愛するキューバについて

2013年06月18日

もうだいぶ、ダンスや歌に時間をかけてきたようにも思うのだけど、年月にしたら
ダンスは23年
ミュージカルからの歌を考えても18年
バンドを始めてから考えてもまだ11年

たったのそれしかかかわってないのだ。

今日、わたしなどよりもずうっと年月をかけて一つのことをしている方の日記を読んだ。

「すべてを捨てて一からやろうか」という文字があった。

人生には、もちろんそういうことも起きうると思う。

けれど

「歌うことはやめない」とあった。
読んで安心した。

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ダンスをね
まさか23年もやれるなんて、しかもそれが仕事になるなんて食べていけるなんて、、、最初は思ってもなかった。

こんな私が(ダンスに縁なんてない生活だったし体型だし運動音痴)
先生になってチームを率いてキューバやニューヨークに何度も行った。

気付かないうちに運命が回って
「いつの間にか目指していたこと」がやれていた。

若さというのは恐ろしいものだと、今の私は思う。勢いもあったけどやっぱり若いと何でもできるんだなと思う。

何も疑わなかったし、
私はダンスで生きていけるって心底思えていた。

それは恐ろしくも正しいことだった。


今の私はキューバのダンスに関して考え方が若いころから180度変わっている。

これからずうっと続けていきたいからこその自分への約束事がある。
それをサンテリアの神様のためにも(心にいる私の神様です)「守ろう」と思う。

キューバは私にサンテリアという魂から喜べる踊りを教えてくださったのだから♪
踊りをもっと大事に大切にしたい。

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そうサンテリアがあったら正直ほかの踊りはいらないのだけど、
サンテリアからキューバのダンスが展開していっているから、サルサもソンももちろん人には、丁寧に教えていく。


けれど私は「サルセーラではない」と今は断言できる。
ルンベーラでもない。
サルセーラは「別の人」たちだ。私には似ていない。

キューバにおける何かというならば私は、サンテリアを踊る人でありたい。日本人だけどね。
あとはきっとボレロを歌う人でもあるとおもう。この2つ。

日本人がなんでサンテリアなの?という言葉や問いは、
キューバだけではない

他のダンスにだってたくさん使われてきた言葉だろう。

そういった質問には意味がない。

「続けて行けるならサンテーラだ」と、それは宗教に入っていないとしても私は言えると思うから。

でもね、さらにいうなら、本当はそれを決めるのは自分ではないと私は思ってる。
決めるのは神様。


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サンテリアなんていうと深い宗教を思い浮かべるだけのことで、
他のダンスだって音楽だって、日本にはない宗教と密接に関係しているものだ。

みんなそれでも日本人はやるでしょう?

いろいろ考えるとすべては深いものだ。
そしてすべてがつながっていると感じられるときがある。

サンバだって
ファドだって
フラメンコだって
そうです。

わたしたちは何かを求めていきていくんだろうけど。

「それが何であっても」それはそれでいいと思う。

「なんで日本人がファドなの?
フラメンコなの?サンバなの?ボサノバなの?ゴスペルなの???」

そんな中、

「なんでサルサなの?」という言葉は聞かないでしょ。

それはなぜだろうと思う?

私はサルセーラじゃないので、少し、「意味」がわかる。そう、わたしサルセーラじゃないです。

だから音楽やダンスはとても面白い。

サルセーラではないけど、サルサイントラが職業としてできるのも、「そういうわけ」だからだ。

私はいつ、
人から

「自分に言われたい言葉を頂くことができる」のかな。そしてそれはどんな言葉だろう。

自分で「私は●●です」と言えることほど、自信過剰なこともないと最近はすべてにおいて思うのだ。
自分で名乗るなどというのは、
「職業としてのそれ」でなくてはいけない。
食べていくためのそれともいえる。

職業と芸術が完全一致しているというのは、

「基準がとても難しい」と、思う。
だから私はサルセーラじゃないけれどサルサイントラをやれている。

色々な意見があると思うけど、やっぱり雰囲気、見た目、オーラが違えばそれはどんだけ本人が言おうと
「そうは思えない」わけで。

自分が目指すことの中の何かが一番大きくはなっている雰囲気。「それが違うことが多々」ある。

一致するものを持つ人は、そう・・・・なかなかいない。これは木村純さん=ボサノバが◎であることを
近くで体感して、
いやっていうほど私は感じたものだ。


職業になればなるほど実はそう見えなくなる。
ああ書いてしまった。実はこれが答えである。

アマリアロドリゲスは職業、ファド歌手。であろうか?

