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企画展のディレクションなどで精力的に活動しておられる湊雅博氏が、新たに「事象」と銘打った写真展企画を開催されるということで、降りしきる雨の中、会場の表参道画廊へ出かけた。

内容については、湊氏のコメンタリーを引用させていただく。

事象展について

自分を取り巻く個人的事情から表面に現れてくることがらは、時間の流れの中で見失ったり変容したりして、留めおくことは出来ないものとして認識されているに違いありません。
今回の事象展に参加する作家は、その流れていく時間の中で留めておくことの出来ない何ものかを、観察しうるものに表象させる行為として写真を存在させようとしています。
自己の時間の流れに沿って、立ち現れてくることがらを観察し表象させて、個から他者へとの関係性にむかうまなざしを持つ作家の連続作品展です。


会期はDIVISION-1と2に分かれていて、それぞれ2名の作家が展示する。
今回はDIVISION-1の森下大輔写真展「asterisk」と阿部明子写真展「レウムノビレ」を鑑賞した。

まず、阿部明子写真展「レウムノビレ」について、作家コメントを引用する。

 今回、父の死という人生の中でも大きな出来事(一方で常に誰の身にも起こる普遍的な出来事)によって、自分自身と社会の時間の噛み合わなさ、特には、死者と接していくことに関してあまりにも形骸的で、寄り添っていく時間を持てない事に強く疑問をもち、この社会の合理性に対して、自分自身がどのように接して行けばいいのか?接していくべきなのか?この噛み合わなさは小さいながらも元々あったのではないか?と問答しました。
 私は父の死後、自分の写真に向かう事に疲れてしまい、父の携帯とコンパクトカメラで撮影された約300枚の写真を見ることが日課になりました。父の生前の写真だと感情的に眺めていたそれらが、見る度に、自分の父の写真であることを離れ、一人の人間が撮影した写真として、生き始めています。私は、その写真の前でだけ、社会で流れている時間から隔離され、死者に寄り添うための全うな時間が流れ始めているようです。
 この個展のタイトル、レウムビノは温室植物といわれる植物の名前からつけられています。その植物は自分自身で温室を作り上げ、その内部に花を咲かせます。自身の葉で囲み、外の環境から自分の種子を守るようなこの植物の生態と、父の撮影した写真で部屋の壁を埋め尽くし、それによって社会の時間から守られる今の私が、重なっている様に感じているのです。


引用終わり

会場は企画の意図をモダンかつ静かに表現した空間で、立ち入ることに後ろめたさに近い気後れや、あえて言うなら居心地の悪さを感じた。しかし、それは作品が企画意図を十分に伝える力を持っていたということでもあり、展示としては成功しているのだろう。

次に森下大輔写真展「asterisk」についても、まず作家コメントを引用する。

「光はいつも明らかで、事物と混じりあうことでその姿を現す。レンズはその様を捉え、再現する。目の前に何 かが存在するという美しさ、その驚きを素直に表現するのに写真ほど適した方法はない。だから私は写真を撮る と決めた」

引用終わり

写真が被写体となった様々な事物、事象を採集、獲得するメディアであることは、ソンタグの指摘を思い起こさずとも周知の事実と思うが、そこに撮影者あるいは被写体の意図をどこまで織り込むかは(そして、そのことをどの程度まで自覚するかは)、作家の制作姿勢を考える上で重要な要素であろう。森下氏の作品は被写体となった事象を写真という平面作品へ作り変えつつも、抑制された描画によって写真の範疇に落とし込んでいる。そして、その技巧を奥ゆかしく作品の背景に後退させることで、鑑賞者へ心地よさを与えているとことに感銘を受けた。

いずれも非常におすすめしたい展示なので、ぜひ会場へ足を運んでほしい。
DIVISION-1の会期は明日までだが、来週のDIVISION-2も楽しみである。