2009年07月

2009年07月31日

梅雨はあけたはずなのに!!

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都幾川・鞍掛橋  1999.8.14午前9時半。きわめて危険ですから、同じようなことをしないでください。


山口県、続いて北九州に集中豪雨があり、多くの死者が出てしまった。時間100ミリを越えるという。これはもう脅威であり、対応ができるわけはない。さらに館林で竜巻、それも長距離6キロぐらい続いたというのも初めてとのこと。これも対応ができない。

台風でもないのに強い雨が長時間降る。かつて夕立がきたが、昼間は晴れていた。気候の変動は、100年〜500年のタイムラグでは幾らでもあるので、なんてことはないが、ここ10年くらいで、大変化が来ると、さすがにびっくりする。

ここ関東では、一番すごかったのは、1999年(平成11)8月14日熱帯性低気圧であった。熱帯性低気圧なんて聞いたことがないのに、すごい雨。戦後最大のキャサリーン台風に次ぐ雨量であった。

あちこちに写真を撮りに行ったが、荒川本流の雨の量は怖ろしかった。都幾川の流れの速さとその音には何回も行っているので、見慣れているが、さすが、これが荒川かと思える流量であった。ちなみにこの時の雨量は、荒川流域平均で420.5mm、都幾川堂平山で563mm。



写真下は同じく、1999.8.14午後3時頃、荒川本流、大芦橋上流、雨が強くて車から出られず。広い川一面に濁流が流れている。危険ですからまねをしないでください。


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2009年07月30日

高橋英夫さん、第5詩集「窓から」の発刊

秩父小鹿野の高橋英夫さんの第5詩集「窓から」を発刊した。

表紙絵は、やはり秩父在住の画家浅見哲一(のりかず)さん。あれどこかで見た絵だなと思ったら、おなじく小社から出している宮城和歌夫さん(英語日本語版「秩父の昔ばなし」)が発行したCDのジャケットが浅見さんの絵であった。

高橋さんは小社から第3詩集「眼のない魚」(表紙絵・齋藤政一さん)、第4詩集「ある帰郷」(表紙写真・南良和さん)。

過日、小鹿野の「小鹿荘」で出版記念会が開催された。60名以上が参加した盛況な集まりであった。秩父の文化人が結集したような集まりで、雑誌「文芸秩父」が終刊となり、淋しい状況なだけに、今後、何らかの展開ができればと期待したい。

高橋さんの第1詩集は「夢を売る男」、第2詩集は「囚われの盆地」である。

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夢を売る男が、盆地の中にとらわれていく、そして眼のない魚になってしまった、とは読み過ぎである。そして東京から帰郷した原点を見いだし、窓からになっていく。一つの再生である。
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高橋さんの詩は、政治に厳しく、しかも現実に対処し、さらにひょうひょうとしており、どの詩を読んでもあきない魅力が一貫している。

詩はこんな見方もあるよなというのが面白い。人は、ともすれば、自己の体験から、視野を限定しがちである。そんな見方って狭いよ、と高橋さんの詩はいつも呼びかけている。

2009年07月29日

アメリカ対イラク・アフガニスタン・イラン・パキスタン戦争

アメリカはイラクから近い時期に撤退していくとのこと、2003年対イラク戦争を始めた時、アフガニスタンは平穏な状態となったとして、さすがに2カ国を同時に相手にできないから、アフガニスタンから主要兵力を引き上げ、イラクに主要部隊を移駐した。

そのため、アルカイダが復活し、アフガニスタンは北部にいるドイツさえも銃撃戦を展開するようになってしまった。

パキスタンもその国境地帯にはアルカイダの部隊がおり、さまざまな情報が錯綜しているが、米軍がその基地を攻撃しており、同時に当然のごとく、民間も攻撃せざるを得ず、当地でも反アメリカとなりつつあるようだ。

フランスはもともと、アメリカの一人芝居に全面賛成ではないため、その記事はアメリカ寄りというより、反アメリカ向きであるので、少し割り引いて読まねばならぬが、パキスタン軍(いろいろな歴史があるが)内の将校クラスもアルカイダ軍に入っているという。

イランはよく紙面に出るので、了解されると思うが、反アメリカの牙城でもある。

アメリカは近年のアフガニスタンの不利から同地に主力を転換するということである。オバマ大統領になっても、この不利はアメリカ兵がその地に行った場合は、従うが、離れればまた敵となるというスタイルである。ゲリラ戦の最たるものである。

長引けば長引くほど、人心をとらえていないのだから、不利となっていく。アメリカはこの4カ国を対象に戦いを展開するつもりなのだろうか。

その住民は生活がすべてであるから、アルカイダ軍がテロ集団であろうがなかろうが、爆撃でアメリカに殺されるよりはましと考えるのは人情であろう。

どうアメリカをひいき目で見ても、これまでのアメリカの見通しは間違っていたとしか言いようがない。アフガニスタン、イラク、それからアフガニスタン、さらにパキスタン国境地帯。戦場は確実に広がっている。



