Der Entwurf ist nicht nur als je geworfener durch die Nichtigkeit des Grundseins bestimmt, sondern als Entwurf selbst wesenhaft nichtig.中公クラシックスの翻訳
企投は、そのつど被投されたものとして、根拠であることの非力さによって規定されているばかりではなく、企投自身としても、本質上非力なのである。「企投自身としても」の原文は「als Entwurf selbst」である。訳者はイタリックの意味を考えなかったのであろうか。もし訳者のように解するなら、ここではselbstもイタリックで表記されていなければならない。als Entwurfのみがイタリックであることは、ここに切れ目があること、つまり、selbstと切りはなして理解しなければならないことを意味している。
変更を最小限にとどめるなら、次くらいでどうでしょう。
企投は、そのつど被投されたものとして、根拠であることの非力さによって規定されているばかりではなく、企投として、それ自身、本質上非力なのである。