世界の最先端の脳科学では、
脳や人は、情報で構成されているというのが常識です。

では、美術という心を扱うものも同じではと思うのです。

しかし、日本の美術界では、
昔ながらの、感覚的、情緒的受け止め方が一般的。
9割近くが、まだ感覚的や情緒的な事を原理原則として扱っていす。

何か、工業分野の金型の世界と同じ様な感覚を覚えます。
今、金型の世界では何が起こっているのか。
それは、金型職人がいらない時代になっているのです。

昔は、日本人の手の器用さなどで。
日本の金型業界は世界を圧巻していました。
そして、その金型の職人的、感覚的なものは絶対だとされてきまた。

しかし、
今ではどうでしょう。
金型は、3Dプリンターの登場で、
金型のデータ情報さえあれば、
どこでも、だれでも、簡単に作れるのです。

職人が情報に変わった瞬間です。

美術家というものの概念も変革しないといけません。

私たちは、職人的技巧をもって造形し、
それを感覚的、情緒的に判断する事を放棄しなければ、
美術の次のステップはないのです。

昔にも、少し触れましたが、
最新の認知心理学では「アフォーダンス」という、
従来の認知心理学とはまったく違う考え方も生まれています。

それは、
その物、あらゆる物体は、それ自身からあらゆる情報を発している。
そうです、僕たちが情報を持っているのではないのです。
もの自体に、莫大なる情報が蓄積されている。
それを、受容するも盲目になるのもその人間の感度の問題である。
これが「アフォーダンス」です。

この考えを、理解すれば美術作品を鑑賞するのにも役立ちます。
なぜ、美術作品から得るものが人によって違うのか。
そういう根本原理にも応用できます。
それは、人によってその物から得る情報が違うからです。

上の事からも解る通り、
僕たち美術作家は、
いかに情報を構築するかという事を求められているのです。

例えば、村上隆が言うように、
作品には様々なレイヤー、文脈、アイコン。
それらを設定していくわけで。
作品は多重の分厚い構造を形成するのです。
それは、情報をいかに作品にインプットするかという作業なのです。
作品を感覚的な「アウトプット」するという考えはもう終わりです。
僕たち美術作家は、作品に情報をいかに「インプット」するか。
それが今の美術なのです。

ここで、作家に求められる能力は、
情報処理能力です。
今の時代、無限大の情報が世界に存在しています。
そのような、多量の情報を整理し、理論的、文脈的、造形的に。
いかに情報を構築していくか。

そのような事が一番大事な事なのです。

情報構築、情報美術、これは今後美術の中核を担うとともに。
新しい造形原理として、
すべての美術作家のロールモデルになっていくでしょう。

              2013年11月1日 美学者 母