Bianchiの徒然ブログ

インターネット、そこは技術のフロンティア。 これは、コミュニケーションアーキテクトたる“macume”が、新時代のツールBlogの下に、21世紀において執筆を継続し、未知のネット世界を探索して、新しい情報や人との出会いを求め、永劫進化するネット世界に自由に公開した日誌である。

人が読書する理由、その方法と量について

読書人

私的公開日誌@ウェブ暦:150121.01

人は読書をする動物であると表現しても、人間について真実を語っていることになるだろう。

しかも、多読、速読、乱読、熟読など、人には様々な読書の仕方や方法、こだわりもあることだろう。
そうした読書テクニックに関する本は書店にでむけば何冊も見つけることができるし、それら読書方法を伝授するセミナーもありそこそこ繁盛しているようなのだ。

昨年、11月1日〜2日、ジュンク堂書店プレスセンター店(東京内幸町)で開催された「ジュンク堂に住んでみる」という宿泊ツアーには、私も応募しようかと思ったが、なんと倍率が1,000倍だったとは。
読書好きな人は、まだまだ多いのだなと実感した。
今回は、人が読書をする理由、その方法などについてを自分なりに考えてみた。


■人が読書をする理由とは

人は、なにを求めて読書をするのだろうか。

わからないことを知りたい、なんらかの知識を増やしたいから。
日ごろ悩んでいたり解決したいと思っていることに、具体的な示唆あるいは解答を見つけたい。
ビジネス書であれば、仕事にすぐに役立つノウハウを取得したい。
趣味であれば、もっとその世界を極めるために必要だから。
世間でベストセラーで話題の本だから、興味からその本を読んでいる。

いずれにしても、本を読む人はなんらかの理由で読書をするのが一般的だろう。

私が今日まで長らく読書を続けている理由とはなにかを、あらためて考えてみた。
世界のさまざまな事象や現象について自分なりに了解を得たいということ、そして自分のこれまでの人生で経験したことや考えてきたことについて、得心するために読書に向かうのがその理由だと感じている。
つまり、読書は自分の考え方を深化させるあるいは頭脳の栄養剤、または一種のサプリメントであると思っている。


■書店で購入する理由

私は、ほとんどの本を書店で購入するようにしている。それは、書店であれば、その本を買うべきか否か実際に読んでから自分で判断できるからである。
どのような基準で選ぶのかといえば、タイトルあるいは著者→はじめに(まえがき)→目次、あとがきなどを順次チェックする。
その著者の書いた動機や理由を確認し、目次で自分で一番関心の高い項目や章を探し出してそこを読む。そこに自分が気づきや発見、あるいは納得できる個処があれば、その本は買ってもそれほど外さないだろうという判断が働く。

ところで、先日、「書評家失格!ーー書評とは何かについて考えてみた」を書くため、いくつかの文芸批評家の本をひっぱりだし読んでいたがそうしたときに、何年かぶりで吉本隆明の『読書の方法』(知恵の森文庫)を読み始めたら、以下のような個処に遭遇した。

「ある書物が良い書物であるか、そうでないかを判断するために、普通わたしたちがやっていることは誰でも類似している。じぶんが比較的得意な項目、じぶんが体験などを綜合してよく考えたことがある、あるいは切実に思い煩っている、などについて、その書物がどう書いているかを、拾って読んでみればよい。よい書物であれば、きっとそういうことについて、よいきじゅつがしてあるから、だいたいその個処で、書物の全体を占ってもそれほど見当がはずれてることはない。」

その本を読むべきか否か判断する基準を自分なりに漠然と持っていたのだが、それと同じようなことを吉本が語っているのを読んで合点がいった。
私が、これまで勝手に読書について判断したり選んだりしている方法は、決して間違ってはいないのだと確信を得ることができた。

もとより、この個処を、私がむかし読んで、そのときの記憶のどこかに残っていてそれが普段の読書の判断基準として作用していただけなのかもしれない。
それに、これが絶対的で唯一の方法だとも思ってはいない。しかし、少なくとも私には最適な方法や判断基準であるには違いがないのだ。

さて、古典や歴史的な名著を読む場合、注意が必要である。
それは、その本が歴史的に価値の高いとされている本ほど、その世界へ引き込む力、すなわち私たちの考え方や判断に与える影響が強いからだ。同じく『読書の方法』で以下のように語っている。

「書物に記載された判断をそのまま受け入れると、この世界はさかさまになる。重たいのは書物の判断で、軽いのは現実の体験からくる判断だというように。これがすべて優れた書物であればあるほど多量にもっている毒である。」

この言葉は、以下の古典の価値について語った文章にも通じている。

「書物は、読むたびにあたらしく問いかけるものをもっている。いや、たえずあたらしく問いかけてくるものをさして書物と呼ぶといってもおなじだ。書物がむこうがわに固定しているのに、読むものが、書物にたいして成熟し、流動していくからである。書物のがわからするこの問いかけが、こういう流動性にたえてなおその世界にひきずりこむ力をもち、ある逃れられないつよさをもって、読むものを束縛するとき、わたしたちは、その書物を古典と呼んでいいであろう。」(吉本隆明『マルクス紀行』)


■読書量は多い方がよいのか?

