2006年02月28日

Transamerica=トランスアメリカ

Transamarica=トランスアメリカを見た。

Reviewはこちら

主演のフェリシティ ホフマンがアカデミー賞にノミネートされた事で有名になってしまったともいえるこの映画。遅まきながら見ました。

見る事に積極的になった理由の1つにこの映画がコメディだという事があった。やっぱりこの手の話題の映画というのはかわいそう過ぎてコメディの方が見る気持ちがすすむ。

どうしてもあのBoys don’t cryを思い出してしまうのである。

話に聞いたところによるとヒラリー スワンクが役を獲得する前にProduceサイドは3年もの間この役が出来る女優を探し続け、会った女優は3000人だそうである。

そして獲得したのはヒラリー スワンクなのである。

ともあれ、このTransamarica。そういう訳でどうしてもヒラリースワンクの演技とフェリシティ ホフマンの演技を比較してしまう街猫。

その上、オスカーのレースについてもどうしてもリース ウィザースプーンにとってもらいたいと思っている経緯もある。

何を言いたいかと言うとフェリシティの演技がそう特筆するべきものかどうか疑問という事。

勿論、実力のある女優さんだし、演技も確かだけれど、やっぱり焦点はオスカーに値するかどうかなのだ。

ヘアやメイクアップはとても良く出来ていて彼女を女になりたい男に見せることに成功していたと思う。

わざと肌を硬く見せるようなメイクは普段女優さんを際立たせるメイクの反対の作用を生み出す技術を駆使すれば良いのだし。

ヘアは勿論硬く不自然に見せていてしかも前髪とかのカットがひどく不自然で直線的だったり。

しかし、思うけどあんなに女になりたい男ならもうちょっとマシなヘアケアや服を選ぶのではないかと正直思うのだけど、結局そうしてしまうとフェリシティは完全な女に見えてしまいこの映画の可笑しさやメインのストーリラインがなりたたなくなる。
非常に難しい問題だろうと思う。

実際のところ、ヘアやメイクやコスチューム−あの作り物のPenisは良く出来ていたと思う−以外で彼女をこの役(Breeという名前だけど)に見せるものがあったかと考えると思わず?マークが浮上する。

喋り方や座り方や立ち居振る舞いでこのBreeが十分に表現されているかどうかと言うのがいまいち?なのである。

声は本人も努力して低く出していたけれどそれにもやっぱり限度があったし。

いっそ、全く女性に見える人が男のように振舞ったりする方が実感が出たかもしれないとか思ってしまった。

上手いとは思うのだけれど、ものすごいパフォーマンスとはどうしても思えないわけである。

それよりも興味があったのはストーリーライン。

一度だけ女性と関係を持ち子供が出来て居て…という設定で、この息子がアメリカのDysfunctional familyの典型のようにStep fatherに性的虐待を受けていてBisexualになっていて、おまけに大人に気に入られるために性を提供するという技も当然のように学んでいて…。

この辺りはもうSocial WorkやセラピーのBackgroundを持つ街猫には、あ~あ、としか言いようがなかった。

いつも思うけれど、男に生まれて女になりたいというのがそんなに罪な事なのだろうか?その人である事に変わりはないのに…と思う。

この辺がやっぱりキリスト教徒でない街猫の気軽さなのかなあと思ったりもするが、確か、Gayの自殺率って全体の8倍も高いと聞いた。

結局、家族に受け入れてもらえないという辛さから来るのだと思うのだ。

実際MSWの時にもゲイの息子を受け入れる事ができず自殺されてしまった母親のインタビューを見た。

結局無知がこの問題を生むのではないか?とも思う。

ゲイだとか性への意識と言うものは変える事が出来ない事なのだ。

自分がゲイでないからとか女性に生まれて女性の身体に満足しているからと言って皆そうだとは限らない。


普通の人が太ると分っていてもどうしても甘いものが止められなかったり、健康に悪いと思っても煙草が止められなかったり、性的欲求を諦める事が出来ないのと同じ事であると思う。

Jokeのようなレベルで言えば、一生チョコレートを食べるなと言われたどうしたら良いか分らないよ〜と思うのと同じくらい自然な事であると思うし、勿論チョコレートよりは1000倍も深刻な問題なわけである。

