まぁさんのblog

東京オリンピックやアポロ11号の月面着陸をテレビで見た記憶がある世代です。 『元気』を取り戻すため『気功』をはじめました。『偏差』(=気功を行うことによって生じる身体不調、精神的不安定などの副作用のこと(Wikipedia))に陥らないように気をつけながら 、続けて行こうと思います。

第一 蛇の章 三、犀の角(スッタニパータ)

三五 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

三六 交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

三七 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

三八 子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようにものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

三九 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

四〇 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

四一 仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

四ニ 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

四三 出家者でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少なく、犀の角のようにただ独り歩め。

四四 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。

四五 もしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

四六 しかしもしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

四七 われわれは実に朋友を得る幸を讚め称える。自分より勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

四八 金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

四九 このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

五〇 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を撹乱する。欲情の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

五一 これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

五ニ 寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、蚊と蛇と、 ― これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

五三 肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

五四 集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔〈ブッタ〉のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

五五 相争う哲学的見解を超え、〈さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

五六 貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

五七 義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪り耽って怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

五八 学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。

五九 世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。

六〇 妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。

六一「これは執著である。ここは楽しみは少し、快い味わいも少なくて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣針である。」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。

六ニ 水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、もろもろの(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

六三 俯して視、とめどなくうつろうことなく、もろもろの感官を防いで守り、こころを護り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。

六四 葉の落ちたバーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。

六五 諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々にこ

第一 蛇の章 ニ、ダニヤ(スッタニパータ)

ニ、ダニヤ

一八 牛飼いダニヤがいった、
「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、わたしは(妻子と)ともに住んでいます。わが小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
一九 師は答えた、
「わたくしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。わが小舎(すなわち自身)はあばかれ、(欲情の)火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
ニ〇 牛飼いダニヤがいった、
「蚊も虻もいないし、牛どもは沼池に茂った草を食んで歩み、雨が降って来ても、かれらはー耐え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

ニ一 師は答えた、
「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
ニ三 牛飼いダニヤがいった、
「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。彼女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

ニ三 師は答えた、
「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたくしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

ニ四 牛飼いダニヤがいった、
「わたしは自活しみずから養うものである。わが子らはみなともに住んで健やかである。かれらにいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

ニ五 師は答えた、
「わたくしは何ぴとのやとい人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人にやとわれる必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

ニ六 牛飼いダニヤがいった、
「未だ馴らされていない牛もいるし、乳を飲むこ牛もいる。孕んだ牝牛もいるし、交尾を欲する牝牛もいる。牝牛どもの主である牡牛もいる。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

ニ七 師は答えた、
「未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲むこ牛もいない。孕んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
ニ八 牛飼いダニヤがいった、
「牛を繋ぐ杭は、しっかり打ちこまれていて揺るがない。ムンジャ草でつくった新しい縄はよくなわれている。こ牛もこれを断つことができないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

ニ九 師は答えた、
「こ牛のように結縛を断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

三〇 忽ちに大雲が現われて、雨を降らし、低地と丘とをみたした。神が雨を降らすのを聞いて、ダニヤは次のことを語った。

三一 「われらは尊き師にお目にかかりましたが、われらの得たところは実に大きいのです。眼ある方よ。われらはあなたに帰依いたします。あなたはわれらの師となってください。大いなる聖者よ。

三ニ 妻もわたしもともに従順であります。幸せな人(ブッタ)のもとで清らかな修行を行いましょう。生死の彼岸に達して、苦しみを滅しましょう。」

三三 悪魔パーピマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」

三四 師は答えた、
「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」
【ブッタの言葉‐スッタニパータ‐・中村元訳・岩波文庫】

第一 蛇の章 一、蛇 (スッタニパータ)

第一 蛇の章

一、蛇

一 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

ニ 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

三 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

四 激流が弱々しい葦の橋を壊すように、すっかり驕慢を滅し尽した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
五 無花果(いちじく)の買う樹の林の中に花を探し求めても得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見出さない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

六 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

七 想念を焼き尽して余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

八 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想をのり超えた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

九 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

一〇 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

一一 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

一ニ 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

一三 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

一四 悪い習性がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

一五 この世に還り来る縁となる〈煩悩から生ずるもの〉をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

一六 人を生存に縛りつける原因となる〈妄執から生ずるもの〉をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

一七 五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を超え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


【ブッタの言葉‐スッタニパータ‐・中村元訳・岩波文庫】


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