読書をする理由も各々なのだが、また読書量についても考えてみた。
昨年9月、読書会10 over 9 reading clubのレクチャーの会で、ライフネット生命の出口さんをお招きし、世界史と古典についてお話しをしていただいた。

ちょうど初の新書『本の「使い方」〜1万冊を血肉にした方法』(角川oneテーマ21)発売直後ということもあり、読書家として知られている出口さんならではの読書論と、その碩学ともいえる知識から、歴史や古典について縦横無尽に語っていただいた。
ご紹介いただいた30冊の本も、私が読んだことがない本ばかりで、そうした出口さんなどと間近に接すると、やはりどうしても読書量は多ければ多いにこしたことはないという思いにかられる。

また、11月のワンテーマ読書会で「吉本隆明を読む会」を開催した。そのときには、「風観羽」で知られる友人ブロガーが参加してくれたが、私などは彼の足下にも及ばないほどの読書家で鋭い洞察力の持ち主である。それに比べると、自分はなんと読書量や知識などにおいてまったく足りていないのだと痛感させられる。
会では課題図書として12冊を選んだのであるが、その中には吉本の代表作『共同幻想論』(角川ソフィア文庫)もあった。
同書の「後記」に以下のような個処がある。

「じじつすべてを参照にしたい誘惑にかられたこともある。また、当たりうる資料はおおければおおいほど正確な理解にちかくづくというかんがえ方がありうるのを知っている。しかし、わたしがえらんだ方法はこの逆であった。方法的な考察とっては、もっとも典型的な資料をはじめにえらんで、どこまで多角的にそれだけをふかくほりさげうるかということのほうがはるかに重要だとおもわれたのである。そこで『遠野物語』は、原始的あるいは未開的な幻想の現代的な修正(その幻想が現代に伝承されていることからくる必然的な修正)の資料の一典型としてよみ、『古事記』は種族の最古の神話的な資料の典型とみなし、この二つだけに徹底して対象をせばめることにした。」

これにちかいことは、哲学者のショーペンハウエルも『読書について』の中で次のように語っている。

「いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくりと考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。なぜなら、ひとつの真実をほかの真実と突き合わせて、自分が知っていることをあらゆる方面から総合的に判断してはじめて、知識を完全に自分のものにし、意のままにできるからだ。」

吉本やショーペンハウエルの方法論、少ない読書量でそれが彼らと同じように思考することが私にもかなうのであれば、正直、理想だとは思っている。しかし、それには、読み手にそれだけの元々の下地(素養)としての知的な修練と研鑽が要求されるようにどうしても感じてしまう。

私のような凡人はそうした素養がないので、どうしても「当たりうる資料はおおければおおいほど正確な理解にちかくづくというかんがえ方」に囚われてしまっている。

もちろん、多く読んでいても「自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識」では、それはただの自己満足でしかないだろうことも。

私の友人には読書家が多く、年間150〜200冊くらいは読んでいる人が数人はいる。中には400冊ほども読む人もいる。もちろん、それら本の中には、ビジネス上で必要かつまた役立つ本、趣味に関する本なども含まれているだろうが、それでもそうした読書量は私にはとてもまねができないと感服する。

私などは、ビジネス書も年に10冊も読めばよいほうだし、趣味で読む本も30冊程度に過ぎない。
すぐにビジネスに役立つ本より、古典や人文科学系の本が好きなので、そうなるとどうしても本の価格自体が高価であることが多い。文庫も、講談社学術文庫やちくま学芸文庫などばかりで、1冊1,200〜1,500円くらいなのでたくさん購入することできない。

また、私自身はそれほど本を読むのが早くはない。したがって、どうしても積ん読量が増える一方なのだ。
いまの私の願いは、速読や多読あるいは乱読でもなく、こうした積ん読本を少しでも早く減らすことである(^0^;)。


(関連リンク)
▼読書の秋は本屋に住む 倍率1000倍ジュンク堂宿泊ツアーに潜入
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1411/04/news047.html

▼読書とは知識を吸収するためのものではなく知識の体系を築くためのもの
http://www.dhbr.net/articles/-/2832

▼出口治明さんの本棚(ホンシェルジュ)
http://honcierge.jp/interviews/3/interview_contents/6


【おすすめブログ】
●書評家失格!ーー書評とは何かについて考えてみた
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1880356.html

●新しい教養の場としての読書会〜活字離れと読書会人気に思う
http://blog.marketing.itmedia.co.jp/macume/entry/576.html

