【顕正新聞第329号 昭和六十年三月十五日号】 本部会議

 昨年高知会館に日布上人の常住御本尊を御入仏申し上げたが、そのおり一班長から御本尊の由来について尋ねられた。幹部は心得ておくべきであるから、ついでに本日説明しておく。
  顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申しあげてきたものである。(略) 妙信講に解散処分が 下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持さ れていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人・五十四代日胤上 人・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会 館に御安置されたのである。また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達 上人の御形木御本尊に替わった。松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して 下さったのである。いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の 御本尊様である。


さあ!現在安置され続けている、地方会館の「日布上人の大幅の御形木御本尊」とやらは、一体どこから出て来たのでしょうか?

ぜひ明確な答えを頂きたい!