Bianchiの徒然ブログ

インターネット、そこは技術のフロンティア。 これは、コミュニケーションアーキテクトたる“macume”が、新時代のツールBlogの下に、21世紀において執筆を継続し、未知のネット世界を探索して、新しい情報や人との出会いを求め、永劫進化するネット世界に自由に公開した日誌である。

トマ・ピケティ『21世紀の資本』刊行によせて(下)

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私的公開日誌@ウェブ暦:141204.01

ニーチェのような皮肉屋とは別に、大衆の存在について語った至言が吉本隆明の出発点ともなった54年刊の『マチウ書試論』だ。
彼はその中で、大衆的存在を以下のようにものの見事に言い切っている。

狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。」

60年代、日本をふくめて世界中で「貧困と不合理な立法をまもることを強いられ」た人々は革命思想を信じた。しかし、今日では不合理や不条理を強いられながら、狡猾ではないが「革命思想を嫌悪する」ような時代になっている。

かつての急進的でより良い社会を希求する革命思想は、先進国に限らずいまではほとんど顧みられない。しかし、残念ながらリベラルな志向も世界的には退潮している。リベラル派は、もともとが理想主義的であり、理想は常に無慈悲で不条理な現実の前に屈してきた。
世界中で貧富の格差が進行しつつある21世紀、再び『資本論』やマルクスが注目もされているが、はたしてそこに未来への希望はあるのか。
資本主義が袋小路に陥っているのは厳然たる事実であるが、だからといって“かつての来たるべき希望社会(社会主義)を、歴史的事実の無残な失敗(敗北)から信じる気にもなれない。しかも、それにとって代わる理念がない現代人は、そうした苦悩を抱えながら生きているのだ。

私は70年半ばに大学生活を送り、20歳を過ぎてから初めてマルクスの著書にいささか親しんだのだが、マルクス主義とはまったく無縁で、学生運動には興味も関心もなかったしもちろん参加したこともない。
学生時代、私は一度だけ池袋である新左翼系の活動家と話をした経験があるのだが、日和見主義者と罵倒されたことをいまでも覚えている。
だが、かれらの演説(言説)が大衆の心をとらえ、かれらの望む革命への道筋が理解されないし実現されえないだろうことも厳然たる事実だろうと直感していた。

私自身、国際政治を専攻していたのだが、20世紀中は無理だろうが21世紀になればソ連などのような自由のない抑圧的工業社会(マルクーゼ)の社会主義国家は、崩壊するにちがいないと個人的には思っていた
だが、その予想に反し、1989年にベルリンの壁崩壊とそれに続く91年のソ連邦の崩壊(東欧の民主化)の中、その社会主義諸国解体の歴史を見届けると同時に、マルクスも過去の遺物として一般的には忘却の彼方に葬り去られた。
それでも、彼の著書(文庫本)は捨てられず、いつでも私の手の届く書棚にそのままずっと並んだままだ。

もとより、依然として国民経済は大きな枠組みであるが、グローバリゼーションが著しく、国際社会の秩序は混迷を深めつつ、世界の不安定化は増大しながら「超紛争」(ジャック・アタリ)の警鐘が鳴りっぱなしの状態が続き、人類は危機に瀕している。

21世紀も15年余り以上が過ぎ、まさかマルクスの資本主義批判や分析(理論)がふたたび注目される日がこれほど早く来ようとは思わなかった。

しかし、仮にマルクスの理念通りに、まさにその理念通りにプロレタリア革命が成功したとしても、共同幻想がどの水準(宗教や宗派、部族や民族、人種・言語など)にあるにせよ、人間自体が観念的な生き物である以上、そこから真に解放されるのは困難なのか。

吉本の『共同幻想論』の「角川文庫版のための序」に以下のようにある。

「人間が共同のし組みやシステムをつくって、それが守られたり流布されたり、刊行としたりなっているところでは、どこでも共同幻想が存在している。そして国家成立以前にあったさまざまな共同幻想は、たくさんの宗教的な習俗や、倫理的な習俗として存在しながら、ひとつの中心に凝集していったにちがいない。」