●「読めば即ち教養となる」ーーライフネットの出口さんは、読書だけではなく人生の「名人」
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1866710.html

●ついに開催した「吉本隆明を読む会」によせて
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1874083.html

書評家失格!ーー書評とは何かについて考えてみた

b77ff4e8.jpg

私的公開日誌@ウェブ暦:15016.01

書評とはなんだろうか。あるいは書評家とはどういう存在なのか。前から疑問に思っていた。書評家が多いように感じる今日、あらためて考えてみたい。 

「人は詩人や小説家になることができる。だが、いったい、批評家になるということはなにを意味するのであろうか。あるいは、人はなにを代償として批評家になるのでろうか。」

上記は、江藤淳著『小林秀雄』の書き出しである。
これに倣えば、人が書評家なるというのはなにを意味し、なにを代償として書評家になるのであろうか
書評は、雑誌や新聞でも重要なコンテンツではあるのだが、これはとても難しいように感じている。

例えば、文芸批評や批評であれば、小林秀雄、禿鍔饌検吉本隆明などをはじめ、多くの文芸批評家が下記のような数多くの名言を残しているし、自分でも理解はしているつもりである。

「詩人にとつては詩を創る事が希ひであり、小説家にとつては小説を創る事が希ひである。では、文芸批評家にとつては文芸評を書く事が希ひであるか? 恐らくこの事実は多くの逆説を孕んでゐる。」(小林秀雄『様々なる意匠』)

「文芸批評家とは、小説家になる才能もなく、学者になる根気もない男のことであるーーぼくはこの定義にあえて反対しようとはおもわない。むしろその逆説的効果によって文芸批評家たるものの愛用してさしつかえない定義だと信じている。」(禿鍔饌検慂厳殀禀召梁崚戞戞

「批評のいちばんの悩み、口にするのも恥ずかしいために密かに握りしめている悩みは、作品になることを永久に禁じられていることだ。(中略)作品には骨格や脊髄とおなじように肉体や雰囲気がいるのに、作品を論じながらじぶんを作品にしてしまうのは、それ自体が背理としてしてしか実現されない。」(吉本隆明『悲劇の解読』)

「批評とは何かという問いに対して、単なる教科書ふうの、また解説ふうの答えの域を超えて、問題の本質に深くかかわる答えが示されたならば、その答えはすでに批評である。」(高橋秀夫『批評の精神』)

もとより、これら大御所たちの言説を是とするか非とするか人によって異なるとしても、批評あるいは批評家というものについて、本質について語りながらも、批評家精神あるいは批評そのものが孕んでいる避けがたい懊悩が吐露されているには違いないのだ。

小林秀雄以前にも文芸批評はあったし批評家も存在していた。
だが、明確に自己の意識として文学や哲学などからの借り物の言葉ではなく、批評の言葉と精神をもって自覚的に語ろうとした批評家は彼が最初であった。

こうしてみると、書評は批評とはやはり違うということがなんとなくわかる。
しかし、それでは書評とは何か。その難しさを私は感じている。


■書評の条件または要素
 
昨年より、私は友人主催の読書会(もちろん10 over 9 reading club)に参加していることもあり、読書の成果としてアウトプット(書評)に注力しているのだが、なにをもって書評とし、成立するのだろうかいまだに悩んでいる。
最近では、ブログの恩恵もあってプロ・アマ含めて書評家が多い。また、Amazonには匿名による書評ふうなレビューがたくさん掲載されている。

しかし、文芸批評とは異なり、書評自体は確立された方法論がないような気がする。それは、明確に自覚的に書評を方法論としているという意味においてである。

今日では、書評を読んだり参考にして、購入する本を決めている人もいるほどだ。
自らも書評を書き、稀代の読書家としても知られているライフネット生命の出口さんは、なにを読んだらいいのか迷っていたりわからない人には、新聞の書評欄で取り上げた本から読むことをすすめているほどだ(次回、出口さんに会ったときに書評について聞いてみよう)。

一方では、書評を書かない人や信じていない人たちも存在する。
例えば、批評家の福田和也は、書評を厄介で信用のおけないものとし、全てではないがほめたりけなしたりするのは一種の権勢ゲームであると書いている(『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』)。
また、乱読をすすめている外山滋比古は、書評を指針に本を選ぶのは自己放棄だと切って捨て、外山自身も書評は依頼されてもけっして書かないことにしているとのこと(『乱読のセレンディピティ』)。

通常、書評は紙(誌)面の都合もあり、800字〜1200字程度で読者に対して本の内容を伝え、その読者にとって読むべき本か否かという判断材料を提供しなくてはならないのが書評ではないか、と私自身は思っている。
そこで、勝手に書評の条件について、自分なりに以下の5つのポイントを挙げてみた