反論はあるだろうけど、私は「そうではない」ような気がしている。それだけではなかったというべきか。


目指すところを間違えると、それは間違った道。似合わない。
「にあうことが大事」なのだ。


それでもね、私は、私です。自分がどのような形に着地するかわからないけれど

ひとつひとつやってこう。

さて、


映画アマリアはアマリアの家族から大反対を受けた映画だったそうだ。
(たしかにあの男性遍歴の表現はいただけなかった。)

色々なことに
答えが隠れてる。

どんなにそれが好きでも
好きが、自分ではなく
対、人に「十分に伝わらなかったらそれは自己満足」という恐ろしいものに形を変える。

答えを探そう。

それをやって探すんじゃなくてほかのところからのほうがよく見える場合があると、私は最近とても体で感じることが、、、ある。

大事なものはそばにあるわけじゃなくて、
違う場所にヒントとして隠れているのだと。
そしてそのヒントにたどり着けるものは、それをしているだけではないものたちである。

サンテリアの第一歩が、ファドの心とつながったりもしているというようなことだ。

とにかくすべてはつながってる。
そのつながりを深いところで見つけて、自らつなげていくことしか、新しい道は開けない。









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2013年06月16日

ボデギータのキューバンダンスレッスン、ありがたいことに続いてます。

ソンはクラーベ使いで、細かいリードまで教えられて、私自身が教えて満足いく内容にようやくなってきました。クラーベ打ちをそれぞれにやってもらい少しの音の出方の違いにも気づいて頂き、ダンスや音楽はとてもデリケートなものなんだと発見してもらいたいのです。来ている男性方の腕に入っている、いらない力を抜いてそのぶんは女性への気づかいに回していきます!何曲踊っても疲れないダンス、もいいが、たった一曲で満足いく内容の濃いもの(技ではなく)を目指したいので、、、なぜかというと享楽のままに踊ることも大事だと思いますが、ペアの喜びはリズムや相手との一体感に勝るもんはない、と自分が最近になりとことん体で気がついたからです。

ソンやサルサだけじゃなく、手を合わせたり体でつたえあうダンスは、自分流では踊れないというか、相手に辛い気分を味わわす可能性があるダンスですから、

勝手な踊り、
という自覚あるかたや、よく人から言われる人は謙虚にリズムやムーブメントを一から見直さないといつまでも相手とコミュニケーションが取れない、悲しいペアダンスになります。

ペアダンス、なんて名ばかりの、個人プレーからは脱してほしい。

基本的なリズム、ムーブメントを確実に身につけるまでは、時間がかかるけど、そこをやらないで自己流でいく先には、
行き止まりがやはりあると思います。
うまくかけないけど、一体感ってそう簡単にはいかないから。。

しかもソンはなかなか体が離れない分、鈍感じゃない方なら途中で気持ち悪くなっちゃうくらいの踊り。

気持ちよくお互い踊りたいよね。
究極、ただそんだけでいいんだから。。。。

で、ただそんだけを飛び越えて、すごく反対の方向(間違ったともいう)に行ってしまうと、引き返してこれなくなるというか。

踊りを間違って理解しちゃうのよね・・・・・・

偉そうなことは言えないけど、15年キューバンダンスにかかわってきて、これだけは言いたいなと思うのは
自分の根底にリズムが流れないうちは、相手と組んでもそれはペアではないということ。

ペアを目指すなら自分一人で何曲でもステップを踏み続けられ、
そしてただしいムーブメントを手に入れなかったら
どんなに技を知っていても、ペアではない。というか

女性は一生満足させられないという答え。

女性もおんなじ

自分勝手なムーブメントやリズムで相手をほんろうし続けられるのも、恋愛とおんなじで若いうちだけ。

長年踊りを人生で楽しみたいなら、きっちりとやらないといけないことは別にあって、、、、
なんというか、それはレッスンだけでも学べないと、、思うのだ。

自分の周りを振り返ってみよう。

相手の呼吸を読んで話をしたり
歩幅を合わせたり
笑顔を返してくれたり
いつも機嫌が良い

などの人といて楽しいはず。

だったら踊るとき、さらに距離が近づくペアダンスをどうしたら相手と心地よくなれるかという原点を見つめてみたらわかるはず。




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