2009年11月17日
属州キャンペーン イタリア半島統一への道 南部戦線 2
攻めをもって『攻め』となすと決めた南部戦線のローマ軍がとるべき戦略はいくつかあります。
第一はタレントゥムを包囲・攻略するというものです。
この策はデメリットばかりが大きいです。というのもすぐ近くにエピュロスのピュロス王の強力な軍団が2個控えているからです。
(画面では1個軍団しか見えていませんが、タレントゥム〜ブリンディシ(=タレントゥムの港)間にもう1個軍団が隠れています)
そのうえ、カンナエも反乱勢力なので、味方都市のカプアまでは遠く、補給に心もとないです。
次にカンナエ攻略を優先するというものです。これは補給線が短くてすみ、メリットが多いです。
第三にネアポリス(現在のナポリ)かクロトンを攻略するというものです。これも第二策と同様にメリットがあります。
ただ第二策、第三策で注意しなければならないのは、キャンペーンスタート時のローマの財政状況は破産寸前だということです。
国庫に15000デナリウスあるものの、毎ターン6924デナリウスのマイナスだということです。つまり2ターン(=1年)近くで国庫は空になると言う計算です。実際は都市建物の建設等も行いますので、ほぼ最初の1ターンで国庫は空になります。
その意味で、自爆的にタレントゥムを包囲し、ピュロス王の2個軍団を引き受けるという方法もメリットがあると思います。タレントゥムを包囲するとすぐに敵は攻撃をしかけてきます。ピュロス王の2個軍団と相打ちになると、ローマに残るのは1個軍団、財政もほぼ均衡するからです。
そんな鬼のような非情な判断はともかく、カンナエ攻略時に強襲をかけて味方を損耗させるとか、あるいは軍隊を解散させる等維持費を下げる必要があります。
この初期の戦略は、ローマ軍がまだ非力な中で、いろいろな方策を考えさせられる面白い場面だと思っています。
第一はタレントゥムを包囲・攻略するというものです。
この策はデメリットばかりが大きいです。というのもすぐ近くにエピュロスのピュロス王の強力な軍団が2個控えているからです。
(画面では1個軍団しか見えていませんが、タレントゥム〜ブリンディシ(=タレントゥムの港)間にもう1個軍団が隠れています)
そのうえ、カンナエも反乱勢力なので、味方都市のカプアまでは遠く、補給に心もとないです。
次にカンナエ攻略を優先するというものです。これは補給線が短くてすみ、メリットが多いです。
第三にネアポリス(現在のナポリ)かクロトンを攻略するというものです。これも第二策と同様にメリットがあります。
ただ第二策、第三策で注意しなければならないのは、キャンペーンスタート時のローマの財政状況は破産寸前だということです。
国庫に15000デナリウスあるものの、毎ターン6924デナリウスのマイナスだということです。つまり2ターン(=1年)近くで国庫は空になると言う計算です。実際は都市建物の建設等も行いますので、ほぼ最初の1ターンで国庫は空になります。
その意味で、自爆的にタレントゥムを包囲し、ピュロス王の2個軍団を引き受けるという方法もメリットがあると思います。タレントゥムを包囲するとすぐに敵は攻撃をしかけてきます。ピュロス王の2個軍団と相打ちになると、ローマに残るのは1個軍団、財政もほぼ均衡するからです。
そんな鬼のような非情な判断はともかく、カンナエ攻略時に強襲をかけて味方を損耗させるとか、あるいは軍隊を解散させる等維持費を下げる必要があります。
この初期の戦略は、ローマ軍がまだ非力な中で、いろいろな方策を考えさせられる面白い場面だと思っています。
2009年11月16日
属州キャンペーン イタリア半島統一への道 南部戦線 1
さて、ROME:Total War WikiさんでもDarth Modをやってみたという記事がありましたので、9/19にupしたブログでも言ったゲームスタート時からレギウム陥落までの15年間の話をしたいと思います。
属州キャンペーンは紀元前280年から開始されます。
当初の配置は下記のとおりです。
【南部戦線概況図】

ローマはイタリア半島もまだ統一できていません。
ローマの指導者はフラウィウス ユリウスです。
当時の勢力としては、半島南部の都市タレントゥムにギリシャ都市同盟のイタリア侵攻拠点があります。アレキサンダー大王の再来と言われた、かの有名なピュロス王が指揮する軍団が付近におり、それに対峙する形でフラウィウス ユリウスは1個軍団を率いています。
また首都ローマ付近には、北部・中部の押さえとしてクィントゥス ユリウス率いる1個軍団がいます。
目下、ローマの主力軍団はこの2個軍団です。
他方、イタリア北部は反乱勢力及びアルプス・フランス一帯に勢力のあるガリアが居座っています。
【北部戦線概況図】