(1)何について書かれているのか(内容の概要)
(2)著書が本を著した理由(動機)
(3)その本の核心あるいは論点(ポイント)
(4)どのような人が読むべき本か(対象者)
(5)書評者はどのように読んだか(納得した点と疑問点)


■書評家失格

私自身、これまでにも書評として書いているつもりではあるのだが、一旦書き上げてから読み返してみるとどうもそいうスタイルになっていない。

それというのも、学生時代から文芸批評が愛読書なので、批評的な文体で無意識的に綴ろうとする悪い癖がついてしまっているようなのだ。
これは、長年そういう文章ばかり読んできたので、思考や文体が自己の内にそのように形成されてしまい、おのずとそのような構成や言葉づかいになってしまっているようなのだ。

つまり、小林秀雄に倣っていえば「他人をダシにして己を語る」文章になってしまう。
禿鍔饌犬盪たようなことをもっと直接的に語っている。
すなわち、自分の文学論、人間観、社会観を勝手に述べる目的で他者の作品や作家を利用しているに過ぎぬと

私のブログは、書評に限らず長い文章が多くて分量が多いと友人からも指摘されたことがある。
書き出すときは、長くならにように気をつけているのだが、書いているうちにそれでも冗長な文になってしまう。

こうして考えてみると、別に連載を持っているわけではないのだが、それでも私は一般的な紙メディアのように字数制限のある書評欄の担当は完全に無理だろう。

そういう意味では、『批評家失格』(禿鍔饌検ならぬ「書評家失格」なのだろうと感じる次第。


(関連リンク1:書評サイト)
▼BOOK asahi.com
http://book.asahi.com/

本よみうり堂
http://www.yomiuri.co.jp/book/

書評空間:紀伊國屋書店 プロの読み手による書評ブログ
http://booklog.kinokuniya.co.jp/

本が好き!
http://www.honzuki.jp/

書評の楽しみを考えるBook Japan
http://bookjapan.jp/


関連リンク2:書評ブログ)
風観羽

ライフネット生命会長兼CEO出口治明の「旅と書評」
http://blogs.bizmakoto.jp/deguchiharuaki/

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
http://dain.cocolog-nifty.com/

高橋教授の書評空間
http://prof-takahashi.blogspot.jp/


考えるための書評集
http://ueshin.blog60.fc2.com/

読書猿Classic: between / beyond readers
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/

──────────────────────────────────────

【おすすめブログ】
【書評】セレンディピティや多様性が失われ、「類は友を呼ぶ」だけの世界になってしまうのか?ーー『閉じこもるインターネット』
http://blog.marketing.itmedia.co.jp/macume/entry/671.html

【書評】現代の「パンドラの箱」─『21世紀の歴史―未来の人類から見た世界』
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1841572.html

【書評】ビジネス書という「無間地獄」に思う
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1741262.html

【書評】文芸批評は死んだのかーー『文学のプログラム』に思う
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1398051.html

【書評】『瀬名秀明 ロボット学論集』を上梓
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/702102.html

今年初の古書店探訪記

dsc011231

私的公開日誌@ウェブ暦:150107.01

昨年末(12/28)、都内の大型書店ツアーを敢行したが、新年早々、神田神保町の古書店街で半日過ごしてしまった。

昨年末に本を整理し、文学や人文科学系の図書を処分するつもりで神保町に出張ったのだ。
私は、高校時代には白山まで通っていたこともあり、神保町はそのころから馴染みがあるのだ。もちろん、その当時の街並みと比較しても無意味なのであることは百も承知している。
 
それでも、私が電子書籍企業に在籍していた(06年)ころに比べても、随分と変化している。靖国通り沿いは、すでにファストフード、コンビニ、ドラッグストアのチェーン店、ラーメン店などが軒を連ね、私の記憶に焼き付いているかつての古本屋街のイメージにはほど遠く寂しさは禁じ得ない。

神保町と高田の馬場。学生時代には、空のデイパックを持って、一日かけて目的の本を探して歩き回ったものだった。今日では、早稲田通り沿いの古本街も閉店している店が多く、神保町以上に歯抜け状態で往事の面影は消え、むしろ街全体が廃れている感すらある状況だ。

さて、持参した本は、値踏みでは、4,000〜4.500円を想定していたが、買い取り価格は3,500円で、最近は値踏みの感が少し狂ってきた。
売りに行く前、絶対に売るだけですぐに帰宅するつもりだった。
心の中で「他の古本に、絶対に目をくれてはいけない」と強く自分に語りかけていたのだ。そうしないと、学生時代も同様なのだが、古書店に本を売りに出かけ、そのお金で結局は別の古書を購入してしまうというどうしても避けがたい問題がある。

