マッキータウンぶろぐ 〜東京近郊自転車コースガイド〜

どうも、とりどす。

今回は福生市の冨士見通りにあったリリー・フランキーの壁画を紹介しよう。

リリー・フランキー無名の学生だった1990年に、福生駅と横田基地を結ぶ冨士見通りの一角の建物に巨大な壁画を作成した。ただ、建物の1階の飲食店が増設したため長年上部だけしか見ることができなかった。

2023年に道路拡張工事に伴い建物の解体が決まり、今まで隠れていた下部分を含めた全景が眺められるようになった。訪れたのは2023年7月だったが、その後年内に建物は解体され更地になった。福生の名物として親しまれてきたが、現在では焼失されてしまっている。



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国道16号線沿いにある米軍横田基地。ここから福生駅前を目指して冨士見通りを進んでいく。



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リリー・フランキー壁画前までやって来た。

Googleマップでの場所はコチラ(解体後)

この界隈は旧赤線地帯で、現在でも怪しげな雰囲気を醸し出す店舗が立ち並んでいる。いわゆるドヤ街に近い印象があるので、夜間に一人徒歩で散策をするのは気が引ける。まぁ、自転車であれば周囲をぐるりと走り回る分には問題ない。



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ブルバ氏にはどいてもらい壁画の全景をパシャリ。

建物自体がかなり老朽化が進んでいる様子なので、道路の拡張がなくても時期に取り壊しや建て替えが行われていたのではないかと思う。



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ちょっとズームして壁画をメインにパシャリ。

エアコン室外機の上部分を境に横線が入っているけど、長年に渡りこの部分までは建物の増築エリアで壁画の様子を眺めることができなかった。解体に伴い増設部分が撤去され全景が見れるようになったわけだけど、その数か月後に建物自体が解体されてしまった。



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斜めからパシャリ。

室外機のジャマ感がなかなかである。色々規制の厳しい昨今ではこういう壁画は街中では書くことができないであろう。すぐにPTAやら市民団体やらが「不適切ダー」と騒ぎ、マスコミが便乗して騒ぎを大きくする時代ですからなぁ・・・。



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長年、隠れており見ることができなかった下部分。



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「リリー・フランキーと1990(年)」のサインが残っていた。

1990年と言えばバブルな世の中で、ジュリアナ東京やらなんやらで活気があったころですな。世が世だったのでこういう壁画も問題なかったのだろう。

こんな感じでもう見ることができない壁画なわけだけど、全景が眺められたごくわずかな期間で立ち寄って写真に残せたのはよかった。福生のシンボルとして愛されてきたので、保存する意見もあったようだけどそうはいかなかったようだ。これがバンクシーとかならまた違うんだろうけど。

というわけで手抜き簡易レポートは完了。ブログに残しておけば記録にも残るわけで、手抜きせっかくなので記事にしておこうと思ったわけです。


どうも、とりどす。

横浜市中区根岸台の根岸森林公園内には、関東最大級の廃墟として名高い旧根岸競馬場一等馬見所がある。2023年7月に見に行った時の様子を紹介しよう。

場所はコチラ

まず、旧根岸競馬場(横浜競馬場)の歴史を紹介しておこう。


歴史は古く江戸時代である1866年(慶応2年)に日本初となる常設の洋式競馬場として開設。その後、スタンドの改修が何度か行われたが、1923年(大正12年)に発生した関東大震災で木造スタンドが半壊。

新スタンドの建設にあたり東京・丸ノ内ビルヂングを建設するため1920年(大正9年)に来日した、米国フラー社の主任建築士だったJ・H・モーガンに新スタンドの設計を依頼。昭和4(1929)年に鉄骨鉄筋コンクリート造 地上7階建てとして完成。第二次世界大戦開戦の影響により閉鎖され、終戦後は米軍施設として利用された。

1964年(昭和39年)一部施設の接収が解除され、その他の土地の大部分も1969年(昭和44年)に米国から日本政府へ返還された。返還後は立入はできないが外観を眺められるようになった。
まぁ、Wikipediaの内容をザックリと要約するとこんな感じである。



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というわけで、自転車を漕いで根岸公園までやって来た。

芝生の先に見えるのがお目当ての旧根岸競馬場一等馬見所だ。スタンドの手前や周囲は未だに米軍施設になっており写真撮影や立入はできない。ちなみに、この場所は細田守監督作品の「未来のミライ」でも頻繁に登場する。