フラウィウスは、北部南部両戦線で二正面作戦をとる体力が現在のローマにはないことから、方面ごとに戦略を変えました。つまり北部戦線についてはガリアとの間に反乱勢力の緩衝地帯があることから、『守りをもって攻め』とし、南部戦線については反乱勢力の統一及びギリシャ都市同盟の拠点を消滅させるという、文字通り『攻めをもって攻め』としました。
以上が9/12にupしたブログの再掲です。 m(_ _)m
属州キャンペーンは紀元前280年から開始されます。
当初の配置は下記のとおりです。
【南部戦線概況図】
ローマはイタリア半島もまだ統一できていません。
ローマの指導者はフラウィウス ユリウスです。
当時の勢力としては、半島南部の都市タレントゥムにギリシャ都市同盟のイタリア侵攻拠点があります。アレキサンダー大王の再来と言われた、かの有名なピュロス王が指揮する軍団が付近におり、それに対峙する形でフラウィウス ユリウスは1個軍団を率いています。
また首都ローマ付近には、北部・中部の押さえとしてクィントゥス ユリウス率いる1個軍団がいます。
目下、ローマの主力軍団はこの2個軍団です。
他方、イタリア北部は反乱勢力及びアルプス・フランス一帯に勢力のあるガリアが居座っています。
【北部戦線概況図】

フラウィウスは、北部南部両戦線で二正面作戦をとる体力が現在のローマにはないことから、方面ごとに戦略を変えました。つまり北部戦線についてはガリアとの間に反乱勢力の緩衝地帯があることから、『守りをもって攻め』とし、南部戦線については反乱勢力の統一及びギリシャ都市同盟の拠点を消滅させるという、文字通り『攻めをもって攻め』としました。
以上が9/12にupしたブログの再掲です。 m(_ _)m
2009年11月15日
閑話休題 Roma Surrectum について
しばらく時間が更新ができず、あいてしまいました。
ブログはDarth Modをしつつ、正直なところ今ハマっているのは
Roma Surrectumです。
ブログの方は仕事がチョー忙しくなって、なかなか更新ができませんが、Roma Surrectumはチョコチョコとプレイしています。m(_ _)m
さて、このゲームで面白いところを紹介します。
内政画面をみると、『Information & House Rules』という欄があります。そこには11項目もいろいろとお約束が書いてあります。

まず1ではEUROPA BARBARORUMと同様に、キャンペーン難易度もhardもしくはveryhardで、かつ戦闘難易度もhardもしくはveryhardでしないと面白くないと書いています。
また2では、autosaveはフリーズのもとなので、設定をはずすようにとのこと。
面白いのは、3ではスタートしてから25年〜40年間はAIを攻めたらダメとのこと。これはAIの思考のエンジンが動き出すのに時間がかかるためみたいです。そこで私もプレするときはまず最初の25年間は侵略されて撃退する場合を除き、戦闘を行わず、かつ領土を広げず内政のみを行い、ローマ建国紀498年(BC255年)からAIを攻め始めました。
次に面白いのは、9で敵の軍勢を乗せた艦船は沈めてはダメとあります。今までは敵軍勢を乗せた艦船と見れば『ラッキー!!!』とばかりに片っ端から撃沈していたのですが、どこかを攻めようとしていたAIの思考が途中で止まってしまうみたいで、禁じ手のようです。
最後に番号は戻りますが、7では、1個軍団内に9つのコホルス(大隊)と1つの第一コホルス(第一大隊)までとし、かつ将軍または一族のメンバーを1ユニットいれることとあります。そして残り9つのユニットは騎兵及び補助軍部隊で構成するようにとのこと。実際ローマ軍は同数の軍団兵(レジヨナリウス)と同数の補助軍(アウジリアリス)の構成になっていたので、妥当な話といえます。
ブログはDarth Modをしつつ、正直なところ今ハマっているのは
Roma Surrectumです。
ブログの方は仕事がチョー忙しくなって、なかなか更新ができませんが、Roma Surrectumはチョコチョコとプレイしています。m(_ _)m
さて、このゲームで面白いところを紹介します。
内政画面をみると、『Information & House Rules』という欄があります。そこには11項目もいろいろとお約束が書いてあります。
まず1ではEUROPA BARBARORUMと同様に、キャンペーン難易度もhardもしくはveryhardで、かつ戦闘難易度もhardもしくはveryhardでしないと面白くないと書いています。
また2では、autosaveはフリーズのもとなので、設定をはずすようにとのこと。
面白いのは、3ではスタートしてから25年〜40年間はAIを攻めたらダメとのこと。これはAIの思考のエンジンが動き出すのに時間がかかるためみたいです。そこで私もプレするときはまず最初の25年間は侵略されて撃退する場合を除き、戦闘を行わず、かつ領土を広げず内政のみを行い、ローマ建国紀498年(BC255年)からAIを攻め始めました。
次に面白いのは、9で敵の軍勢を乗せた艦船は沈めてはダメとあります。今までは敵軍勢を乗せた艦船と見れば『ラッキー!!!』とばかりに片っ端から撃沈していたのですが、どこかを攻めようとしていたAIの思考が途中で止まってしまうみたいで、禁じ手のようです。
最後に番号は戻りますが、7では、1個軍団内に9つのコホルス(大隊)と1つの第一コホルス(第一大隊)までとし、かつ将軍または一族のメンバーを1ユニットいれることとあります。そして残り9つのユニットは騎兵及び補助軍部隊で構成するようにとのこと。実際ローマ軍は同数の軍団兵(レジヨナリウス)と同数の補助軍(アウジリアリス)の構成になっていたので、妥当な話といえます。
2009年11月04日
2009年10月20日
ポー川の戦い 13 アシニウスの勝利宣言
紀元前233年夏
ポー川にて激突したローマ軍、ガリア軍との戦いは終了しました。