今回、買い取り査定をしてもらっている間、その店の文庫コーナー(岩波文庫、講談社学術文庫、講談社文芸文庫、ちくま学芸文庫)で時間をつぶしていたら、なんと絶版本を次々と発掘してしまった
しかも、手にしてみると新品同様で一般書店の文庫コーナーにあっても遜色のない状態。どの本も現在では品切れ(絶版)図書で、ほとんどがブックオフ価格なのがなんとも嬉しく、こうなると思わず手が出てしまった。

ほかの古書コーナー(人文学系)の図書で欲しい本が数冊あったが、どれも1冊4〜5,000円もするので諦めた。
今回のお宝文庫本は以下の4冊。

(全て絶版本)
(1)『フランス二月革命の日々〜トクヴィルの回想録』(岩波文庫)¥300
(2)『ヘーゲルの歴史意識』長谷川宏(講談社学術文庫)¥400
(3)『現代日本の感覚と思想』見田宗介(講談社学術文庫)¥300
(4)『世界という背理〜小林秀雄と吉本隆明〜』竹田青嗣(講談社学術文庫)¥300

(1)と(2)は、昔ならありえないが、刊行されていたことすら知らず、発売されていることを知ったときには既に絶版となっていた。(3)は、大澤真幸を通じて最近とても興味の出てきた著者。(4)は、文庫化された際に購入しようと思ったが、単行本で持っていたので買わなかった。私は文庫化されたものは、スペース的なこともあり、できるだけ文庫で所有するようにしているのだが、この本は忘れていて絶版になってしまっていた。

街並みが変わったとはいえ、いまでも神保町を感じさせる店もある。
神保町は、カレー専門店が多いことでも知られているが、神保町の洋食屋老舗“御三家”のキッチン南海、キッチンカロリー、キッチンジローも健在だった。
自宅で昼食を食べてから出かけたので諦めたが、次回は久しぶりにこうした店で昔ながらの味を堪能したいと思いながら、お宝文庫を手にして軽い足取りで家路についたのであった。

やはり古書店巡りもまた楽しい(^_^)。


(関連リンク)
▼JMBOU(神田神保町オフィシャルサイト)
http://jimbou.info/

▼神保町へ行こう
http://go-jimbou.info/hon/

▼スーパー源氏
http://sgenji.jp/


【おすすめブログ】
・今年最後の「書店ツアー」を敢行!
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1878588.html

・ブランドとしての「文庫」について考えたーー値段は3倍高い「ちくま学芸文庫」なのだが……
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1736481.html

・もの凄い混雑だった日曜日の新宿でオアシスのはずが……。ーージュンク堂とブックファースト
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1056696.html

今年最後の「書店ツアー」を敢行!

image


私的公開日誌@ウェブ暦:141231.01

今年最後のブログは書店ツアーの記事。
書店散策がなにより楽しみな私は、ランチタイム後、小さな街の書店でも一回りするのが日課となっている。
休日や連休などに、都内の大型書店を一挙に回る書店ツアーをときどき実施する。
これは、都内の大型書店数軒をピックアップして1日かけて回るものである。私にとって、大型書店はテーマパークのように楽しい場所だ(^_^)。

この年末、なんといっても話題のピケティ『21世紀の資本』が発売された。それ以外にも欲しい本が続々と刊行されるのは、しかし実に困ったものだ。
今年最後の大型書店ツアー敢行した(結局は買い出し)

ツアーコースは、ブックファースト新宿店→紀伊國屋書店新宿本店→新宿南店の新宿周遊コース、久方ぶりにジュンク堂書店池袋本店にも足を伸ばした
時間があれば、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店も回りたかったが、ジュンク堂書店池袋本店でかなりの時間足止めくらってしまった……(^_^;)。
やはり、良い本屋だし私にとってはまるでテーマパークのような場所で、1日中見て回っても飽きのこない空間である(*^o^*)。
97年のオープン当時、朝から出かけていき、途中で昼食をとってから戻り、店を出たら夕方5時だったことがある。


■書店ツアーの収穫
(1)『言説の領界』ミシェル・フーコー(河出文庫)¥ 1,080
『言語表現の秩序』(河出書房新社)の文庫化に際しタイトルを変更した。しかも、中村雄二郎訳ではなく、40年ぶりに新訳での刊行。同文庫では、これも新訳だった『知の考古学』もすでにあるので、あとは『言葉と物〜人文科学の考古学』を期待して待つばかりだな(^_^)。

(2)『ジャーナリストの生理学』バルザック(講談社学術文庫)¥ 1,134
大文豪による『役人の生理学』(既刊)に続く新刊。今度は19世紀のパリで新聞などを舞台に活躍していたジャーナリストや批評家の生態を暴く本。ちなみに、バルザックは役人を「生きるために俸給を必要とし、自分の職場を離れる自由を持たず、書類作り以外になんの能力もない人間、と、こういうことである」と定義している。