であるとするならば、人間は永遠に共同幻想のくびきから解放されえない宿命を背負ったまま、未来永劫に生き続けなければならない。
観念的な生き物である人間には、それがどのような水準(レイヤー)にあっても常に共同幻想がつきまとう。


■「『資本論』=マルクス主義=イデオロギー=過去の遺物」からのパラダイムシフト

ベルリンの壁崩壊から四半世紀、世界はますます富む人々、より貧しくなる人々との格差が顕著になってきた。前者も増えてはいるが、それ以上に増加しているのが後者であり、グローバルな問題となっている。
そうした世界的な情況が再びマルクス(むしろ『資本論』)が再認識されることになるとは皮肉だ。

それも、20世紀のように先験的あるいは超越的にマルクスを崇めたり、その革命理論の無謬性を声高に主張するのではなく、現今の格差社会の問題を分析したり、グローバリズムのもたらしている経済や社会の実態や深層を鋭く暴く理論や手法として注目されている。

むしろ、既成のイデオロギーやイデオローグの有用性が完全に失効し、左翼という垢にまみれて古色蒼然な言葉となったいまだからこそ、そうした先入観や先験的な色眼鏡、嫌悪感のない人たちによってこそ、マルクスはその本質において冷静に読まれ、真に理解されるべきだろう時代情況だと感じる。

今年の7月、ジャック・アタリ著『世界精神マルクス〜1818−1883』が刊行されたが、彼はそもそもマルクスとは無縁だった。
その彼がなぜマルクスの伝記を今日になって世に問うことになったのか、その動機について序文で以下のように語っている。

「私は青年期にマルクスの作品を読んだこともなかった。信じられないかもしれないが、科学、法学、哲学、経済学を学んでいた間、彼の名前がそこで語られるのを聞いたこともなかった。初めてマルクスの名前に真剣に触れたのは、遅ればせながら彼の書物を読んだときからであり、それは『マルクスのために』の著者、ルイ・アルチュセールと文通していたからであった。以来、この人物とその作品は私の心を魅了してやまない。(中略)マルクスの精神がもはや権力と関係しなくなったようにみえてはじめてマルクスを冷静に、真剣に、したがって有効に語ることが可能になったのである」

06年(原著)に『21世紀の歴史―未来の人類から見た世界』刊行した際、一種予言的書物(特に日本では)として歓迎されてベストセラーとなった。今日の世界的な情況を予見していたのは自分だけではなく、自分以外ではマルクスが唯一の人物だということであり、自分の論拠(主張)はすでにマルクスがとっくに語っているのだと。
アタリ自身、上記『21世紀の歴史』の中で以下のように述べている。

「現在、資本主義市場は、『資本論』の著者(カール・マルクス)がほぼ予想したとおりの道筋を歩んでいる。一方で、社会主義は、マルクスが警鐘を鳴らした袋小路に迷い込んでしまった。また社会主義では、持続的な自由の保障、幸福、多様性、公正、人間の尊厳を担保することは不可能であることが判明した。現在では、社会主義を再考することさえ時間の無駄であると思える。」

これはアタリの主張の論拠を“世界精神”のマルクスに求めることで、穿った(意地悪な)見方をすれば、自分の主張の正当性を、マルクスでより強化して権威づけようとしているようにも受け取れる。
しかし、今日では資本主義社会においても「持続的な自由の保障、幸福、多様性、公正、人間の尊厳を担保することは不可能」になりつつある、というのははたして言い過ぎだろうか。

それはおいておくとして、今回、トマ・ピケティ教授の本とマルクス(『資本論』)理解の一助になればと思い、『21世紀の資本』の邦訳が刊行されることを記念して、読んでおくと良いあるいは参考になるかもしれない本を勝手にピックアップしてみた。
ただし、下記の図書リストについては、厳密の調べたのではなく、書棚から選んだだけなのでその旨ご承知を。

誤解のないように最初にお伝えしておくが、これらをすべて読破しているというわけではない。“積ん読”や途中まで読みかけてそのままになっている中からもチョイスしているので(恥ずかしながら後者の方が実は多いのだ(^_^;)。また、高額な一部の本も未購入だ。
従って、もっと的確でふさわしい本があるかもしないことは、あらかじめご了解いただきたい。
ま、山下達郎風にいえば、とりあえず「棚からひとつまみ」というように考えてもらえればということで……。

