ひろしま街がたり

広島の街が大好きな名もなき個人の、広島の街がもっともっと素敵な街になってもらいたいと願った妄想の記録です。。。

前回、”広島の海”でのナイトクルーズについてちょっと記しましたが、”夜の海”といえば、忘れられない光景があります。
それは、正しく夜の海の”光”の景色でした。




広島大好きな私のお気に入りのスポットの一つが、”グランドプリンスホテル広島”からの眺望です。
最上階のラウンジから見る、360度の広島の海(瀬戸内海)と街の景色はもちろんですが、各客室から望む海の景色も大好きです。
(最上階のラウンジは現在コロナ禍で営業を控えられているようです。)

私も過去に何度かその景色を見せたくて(自分も見たくて)、親類や知人などと一緒に宿泊したことがあるのですが、(海側の部屋の)窓の外に広がる海と島が織りなす光景は、正しく”瀬戸内海!”といった感じです。(ホテルのHP参照。部屋によってはバスルームからも見ることができます。)

でも、それは前回のクルーズ同様、もちろん昼間の姿。
夜になると、街側の部屋であれば海が見えない代わりに市街地の夜景を楽しむことができますが、海側の部屋は真っ暗となりほとんど何も見えません。
ちょっと残念ですが、”広島の海を見るなら、やぱり明るいうちだ!”と、そのトレードオフな状況にも納得していました。
(それだけ昼間の光景は素晴らしい!と思います。)

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グランドプリンスホテル広島からの眺め(海側)


ところがある時、そんな海側の夜景に鳥肌が立つことがありました。

その日は、疲れてベッドでうたた寝していると、夜なのにカーテン越しの外が妙に明るい。
何か野外でイベントでもやっているのかなあ、とぼんやりしながらカーテンを払いました。
と、そこにあったのは、”まん丸の月”!
真っ暗な世界の中にぽっかりと浮かんだそれは、突然現れた巨大な”何か”のようで、目の当たりにした私は一瞬、とんでもないようなものを見た感じがして全身の毛がざっと逆立ちました。

そして、窓ガラスに顔をべったりつけ誘われるようにしげしげと見ていると、月光の下、見えないはずの夜の広島の海が浮かび上がっているのが分かりました。
直ぐ側の金輪島の島影、その前で静かに揺れる海面、そして、そこに映え波と戯れる月光。
その音もなく、月と島と海しかない世界に私は飲み込まれ、ただただほけ~っと見つめるだけでした。

「うわっ、これかあー!」
と、その時ふと、頭の底に永く潜んでいたものが蘇ってきました。
それは、
『熟田津に 船乗りせんと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』

万葉集の額田王の歌です。
古文や日本史が大苦手だった私が、なぜか学生時代に刷り込まれた歌。
語句はうろ覚えだったのですが、そのイメージというかビジョンがなぜか深く刻まれていました。
それも、とんでもなく間違ったものとして。

その歌は、古に、唐と新羅に占領された百済の助太刀に行く大和朝廷の船団が、
「よっしゃ!出陣!!」
という勇ましい歌のようですが、
どこでどう間違ったのか、私の中では、ずっと”男女の逢引きの歌”として残っていたのです。
許されない関係の2人が、月夜の晩に、後先見ずに想いのまま旅立っていく。
ロミオとジュリエットか、曾根崎心中かと、ほのかに悲劇の香りを漂わせながらも、露の間の幸せに無心に生きる2人…。
(む~、ほんと、とんでもない思い違い。。。)

そして、その舞台は、
当時の私にとって、まだ未知の世界だった”瀬戸内海!”のイメージでした。
(”熟田津”は、現在の愛媛県の道後辺りみたいなので、その点は間違いではなかったのですが…)
そんな、”勝手に迷走ロマンティック”な世界が予期もせず目の前で具現化していたのです。。。
(”中二病”再発か!)
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翌日、チェックアウトの際、
気がつくと、私はホテルのスタッフに対して、限定商品「ムーンナイト・ステイ」として商品化されたらいかがか、と熱く語っていました。。。
(考えてみれば、これは前回のナイトクルーズにも言えることですね。)

みなさんも一度、
「満月の夜の”広島の海”」
を体験されてみてはいかがでしょうか。



(次回へ続く)


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★『日系二世のNBA 伝説のプレイヤー ワッツ・ミサカとその時代
(著:五味幹男、情報センター出版局、2007)

学生時代、私は家系的に運動神経が鈍かったのですが、ちょっと背が高いというだけで中・高校とバスケットボールをやっていました。(先輩たちはなかなか強くてインターハイにも連れていてもらいました。)
が、当時バスケはマイナースポーツで一般的に話題になることもなく、日本リーグがテレビで放映されることも稀で、ましてNBAなんて遥か宇宙の果てのアナザーワールド!バスケ部員でもそれがどんなものか知っている者はほとんどいませんでした。