(3)『国家とは何か』禿鍔饌検壁雄衢硫霾圈文春学藝ライブラリー)¥ 1,458
『保守とは何か』に続く浜崎洋介編纂によるアンソロジー。浜崎は1978年生まれの若いバブル崩壊後の世代ながら、3年前に『福田恆存 思想の<かたち>』を著している。今回も「禿鍔饌犬慮斥佞暴于颪辰燭箸の喜びとも言えない驚きは鮮烈だった。私の目に映っ禿鍔饌犬隆蕕蓮慂歇虍親亜戮離ぅ瓠璽犬ら程遠く、むしろ、最も現代的な文学者、現代思想家のそれだった」と綴っている。全集(文藝春秋)は所有しているのだが、大きくて重いのでこいうテーマごとの「まとめ文庫」はそれなりにありがたい。でも刊行しすぎになるのも困るのだが、あとは「批評とは何か」とかの3冊くらいで留めて欲しい。

(4)『批判的想像力のために』テッサ・モーリス=スズキ(平凡社ライブラリー)¥ 1,620
20世紀末から21世紀という時代の転換点の時代情況と言説を分析して読解ししようとする試み。ここでも民主主義の危機が語られている。

(5)『いつまでも考える、ひたすら考える』保坂和志(草思社文庫)¥ 756
書名に惹かれて購入した。私は保坂和志の名前は知っているが、彼の小説を読んだことがない。「まえがき」に文章というのは、読み手が、どれだけそれに触発されて考えたかということが重要だと綴られていたのに惹かれた。しかも同い年だということも親近感を持った。

(6)『民意のつくられかた』斉藤貴男(岩波現代文庫)¥ 1,123
民意とは何か。それはどう形成されあるいは誘導されるのか。民意という言葉に納得する国民、利用する政治家、それに荷担するメディアなど、それに積極的に服従する仕組みや民意が偽装される情況についてジャーナリストが異議を唱える本。

(7)『「国史」の誕生』関幸彦(講談社学術文庫)¥ 907円
日本における歴史学は、近代西欧歴史学を受容し格闘して築かれたのか。それを実証史学的に俯瞰する。

(8)『公衆とその諸問題』ジョン・デューイ(ちくま学芸文庫)¥ 1,512
今日、あらためて公共性の問題が問われている。近代市民社会が誕生以来、民主主義=個人主義の問題と公共性こそは、実は啓蒙思想から21世紀の今日(現代思想)でも克服ができていない大きなアポリアである。デューイは、パース、ジェイムスらプラグマティズム御三家の中では、学校・教育に関心が高く、公衆性が民主主義にかかわる核心的な課題と考えていた。

(9)『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』水野和夫(日経ビジネス文庫)¥ 1,026
1995年を境に、戦後的な経済思考(これは20世紀的なものでもある)が有用性を失ったという。グローバリゼーションとは、19〜20世紀的な労働者の時代にピリオードを打ち、資本の反革命時代の到来という視点から、データを駆使して実証的な議論を展開している。

(10)『谷川雁〜永久工作者の言霊』松本輝夫(平凡社新書)¥ 950
60年代、吉本隆明と同様、若者や知識人に大きな影響力のあった谷川雁。吉本と同人誌『試行』を立ち上げ、私は終刊号まで20年余り定期購読していた雑誌。こちらも思わず見つけてカゴに入れてしまった。
ちなみに、この新書シリーズには『吉本隆明1968』もある。

(11)『国家論大綱 第二巻』滝村隆一(勁草書房)¥ 9,720
ピケティの本より、正直、私にとってはこちらの方がずっと待望していた重要な書だ。第一巻(上/下)から10年ぶりの完結となる第二巻目。滝村は、吉本の同人誌『試行』に論文が掲載されていたときから最も注目している政治学者。国家論構築に生涯を奉じたその理論は瞠目すべき。こちらは、ピケティの著書よりもさらにぶ厚くて重たい800ページ。想定外に見つけてしまい、嬉しくて思わず条件反射で購入。しかも税込みで約10,000円。う〜ん、しかし懐には痛い。実に痛い(>o<)。

(12)『ピケティ『21世紀の資本』を読む〜格差と貧困の新理論』現代思想2015年1月増刊号(青土社)
安いからこちらはすぐに買った(^0^;)。学生時代、少ない小遣いを捻出して毎号買っていた雑誌だった。これを購入するのは本当に久々だ。

(13)『ジョナサン・アイブ〜偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー』リーアンダー・ケイニー(日経BP社)
Macintoshのデザインなどで知られるハルトムット・エスリンガーは、『デザインイノベーション』や『形態は感情にしたがう』などがあるが、Apple復活の重要な役割を担ったアイブに関する著書。

(14)『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』小林弘人(PHP新書)
大前研一と伊藤穣一が帯に推薦文を書いている。ウェブ2.0以降のインターネットをとりまく時代情況を概観し、未来への視座(羅針盤)を提示する。