なお、ピックアップした図書は、どれも絶版ではなく書店などで現在入手可能な本に限った
もちろん、絶版本についても、今日では古本屋を回って探さずとも、それらはAmazonなどネットで手軽に入手できる時代ではあるのだが。
そういえば、かつて岩井克人著による『二十一世紀の資本主義論』 という似たタイトルの本があったことを思い出した。

いよいよ来週の火曜日(9日)、ピケティの本がついに書店に並ぶし、来年1月下旬に来日して講演なども決まっている。ジャック・アタリのように気をよくし、はたしてこれから何回も来日するだろうか。
とりあえず、皆さん楽しくて意義のある読書生活を\(^O^)/

(了)


(1)雑誌の特集
現時点(10/8)で、トマ・ピケティ教授と『Le capital au XXIe siecle(21世紀の資本論)』を特集したのは下記の雑誌。今後、邦訳の刊行が近づくにつれてもっと特集が増えるだろう。雑誌は、都内の大型書店ではバックナンバーが手に入るし、いまではAmazonでも手軽に入手できる(電子書籍含む)ありがたいご時世だ。
・『週刊 東洋経済』2014年 7/26号:特集「『21世紀の資本論』が問う 中間層への警告/人手不足の正体」
・『週刊エコノミスト』2014年 8/19号:特集「資本主義をとことこん考えよう」
・週刊東洋経済eビジネス新書『トマ・ピケティ『21世紀の資本論』を30分で理解する!』(Kindle版のみ)
・『文藝春秋Special2014年 季刊秋号:特集「忙しすぎるビジネスマンのための新戦争論」
・『現代思想 2015年1月臨時増刊号 ピケティ『21世紀の資本』を読む〜格差と貧困の新理論』(12/12発売)


(2)古典の図書
『資本論』は分量も多く抽象度も高くて難しい本なのだが、それ以外の下記に紹介する古典はそれでも比較的読みやすく理解しやすい。『資本論』またはマルクスの生きたい時代、その当時の情況分析、オピニオンなどに触れる機会となればと思う。
また、いわゆるフランス三部作では、『フランスにおける階級闘争』、『フランスにおける内乱』が現在では入手不可能なのが残念である。
・『資本論』全9冊 マルクス(岩波文庫)
・『共産党宣言』カール・マルクス (岩波文庫/講談社学術文庫)
・『共産主義者宣言』カール・マルクス (平凡社ライブラリー) 
・『空想より科学へ』カール・マルクス (岩波文庫)
・『ゴーダ綱領批判』カール・マルクス (岩波文庫)
・『ルイ・ボナパルトのブリュメールの十八日』カール・マルクス(平凡社ライブラリー)
・『賃労働と資本 / 賃金・価格・利潤』カール・マルクス (光文社古典新訳文庫/岩波文庫)
・『経済学・哲学草稿』カール・マルクス (光文社古典新訳文庫/岩波文庫)
・『経済学批判』カール・マルクス (岩波文庫)
・『マルクス自身の手による資本論入門』ヨハン・モスト(著)/カール・マルクス (編集)(大月書店)
・『イギリスにおける労働者階級の状態:上・下』エンゲルス(新日本出版)
・『帝国主義論』レーニン (光文社古典新訳文庫/岩波文庫)
・『国家と革命 』レーニン(講談社学術文庫)
・『裏切られた革命』トロツキー(岩波文庫)
・『永続革命論 』トロツキー(光文社古典新訳文庫)


