2011年05月07日

宮城県・山元町で写真修復ボランティア(1)目的


2日間で、シャッターを切った回数はたぶん自分史上最高。

しかし撮影したのは写真ではなくて「写真の写真」つまり複写。

小学校

これはそういうボランティアの話。

訪問したのは仙台の南、宮城県亘理郡山元町。
製菓業界ではケーキ用の高級イチゴで有名だそうだが、正直、知名度は今一つの町だ。正直僕も今回初めて聞いた。
今回の震災では津波でひどい被害を受けて、面積の65%が被災地となり、全人口16,695人のうち631人が亡くなった。133人の安否がいまだ不明だという(4/17現在)。

被害の状況については、こちらを。
被災の様子( 『私達は災害臨時F M「りんごラジオ」です: りんごラジオのブログ』 )


この山元町で日本社会情報学会(JSIS-BJK)・災害情報支援チームが展開するプロジェクト『思い出サルベージアルバム・オンライン』。
今回、ニフティの田代さんが『みたいもん!』のいしたにさんにお声をかけたのをきっかけに、『のまのしわざ』のまさんと僕も参加させてもらうことになった。



5/4朝、新幹線で仙台へ。田代さんと合流し、常磐道で山元町へ。

途中、名取・岩沼・亘理と、車窓からの眺めすべてが被災地。

常磐道から被災地を見る
常磐道から被災地を見る posted by (C)[4k]shike

自衛隊の活躍でガレキはだいぶ撤去されたはずだが、それでも余りにも大きい爪あとが残っている。もともとが宅地なのか田畑なのか分からない荒野に、不自然に転がる壊れた自動車。

常磐道(宮城県側)の終点である山元町で下りて、とある小学校へ。

小学校
小学校

ここも津波が押し寄せた。生徒は何とか避難して無事だったそうだ。

体育館に、アルバムが集積されている。
小学校 小学校小学校 小学校

多くの人命と財産が失われた中で、アルバムという思い出もまた津波の濁流に呑まれ、失われようとしていた。災害救助で派遣されてきた自衛隊や消防団の方々が、人命救助・ガレキ撤去という本来業務の合間を見て救出し、こうして集積しているのだという。その数推定12万枚。

この大量のアルバムから一つでも多くの記憶・思い出を蘇らせる。
これが今回のボランティアの目的である。

つづく。



m_shike at 18:15コメント(0)トラックバック(0)震災 | 写真 このエントリーをはてなブックマークに追加

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