(15)雑誌『文学界』(文藝春秋)
平野啓一郎と萱野稔人による対談「ナショナリズム vs 資本主義〜2015年を読む」が収録されており、読みたくて思わず買ってしまった。他には横尾忠則による特別寄稿「憂魂、高倉健」がある。


それにしても、上記の(1)〜(9)の文庫だけで10,000円を超える出費だ。そういう文庫ばかり購入するので仕方がないのではあるが。これに比べると、新潮文庫だとか各社の新書版などは安いと思う。
10年ぶりの著書(11)は、購入者も限られるし見つけた時に購入しないと、その後は大型書店でも常備される保証がなく、入手不可能になる可能性高い。この本だけでまた10,000円が軽〜く飛んでいく。
実に、実に懐には痛い(>_<)。また食費を削る生活が続くのは仕方がない。


■書店ツアーで入手したお土産
最後に、書店ツアーは実際に欲しい本のほかにも、フェアや特設コーナーなどで発見があったり、散策中に思わぬ本との出会いがあり、それがネット検索ではえられないリアル書店のもう一つの楽しみだろう。
さらに、全集などの内容見本、図書(解説)目録、出版社PR誌など、それらを手に取りながら気に入ったものを持ち帰れるのも、オンラインショップでは体験できない。
 
最近では、「これが教養だ!フェア」という小冊子をブックファーストで入手した。これは、ちくま学芸文庫、講談社学術文庫、中公文庫、角川ソフィア文庫、河出文庫の5社の各々の文庫編集部が、長く読み継がれている50冊厳選して紹介しているいる。

今回、以下のような貴重なお土産の数々を各書店で入手することができた。これだからリアルな書店ツアーは止められない。

・叢書・ウニベルシタス 1000番到達記念ブックレット(良質な翻訳本の頂点に立つ同シリーズ、1000冊到達を記念する貴重すぎる解説目録で、松岡正剛などのエッセイも掲載
・講談社文芸文庫 解説目録(同社の文芸文庫だけの目録。これも非常に貴重だ)
・講談社新書50周年 1964〜(佐伯啓思、橋爪大三郎、鷲田清一、立花隆、池上彰、東浩紀などの特別エッセイを収録し、50周年50冊のリストも)
・ちくま新書ブックガイド(創刊20周年を記念し、著者の印象に残る「私が選ぶ一冊」約110冊が紹介されている小冊子)
・山形浩生が選ぶ経済がわかる30冊(ピケティ本の訳者の一人による小冊子。これは『要約 ケインズ 雇用と利子とお金の一般理論』出版記念のためのPR小冊子)
・工作社 図書目録
・白水社新書 目録
・東洋文庫 解説目録
・京都大学学術出版会 解説目録

<おすすめブログ>
●私が今一番近づかないように注意している場所ーーそれは大型書店

●「消尽」は大袈裟だが……ーー大型書店でショッピングという快楽
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1542652.html

●ブランドとしての「文庫」について考えたーー値段は3倍高い「ちくま学芸文庫」なのだが……
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1736481.html

(続)トマ・ピケティ『21世紀の資本』刊行によせて

pikety_marx1208

私的公開日誌@ウェブ暦:141225.01

 
「現在、資本主義市場は、『資本論』の著者(カール・マルクス)がほぼ予想したとおりの道筋を歩んでいる。一方で、社会主義は、マルクスが警鐘を鳴らした袋小路に迷い込んでしまった。また社会主義では、持続的な自由の保障、幸福、多様性、公正、人間の尊厳を担保することは不可能であることが判明した。現在では、社会主義を再考することさえ時間の無駄であると思える。」ーージャック・アタリ『21世紀の歴史〜未来の人類から見た世界』

もっとも、「持続的な自由の保障、幸福、多様性、公正、人間の尊厳を担保することは不可能」になりつつあるのは、なにも社会主義にかぎった話しではなく、今日の資本主義社会でもご同様だろう。
現実社会の格差、インターネットやメールの監視、プライバシー問題にフィルターバブルまで加わり、リアルとバーチャルの両面から、国際社会が危機にさらされている。

アタリは、06年の同書では、これからは「超紛争」社会になると語っているが、残念なことにそれが当たっている。
吉本隆明に寄れば、ボードリヤールもこれからはイスラムが台頭してくると“予言”していて、吉本には彼の消費社会論よりそれが印象に残っていると、最晩年の書では語っている。


■発売から約2週間、賛否両論

トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房刊)が刊行されたが、都内の大型書店ではどこでも特設コーナーが設けられ、ビジネスマンとおぼしき人たちが常に2〜3人は本を手にして立ち読みをしている姿が見受けられる。