(3)『資本論』およびマルクスに関する図書
最近(21世紀)になって著された本。しかし、どの書籍も値段も高く分厚い書物ばかり。ハーヴェイ(英)、ネグリ(仏)、ロルドン(仏)、コーエン(仏)、アタリ(仏)など、やはり中心は欧州それもフランスが多いのだが、モイシェ・ポストンだけが米(シカゴ大学)だ。しかし、本人はドイツのフランクフルト大学で博士課程取得したので納得。
ハインリッヒ(独)の本は、ハーヴェイ、ネグリ、ポストンとも異なる『資本論』の読み方の本としてドイツでは話題の本とのこと。
・『〈資本論〉入門』デヴィッド・ハーヴェイ(作品社)
・『資本の〈謎〉』デヴィッド・ハーヴェイ(作品社)
・『マルクスを超えるマルクス』アントニオ・ネグリ(作品社)
・ 『マルチチュード<上/下>』アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート(NHKブックス)
・『コモンウェルス<上/下>』アントニオ・ネグリ/マイケル・ハートNHKブックス)
・『なぜ私たちは、喜んで“資本主義の奴隷”になるのか?』フレデリック・ロルドン(作品社)
・『経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える』ダニエル・コーエン(作品社)
・『時間・労働・支配: マルクス理論の新地平』モイシェ・ポストン(筑摩書房)
・『カール・マルクス』吉本隆明(光文社文庫)
・『資本論の哲学』廣松渉 (平凡社ライブラリー)
・『青年マルクス論』廣松渉 (平凡社ライブラリー)
・『マルクスと歴史の現実』廣松渉 (平凡社ライブラリー)
・『初期マルクスを読む』長谷川宏(岩波書店)
・『橋本大三郎のマルクス講義』(言視舎)
・『「資本論」の正しい読み方』ミヒャエル・ハインリッヒ(堀之内出版)
・『ビギナーズ「資本論」』マイケル・ウェイン(ちくま学芸文庫)
・『資本論を読む』伊東誠(講談社学術文庫)


(4)伝記・評伝、経済史、歴史書、その他参考図書
E・H・カーの本は、マルクスの伝記としては定番書。他の定番としては、やはりフランツ・メーリンク『マルクス伝1〜3』(絶版:国民文庫)がある。ジャック・アタリの新刊『世界精神マルクス』の帯にある「マルクスの実像を描きえた、唯一の伝記」はちょっと誇張しすぎな印象。
特に伝記を読む場合、マルクスの生きた時代背景の中で、どうして「資本論」を書くに至るかその歴史的情況を把握(理解)して読むことことが肝要だ
ピケティ同様、データを使って実証的に格差社会を論じた先駆的な書としては、小沢雅子の『新・仮装消費の時代』(絶版:朝日文庫)がある。これは、80年代のバブルの真っ只中、すでに格差社会が始まっていることをデータを駆使して実証してみせた稀少な本だ。しかし、これが入手不可能なので(Amazonでは入手可)、それに替わる本として橋本健二の『格差の戦後史』(河出ブックス)をおすすめする。
また『民衆と大英帝国』のような社会経済史的な本が、『資本論』を産み出された時代情況を理解するには手助けになるように感じている。
「その他関連書籍」は、下記に挙げた図書のほかにも宗教、ナショナリズム、民主主義関係の本なども挙げようかと思ったのであるが、それだと恐ろしい数になるのでそれらは省くことにした。
各自にて興味のある図書を選んで幅広く読むことをおすすめする次第。
・『カール・マルクス』E・H・カー(未来社)
・『ロシア革命―レーニンからスターリンへ、1917〜1929年』E.H. カー(岩波現代文庫)
・『危機の二十年』E・H・カー(岩波現代文庫)
・『近代国家における自由』H・J・ラスキ(岩波文庫)
・『経済の文明史カール ポランニー(ちくま学芸文庫)
・『近代世界システムIII―「資本主義的世界経済」の再拡大 1730s〜1840s』I. ウォーラーステイン(名古屋大学出版会)
・『新版 史的システムとしての資本主義』(岩波書店)I. ウォーラーステイン
・『物質文明・経済・資本主義:全6冊』フェルナン・ブローデル(みすず書房) 
・『暴走する資本主義』ロバート・ライシュ(東洋経済新報社)
・『格差と民主主義』ロバート・ライシュ(東洋経済新報社) 
・『世界精神マルクス』ジャック・アタリ(藤原書店)
・『マルクスその可能性の中心』柄谷行人(講談社学術文庫)
『二十一世紀の資本主義論』 岩井克人(ちくま学芸文庫)
・『資本主義から市民主義へ』岩井克人(ちくま学芸文庫)
・『貨幣論』岩井克人 (ちくま学芸文庫) 
・『ヴェニスの商人の資本論』岩井克人 (ちくま学芸文庫)
・『資本主義という謎』大澤真幸/水野和夫 (NHK出版新書 400) 
・『資本主義の終焉と歴史の危機 』水野和夫 (集英社新書)
・『近代世界システムと新自由主義グローバリズム――資本主義は持続可能か?』三宅芳夫・菊池恵介 編(作品社)
・『民衆と大英帝国』川北稔(岩波現代文庫)
・『青木昌彦の経済学入門: 制度論の地平を拡げる』 (ちくま新書)
・『贈与論』マルセル・モース (岩波文庫)
・『社会学的方法の規準』デュルケーム (岩波文庫) 
・『自発的隷従論』エティエンヌ・ド・ラ・ボシエ(ちくま学芸文庫)
・『革命について』ハンナ・アレント(ちくま学芸文庫)
・『明かしえぬ共同体』モーリス・ブランショ(ちくま学芸文庫)
・『コミュニティ』ジグムント・バウマン(ちくま書房)
・『共同幻想論』吉本隆明(角川ソフィア文庫)
・『テロルの現象学 新版【観念批判論序説】』笠井潔(作品社)
・『例外社会〜神的暴力と階級/文化/群衆』笠井潔(朝日新聞出版社)
・『共同体の救済と病理』長崎浩(作品社)
・『現代社会の存立構造/『現代社会の存立構造』を読む』真木悠介/大澤真幸(朝日出版社)
・『人類が永遠に続くのではないとしたら』加藤典洋(新潮社)
・『人間的自由の条件』竹田青嗣(講談社学術文庫)
・『人間の未来』竹田青嗣(ちくま新書)
・『格差の戦後史』橋本健二(河出ブックス)
・『希望格差社会』山田昌弘(ちくま文庫)
・『格差と民主主義』ロバート・ライシュ(東洋経済新報社)
・『ネオ階級社会はここから始まった』林信吾・葛岡智恭(平凡社新書) 
・『儀礼としての消費』メアリー・ダグラス(講談社学術文庫)
・『経済人類学』栗本慎一郎(講談社学術文庫)
・『貨幣と欲望』佐伯啓思(ちくま学芸文庫)
・『西欧近代を問い直す』佐伯啓思(PHP文庫)
・『貧困と思想』吉本隆明(青土社)

