えっと2018年ももうすぐ終わりですが、
今年を振り返りますと、
この一年はコミュニケーションの難しさ、
その言葉に尽きる一年だった様に思います。

まさに100人いれば、
100個の世界が存在する、
その様な事を実感しましたし、
私たちが勝手に思い込んでいる、
ある種共通した世界観というもの、
そんなものは存在しないのだと、
そしてそれが存在するのだとすれば、
それは「悟り」の世界だと、
再確認した次第です。

人それぞれの世界がバラバラであるから、
それぞれの人は、
自分が主体として存在する世界が、
普通「世界」であると思い込んでいます。
ここでいう「世界」とは、
全ての人が共通する「世界」です。
つまりそれを前提とすると、
自分自身の「視座」が、
「世界」の「有り様」であるわけです。

さらにこの「視座」こそが、
自分自身の「質」や「量」など、
つまり「個性」や「人格」までもが、
その「視座」から創発されてくるわけです。

それは、
自らの「世界」つまり「視座」から、
観えるものしか「現実」ではなく、
その「視座」から観えないものは、
「非現実」というよりも、
「無」に近いもので、
それを「認識」や「思考」の対象とは、
どうしても捉える事ができません。

つまり冒頭に、
コミュニケーションの難しさという事を述べましたが、
人は自らの「視座」を「共通世界」だと思い込み、
その「共通世界」に存在しない人を、
ある種「敵対的」に、
「差別」「偏見」し「排除」しようとするのです。

昨今色々な場面で、
「ボーダレスな社会」という言葉を、
よく耳に聞く事があります。
その根本の「ボーダー」にある原理とは、
このコミュニケーションの不協和にあります。
つまり前述したように、
コミュニケーションの難しさには、
それぞれの人の「視座」がバラバラで、
「共通していない」という事実がある。
まさにそれこそが、
「ボーダレスな社会」というものを、
実現させるコアなのです。

しかし最近議論して、
「ボーダレスな社会」や「多様性」というものを、
かなり勘違いしている人が非常に多い事に気づきました。
「ボーダレスな社会」とか、
「多様性」とかよく言っている人の方が、
根本的にそれを全く理解していないのです。

それは、
「ボーダレスな社会」や「多様性」と言うと、
よし、分けて考えてはダメなんだな、
色んな人がいるからほっておこう、
と言う「無思考」に陥ってしまっている人が多いのです。

しかしその「無思考」こそが、
「ボーダー」なのだと、
この様な人々は気づいていないわけなのです。

先述した様に、
「ボーダー」の原理とは、
コミュニケーションの不協和ですから、
そのコミュニケーションの不協和に対し、
しっかり向かい合い思考しなければなりません。
また「思考」とは、
概念の先鋭化であり、精密化であるわけで、
それは色々なものを細分化する事でもあるわけです。

ですからそもそも、
「ボーダレスな社会」は、
分けて考えない事だという、
「無思考」な態度ほど、
浅はかな態度はないのです。

では本質的に、
「ボーダレスな社会」とは、
一体どんな社会なんでしょうか。
この世の中には数え切れないほどの、
「ボーダー」が存在しています。

男/女
L/G/B/T
障害者/健常者
金持ち/貧乏
年寄り/若者

まず私たちが考えることは、
「ボーダレスな社会」と「無概念」は、
全く違う次元の話である事を確認しなければなりません。
色々なものを、
「概念」として一定の「ゲシュタルト」を生成することは、
物事を思考する上で絶対必要なことです。

このことさえ理解できなていない人が多いのですが、
概念上、
男/女と分けて思考しなければ、
社会上そもそもどの様なボーダーがあるのか、
そしてどの様にして、
「ボーダレスな社会」を実現するのか、
その様な答えがそもそも出てきません。

先日メディアアート批判の文章を書いたときに、
テクノロジーとアートを分けて考えるのは、
もう時代遅れだとか言われたのですが、
そもそもそこを思考しなければ、
その後の統合されたアートというものも、
語れないわけです。

皆さんは簡単な方を選びがちで、
字ズラが良くて、
「ボーダレスな社会」とか「多様性」という言葉が、
ファッション的に使われている様に感じています。

しかし本当は非常に難しい問題であり、
概念化される、
またはゲシュタルトされるということは、
つまり「それ以外」が創発されるわけです。
つまり「男」という概念があれば、
それ以外「女」という概念が創発されます。
今で言えばLGBTもそうでしょうし、
さらに複雑化します。

ではこの様な難しい問題を、
どの様に解決していくのか、
つまり、
「ボーダレスな社会」をどう実現していくのか、
それは冒頭にも述べた「視座」が重要です。

「視座」を固定せず「無数の視座」を持つ、
それこそが最も重要です。
つまりそれは、
「世界」というものが一つではなく、
「無数の世界」が存在している。
そして自らが生きている「世界」の、
「常識」や「当たり前」だけを信じるのではなく、
それ以外の「世界」の「常識」や「当たり前」にも、
理解しようという姿勢を持ち、
あらゆる世界に「臨場感」を持つことです。

あなたが生きている、
「唯一無二の世界」だと思い込んでいる、
それ以外の世界に、
「臨場感」を持てなければ、
それは「差別」や「偏見」という、
アウトプットにつながってしまいます。

この「臨場感」というのは非常に重要です。

一人でも多くの人が、
この臨場感を持てることが、
「ボーダレスな社会」の実現へと繋がります。

美学者母