ひろしま街がたり

広島の街が大好きな名もなき個人の、広島の街がもっともっと素敵な街になってもらいたいと願った妄想の記録です。。。

東京と広島の街中の子どもたちに、”川”の絵を思い浮かべて描かせたら、きっとはっきりと違いが出ると思われます。
それは、東京の川には描かれなくて(たぶん多くの都市の川になくて)、広島の川には描かれるもの。

今回は、みなさんお待ちかねの「雁木」です。


                   ◇
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           広島・本川の雁木(平和公園西側対岸)

「雁木」って、何だかわかりますか?
最近は、結構テレビ(NHK「ぶらタモリ」など)などで紹介されるようになったので、広島の人にはそれなりに知れ渡っていると思いますが、東京の人はどれくらい知っているのでしょうか?
(たぶん、まだまだほとんど知られていないだろうなあ。。。)

それも致し方ないことで、広島でもつい10年くらい前までは、その言葉を耳にすることはほとんどなく、その存在自体もほぼ認識されずにいました。(私も同じ。。)

1、まず、『雁木』が読めない!
 「がんぼく?」「かもぎ?」辺りが王道。で、正解は「がんぎ」って言われても、すごく固い響きでなかなか耳に馴染まない。

2、つぎに、『雁木』が何かわからない!
 上の写真のうち「雁木」はどれか? 「”木”って言うくらいだから、川辺にある樹木?」辺りが普通。少し考えて「古そうな言葉なので、川沿いにある神社(祠)?」。正解は「河岸にある石段」って言われても、階段自体珍しくもないので驚きもない。
 ※なぜ階段が「雁木」って言うかは、もともと豪雪地域の家の庇を長くして通路にしたものが、雁の群れがギザギザになって空を飛ぶ様子に似ていたことから、ギザギザの形をしたものをそう呼ぶようになったみたいです。石段も横から見たらギザギザです。

3、それで、『雁木』が何のためのあるのかわからない!
 「川で何か洗うため?」「魚を捕りに行くため?」が一般的。正解は「船着き場」、それも生活や商売物資を荷揚げしていた、なんて言われても、今やアマゾンで何でも家に届く時代で実感も何もわかないから感激もない。

こんな風に、「雁木」はあまりに地味すぎてすっかり忘れられていた存在なんです。


                   ◇

では、東京の川はどうか…。

隅田川雁木なしフォトック
     隅田川の河岸・雁木らしきものは見えません。(フォトックより)

あまりに”地味”な存在ので、東京在住の時にも見た記憶がなかったのですが、改めてネットで探しても、隅田川、神田川、目黒川などには、ほとんど「雁木」らしいものが見当たりません。
大半の河岸は、コンクリートの直壁になっています。(さらに”柵”があります。)
これでは「雁木」を知らなくて当たり前。東京の子どもたちの川の絵には「雁木」は決して登場しないでしょう。

でも、隅田川をはじめとして大小数多くの船が行き来しています。
ということは必ず”船着き場”があるはず…。
これについては、次回語ってみたいと思います。


                    ◇

そんな「雁木」が、広島のデルタ地帯の6本の川には何と約400か所もあるそうです。
だから、広島の子どもたちの川の絵には普通に「雁木」が登場すると思います。
ただし、残念なことに広島の川にはあまりにも普通にそれがあり、かつ普段使うことがないので、住んでいる人がその存在を日頃意識することはまずありません。

でも、よく見ると、その「雁木」一つ一つはとても個性的です。


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     (以上、NPO法人雁木組さんの「雁木マップ」より)

16世紀に毛利輝元が広島城を築城して以来、拡大されていく広島の街を形づくる築堤とともに設置されてきた「雁木」。
それは単なる”船着き場”ということでなく、昭和の初期まで続いた、米、薪、炭、木材など街の生活に不可欠な物資の輸送を支える”舟運”の要であり、広島の人々にとってライフラインを守る重要なインフラだったのです。(例えれば、水道の蛇口のようなものかな。。。)

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     広島・本川「楠木の大雁木」にあるオブジェ(船運資材)

そんな数百年に渡る大切なものであっても、役割を終えてしまうとあっという間に世の中では忘却の彼方へ流されてしまいます。
(”時”というものは本当に恐ろしい…。)

でも、約10年前、原爆にも耐えひっそりと残っていた「雁木」に再度脚光が浴びる時がやって来たのです。。。


(次回へ続く)