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自転車は駐輪場に停めて徒歩で近くまでやって来た。間近で見ると廃墟とは思えない圧倒的なスケールを感じることができる。



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このように周囲は厳重な柵で覆われている。



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正面に回りパシャリ。というか、大きすぎて全景が捉えられないので、少し後退して全景を撮影できる場所を探すことにした。



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全景の様子。だいぶ下がって芝生エリアまでこないと捉えられなかった。

こんな立派で歴史のある建造物が1964年(昭和39年)の米軍から返還後、ずっと廃墟として存在していたわけだ。ちなみに、3つある棟はエレベーターだったようだ。昭和初期にエレベーターとか、当時としては画期的な建造物だったことが容易に想像できる。



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少し斜めからのショット。それでは再び近づいて付近からの様子もお伝えしましょうか。



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正面の通りには当時の写真を用いた案内看板が設置されている。右側にあるのが増設された二等馬見所で、こちらは既に解体済みになっている。



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設計図と南側・北西側の写真。スタンドなどは解体されてしまったが、北西側写真は現在と大きな変化はないように見える。



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スタンドと馬場と厩舎の写真。スタンドと厩舎部分は現在でも米軍施設なので様子をうかがうことはできない。



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一等観覧席貴賓案内とレストランの写真。

これが昭和初期から戦前に稼働していた施設だとは思えない。当時の人たちはさぞこの競馬場の様子に圧倒されたのだろう。個人的な感想として、この手の案内看板は文字だらけで読むのが億劫だけど写真で見せる横浜市の手法に関心する。



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窓が破れておりコンクリートの老朽具合も伝わってくる。こんな立派な建造物が戦後は廃墟として放置されてしまうとか当時の人は想像しなかっただろう。



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柵の先の出入り口も厳重に封鎖されている。

ネットで調べるとどこに侵入経路があるのかは不明だけど、中の様子を紹介したサイトなども存在する。現在では老朽化が進んでおり大変危険だし犯罪行為である。

ちなみに、横浜市の公式サイトでは一部中の様子を撮影した写真も掲載されている。興味がある人はそちらを参照ください。



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右側の棟は全体が蔦で覆われている。

立教大学正門前校舎の蔦をはるかに超えるナイスな蔦である。世の中には苔萌えというジャンルがあるので蔦萌えというジャンルもあるのだろう。



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反対側の様子。スタンドを覆っていた屋根は倒壊の危険性から撤去された。撤去される前に見ておきたかったなぁ・・・。



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ズームすると人の顔のようだ。

口部分の封鎖された場所から屋根に出ることができ、先ほど紹介した貴賓室などがあった。しかし、こう見ると哀愁感がとても漂っている。

旧根岸競馬場一等馬見所は2009年に経済産業省から近代化産業遺産として認定されている。その後、2025年に横浜市の歴史的建造物に認定された。嬉しいニュースとしては老朽化による解体を待つのでなく、耐震工事を行ったうえで一般開放を目指してることだ。

一般開放されれば中に入れるようになり観光地として活用されるのだろう。逆をいえば当時の姿を堪能できるのも今のうちがチャンスなのである。やっぱ従来の姿を見てから改修後の姿を見るのが一番楽しめる方法だと思う。

そんなわけで興味がありましたら見学に行ってはいかがでしょうか。


どうも、とりどす。

廃モノ限定で4年ぶりに復活しております当ブログですが、今回は生まれ変わった廃線跡をご紹介。
2013年に東京都の晴海にある廃線跡の東京都港湾局晴海線の廃線遺構巡りの記事を書いた。

【過去記事はコチラ】「東京都港湾局晴海線」廃線遺構めぐり



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当時の写真��



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当時の写真��

この都心にある晴海線廃線跡の橋梁が生まれ変わって遊歩道として運用されるようになった。老朽化や安全上の観点から廃線遺構の撤去が進む昨今、このニュースは嬉しいので訪れることにした。


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サクッと自転車を漕いで晴海までやって来た。

都心は車が多く車線も複雑。おまけに大きな交差点で信号につかまると青に変わるまでが長い。久々に都心まで来たけど、もう当分は来たくない。



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こちらが生まれ変わった晴海橋公園遊歩道(旧晴海鉄道橋)



