NICU編です。出産までの記事一覧は こちら からご覧下さい。


★この記事は過激な表現が出て来ます。
体調が優れない人、調子が悪い人、人の気持ちに同調しやすい人は
閲覧をご遠慮下さい。

過去の出来事として、正直な気持ちを書いておりますが
現在は乗り越え、幸せに楽しく暮らしております。




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さて、めでたく母親である私が退院したものの、ここからは通院生活が始まることになる。
3時間ごとに母乳を絞り、母乳パックに入れて冷凍して届ける。
毎日病院に行きたかったので、時間ぴったりに絞った。母乳が出なくなったら嫌だから、児童搾乳機もレンタルした。
片方を絞ると、もう片方から母乳が溢れてくるので、反対側にもビンを当てながら絞った。
一滴も無駄にしたくなかった。


さすがに、家に帰ってきてからの初日の夜の搾乳は虚しくて泣いた。
何で私こんなことやってるんだろう。
子どももそばにいないのに…って
旦那を起こさないように泣いた。


でも、ミルクより母乳の方がいいって信じていたから、それはもう必死だった。


病院への送迎は、ありがたいことに義父が引き受けてくれた。本当に感謝してもしきれない。
毎朝面会時間の一番早い時間に行って、お弁当を食べて、午後まで居座った。
何度もやんわりな帰れコールを受けながら(そりゃそうだ、産褥期だもの)それでも居座った。




この時の私は「普通のお母さん」ができない自分にコンプレックスを抱いていたと思う。




普通のお母さんなら、寝る暇なんてない
普通のお母さんなら、辛いなんて言わない
普通のお母さんなら…
いや、私は、普通のお母さんより頑張ってる!




食欲もなかったけど、母乳のために食べた。
白米なんか20代の頃からほぼ食べてなかったのに、必死に食べた。(のちに、とんでもないデブを作り上げるきっかけとなるが笑)


気分は牛だった。
搾乳と面会が生きがいだった。




ちなみに、カウンセリングは断った。
そこに行ったら、完全に病人になってしまうと思ったからだ。
これが正しかったのかは疑問だが、私は病人になりたくなかった。


「頑張る」「我慢する」という気持ちが
私を支えていた。
頑張ってる自分に酔うことで、自分を保っていた。
もし、その時カウンセリングで、
頑張るのをやめなさい…とでも言われていたら
たちまち生きる意味を失っていたように思う。




もうこの時点でだいぶ病んでいるのだが。笑
きょうび、「がんばらない」という生き方が推薦?
というか目標?常識?になっているが
頑張らなきゃ立っていられない時もある。


どうか、頑張っている自分を褒めて欲しい。
頑張らなくて良いってこともあるだろう。
無理しなくて良いことだってあるだろう。
だけど、全てがそうとは限らない、と思う。


今の自分を生きるために必死になっていること
全然悪いことじゃない。




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娘と会う時間は幸せだった。
離れているせいか、
時間が経って愛着が湧いてきたのか、
前より愛おしくなった。
余計な脳内アナウンスも流れなかった。


ただ、担当医の顔を見ると
たちまち気分が落ち込んでしまった。
命の恩人なのに失礼極まりないが、
私の脳内では「聞きたくないことを話してくる人」に仕分けられていた。


なので、こんにちは、とでも挨拶されようもんなら、「二言目には何を言う気だ…?」と緊張して顔が引きつった。


ちょっと会話をすると、
(ほら、どうせ良くならないって顔だよ)
(どうせ心配してないでしょ)
と、ひねくれた気持ちになり、
一日中その気分を引きずって最悪だった。


(最悪なのは私だって今ならわかる…
ごめんなさい!)






看護師さんには、
もう全く悩みは打ち明けなくなった。
娘との楽しい時間を共有する人、
という認識になっていった。
誰も私のことなんて分かってくれない。
これは仕事。

私のことなんて、どうでもいいんだ。
誰も救ってくれない。
私だけが、地獄。


そう思っていた。


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