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【おすすめブログ】
●トマ・ピケティ『21世紀の資本』刊行によせて(上)
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1874748.html

●世界が注目、トマ・ピケティ教授へのインタビューに思うーーはたしてマルクスは甦るか?
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●【書評】現代の「パンドラの箱」─『21世紀の歴史―未来の人類から見た世界』
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1841572.html

トマ・ピケティ『21世紀の資本』刊行によせて(上)

21世紀の資本論

私的公開日誌@ウェブ暦:141201.01

「近代文明とよばれる巨大な機械を作るために動いた個々人は、機械的習慣の奴隷となり、彼らの創造した怪物に冷酷に支配されていった。西欧の誇る自由にもかかわらず、真の個性は富を求める競争に破壊され、幸福と満足とは、やむことのないより多くの切望のために犠牲とされた。西洋は中世的迷信から自由になったことを自慢しているが、それにかわる富の偶像崇拝はどうなのか?」

上記は、発表時1904年刊)の英文とあわせて収録され、つい最近、講談社学術文庫入りした岡倉天心の『日本の覚醒』の一文である。
110年が過ぎた今日、極めて似た状況を呈している。いや、もっと言えば、まるで今日について語っているようだとさえ言えるだろう。

ここ最近、れほど邦訳が待望されていた書があるだろうか
トマ・ピケティ教授の『Le capital au XXIe siecle(21世紀の資本)』のことである。年内にみすず書房から刊行される予定との噂だったが、いよいよ来週(12/9)に発売される。
次いで、12日(金)には雑誌『現代思想 2015年1月臨時増刊号 ピケティ『21世紀の資本』を読む〜格差と貧困の新理論』(青土社)、年明けの1月23日にはトマ・ピケティ自身の手による入門書『トマ・ピケティの新・資本論』(日経BP社、それでも400ページ)などもあり、今後もピケティとその関連本は続々と刊行されるだろう。