だから、その人が精神力によってゲイや性のOrientationを変えられると思うのは全く間違いであるのである。

女性なら男性に性的興味を覚えるのと同じくらいゲイの人にとっては同性に興味を覚えるとても自然な事なのだ。

だけれどもこの映画の中でもどうしてもBreeを受け入れられない母親が出てくるわけである。

街猫にはどうしてもS&MとかCross dressersの方が理解に苦しむなあ。Cross dressersって男性が女性の格好をする行動なんだけど、これがすごく多いらしい。MSWの時のResearchでやってびっくりした。

アメリカでは既に大規模なコミュニティがあるらしい。

これはSexual orientation(ゲイとかストレートとか)やTransgenderには全然関係ないらしい。

ストレートの既婚の男の人とかが時々女装したい欲求を抑えられないというものらしい。

この他にもIntersexというのもある。男性器と女性器を両方持っていて染色体では男とか女とかの区別は出来るのだが結局本人はその染色体の示す性別にそぐわない心を持ったりするらしい。

これもものすごくレアではなくて三つ子が生まれる確立くらいの割合で発生するそうである。

昔はPenisが規定の長さに達しないと出生時に切り落とすのが普通のProcedureだったらしい。と言ってもそれが変わったのは10年くらい前らしいけど…。

街猫のMSWの時の先生がその新しいProcedureを提案し採用されたらしい。彼女もセラピストである。

出生時に判断しないで大人になってから本人に性を決めさせるというのである。

MSWの時にはクラスにゲイなんかいっぱい居てCome outしていたし、実習で親しかった人はレズビアンでもう20年も同じ女性と暮らしていた。

別に何の問題もないと思うけど、やっぱりBig dealなのだろうか?

男性が見るように女性に色っぽい視線を送られるとストレートの街猫としては複雑だけどね:)。


この息子役の男の子可愛かったなあ。演技も良かったと思う。

因みにアメリカの男性の中でホモセクシャルな体験を持つ人はかなりの確立でいたりして(3割だか4割だったかな)その幼年期の経験がSexual orientationを確立するのに影響を持つらしいという事は分っている。

幼年期に体験があった人の方がゲイやBisexualになる可能性が高いそうである。

思うに性衝動がまだ確立されてない不安定な時に性的興奮を覚えるとそれが状況にそぐわない事であっても後に、その時の状況が性衝動の引き金になったりするらしいのである。

これと同じ理由で暴力や残虐行為と性衝動が結びついてしまう事があるとも聞いた。

だからこのトニー(息子)もStep fatherに虐待されたためにより複雑な人生になってしまったのかなあと可愛そうに思ったわけである。

勿論この事だけではなく他の意味でも彼の人生はかなりDisturbされていたのだけれど…。

Social workerが見たら怒り狂うか、途方にくれるかという状況だった。

しかし、これがリアリティというものだろう。この物語が特別だとは全く思えないしごく普通の家庭(と思っているところ)にこんな物語は転がっていそうである。

Breeの家族だってUpper middle classなのに結局は彼(彼女)の妹だってDrugsから立ち直ろうとしているという設定だったし。

大体あの親だもの、とも思ったけど。

それにしてもこの映画、今の普通のアメリカといった感じでリアリティがあり、しかし、ユーモアも忘れない、と言うか、こう題材をユーモアを使って表現できる土壌があるところがすごいとも思う。

劇中、母親がBreeに近所のひとに見られないうちに家に入れとか、街猫から見たらひどいと思うような、この場面で笑うかと思うところで笑っていた人が居たのはやっぱり無神経なわけでなく、笑わせようとする作り手のユーモアが分る人がいると言う事だろう。

過剰反応する母親を笑ってしまおうという訳である。

このユーモアは日本にはないだろう。


映画にセラピストが登場したが彼女の患者とのBoundaryの緩さにはちょっとびっくりした。

ラストも先が思いやられると思うのはStressed therapist:)的な見地であって、少しづつだけれど良い方向に向かっているのだろう。母親も息子も。

中々面白く、良い映画だったと思う。

Grade:A


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February 27, 2006 7:48pm (EST)
Trasamarica


machineko_nyc at 09:53│Comments(0)TrackBack(0)映画T | 映画た行

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