そうしたコーナーの中には日本版、仏版、英語版と3カ国版まで並べたり、資本主義や格差社会について刊行されている関連書の数々、さらにはピケティ本の解説本や入門などまでも一角を占めている。

刊行直前、それを記念したブログを書き上げた(もちろん、私の勝手な記念なのであるが(^0^;)。
4〜5回くらいの分量を2回(上・下)に詰め込んだので、ピケティの本と同様分量の多いブログになってしまった。しかも、(下)の文末には、ピケティの本に関連あるいは参考となる図書リストを作成して添えてた。

9日発売から、25日現在で同書刊行からほぼ2週間たった。
新聞はもちろん、週刊東洋経済、週刊ダイヤモンド、Newsweekなどの主要誌では取り上げられている。記事内容も、下記の関連リンクにあるように本人へのインタビュー、いくつかの書評、経営者ブログに至るまでコンテンツとしてある。
評価している一方で、東京財団ではお歴々が揃って読む研究会を開催した記事(週刊東洋経済)のように否定的な内容までバラエティに富んでいる。

もっとも、週刊東洋経済7/26号特集号で「この本がいろいろな反応を引き起こしたということに私はとても満足している。本の目的は議論を巻き起こすことだったからだ。必ずしも皆が私の結論に賛成でなくともいいと思っている。」と、本人自身がインタビューに答えている。


■近代的理念を根本的に問う作業

ところで、啓蒙主義思想に語られた「理念としての民主主義」は、今日までの歴史上、それはどこに実現されているのだろうか。その精神はどこに言ったのだろうか。
もとより、「理念としての社会主義」が存在しなかったことも、同様に厳然たる歴史的事実である。

いずれにせよ、理念と現実は乖離している。
歴史上、2つの社会体制はそもそも程度の差があるだけで、理念と現実が一致したことがないということだけが、紛うことなく歴史事実なのである。

そういう意味では、哲学、政治、経済、社会など、それらについて異議申し立てがなされるべきだろうと感じる。
近代的な理念は、どこで道を誤ったのかあるいはむしろ誤らなかったのか。

こうしてみると、啓蒙主義以降の思想と歴史的な近代社会のあり方の関係性を振り返る作業が必要だろう。
すなわち、政治理念としての民主主義以上の政治思想があるのか、資本制生産様式(資本主義)より優れた社会経済体制は可能なのかということも含め、ホッブズ、ロックにはじまり、ルソー、モンテスキュー、英古典派経済学のスミス、リカード、ミル、さらにはドイツ古典哲学(特にヘーゲル〜マルクス)を検証しなければならいだろうが、それには生涯をかけるほどの時間と労力が必要だろうと思う。
悲しいかな、私程度の頭脳では、とても太刀打ちできないほどの歴史上の大難問だ。

いずれにせよ、来年1月末から2月上旬にかけ、ピケティ本人が来日して講演を行う。申し込んではいるが、当選は難しいだろう。
かつてアタリへの緊急インタビュー番組のように、ここはひとつピケティへのインタビュー番組を期待しておこう。


(関連リンク)
(1)グローバル化に透明性を パリ経済学校教授・ピケティ氏(展望2015)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDF19H05_Z11C14A2SHA000/

(2)『21世紀の資本』がバカ売れするワケ
https://hbol.jp/16462

(3)ピケティ的な格差は日本でも拡大するか
http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2014/12/post-895.php

(4)ピケティ「21世紀の資本論」が指摘したこと(前編)
http://toyokeizai.net/articles/-/56137

(5)ピケティ「21世紀の資本論」に対する疑問(後編)
http://toyokeizai.net/articles/-/56156

(6)21世紀の資本 トマ・ピケティ著 格差の仕組み実証 近現代世界経済史 
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO81163050Q4A221C1MZA001/

(7)全く退屈しないデータ満載の歴史書 
ピケティの『21世紀の資本』を読む
http://diamond.jp/articles/-/64271

(8)ピケティ「21世紀の資本」が問う課題(宮内義彦氏の経営者ブログ) 
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO80488150U4A201C1000000/


【おすすめブログ】
▼トマ・ピケティ『21世紀の資本』刊行によせて(上)
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1874748.html

▼トマ・ピケティ『21世紀の資本』刊行によせて(下)
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1875184.html

▼世界が注目、トマ・ピケティ教授へのインタビューに思うーーはたしてマルクスは甦るか?
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1858306.html

▼【書評】現代の「パンドラの箱」─『21世紀の歴史―未来の人類から見た世界』
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1841572.html

▼特集「人文書入門」ーー『文藝』2014年夏号
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1858840.html
AMN「ブログクラブ」会員
FriendFeedバッジ
blog chart
記事検索
ネットサービス
広告・マーケティング
銀河英雄伝説コンプリート
NHK時計
※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません
livedoor プロフィール
Twitter Widget
TagCloud
  • ライブドアブログ