戦闘統計は下記のとおりです。
いくつかの部隊は半分近くの兵が戦死しており、戦闘の激しさを物語っています。

アシニウス・ユリウスは勝利宣言を行いました。
つい1ケ月前まではメディオラヌムが包囲され、ポー川の南までガリア軍に侵略された危機から脱したのです。
元老院をはじめローマ市民は勝利に沸きました。
若干16歳がローマ北部を救ったのです。
ポー川にて激突したローマ軍、ガリア軍との戦いは終了しました。

戦闘統計は下記のとおりです。
いくつかの部隊は半分近くの兵が戦死しており、戦闘の激しさを物語っています。

アシニウス・ユリウスは勝利宣言を行いました。つい1ケ月前まではメディオラヌムが包囲され、ポー川の南までガリア軍に侵略された危機から脱したのです。
元老院をはじめローマ市民は勝利に沸きました。
若干16歳がローマ北部を救ったのです。
2009年10月19日
ポー川の戦い 12 戦いのあと
一斉敗走したガリア兵は次々とローマ騎兵に討ち取られていきました。
戦いが終わった後の戦場はまさに地獄でした...
あちこちで傷をおったり、まだ死に切れなかった者のうめき声が聞こえます。
たくさんの兵に混じって馬も横たわっています。

ガリア兵に混じり、ローマ兵も倒れています。
その傍にはガリア兵の旗手が、軍旗を握り締めたまま、横たわっています。
戦いが終わった後の戦場はまさに地獄でした...
あちこちで傷をおったり、まだ死に切れなかった者のうめき声が聞こえます。
たくさんの兵に混じって馬も横たわっています。

ガリア兵に混じり、ローマ兵も倒れています。
その傍にはガリア兵の旗手が、軍旗を握り締めたまま、横たわっています。
2009年10月18日
ポー川の戦い 11 終章
ガリア兵は完全に浮き足立ちました。4人の将軍は次々に討ち取られるか敗走したからです。
以前にも書いたようにガリア軍は部族ごとの独立性が高く、まとまって闘うことが苦手でした。
ガリア軍が密集突撃が得意なのも、ひとつには我攻めに正面から押すしか能がないという裏返しでもあります。また規律もローマ軍ほどではなく、興奮すると命令もないのに突撃したりもします。いきおいそのような特性を持つということは、いったん崩れ始めると脆いということを意味します。
今回も、その悪い面が出たということです。
その上、いつの間にかガリア軍左翼を撃破したローマ軍右翼がポー川にかかる橋近くまで、急接近してきました。

橋を奪取されるということは。退路をたたれるということを意味します。ここでローマ軍なら退路を確保するため、橋に接近した敵を、一致協力しなんとしても撃破しようとしたに違いありません。
しかしガリア兵はてんでバラバラに逃げ始めたのです。
このローマ軍右翼による橋確保を契機に、ガリア軍は一斉敗走しはめまたわけです。
バラバラに秩序なく敗走し始めた歩兵は、騎兵の格好のえじきとなります。
一人、また一人とガリア兵は討たれていきました。
以前にも書いたようにガリア軍は部族ごとの独立性が高く、まとまって闘うことが苦手でした。
ガリア軍が密集突撃が得意なのも、ひとつには我攻めに正面から押すしか能がないという裏返しでもあります。また規律もローマ軍ほどではなく、興奮すると命令もないのに突撃したりもします。いきおいそのような特性を持つということは、いったん崩れ始めると脆いということを意味します。
今回も、その悪い面が出たということです。
その上、いつの間にかガリア軍左翼を撃破したローマ軍右翼がポー川にかかる橋近くまで、急接近してきました。

