ひろしま街がたり

広島の街が大好きな名もなき個人の、広島がもっともっと素敵な街になってもらいたいと願った妄想の記録です。。。

タグ:杓子

DSC_3263


(著:宮郷彰通、ザメディアジョン、2015)

この " 本がたり " では、できるだけ触れないものとして、原爆・平和関係、カープ関係の本をあげています(ちょっと違った観点からの例外もありますが)。
それは、あまりに " 広島本 " 過ぎて、そして、あまりに奥も幅も広すぎて、その各テーマだけでも一生かかっても紹介しきれないくらいの質と量があると思っているからです。
そんな中、もう一つ、触れたら沼に落ちそうと思っているのが、” 宮島本 ” 。これも下手したら戻ってこれなくなりそうな底なしの深味を感じています。
でも、この本は、その装丁や " 杓子 " というテーマから、なんとなく気軽に手に取ってみることにしました。


【寝ごと雑談】

①「 ”しゃもじ ” ではなく、" 杓子 (しゃくし)" ってゆうんよ」
実際、この言葉は、もうずっと以前から生粋の宮島人である知人から、何度も聞かされていました。
「〇〇もじ」っていうのは、室町期以降の「女房言葉」(文字詞)として有名で、「杓(子)もじ」をはじめ、「かもじ」(髪文字:付け髪)、「ひもじ」(ひだるい文字:空腹)などは聞いたことがあるのですが、古の女性たちの流行言葉たったことを想像すると、いつもとても可愛らしく感じてしまいます。
(広島縁でいうと、" 鯉 " も「こもじ」って言ってたんですね。)

②でも、”杓子 ” と呼ぶことに矜持がある(?) 宮島にとっては、今や、当たり前の お土産になっている ” 杓子 ” 。
江戸期、大阪を中心とした西日本の町の賑わいを表した「夜店賑わい」の番付表で、”大関”、”関脇” 級とされた宮島には、当初、これといったお土産が" 色楊枝 " くらいしかなかったそうです。
( 
" 色楊枝 " って、今までほとんど知らなかったのですが、写真でみると、なんとも可愛くて、今ではこちらの方がよっぽど ” お土産 " らしいような気がします)

③ただ、” お土産 ” なった杓子には、複雑な思いを浮かべざるを得ません。
その生産盛期である昭和初年には、宮島での年間出荷数が約1,200万本。当時の日本の人口が約6,000万人だったそうで、これは完全に生活必需品だったんですね。
それが、その後、安価なプラスティック製や海外製などにより劣勢となり、約250年も続いた筆者の問屋さんも平成中期に店を閉じられました。
でも考えてみれば、時代は変わり米食が減少している現在とはいえ、日本人の主食には違いないご飯を食べるためには、今でも、茶碗と箸と、そして、杓子(しゃもじ)は必須で、それらがない家などないはず。
いつの日か、宮島の ” 杓子 ” が
 ” 杓子 ” として、復活する時がくるのでしょうか。。。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

DSC_2188


 ★『広島の木工職人(著:番匠谷薫、海青社、2020)

宮島杓子、廿日市けん玉、松永下駄、府中桐箱、戸河内刳物など、広島県の木工についてまとめた貴重な本です。


【寝ごと雑談】

①広島の産業といえば色々ありますが、やはり中国山地の”たたら”を背景とした”安芸十り(てんり)”と呼ばれる伝統の鉄製品(ヤスリ、イカリ、ハリ、クサリなど)。そして、そのノウハウを生かした、製鉄、造船、自動車などの重厚長大の産業のイメージがあります。
でも、考えてみれば当たり前ですが、山間地の多い広島には林業、そこからの木工業も隆盛を極めた時代があったことに今さら気づかされました。
しかし、その隆盛期は主に明治~昭和初期で、戦時下での統制経済により金属製品の生産が滞ったことも要因のようで、広島にとっては何とも皮肉なことです。

②戦後以降、プラスティック製品などの流通により、木工業は厳しい状況におかれていますが、ペン、玩具、インテリアなどの分野で頑張っている個人、法人さんたちが紹介されています。
この本以外にも、以前紹介した世界で人気の椅子等を製造している「マルニ木工」さんや、広島仏壇の製造、熊野筆の製造など、思い返せばいろいろな会社さんたちも頑張ってられますね。

③この本が出版されたのが2020年。
今後、広島の木工業がどうなるのかわかりませんが、近年においてこのような本が取りまとめられたことは、将来に向けて本当に貴重な記録になると思います。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