だから、バルセロナオリンピックでUSAのドリームチームが話題になり(1992年)、『スラムダンク』が人気となり(1990~96年)、田臥勇太選手がNBAプレイヤーとなって(2004年)、そして、八村塁選手がNBAのドラフト一巡目(2019年)となったことなど、未だにどことなく浮世離れした感覚が残っています。

しかし、そんな出来事よりずっと以前に、広島出身(尾道市向島、岩子島)の両親を持つ日系二世の若者が、BAA(NBAの前身)の舞台に立っていた、という話です。

【寝ごと雑感】

①主人公のワッツ・ミサカこと三阪亙さんは、アメリカ・ユタ州に生まれ、ユタ大学のチーム(ユーツ)で1944年NCAA、1947年NITという2つの全米選手権で活躍し優勝を果たしました。
そのことは、当時優勝候補でもなかった田舎チームが、ニューヨークのMSGという大舞台でミラクルを起こし、地元は大熱狂に包まれる…。
と、どうしても、どこかの赤いチームを思い起こさせ、やはり地元にスポーツチームがあることの素晴らしさを再認識させられました。
(ワッツさんも野球も好きだったようなので、両親の故郷の赤いチームの話は知っていたのかなあ…)

②その実績を買われ、1947年、「ニューヨーク・ニッカボッカーズ」(ニューヨーク・ニックス)にプロ選手として入団。BAA初の非白人プレイヤーとなりました。
(奇しくも、その年は、プロ野球チーム「ブルックリン・ドジャース」のジャッキー・ロビンソン
MLB初の黒人プレーヤーとしてデビューし、新人王を獲得した年でもあります。)
当時は野球が圧倒的な人気スポーツだったみたいで、そんな中、BAAが組織化されていく様子は日本の「Bリーグ」を彷彿させ興味深いものがありました。いつか日本でも肩を並べるような人気スポーツになるかもしれませんね。

③そんなワッツさんは、リーグ開幕から3試合出場した後、不可解にも13日間でチームを解雇されることになり、筆者はその理由に迫ろうとします。
その背景には、やはり太平洋戦争を挟んだ「日本」と「アメリカ」という「2つの祖国」?問題がよぎります。
それは、海外移民が最も多いと言われる広島県の特徴とも関連したものかなとも思いますが、こうして国籍関係なく海外で活躍した人材を輩出してきたことも、わが「広島」を知る上では参考になるなあと感じました。

※ちなみに、NBAではありませんが、オリンピックやFIBA、Bリーグの公式球「moltenモルテン」やインターハイの公式球「MIKASAミカサ」がともに広島の企業というのも面白いですね。
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★復刻版第7回は、『川舟』(2017.4.15)です。



「この世界の片隅に」の冒頭、幼少期のすずさんが、旧中島本町へ海苔を担いでお使いに行きますが、その時乗ったものが、これ。

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太田川を行き来していた川舟です。(すずさんの乗った船は砂利を運んでいました。)

 

広島は、16世紀に毛利輝元が太田川デルタに広島城を築城して以来、昭和の初期まで川船による舟運が盛んで、年貢米、薪、炭、材木、砂利などを運んでいました。

どれくらい盛んかというと、「環・太田川」さんのHPによれば、明治~大正の最盛期には、千数百艘もの川船が行き来し、上流には船宿も結構あったそうです。(詳しくはこちらhttp://kan-ootagawa.org/bunka_ootagawa_kiki_03.html、船宿を知る当時の方々の話は興味深いですね。)

 

昨年9月に放送されたNHK「ブラタモリ」の広島編でも紹介されましたが、太田川は現在の河口から上流に向かって約12kmも汽水域があるため、満ち潮の時には江波から旧中島本町へ行くのもみやすい(←広島弁による「容易い」)と思われますが、そのチャンスは1日2回しかなく、強風や大雨の日などは難しかったのではないかと思われます。

(※「ブラタモリ」も広島の街ネタ満載でしたので、後日シリーズ化して記してみたいと思います。)

 

ちなみに、ここがすずさんが川舟から上陸した辺りの現在の様子(奥側、現・平和記念公園西側)です。

※すずさんが海苔を担ぎ直した雁木(がんぎ)は現在はありません。

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  (手前に見える常夜燈は、1808年以前のもの(復元)だそうで、すずさんも見たのでは。。)

 

 

それにしても、現在の広島の街を見ていると、あの白い帆を立てた川舟が、つい80年くらい前まで街中を走っていたとはちょっと信じがたい気がします。(川の帆船と言えば、中国の長江やエジプトのナイル川などの大河のイメージしかなかったので…)

そして、その様子に思いを馳せてみると、何とも優雅でステキな光景に思えてきます!

 

 

※上記の川舟の写真は、広島市郷土資料館に復元され常設展示されているものです!HPはこちら、http://www.cf.city.hiroshima.jp/kyodo/html/00top/topfrm.htm。 

 また、この郷土資料館は旧宇品陸軍糧支廠缶詰工場で被爆建物であり、すずさんの頃から存在していたものでもあります。

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