橋を奪取されるということは。退路をたたれるということを意味します。ここでローマ軍なら退路を確保するため、橋に接近した敵を、一致協力しなんとしても撃破しようとしたに違いありません。
しかしガリア兵はてんでバラバラに逃げ始めたのです。
このローマ軍右翼による橋確保を契機に、ガリア軍は一斉敗走しはめまたわけです。
バラバラに秩序なく敗走し始めた歩兵は、騎兵の格好のえじきとなります。
一人、また一人とガリア兵は討たれていきました。
2009年10月17日
ポー川の戦い 10 カラクタスの死、トゴドゥンヌスの死
包囲されたカラクタス将軍の騎兵部隊は、一人また二人とローマ軍に討たれて数を減らしていきました。『リアノリクスの言うとおりだったかもしれぬ...』
カラタクスはつぶやきました。
結局、ガリア軍右翼・左翼の正面攻撃にも、ローマ軍は崩れなかったのです。
『ガリア軍の戦い方自体を変える必要があるのかもしれぬ...』
しかし、これだけローマ軍に囲まれると自身の脱出は不可能でした。
その仕事は誰か別の人間に託さなければなりませんでした。
ちょうどその時ガリア軍右翼が敗走していくのが見えました。
『リアノリクス!俺の代わりに頼むぞ!』
カラタクス部隊はほどなく全滅しました。
一方、トゴドゥンヌス将軍も苦戦していました。
ローマ軍は将軍の突撃にもびくともしなかったのです。騎兵は最初の突撃力がなくなり止まってしまうと、逆に馬が敵の大きな的となり、不利になるのでした。
トゴドゥンヌス将軍も護衛部隊が減り手薄になった隙をつかれ、馬を狙われました。
剣で切られた馬が驚き、急に跳ね上がったため、トゴドゥンヌス将軍はもんどりうって落馬をし、駆け寄ったローマ兵にすぐさま討ち取られてしまいました。
『我らはどこを間違ったのか?』トゴドゥンヌスの最後の言葉でした...
カラクタス・トゴドゥンヌスの戦死時の両軍の展開図

2009年10月16日
ポー川の戦い 9 カラクタスの戦い
ローマ軍左翼でアンミノス将軍が壮絶な戦死をとげた時、今度はローマ軍中央部にカラクタス将軍が襲い掛かっていました。

『どけぇっ〜! どけぇっ〜! ローマ軍めっ〜!!!』
カラクタス将軍はローマ重装歩兵部隊をなぎ倒していきました。
大柄なゲルマン民族を相手に戦勝を重ねてきた将軍らしく、
正面から我攻めに攻め立てます!!!
アシニウス・ユリウスはローマ左翼軍でリアノリクス将軍のガリア騎兵部隊を撃破した後、すぐさま自軍中央部の危機を救うべく急ぎました。

カラクタス将軍はたちまちローマ軍に十重二十重に囲まれてしまいました。
『ええぃっ、ちょこざいな! ローマめっ!!』
他方、トゴドゥンヌス将軍はようやく味方部隊をかきわけ、ローマ軍左翼へ襲い掛かっていました。

『おらぁっ! おらぁ〜!ローマの犬ども〜!』

『どけぇっ〜! どけぇっ〜! ローマ軍めっ〜!!!』
カラクタス将軍はローマ重装歩兵部隊をなぎ倒していきました。
大柄なゲルマン民族を相手に戦勝を重ねてきた将軍らしく、
正面から我攻めに攻め立てます!!!
アシニウス・ユリウスはローマ左翼軍でリアノリクス将軍のガリア騎兵部隊を撃破した後、すぐさま自軍中央部の危機を救うべく急ぎました。

カラクタス将軍はたちまちローマ軍に十重二十重に囲まれてしまいました。
『ええぃっ、ちょこざいな! ローマめっ!!』他方、トゴドゥンヌス将軍はようやく味方部隊をかきわけ、ローマ軍左翼へ襲い掛かっていました。

『おらぁっ! おらぁ〜!ローマの犬ども〜!』
2009年10月15日
ポー川の戦い 8 アンミノスの死
アンミノス将軍は自分の周りの兵がほとんどいないことに気づきました。周りはローマ兵ばかりです。12歳で初陣を飾り、37年間、部族のために戦い続けた将は、残ったわずかな部下に脱出を命じました。
『生きてこの戦いを部族の皆に伝えるのじゃ!我らの戦ぶりをな!そして我が死に様をな!』
部下が脱出を始めた時、アンミノス将軍は馬をおり、ローマ軍の隊列へ突撃していきました。それが部下がアンミノス将軍を見た最後の姿でした。
一方リアノリクス将軍は乱戦の中でまだ戦場に踏みとどまっていました。部隊はもはや敗走していましたが、アンミノス将軍の姿を見失ってしまったからです。
救援に向かおうとした矢先、
『将軍がやられた〜、将軍がやられた〜』と、敗走するアンミノス将軍配下の騎兵2騎とすれ違いました。