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これまで、広島と東京の”川”の違いをいろいろと語ってきたのですが、ここ最近どちらの街でもずっと見かけないものがあります。

それは、川で「泳ぐ」です。

川に”泳ぎ”は付き物のはずですが、その当たり前(だった)風景が、川の上流・中流地域ではいざ知らず、都市部となる下流では、この頃まったく目にすることがありません。
戦後までは普通に川で泳いでいた子どもたちの姿が、昭和40年代からの高度成長期以降、公害問題による水質悪化などによりぱったりと消えてしまいました。
これは、東京の隅田川や広島の太田川だけでなく、全国の湾岸都市の多くも同じです。

今は水質もずいぶんと改善され遊泳禁止の川はあまり多くないと思われますが(船の航行などによる禁止はあるかも‥.)、いかんせんそれまでの長期間に渡るブランクにより、都市部に住む私たちの頭の中からは「川で泳ぐ」という当たり前のことがイメージごとすっかりと消去され、近年流行りの「親水」の街づくりと言っても、せいぜい川辺を散策したり、カヌーやSUPなどを行う程度に留まっています。
改めて忘れられた「泳ぐ」ことを思い出すと、せっかく”川”があるのにとても勿体なく残念のような気がします。。。


                   ◇

そんな現代において、広島では年に数回ですが街の真ん中で川を「泳ぐ」姿を見ることができます。(また、やる気さえあれば誰でも”泳げ”ます。。。)

それは、『日本泳法 神伝流広島游泳同志会』による「游ぎ」です。

「日本泳法」とは”古式泳法”とも呼ばれ、江戸期から武芸の一つとして伝わる泳法で、自然条件に応じて全国各地に独自の流派が生まれたそうです。
中には、甲冑を見に纏ったまま、また幟を振りながら”游ぎ”、さらには日傘を差したり(諸手日傘)、書(水書)を行ったりと多彩です。


神伝流
広島・元安川での「諸手日傘」(随分以前の写真です。)

全国には主な流派が13あり、広島に伝わる「神伝流」は、伊予藩・松山藩の発祥で、岡山・津山藩を通じて各地へ広まり、現在は、東京、新潟、神戸、岡山などで継承されているようです。(概要
広島では江戸末期に浅野藩で重用されるようになり、1920年に「神伝流広島游泳同志会」が創設されたそうです。(もうすぐ100年!凄いですね。。。)

その、神伝流の行事が、毎年1月の成人の日に原爆ドームの前で”寒中水泳”として行われ、大学の水泳部員なども参加し、広島の川の”冬の風物詩”となっています。
(8月6日に平和を祈念して行われる年もあるようです。)



         古式泳法で寒中水泳(bajikazuさんのUP動画より)

(私も一度見に行きましたが、まあ見ているだけでも凍えそうでした。でも、日頃見慣れた”川”にこんな伝統が残っているんだと、何とも言えない深い歴史を感じることができました。)

                   ◇


さて、そんな伝統芸能的な日本(古式)泳法ですが、実はちゃんと日本水泳連盟の競技として認められていて、毎年『日本泳法大会』という全国の競技大会が開催されているのです。(日本水連のHP

私も東京在住の時に、たまたま何も知らずにその大会を見に行く機会があったのですが、まあ、いろいろと新鮮で印象深いものでした!
(何せ、そもそも何を競うのか分からない、さらに違う流派間でどのように競うのかも分からない…。)

※ネットを見ていたら随分以前のものですが、大会の様子がUPされていました。↓



   2011年第56回日本泳法大会(千葉国際)(qAuApop7starsさんのUP動画より)

私は団体戦を観たのですが、流派が違う2つのチームの選手が同時に泳ぎ、異流派の審査員がその技術の完成度に対し紅白の旗を上げ優劣を付ける、という…
競泳の絶対的な評価とは異なる、その何とも鷹揚で望洋な競技に底知れない日本的な奥深さを感じずにはいられませんでした。。。
(この大会は平成27年には広島で開催されたみたいです。)


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この日本(古式)泳法は、東京などではダイビングプールで行われることが一般的です。
それが広島では、(年数回とは言え)街中を流れる川で接することができます。
これも、広島では川が生活に溶け込んでいることによるのかもしれません。
いつまでもこの素敵な「泳ぐ」行事が続いてほしいなあと思います。