すでに、この夏以降、週刊東洋経済』(7/26号)では「『21世紀の資本論』が問う中間層への警告」特集、その後は『週刊エコノミスト』(8/12・19日合併号)で「資本主義をとことん考えよう」と、二大経済誌でともにトマ・ピケティ教授とその著書を取り上げた。
さらに、ネット上でも多くの記事が散見される。邦訳の刊行が近づくにつれ、今後はさらに各種雑誌でも本書については特集が続々と組まれることだろう。

そうしたこともあり、「世界が注目、トマ・ピケティ教授へのインタビューに思うーーはたしてマルクスは甦るか?」というブログを私は書いた(7/24)。
ピケティのこの新刊は、原著の仏語版が約1,000ページ、英語版でも約700ページを超えるということなので、邦訳ではそれ以上が想定され上下2巻の分冊になる可能性があると思っていたが、ページ数は760ページで、分冊ではなく表紙は実にシンプル(画像参照)だ。

これほど話題の書なので、刊行されれば書店では平台に積まれるだろうし、大型書店では特設あるいは専用コーナーが設けられるだろうことは確実だ。
経済誌だけではなく、様々な雑誌での特集や書評でも数多くが取り上げられるだろうし、ブログではもっとたくさんの記事が出回るだろう。
また、解説本・便乗本も次々と出版されるだろう。

いずれにせよPR効果は絶大だ。
みすず書房は専門性の高い人文科学系の良い出版社であるが、高価格な本(約6,000円)であってもかなりベストセラー図書となることが想定される。


■国民経済・国民国家を引き裂く資本主義という怪物

さて、カトリックとプロテスタントによる宗教戦争(三十年戦争)後、17世紀(1648年)のウエストファリア条約により、近代主権国家の誕生と国際社会の礎を築き、その後(特に産業革命以降)は国民経済を形成しながら21世紀の現在に至っている
資本主義は、順風満帆ではなかったが、それでも近代国家と併走(二人三脚)しながら成長し発展してきた。その過程で20世紀には民主主義の普及とともに世界の経済発展にも貢献してきた。

しかし、今日、その国民経済に大きな軋みが出ている。資本主義社会と国民国家の乖離が加速しつつあるといってもよい。これは社会経済構造的には資本主義でありながら、政治体制的には社会主義をなんとか堅持しようとしている中国のような国でも、その軋轢は同様である。
つまり、持てるものは国家を超えて資本制のグローバル化でますます富を蓄積し、持たざるものは労働市場において労働力の安い人々(国々)との世界的規模での苛烈な競争に日々さらされている。

すなわち、資産家層(資産所得者)の方が労働者層(勤労所得者)よりも、資本主義社会においては基本的かつ相対的には有利であることが露わになったことで、資本主義市場の世界規模での伸展あるいは拡張により、むしろ民主主義は未曾有の危機的段階に突入していると見ることができる。
人類は、はじめてこうした未経験(未知)の段階や事象を前にして狼狽え、これまでのように付け焼き刃や対処療法的な政策では根本的な問題はなにも解決されえないことで、まるでなすすべもなく呆然としているかのようだ。

国内でも、若年層ニートや非正規雇用労働者の貧困化がここ数年は社会問題化しているが、若年層の失業問題、貧困化やそれによる格差もグローバリゼーションが深刻で、我が国あるいは一国だけで解決できるほど単純ではなくなっている。

韓国では、「三放世代」の自殺率の高いことが報じられている。この世代は、恋愛・結婚・出産の3つを放棄せざるをえない事情からそう呼ばれている。
中国でも、大学は出たけれど就職先が見つからず、来日して雇用ニーズの高い飲食店やサービス産業で働いている人たちも増えている。
また、隣国の韓国や中国だけに限らず、経済成長が著しいと思われている新興国のベトナムなどでも失業率の高さと貧困(格差)問題が深刻化しているとニュースなどでも目にする。

米国は、『ルポ貧困大国アメリカ』が話題となるほどで、ウォール街の占拠も記憶に新しい。また、米ジョージア州のように富裕層は富裕層だけの自治区域をつくり、しかも、そうした考え方が他の州にも広がりつつあるという実態をルポしたドキュメンタリーを見た。