さすがにその声を聞くと、リアノリクス将軍も退却せざるをえませんでした。2度目の屈辱的な敗走です。
後ろから迫りくるローマ騎兵を振り切りつつ、再戦を心に誓いました。
『ローマめっ! このままでは終わらせないぞっ!』
2009年10月14日
ポー川の戦い 7 転機
ガリア軍右翼、すなわちローマ軍左翼では激しい戦闘が続いていました。ローマ軍の主力である重装歩兵部隊に、アンミノス将軍率いるガリア騎兵が突っ込んだのです!
ガリア騎兵の突撃力はすさまじいものがありました!!!
あわや敗走か?誰しもが思いました。
しかしガリア騎兵の突撃があまりにも早かったため、左右を固める歩兵部隊がついてこれなかったのです。実はポー川を渡った橋の前は、まだガリア部隊がごった返し、部隊の整列・行進に手間取っていました。
そこへトゴドゥンヌス将軍が味方をかき分けつつ突撃しようとしたので、ある種の混乱に陥っていたのです。
これが悲劇を生みます。
アンミノス・リアノリクス両将軍の後に続くべき部隊が来ないまま、ローマ軍に横・後ろをさらけ出す形になってしまったのです!
ローマ軍の背後に回りこもうとしたリアノリクス将軍は、
たちまちローマ騎兵に囲まれました。
またアンミノス将軍も友軍の救援に駆けつけた
ローマ軍の重装歩兵部隊に取り囲まれようとしています!
リアノリクス将軍指揮下のガリア騎兵は早くも崩れ始めました!

『逃げるな〜っ!闘えっ!闘えっ!』
リアノリクス将軍は声をからして叫びましたが、どうにも止まりません!
ガリア騎兵の突撃力はすさまじいものがありました!!!
あわや敗走か?誰しもが思いました。
しかしガリア騎兵の突撃があまりにも早かったため、左右を固める歩兵部隊がついてこれなかったのです。実はポー川を渡った橋の前は、まだガリア部隊がごった返し、部隊の整列・行進に手間取っていました。
そこへトゴドゥンヌス将軍が味方をかき分けつつ突撃しようとしたので、ある種の混乱に陥っていたのです。
これが悲劇を生みます。
アンミノス・リアノリクス両将軍の後に続くべき部隊が来ないまま、ローマ軍に横・後ろをさらけ出す形になってしまったのです!
ローマ軍の背後に回りこもうとしたリアノリクス将軍は、
たちまちローマ騎兵に囲まれました。
またアンミノス将軍も友軍の救援に駆けつけた
ローマ軍の重装歩兵部隊に取り囲まれようとしています!
リアノリクス将軍指揮下のガリア騎兵は早くも崩れ始めました!

『逃げるな〜っ!闘えっ!闘えっ!』
リアノリクス将軍は声をからして叫びましたが、どうにも止まりません!
2009年10月13日
ポー川の戦い 6 ガリア軍の突撃

この事態を打開すべくガリア軍の総司令官アンミノス将軍は、矢継ぎ早に指示を出しました。
『カラクタス将軍!左翼を頼む!
トゴドゥンヌス将軍!中央を頼む!
リアノリクス将軍はわしに続け!右翼を指揮する!
おのおの方!ローマ軍を蹴散らせぇっ〜!!!』
『おうっ! まかせとけぇ〜!』

ガリア軍左翼を指揮するカラクタス将軍は、歴戦の雄らしく、ものともせずにローマ軍右翼へ突撃します。
『ローマめ、目にもの見せてくれるわぁ〜!』
他方ガリア軍右翼では、
『アンミノス将軍お待ちください〜!』
リアノリクス将軍も突撃を開始し、ローマ軍の背後に回りこもうしました。

そして中央のトゴドゥンヌス将軍は、橋を渡りきり団子状態になった味方部隊を抜けるのに時間を要し、出遅れてしまいました。

味方部隊をかき分けつつ、『ええぃっ雑兵どもっ!どけっ!突撃するんだぞっ!』と叫びました!
この時の各軍の展開です。

自軍の左翼に敵総大将が突撃したのを知ったアシニウス・ユリウスは、指揮下の騎兵を集めて左翼に救援に向かおうとしました。
戦場は予測不可能な混沌した状況になってきました!
2009年10月12日
ポー川の戦い 5 アシニウスの読み2
ガリア軍先鋒部隊は戦場で激しく動き回っているものの、アシニウス・ユリウスの『包囲網』の中に閉じ込められた感が出てきました。

