この10年余り、
私はインターネットにおける、
アートの可能性、
つまり情報世界でのアートの可能性を、
模索してきたわけです。

インターネットが産まれて、
まだ30年程度なわけで、
まだまだインターネットの使われ方には、
私は無限の可能性があると考えています。

これは私の思考でいうと、
人間がパラレルプロセシングを獲得したのと、
人間がインターネット世界と、
物理世界のパラレルワールドを獲得したのと、
非常に近しい出来事だと考えています。

人間は約2万年前に、
パラレルプロセシングを獲得しました、
そして人間は「意味」と「形」を同時に、
認知することができるようになり、
芸術性を獲得し、
道具を発明し、
飛躍的に文明を発達させていったわけです。

これは「意味」と「形」の並列思考です。

そして現代、
インターネットの創発によって、
「インターネット世界」と、
「物理世界」というものを、
同時に体験する「情報世界」というもの、
つまり「パラレルワールド」を獲得したのです。

西洋美術史などでは、
この約2万年前の壁画などを、
原始美術として定義し、
そこから西洋美術史は始まっていくわけです。

その様な観点からも、
インターネットが創発し、
パラレルワールドを獲得した、
現代の「情報世界」において、
まさに「物理世界」での、
「原始」という「歴史」が始まっている、
その様に私は強く感じています。

その事を最近強く感じているのが、
「情報世界の重層化」です。
それは、
一次情報、
二次情報、
三次情報、
という風に情報が、
重層化されてきており、
元情報が観えなくなってきている。

そしてその事自体が、
つまり「歴史の創発」と同義であるからです。

例えば物理世界を振り返れば、
一次産業、
二次産業、
三次産業、
この様に物理世界でも同じ様に、
「物理世界の重層化」が進み、
まさにその産業と歴史は同時的に変遷しているのです。

現代の若い人たちは、
「魚の切り身」はスーパーで観ているのですが、
その「魚自体」は観たことがないのです。

それと同様に、
現代の若い人たちは、
「情報が切り貼り」されたものをインターネット、
で観ているのですが、
その情報の「元の情報」は観たことがないのです。

簡単に例えれば「トゥギャッター」の様なもの。

その様な背景を逆説的に捉えれば、
例えば私が定義した「ウェブインスタレーション」、
などは、
「物理世界」においての、
「ラスコー洞窟の壁画」だと言えます。

私は常に「歴史に残る仕事をする」という事を、
本気で考え、
100年、1000年、10000年先にこそ、
私自身の作品の可能性を考えているのです。

現代に私がしている仕事は、
インターネット史、
インターネット美術史、
の残るだけのものであると、
私自身は確信しています。

美学者母