【夢がたり】
甲冑、和傘、扇子…、当たり前だけどに「日本泳法」はとっても”和”を感じさせてくれるので、きっと外国人観光客にも人気が出そう。
シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)をする「NINJA」って感じで…。
「広島神楽」みたいに定期開催のエンターテイメント化ができれば、川の街・広島の魅力をもっと広げることができるかも。。。

(次回へ続く)



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「え、え、え!」
毎年8月6日の夜、広島の元安川を中心に行われる「とうろう流し」。
赤、黄、青、緑などの色々の灯が、原爆ドームの前を川の流れに乗って過ぎて行きます。
その灯は次第に遠く小さくなり、このまま下流に流され見えなくなってしまう…、え!?
しばらくすると、その灯はスピードをゆるめ流れることを止めます。
そして、何と今度はこちらに向かって戻ってきました!



       とうろう流し ※下流から上流に向かって流れています。
  (ダイヤモンドライフさんの「8月6日 広島とうろう流し Hiroshima Day Peace Lantern Ceremony」より


数年前、初めて広島のとうろう流しに参加した県外の知人が、驚いていたことが記憶に残っています。

今回の”川”は、「流れ」です。


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「どっちが上流か下流かわからない。」
広島を訪ねた人や住み始めて間もない人たちから、街中を流れる川についてしばしばこのような声を聞きます。

まあ、無理もないことかもしれません。
”山編”で記したように、広島の街の東、北、西の三方には山が連なり、さらに南の瀬戸内海には山のように見える島々があります。周りの地形だけではどちらに海があるか分からない。
さらに、広島湾の大きな干満差のため、デルタ地帯の市街地ほぼ全域で、川は毎日2回、その流れを逆方向に変えています。
引き潮になれば北から南へ順流し、満ち潮になれば南から北へ逆流する。
それに伴い、”とうろう流し”もまた原爆ドームの前を行き来するのです。

市内の6本の川は、どちらからどちらに流れているのか?
慣れるまでは戸惑う方が普通かもしれません。


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     船は上流に向かっているのか?下流に向かっているのか?(広島・本川)

                   ◇

もちろん川の流れの変化は広島に限ったことではなく、東京を含め全国の湾岸都市ならどこでも同じです。
ただし、東京に住んでいた頃にそのことを感じることはほとんどありませんでした。
それは、以前にも記したように、”川底”が見える川かどうかの影響が大きいかと思います。

例えば隅田川のように、引き潮でもほぼ川面が水で満たされ川底が見えない川であれば、満ち潮時に流れが逆行していたとしても、ぱっと見で水面に大きな変化はなく、気づいても、”風のせいかな、船が通ったかな…”くらいしか思わない。
というよりも、そもそも”流れ”というものをほとんど意識しない。


隅田川川面
             隅田川の川面(フォトックより)

片や、”川底”が露出する広島の川(特に元安川など)の場合、満ち潮時に川底が次第に隠れていくことで、下流から上流への”流れ”が一目で分かります。
そういった意味では、広島は「流れの見える川、街」とも言えるかもしれません。


                   ◇

川の流れで思い出すのは、もう数十年前?の若かりし頃に、NHKで中国の川の”大逆流”を取材した番組を見たこと。
それが浙江省にある銭塘江の海嘯だったか定かではないのですが(銭塘江の海嘯は”流れ”というより”津波”ですね)、その逆流を見るために多くの人々が集まり観光資源化している様子が強く印象に残っていて、いつか見に行ってみたいと思っていました。
と同時に、広島の川でもあんな大逆流があれば”名物”になるのになあ、とぼんやりと思っていたのです。
(東日本大震災の後には、そんな思いは無くなったのですが。。。)


          銭塘江の逆流(kinmaru6さんのUP動画より)

そんな私の妄想をよそに、広島の川は毎日黙々と小さな小さな流れの変化を見せていてくれました。
そして、年に1回だけ、8月6日の夜にその姿を多くの人々の前にはっきりと現します。

今になって思うのは、この小さな”川の流れ”が、街に人知れない静かな”変化”と”動き”を与え、川辺をぼーっと眺めたり散策してる時などに、ひっそりとした面白み(魅力)を与えてくれている。
そしてそれは、広島の街の日々の生活のリズムにつながっているのかも。。。

ほんの些細なことだけど、広島の街にとってはとても貴重なことかもしれないと思うようになりました。


(次回へ続く)

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