その間もローマ弓兵による間断のない火矢攻撃は続きます。
ローマ軍に決定打を打てず、遠距離攻撃によりジリジリと部隊の出血を
強いられる...
ガリア軍にとってはイヤな展開になってきました。
これこそローマ軍指揮官アシニウス・ユリウスの狙うところでした。

その間もローマ弓兵による間断のない火矢攻撃は続きます。
ローマ軍に決定打を打てず、遠距離攻撃によりジリジリと部隊の出血を
強いられる...
ガリア軍にとってはイヤな展開になってきました。
これこそローマ軍指揮官アシニウス・ユリウスの狙うところでした。
2009年10月11日
ポー川の戦い 4 ガリア軍の弱点
そのうちガリア軍の右翼から一部隊が、ローマ軍左翼に突撃を開始しました。

ガリア人はローマ人と異なり集団で規律正しく行動することが苦手でした。ガリア人個々人は非常に勇猛に戦いますが、こらえ性がなく、興奮してくると見境なく突撃してしまう『クセ』があるのです。
今までもガリア軍は、その悪い『クセ』が戦場においてしばしば見られ、ローマ軍につけいるスキを与えていました。
今回は吉と出るか?凶とでるか?
しかし我も忘れて突撃を開始したものの、ポー河岸まで鶴翼(かくよく)の陣をしいているローマ軍にスキありませんでした。
しかたなく今までの『戦場の勘』から、突撃の方向を変えようと一旦立ち止まってしまいました。

それにしても、上半身裸のガリア軍は、威圧感があります。

ガリア人はローマ人と異なり集団で規律正しく行動することが苦手でした。ガリア人個々人は非常に勇猛に戦いますが、こらえ性がなく、興奮してくると見境なく突撃してしまう『クセ』があるのです。
今までもガリア軍は、その悪い『クセ』が戦場においてしばしば見られ、ローマ軍につけいるスキを与えていました。
今回は吉と出るか?凶とでるか?
しかし我も忘れて突撃を開始したものの、ポー河岸まで鶴翼(かくよく)の陣をしいているローマ軍にスキありませんでした。
しかたなく今までの『戦場の勘』から、突撃の方向を変えようと一旦立ち止まってしまいました。

それにしても、上半身裸のガリア軍は、威圧感があります。
2009年10月10日
ポー川の戦い 3 アシニウスの読み
ガリア軍は火矢攻撃に臆せず、戦闘を前に盾の端をやりでたたいて音を出したり、雄たけびを上げています。

こうすることでガリア軍の兵士たちの士気は、いやがおうもなく高まっていきました。
後続のガリア軍もどんどん橋をわたってきます。
この時の両軍の展開は下記のとおりです。

この時、アシニウス・ユリウスはある『仕掛け』をしていました。
火矢にガリア軍の目が向いている間に、自軍を左右に広く展開したのです。つまり鳥が羽を広げるような鶴翼(かくよく)の陣を展開し、ポー川を渡ってきたガリア軍を包み込むようにしたのです。

こうすることでガリア軍の兵士たちの士気は、いやがおうもなく高まっていきました。
後続のガリア軍もどんどん橋をわたってきます。
この時の両軍の展開は下記のとおりです。

この時、アシニウス・ユリウスはある『仕掛け』をしていました。
火矢にガリア軍の目が向いている間に、自軍を左右に広く展開したのです。つまり鳥が羽を広げるような鶴翼(かくよく)の陣を展開し、ポー川を渡ってきたガリア軍を包み込むようにしたのです。
2009年10月09日
ポー川の戦い 2 序盤
ガリア軍は橋めがけて殺到しました。

これに対してローマ軍は、弓兵を配置し、橋を渡ってくるガリア軍を待ち構えました。同時に補助軍の弓騎兵を配置しました。

※画面中央右でだんごになっているのが、弓騎兵、横一列になっているのがローマ弓兵
ローマ弓兵の火矢がガリア軍に襲いかかります!!!


これに対してローマ軍は、弓兵を配置し、橋を渡ってくるガリア軍を待ち構えました。同時に補助軍の弓騎兵を配置しました。

※画面中央右でだんごになっているのが、弓騎兵、横一列になっているのがローマ弓兵
ローマ弓兵の火矢がガリア軍に襲いかかります!!!

2009年10月07日
ポー川の戦い 1 開戦
紀元前233年夏
アシニウス・ユリウスはガリア軍陣営が動きはじめのに気づきました。戦闘が始まったのです!

