11年市の一般会計が18年ぶりに赤字決算、財政非常事態宣言。
H13年第三次豊中市総合計画策定。特例市に移行。
H16年行財政再建指針・計画を策定。 
H18年市制施行70周年行事を市民と盛大に実施。
H20年9月定例会一般質問からインターネット配信がスタート。 
豊中市は、平成20年10月1日現在、36.60k屐388,373人・166,151世帯であり、今後、中核市を目指し、調査研究が進められている。