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現役時の写真とお決まりのながーくて読む気が起きない説明看板。お好き方なら読んでみてくださいな。



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写真部分を切り取った。これはこれで資料として貴重な画像だと思う。



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写真でも分かる通り多くの人が行きかっている。

かつては手前の金網越しに線路を眺めたけど、10年弱の時を超えて先に進むことができるようになった。ちなみに、自転車は通行禁止なので脇に停めて進んでみましょう。



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レールの様子。



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所々でスケルトン仕様になっており、枕木の様子も堪能できる。



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( o дo)<モェェェェエエェェェ

縦画像でパシャリ。こういう遊び心はかなりよき。設計者は萌えとキュンの概念をよく理解している。



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かつては錆びて茶色になっていた橋梁のアーチも美しく蘇った。まぁ、あの錆びて朽ち果てた哀愁感もかなりよかったというのはあるんだけど。



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真下からアーチを見上げる。かつて、遠く叶眺めて想いを馳せてた場所に降り立てて感慨深い。



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橋梁といえばこのボルトですよ。まぁ、何とも綺麗になったものですわ。



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2個所ほど謎のスペースが設けられている。かつての写真にはなかったので、再開発時に増設された点検用のものなのだろうか?



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怖いwww

スケルトン空間を上手く利用して、訪れた人を楽しませる工夫が随所に施されている。せっかくの貴重な鉄道遺構を解体するのでなく、上手に再利用して人を呼び込む手法のお手本と言える。

都庁のライトアップに無駄な血税ガーーー!と言われる昨今だけど、これは率直に東京都のグッドジョブだと思う。



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旧晴海鉄道橋からは豊洲を周回できる豊洲ぐるり公園にアクセスできる。

海沿いにこのような道が約4キロに渡って続いている。景観もよく人もそんなに多くはないので、都心走行のストレス発散を兼ねてのんびりと流すことにした。



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豪華客船とブルバ丸。



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封鎖が困難で話題なレインボーなブリッジも堪能できる。都心の海を眺めながらしばし、のんびりとした時間を過ごせる穴場だ。



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豊洲ぐるり公園を走り終わり、豊洲界隈をポタしていたら機関車を見つけた。



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お決まりの長文説明看板。

読むのがめんどいのでとりあえず写真を取っておいた。帰宅後に目を通して判明ししたんだけど、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発時に発見された高輪築堤石垣が使用されているらしい。



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この汽車の下の石垣が高輪築堤の実物。

訪問時はそんなことは露にも知らず「なぜ豊洲に汽車があるんだ?」と思ったけど、汽車よりもむしろこの石垣がメインといえる存在だった。せっかくならズームで写真を取ったり実際に触れておけば良かったと後悔している・・・。というか、オマケの汽車が目立ちすぎてメインの築堤石垣が霞んでいる。

こんな感じで旧晴海鉄道橋訪問は完了。冒頭のリンクでも詳細を書いたけど、晴海線廃線遺構は橋梁以外にも町中の随所に残っている。興味がある人はそちらも併せて堪能してみてはいかがでしょうか。

何回かブログを更新して廃ネタも尽きてきたので、次回更新があるのかは不明どす。


どうも。とりどす。

4年更新が停止しておりましたが、気分転換に廃・遺構をテーマにスポットガイドを書こうかと思っております。

今回は横浜廃紀行として、高島貨物線の瑞穂橋梁跡・2代目横浜駅・東急東横線の高島町駅跡をご紹介しよう。ちなみに、訪れたのは2026年2月であります。



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横浜廃紀行として最初に紹介するのは、高島貨物線瑞穂支線の瑞穂橋梁。

場所はコチラ

東神奈川駅から駅前通りをまっすぐに進んだ先にある。2021年まで米軍施設で立入禁止だったが、橋までが返還されて訪れることができるようになった。ちなみに橋の先は引き続き米軍施設のノース・ドックなので立入はもちろん、写真撮影もできない。



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瑞穂橋梁の脇に廃線跡の橋梁がある。

前述の通り訪れたのは2026年2月でこの頃はまだ線路が残っていた。だが、同年4月に線路の撤去が行われてしまった。老朽化の進んだ橋梁部分の撤去も、もはや時間の問題だと思われる。