インド洋の謎 3

イージス艦の情報収集について、すぐれた記事があるので紹介する。

「世界の艦船」(667号、2006年12月号特集イージス艦発達史)である。この冒頭文章に常に的確、客観的な文章を書き、軍艦などの専門家筋で高く評価されている藤木平八郎さんが「イージス・システム開発の歩み」という題で記している。

その中で、簡単に記すと、スプールアンス級という大型艦があった。同じ船体でありながら武器などをモデュール化することで、多様な用途の軍艦が可能であり、かつ建造費も安くなるという画期的生産方法をとった艦であった。

そのスプールアンス級の船体でありながら、イージス艦の1番艦タイコンデロガは1983年1月に就役したが、建造費約9億3800万ドルで、スプールアンス級の3億1000万となっているため、議会・マスコミから非難があったとした上で、次のように述べている。以下引用文、上記の文章は一部小生の解説あり。

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1984年1月、タイコンデロガは不評を背負ったまま出撃、同年4月まで実働90日間をレバノン沿岸で行動した。在ベイルート米海兵隊司令部爆破事件直後のこの海域は、シリア、リビアの潜水艦・航空機さらには泳者の攻撃まで予測され、一方戦艦ニュージャージーNewJerseyBB−64(57,353トン)の40.6センチ砲の砲撃がなされるなど、戦闘状態にあった。
 この中でタイコンデロガ装備のSPY−1レーダーの信頼性の高い目標探知・識別能力が注目の的となった。他のレーダーでは探知困難な、砂嵐によるクラッターや東地中海特有のダストによる異常な電波伝搬の中で、航空目標の90パーセント、海上・陸上目標の50パーセントを確実に捕捉・追尾したという。
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以上が引用文である。インド洋派遣の海上自衛隊のイージス艦が何の情報収集をしたかは、具体的にはわからないし、安易に判断すべきではないが、2004年は微妙な時期のアフガニスタン・パキスタン情勢であっただけに、気になるところである。



2009年07月28日

2004年インド洋の謎 2 イージス艦4隻は何故派遣されたか?

2004年一年間、当時日本にあった4隻のイージス艦がすべてインド洋に派遣された。その後1隻も行っていないのだから、何故行ったか、その理由が謎となっていると記した。

考えられるのは、この年の3月以降、アフガニスタンのターリバーン、アル・カイーダ軍がパキスタン国境内で、パキスタン軍と戦闘を始めたことが一つあげられる。

考えられる、または予想出来うるあらゆることを想定するのが戦場の指揮官や参謀であろうから、パキスタン国内にアフガニスタンの反政府軍が優勢となり、それなりのロケット基地を設置することを予測することは当然考えられる。

うーんいまいちか、それでイージス艦とは直接結びつかない。ロケット基地からのミサイル攻撃に対する防衛と見れば、少しは納得いくか。

まあ、ロケット基地を攻撃すれば良いので、こんなの軍事の初歩の話である。古来からこの手の話はあり、ロケット基地を叩くのは、空母の艦載機ならお手のものである。万が一を考えてか。しかし、インド洋のどこに敵がいるか、哨戒機の無い反政府軍であるので、これも無理。

大陸弾誘導弾で1で書いたイギリス軍基地を叩くなら、イージス艦は必要であるが、その情報収集に参加していたのだろうか。

戦争ではデマを含め、あらゆる情報が飛び交う。アフガニスタンのタリバーン軍が長距離のミサイル発射に成功したとか、さまざまな情報が飛び交い、その一部は実現する場合もあるし、予想出来なかった故に大敗北を帰する場合も生じる。

わかりやすく言えば、真珠湾攻撃であり、ミッドウエーの敗戦である。まさか東洋人の日本があそこまでしっかりした空母と、艦上攻撃機と艦上雷撃機で大量に攻めて来るとは思わなかったのである。1隻くらいの空母が、戦艦に1発か2発の爆弾を落としておしまい。戦艦にとっては厚い装甲板があるのでかすり傷。あくまでもそんな程度の奇襲攻撃を考えていたのだろう。

日本人に出来ることはその程度。最新のイギリス軍でさえも、100〜200機程度の波状攻撃など考えたこともない。せいぜい、20機程度。ビスマルク攻撃がそうだった。最高レベルの英独海戦でさえもそうなのだから、攻めて来て!!が本音のところだろう。そうしたら開戦が出来るのだから。

戦争に日曜日も糞もない、そんな指揮官だったら失格である。宣戦布告なんて後からつけた理屈であり、言い訳である。最近はイラクアフガニスタン戦争でも宣戦布告なんてしない。

ミッドウエー敗戦は逆である。書きたくないので書かない。

さてインド洋である。「イージス艦の情報収集が目的」とどこかに書いてあった。それが気になる。情報収集とは、その優れたレーダーで調べることである、と記して思い出した。これだ!!!

レバノン(?)に対する地上の動きを、当時、イージス装置をつけたタイコンデロガ級巡洋艦がつぶさに調べ、情報を送り、情報収集で大活躍をしたのだ。確か「世界の艦船」にのっていた。

地上軍の細かい動きを定常的継続的にとらえたのだ。哨戒機、または哨戒ヘリでは出来ない定常的継続的偵察、沖合でこれが可能となった。

パキスタン国境内の戦闘で、日本のイージス艦は多分これをしていたのだろう。