向こう岸からガリア軍がポー川にかかる唯一の橋を目指して渡河してきました。
対するローマ軍はV字形で、待ち受けました。
アシニウス・ユリウスはガリア軍陣営が動きはじめのに気づきました。戦闘が始まったのです!

向こう岸からガリア軍がポー川にかかる唯一の橋を目指して渡河してきました。
対するローマ軍はV字形で、待ち受けました。
2009年10月06日
北部戦線再び 6 カラクタスの怒り
ローマ軍を率いるアシニウス・ユリウスはあわてませんでした。
というのも、北東部の要衝パタウィウム・メディオラヌム間の補給線は確保していたからです。
ポー川南岸は確かにガラ空きでしたが、首都ローマにて新たな軍団を編成する途上にありました。
ローマ元老院はさらにもう1個軍団を編成する法案も可決したところでした。
時間がたてばたつほど、ローマに有利でした。

他方、ガリア軍はボー川をはさんで対峙しているローマ軍にどう対処するかで、揉めていました。
ガリア軍はもともと各部族の独立性が高く、いわば寄り合い所帯という特徴がありました。
さらに4名とも高名な将軍に率いられていたため、方針をめぐって将軍たちの仲が険悪化しはじめたのです。
まず
カラクタス将軍は、ゲルマン民族との長年の戦いに勝利した歴戦の勇者だったので、非常に自信家で強気でした。この時も早く渡河し、ローマ軍を粉砕すべきだと強く主張しました。
これに対して、

トゴドゥンヌス将軍はまもなく始まる越冬準備を考えると、ローマ軍も河をわたってまで積極的に攻めてくることはないだろうから、この宿営地で冬を越し、来年の夏に動くべきだと主張しました。当時は冬季期間は休戦するのが常識だったのです。
他方
リアノリクス将軍はローマ軍との会戦は避け、かつ越冬を考えて、できるだけ冬をすごし易い南部へ進軍すべきだと主張しました。
アペニン山脈を越えればテレニア海側です。海岸ぞいに北上すれば、ガリアに戻れるのです。
最年長で総司令官でもあるアンミノス将軍は迷いました。

メディオラヌムを包囲しているカドヴィラドゥル将軍と連携をとって南と西から挟撃することも考慮に入れてました。メディオラヌムは早々に陥落すると思われており、まさか早々にローマ軍に撃破され、カドヴィラドゥル将軍をはじめ全滅するとは考えてもいなかったわけです。それほどアシニウス・ユリウス軍の動きは早かったわけですが、メディオラヌムの早期陥落を考慮するなら、ガリア軍も待てば待つほど有利な展開ともいえました。
さらには、確かに越冬だけを考えればトゴドゥンヌス将軍の言うとおり、ここで宿営しつづけた方が得策です。
リアノリクス将軍の言うようにさらに南下した場合、メディオラヌムが陥落したとしても、敵領内の奥深くに進むので、孤立する恐れがあったからです。
しかし、かといっていつまでもここに居座ってもローマがいずれ援軍をよこす可能性も大なので、その場合、南北から挟み撃ちになります。
4人の議論は白熱し始め、

『議論している時間はない!ローマ軍が行軍の疲れのとれないうちに早々と殲滅すべきだ!!!』

『それには反対である。河を渡ることは、ただでさえ不利なのに、正面からぶつかった時のローマ軍の強さをあなたは知らない!』
リアノリクス将軍は4人の中では一番若かったのですが、2年前にローマ軍と戦い、ほうほうの体で脱出した経験をもっていました。つまりローマ軍の強さを理解していたのです。
それに対してカラクタス将軍はゲルマン民族相手には勝利してきたものの、森林地帯のいわばゲリラ戦的なゲルマン民族相手だったので、正面からぶつかりった時のローマ軍の強さを知りませんでした。
カラクタス将軍は激昂し

『ローマに背を向けた弱虫の話は聞かない!!!自分一人でも突撃する!!!』
とどなり、一人陣から出て行きました。
攻撃開始が決まったのです。
というのも、北東部の要衝パタウィウム・メディオラヌム間の補給線は確保していたからです。
ポー川南岸は確かにガラ空きでしたが、首都ローマにて新たな軍団を編成する途上にありました。
ローマ元老院はさらにもう1個軍団を編成する法案も可決したところでした。
時間がたてばたつほど、ローマに有利でした。

他方、ガリア軍はボー川をはさんで対峙しているローマ軍にどう対処するかで、揉めていました。
ガリア軍はもともと各部族の独立性が高く、いわば寄り合い所帯という特徴がありました。
さらに4名とも高名な将軍に率いられていたため、方針をめぐって将軍たちの仲が険悪化しはじめたのです。
まず
カラクタス将軍は、ゲルマン民族との長年の戦いに勝利した歴戦の勇者だったので、非常に自信家で強気でした。この時も早く渡河し、ローマ軍を粉砕すべきだと強く主張しました。これに対して、

