広島における ”ヌードの殿堂” 『広島第一劇場』が令和3年5月で終焉を迎えることになりました。
個人的には、ストリップを趣味としていたわけでないので、今まで当館へ行ったことはなかったのですが、以前から気になっていたので今回足を運んでみました。
ただ、以前に記した『清水劇場』の時もそうですが、無くなるとわかってから足を運ぶ私のような ”野次馬的な” 客は、常連の方々から見れば「今さら何を!」といった迷惑な客でしかないでしょう。
そんな刺さるような視線をひしひしと感じながらも、今回見に行ったのは、広島の街の構成要素として、ある時代には確実に必要とされ機能していた ”装置” を、実際に一目見ておきたかったからです。
”ストリップ”と聞けば、昭和の時代までは、表立って話題にできるような感じではなかったのですが、
日本における”ストリップ”の歴史をちょっと見てみると、神話時代の天岩戸の話から始まるくらい、日本人には馴染み深いもののようです。
特に、戦後からの展開は目紛るしく、いわゆる”オトナの世界”の一大娯楽として時代を彩っていました。
(ドリフ・加トちゃんの ”ちょっとだけヨ~” は、子どもごころに”ヤバいんじゃないか?”とドキドキしながらもの真似していましたね。そんな加トちゃんの芸は広島のストリップ劇場から生まれたのは有名な話です。)
でも、時は流れ、21世紀に入ると”オトナの世界”も様相が変わっていきます。
東京在住だった頃に、浅草のロック座を一度覗いてみましたが、その洗練されたショウスタイルに、ちょっと戸惑ってしまった記憶があります。
広島第一劇場も、その建物が醸し出す何とも言えない、あのドキドキした雰囲気とは異なって、そのショウはやはり洗練されていたように感じました。
ダンサーさんたちは女優のように美しく優雅に舞い(ついでに脱ぐといった感じ)、客席には若い男女のカップルや母娘連れといった姿も見られ、休憩中の写真撮影会の様子など見ていると、もうアイドルのステージと何が違うんだろー、追っかけがいても全然不思議でないよなあー、と、昔のイメージとの相違に奇妙な感覚になってしまいました。
そんな、街の”機能”ももうすぐ無くなってしまいます。
ただし、これは別に広島だけのことではなく、お隣の九州ですら近い状況のようです。
これも時代の流れだからそんなに悲観的にはならないのですが、ただ、ふと頭に浮かんだのは…
今や、ネットを中心としたデジタル化で、ホームステイしながらも大概のニーズが満たされる時代。
世界はより効率化し、よりシンプルになり(ある意味”洗練され”)、その中で不必要なものはどんどん消えてゆく。
そんな流れの行きつく先には、果たしてどんな世界が待っているのか。
見たいような、見たくないような。。。
楽しみのような、恐ろしいような。。。
でも、否応なく、その世界は近づいている。その時、広島の街はどうなっているのか。。。
そんな、普段はなかなか抱くことのない、コンフリクトした思いを感じることができました。
退館時、ふとロビーにある絵葉書に目が止まりました。
以前から好きな絵描きさんの絵です。
帰路それを手にしながら、足を運んでよかったなあ、と思いました。
個人的には、ストリップを趣味としていたわけでないので、今まで当館へ行ったことはなかったのですが、以前から気になっていたので今回足を運んでみました。
ただ、以前に記した『清水劇場』の時もそうですが、無くなるとわかってから足を運ぶ私のような ”野次馬的な” 客は、常連の方々から見れば「今さら何を!」といった迷惑な客でしかないでしょう。
そんな刺さるような視線をひしひしと感じながらも、今回見に行ったのは、広島の街の構成要素として、ある時代には確実に必要とされ機能していた ”装置” を、実際に一目見ておきたかったからです。
◇
広島第一劇場は、中国地方を中心に展開していた「第一劇場グループ」6館のうち最後まで残った、中国地方最後のストリップ劇場とのこと。
ホールは60席弱で、舞台はかなり大きい方で天井高は国内トップクラス。トイレが男女別にあることや、表看板のダンサーさんのキャッチフレーズがあるのは全国でも珍しい特徴だそうです。
広島第一劇場は、中国地方を中心に展開していた「第一劇場グループ」6館のうち最後まで残った、中国地方最後のストリップ劇場とのこと。
ホールは60席弱で、舞台はかなり大きい方で天井高は国内トップクラス。トイレが男女別にあることや、表看板のダンサーさんのキャッチフレーズがあるのは全国でも珍しい特徴だそうです。
”ストリップ”と聞けば、昭和の時代までは、表立って話題にできるような感じではなかったのですが、
日本における”ストリップ”の歴史をちょっと見てみると、神話時代の天岩戸の話から始まるくらい、日本人には馴染み深いもののようです。
特に、戦後からの展開は目紛るしく、いわゆる”オトナの世界”の一大娯楽として時代を彩っていました。
(ドリフ・加トちゃんの ”ちょっとだけヨ~” は、子どもごころに”ヤバいんじゃないか?”とドキドキしながらもの真似していましたね。そんな加トちゃんの芸は広島のストリップ劇場から生まれたのは有名な話です。)
でも、時は流れ、21世紀に入ると”オトナの世界”も様相が変わっていきます。
東京在住だった頃に、浅草のロック座を一度覗いてみましたが、その洗練されたショウスタイルに、ちょっと戸惑ってしまった記憶があります。
◇
広島第一劇場も、その建物が醸し出す何とも言えない、あのドキドキした雰囲気とは異なって、そのショウはやはり洗練されていたように感じました。
ダンサーさんたちは女優のように美しく優雅に舞い(ついでに脱ぐといった感じ)、客席には若い男女のカップルや母娘連れといった姿も見られ、休憩中の写真撮影会の様子など見ていると、もうアイドルのステージと何が違うんだろー、追っかけがいても全然不思議でないよなあー、と、昔のイメージとの相違に奇妙な感覚になってしまいました。
そんな、街の”機能”ももうすぐ無くなってしまいます。
ただし、これは別に広島だけのことではなく、お隣の九州ですら近い状況のようです。
これも時代の流れだからそんなに悲観的にはならないのですが、ただ、ふと頭に浮かんだのは…
今や、ネットを中心としたデジタル化で、ホームステイしながらも大概のニーズが満たされる時代。
世界はより効率化し、よりシンプルになり(ある意味”洗練され”)、その中で不必要なものはどんどん消えてゆく。
そんな流れの行きつく先には、果たしてどんな世界が待っているのか。
見たいような、見たくないような。。。
楽しみのような、恐ろしいような。。。
でも、否応なく、その世界は近づいている。その時、広島の街はどうなっているのか。。。
そんな、普段はなかなか抱くことのない、コンフリクトした思いを感じることができました。
退館時、ふとロビーにある絵葉書に目が止まりました。
以前から好きな絵描きさんの絵です。
帰路それを手にしながら、足を運んでよかったなあ、と思いました。