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橋梁部分の様子をパシャリ。

歴史的な鉄道遺構ではあるけど、米軍から返還後は老朽化による安全の問題が生じている。行政としても難しい判断なんだとは思うけど、撤去されてしまうのはとても惜しい。



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橋梁部の線路の様子。このスケスケ感がとても味があってよい。



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柱の様子。当時としては革新的な溶接技術だったのだろう。



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このサビ具合の哀愁がとてもよき。

この記事を書いている間にも撤去作業が続いていると考えると残念だ。幸いにもまだ線路が残ている直前に訪れることができたのが何よりだった。



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橋の先にはプレハブ小屋があり、そこで線路は途切れている。

地図で確認すると高島貨物線の瑞穂支線はこの先の米軍施設の奥まで通っている。だが、この先は立ち寄ることも写真を撮ることもできない。場所が場所だけに遠巻きに眺めようとするのもリスクを感じる。ただ、橋までであれば見学も撮影も可能なようだ。



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橋の手前の道路の向かいにはアメリカンな店が並んでいる。2021年に返還されるまでは、この場所も米軍施設内だっただけはある。



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瑞穂橋梁の手前にも支線の線路跡が残っている。

ゲートの先は民間企業の敷地内のようなので立入はできない。訪問時はこの部分にも線路は残っていたけど、おそらくはここも線路は撤去されてしまったと思われる。



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瑞穂橋梁を後にして第一京浜を進み高島町交差点までやって来た。ここに次なる目的地の2代目横浜駅跡の遺構が残っている。

場所はコチラ



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マンションの前にトイレがあり、そこの裏側から2代目横浜駅の遺構を見学できる。



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2代目横浜駅跡地の入口。



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説明看板。

初代横浜駅は現在の桜木町駅にあった。2代目は高島町に移動されたが大正の関東大震災により倒壊した。稼働したのはわずか8年の幻の駅と呼ばれている。ちなみに、建築デザインは東京駅と同様に辰野金吾である。こんな立派な建物が現存していれば間違いなく歴史的建造物になっていたことであろう。



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階段を降りた先に遺構の基礎部分の一部が保存されている。

2000年代初頭にこのマンション建築の際に、土地を掘り起こしているときに基礎部分の遺構が発見された。関東大震災で倒壊して完全に形跡はなくなったと思われていたけど、地中に基礎部分が残っていたのである。もはや、なんという奇跡であろうか。



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レンガの様子。

あくまでも基礎部分で地表部ではないにしても、これはかなりすごい。かつて職人さんがレンガを積んでいた様子を想像するだけで楽しい。同時にこんな丈夫そうな基礎でも倒壊してしまう大震災の恐ろしさも感じる。



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別の角度からパシャリ。



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左の階段と見比べると、この部分の高低差に気づく。

2000年初旬までこの遺構は誰にも気づかれずに地中で眠っていた。付近を掘ればまだまだ基礎部分は発見されそうだけど、開発の進んだ高島町交差点付近ではそれは難しいのであろう。



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正面からパシャリ。この遺構が撤去されずに保存されたのはグッド・ジョブ!だよねぇ・・・。



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最後にズーム。

こんな歴史的建造物の遺構なのに世間の認知度はかなり低い。高島町交差点は過去に何度も通過しているけど、2代目横浜駅の存在を知ったのはわりと最近だった。まぁ、世間の注目を浴びればマンション住人の迷惑になるので、静かに保存されるのがベストなのであろう。



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マンションの横(遺構の出入り口前)は、最後の目的地である東急東横線の高島町駅の跡地になる。2004年に廃線になるまで東急東横線の駅がこの場所にあった。



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シャッターの隙間にスマホを差し込んで左側をパシャリ。

手前と真ん中の柱の先に自動改札機、真ん中の柱と右の柱の前に券売機があった。2000年初旬なのでネットで調べると当時の駅の様子を調べることができる。デジタル化初期の恩恵ですな。



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今度は右側の様子。2つのアーチの間部分(黒ずんでいる場所)に立ち食い蕎麦屋があった。タイル部分は駅利用者の通路だった。



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高架の撤去は現在進行形で進んでいる。

すでに解体されてしまったが、この写真の左側がかつてのホームだった。ほんの20年弱前までは人々が行きかう駅だったけど、今ではその面影はない。この高架は桜木町まで通じているけど、そのうちそれらもなくなってしまうのであろう。