トゴドゥンヌス将軍はまもなく始まる越冬準備を考えると、ローマ軍も河をわたってまで積極的に攻めてくることはないだろうから、この宿営地で冬を越し、来年の夏に動くべきだと主張しました。当時は冬季期間は休戦するのが常識だったのです。
他方
リアノリクス将軍はローマ軍との会戦は避け、かつ越冬を考えて、できるだけ冬をすごし易い南部へ進軍すべきだと主張しました。アペニン山脈を越えればテレニア海側です。海岸ぞいに北上すれば、ガリアに戻れるのです。
最年長で総司令官でもあるアンミノス将軍は迷いました。

メディオラヌムを包囲しているカドヴィラドゥル将軍と連携をとって南と西から挟撃することも考慮に入れてました。メディオラヌムは早々に陥落すると思われており、まさか早々にローマ軍に撃破され、カドヴィラドゥル将軍をはじめ全滅するとは考えてもいなかったわけです。それほどアシニウス・ユリウス軍の動きは早かったわけですが、メディオラヌムの早期陥落を考慮するなら、ガリア軍も待てば待つほど有利な展開ともいえました。
さらには、確かに越冬だけを考えればトゴドゥンヌス将軍の言うとおり、ここで宿営しつづけた方が得策です。
リアノリクス将軍の言うようにさらに南下した場合、メディオラヌムが陥落したとしても、敵領内の奥深くに進むので、孤立する恐れがあったからです。
しかし、かといっていつまでもここに居座ってもローマがいずれ援軍をよこす可能性も大なので、その場合、南北から挟み撃ちになります。
4人の議論は白熱し始め、

『議論している時間はない!ローマ軍が行軍の疲れのとれないうちに早々と殲滅すべきだ!!!』

『それには反対である。河を渡ることは、ただでさえ不利なのに、正面からぶつかった時のローマ軍の強さをあなたは知らない!』
リアノリクス将軍は4人の中では一番若かったのですが、2年前にローマ軍と戦い、ほうほうの体で脱出した経験をもっていました。つまりローマ軍の強さを理解していたのです。
それに対してカラクタス将軍はゲルマン民族相手には勝利してきたものの、森林地帯のいわばゲリラ戦的なゲルマン民族相手だったので、正面からぶつかりった時のローマ軍の強さを知りませんでした。
カラクタス将軍は激昂し

『ローマに背を向けた弱虫の話は聞かない!!!自分一人でも突撃する!!!』
とどなり、一人陣から出て行きました。
攻撃開始が決まったのです。
2009年10月05日
北部戦線再び 5 ガリア軍の兵科
ガリア軍は4名の高名な将軍に率いられていましたが、部隊もまた恐るべきものでした。
まず森林兵士。
いわゆる弓兵ですが、ローマ弓兵と比較しても強力な攻撃値です。
飛び道具攻撃で20、白兵攻撃17、突撃ボーナス8という恐るべき戦士たちです。

続いて、戦士。
上半身はだかの軽装ですが、それゆえに動きもすばやく、また森での潜伏も得意です。ときの声をあげながら密集突撃してくる姿は壮観でさえあります。

続いて、選抜剣士。
いわゆる精鋭部隊です。攻撃力、防御力とも申し分ありません。

最後に、高名な4将軍の直衛部隊です。
蛮族戦士長、いわゆるガリア騎兵です。
前にも言いましたが、馬を飼うのは通常の兵士の数倍も維持コストがかかりました。したがってお金持ち(=将軍や部族長)しか馬は持てませんでした。
攻撃力は14、突撃ボーナスは20という恐るべき戦力です。

対するアシニウス・ユリウスはいかに迎え撃つか!?
まず森林兵士。
いわゆる弓兵ですが、ローマ弓兵と比較しても強力な攻撃値です。
飛び道具攻撃で20、白兵攻撃17、突撃ボーナス8という恐るべき戦士たちです。

続いて、戦士。
上半身はだかの軽装ですが、それゆえに動きもすばやく、また森での潜伏も得意です。ときの声をあげながら密集突撃してくる姿は壮観でさえあります。

続いて、選抜剣士。
いわゆる精鋭部隊です。攻撃力、防御力とも申し分ありません。

最後に、高名な4将軍の直衛部隊です。
蛮族戦士長、いわゆるガリア騎兵です。
前にも言いましたが、馬を飼うのは通常の兵士の数倍も維持コストがかかりました。したがってお金持ち(=将軍や部族長)しか馬は持てませんでした。
攻撃力は14、突撃ボーナスは20という恐るべき戦力です。

対するアシニウス・ユリウスはいかに迎え撃つか!?
