2005年09月19日

飯能市とアニメ「雲の学校」上映会、自由の森学園「人・森・地域いきいきフォーラム」

 飯能市で9月18日(日)で打木村治著の児童文学『天の園』のアニメ「雲の学校」の上映会が2回(10:30、13:30)実施された。

 飯能市は、打木村治の最後の住所であり、飯能の方々との交流も根が深く、小生が『打木村治作品集』(1987.7)を発刊したときも、その年の11月1日に出版記念会を開催していただいている。



 その出版記念会をきっかけにして、「文学碑建設の機運高まる」(打木村治文学碑パンフより)の動きが起こり、翌年(1988)6月4日に子ノ権現にその文学碑が建立された。もちろん出版記念会にも建立式にも参加させていただいたが、その事務局・とりまとめ役をしていただいた赤田喜美男さんが持病の肺が苦しく、坂をゆっくり上がっていたのが思い出される。打木村治さんはとてもお元気で、矍鑠としておられた。文学碑の建立にあたり、「ホントに有難う。僕のような者にみなさんが一生懸命になって奔走してくれて」と言うようなことを言っておられたように思う。

 打木村治さんの出版記念会、文学碑の建立に関しては、飯能の同人誌「高麗峠」を忘れてはいけないだろう。今回の映画上映会の実行委員長をされた森和夫さん、編集を担当されており、詩人蔵原伸二郎の研究家として著名であり、ご自身も詩人で詩集を出しておられる町田多加次さん、写真家であり書店「めいわどう」主であり新井幸一さん、前市長の小山誠三さん、作家の田中順三さん、若林利代さん、粟田良助さん、わだこうぞうさん、中里光男さんなどが会員である。また同人ではないかも知れないが、桑山和子さん、沼部時井さんなど多くの方を紹介していただいた。

 文化は政治や経済と違い、その進歩は、牛歩のごとくであろう。毎日、1歩づつ歩いているとすれば、千日経って少し歩いたかな、1万歩歩いて少し離れたところに来たかな、と言った具合でしょう。しかし、その影響はすごく、現在飯能に多くの文化人・制作者・クリエーターがいるのもこれらの牛歩のお陰であろう。小生、その街に行けば、ちょっと知り合いがいるというのは、飯能、秩父、寄居、越生・毛呂山、小川(東松山近隣を除く)ぐらいであろうか。

 その意味でも、上映会に参加したかったのであるが、同じ日、小生は、小生たちが立ち上げた「さいたまグリーンエコツーリズム協議会」と飯能の「自由の森学園」との共催「人・森・地域いきいきフォーラム」で第二部でコーディネーターをすることなっていたので、参加できず、終了したら、会場の飯能市民会館におっかけ行ったのであるが、実行委員会の慰労会は終了済み。何ともがっかりという気分でした。

 「人・森・地域いきいきフォーラム」はコーディネーターと言うよそいきの仕事だけではなく、この種の集まりで良くあることだが、汗をかくやつは何人と言うことで、8時半から案内板の設置、横幕貼り、パネル飾り、机の持ち運び、受付、カメラとてんてこ舞い。

 しかし、第一部は自由の森学園の生徒が、環境実践に関し発表され、とても意義あるフォーラムでした。このことはまた細かく報告させていただきます。

 上映会は1400名が参加、大盛況でしたとは息子が本売りに参加していたので。
 上映会には参加できませんでしたが、飯能発の文化発信という点では、今回少し恩返しができたかなと思っています。 なお自由の森学園高等部の鬼沢校長さんの話によると、赤田喜美男さんの息子さんが、自由の森の社会科の教師とのこと。飯能文化を、ホントに肩肘張らず、こういうバイプレイヤーってものすごく素晴らしいよなという人のDNA(失礼でしょうか)が飯能の地でつながっているんだと思うと、とても感動的でした。



ma2221 at 18:34│Comments(1)TrackBack(0)日記 | 日記

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 関根 章夫   2012年04月17日 15:47
赤田喜美男さんを検索し、見つけました。
本日、暇にまかせ、埼玉県立文書館に行き、赤田先生の写真集を母と見ていたところ、八高線の事故の写真を見つけました。母が、確か、この事故で、赤田先生(当時 飯能女学校の先生をされていた)が亡くなった、というので、もしやと思い投稿しました。母は、昭和3年生まれで、飯能女学校の学生でした。
 赤田喜美男先生の集計された、「飯能市師 通史編」のP559の学徒動員の藤幸の50名に該当するとの記憶です。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