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最後に3代目となる現在の横浜駅に立ち寄った。

多様な路線が乗り入れる横浜のターミナルでもある3代目横浜駅だが、まだまだ新参者なのである。2代目の西洋建築とは違って駅ビル機能を備えた超近代的な巨大駅舎だ。もし、2代目が震災に耐えて存続していたらこの場所の未来の風景も変わっていたのであろう。

こんな感じで横浜廃紀行(瑞穂橋梁・2代目横浜駅・高島町駅跡)は完了。廃線・遺構とその保存というのはマニアからすれば永遠のテーマであろう。安全上、解体したい行政と歴史的な観点から残しておきたいという意見。それらの落としどころというのがとても難しい問題だよなぁ。


どうも。とりどす。
ブログ再開(?)4回目は解体前後の三鷹跨線人道橋の様子をご紹介しよう。

スマホの写真フォルダを見てみると廃・遺構、解体済みなどが多いことに気づいた。
元々、そういうのが好きで自然と見に行き写真を撮る傾向がある。
なので、それらの記録を気が向いたときに記録として残そうと思った。



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自転車再開後の2026年に訪れた三鷹跨線人道橋跡地(南口側)

三鷹のシンボルとして太宰治も愛した跨線橋だが老朽化のため2023年12月に解体された。
解体後も橋の階段の一部が残されたり、案内ガイドなど名残を残して有効活用されている。



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太宰治が写った写真の看板もリニューアルされた。
以前のは朽ち果てた感じの看板だったけど、なんとも立派なものに変わりましたなぁ。



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先ほどの階段の反対側の様子。
大きな看板に加えて所々に在りし日の跨線橋の写真が展示されている。



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かつての跨線橋の柵も展示されている。

保存状態もあるのかペンキは塗り直されている。
歴史的価値のあるものでも耐久性の問題から、古いものは次々に撤去されてしまう世の中ではある。
そんな中で少しでも面影を残そうという取り組みは素晴らしいと思う。



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ここからは在りし日の三鷹跨線人道橋の様子を紹介しよう。

この場所はかつてNHK BSこころ旅で火野正平さんが訪れた場所でもあり、過去に何度か訪れている。
今回の写真は解体の決まった2023年に改めて写真で記録に残そうと思った。



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旧・太宰治看板。
表面はひび割れてボロボロで、向きも垂直と傷んだ状態が続いていた。



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階段から跨線橋の様子をパシャリ。



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橋の上の様子。

解体直前はニュースでも取り上げられて多くの人が訪れた。
その少し前だったので見物客の少ない状態で撮影ができた。
前述のこころ旅でも橋の上で火野正平さんがお手紙を読んでいた場所だ。



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両側の柵もサビ具合がとても良い味を醸し出している。



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通過する電車を真上から眺め撮影することもできた。

確かに震災でこの橋が倒壊したら、電車の通行や直撃などで大きな人災を生んでしまう。
そう考えると解体はやむを得ない選択肢だったのだと思う。



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金網の隙間にスマホのレンズを合わせるとクリーンな写真も撮影できる。

電車マニアやカメラマニアにも絶好のスポットだったのだろう。
太宰治もこの場所からの眺めを愛していたようだ。



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三鷹跨線人道橋は夜にも訪れたことがある(南口側)
訪れたのは2022年11月に自転車夜間ライドの際に立ち寄った。



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夜の街灯に照らされた跨線橋も雰囲気があって良かった。



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光のともった電車と街の明かりも美しい。



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反対側から跨線橋をパシャリ。
看板のある方より反対側からの方が遮るのもが少なくて全景を捉えやすかった。



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北口側の階段の様子。

北口は住宅街の中にあり薄暗いので、南口に比べると地味な印象がある。
解体後も南口側には階段跡やモニュメントがあるのに対し、北口には面影は残されていない。
写真は撮らなかったけどバス停に跨線橋前の表示があったので、そこがかつての階段だったと判別できる程度だ。

もうこの場所は見ることができないし、渡ることもできないけど南口側にはモニュメントなどがあるので、機会があれば立ち寄ってほしい。
こんな感じで現存しなくなってしまった場所や廃・遺構シリーズなどを不定期でお伝えして行こう(遺構)かと思っております。

お後(お跡)がよろしいようで^^;


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