一方、EUでは2014年から最大80億ユーロ(約1兆円)を投じ、国境を越えた職業訓練など包括的な失業対策に乗り出し、米国と同様に若年雇用は社会問題化としている。

つい先日(10/2)、OECD(経済協力開発機構)が公表した報告書によれば、世界の富裕層と貧困層の格差の拡大は1820年代と同じ水準にまで悪化しており、過去200年で「最も憂慮すべき」事柄の1つだと警告している

マルクス生涯の盟友エンゲルス24歳のとき(1845年)、初の著書イギリスにおける労働者階級の状態』を著したのだが、そこには彼がイギリス滞在中約2年間に見聞し、産業革命が勃興しつつある資本主義社会の初期段階において、搾取されている様々な労働者階級の困窮と悲惨な労働状況、資産家階級(ブルジョア)たちの実態を暴き出し、以下のように綴っている。

「私はイギリスのブルジョアジーほどひどく退廃し、私利私欲のために救いがたいまでに腐敗し、内面的にむしばまれ、あらゆる進歩の能力を失った階級に出会ったことがない。(中略)彼らはただ金もうけのためだけに生きていて、手早くもうけること以外にはなんの喜びも知らず、お金を失う以外にはなんの苦しみも知らないからである。」

この約15年後(1859年)、マルクスは『経済学批判』を書き上げることになる。

いま、国際社会の緊急な課題となっている「イスラム国」には、世界中から若者が集まって(集めて)いるが、全てではないにしてもその要因に貧困、不平等、格差と社会からの排除があることは世界中から指摘されていることである。

ところで、誰のなんという著書か思い出せないのだが、うろ覚えで恐縮なのだが、国家の衰退は、歴史的に中産階級の衰退と密接な関係がある、というような趣旨のことが書かれている本を読んだ。
であるとすると、主要先進国(特に米国)の中産階級が衰退しつつある現状が、特に米国の国力が衰えているのも頷ける話ではある。
また、日本の中産階級の崩壊は、同時にそのまま日本の国力や国際社会での存在感が崩壊していくことでもある。


■横行するマルクスの言説に対する誤解・曲解・無理解

さて、最近ではめっきりと耳にすることがなくなったロレタリアート(労働者階級)という言葉は、多分にネガティブなイメージと誤解に彩られている

20世紀後半、西側先進国を中心とした20世紀的工業社会の牽引して豊かな消費社会を築いてきた。そうした中でいわゆる「ブルーカラー」と「ホワイトカラー」という言葉の登場で、後者はあたかも知的生産手段の担い手として一定の生活水準を手にしてきたことで(消費行動を享受するいわゆる中間所得層の増大)、自分たちは断じてプロレタリアートではなく、ましてや資本主義による経済の発展により、それとは無縁な社会が形成されつつあるのだというような錯覚を人々は抱いた(いわゆる中流意識の形成)

さらに、プロレタリアート独裁という言葉が、労働者階級を代表していると自称する前衛政党(共産党)が政治権力を独占し、それを受諾しない国民を排除、隔離する全体主義的で徹底的な統制と管理による社会体制を敷いたことで、あたかも独裁政権(党)が恐怖によって支配する政治体制(国家)というイメージを醸成してしまった。

それは、スターリニズム(大粛清)や毛沢東の文化大革命、カンボジア共産党の大量虐殺を持ち出すまでもなく、こうした専制政治体制に監視された恐怖により人を信頼できなず、常に死の恐怖に覆われた社会の悲惨さは理解できる。
私もマルクスを読むまではずっとそう思っていた。

プロレタリアート独裁とは、かつてのソ連や東欧、中国やいまの北朝鮮のような独裁体制(統治形態)を指すのではない。
それは政治の意志決定(利害策定)プロセスを指しているのであり、これに対置する概念は西側の主張する民主主義(という政治体制=統治形態)ではなく、ブルジョア独裁なのだ。要するに現在の資本主義社会のことだ。

『空想より科学へ』、『共産党宣言』という薄いがわかりやすい著作を読むだけで、そうしたことは容易に理解できるはずであり、当時のソ連や中国・北朝鮮が、いかにマルクスとは無縁なのかは、私程度の頭脳でもわかることだった。

年収が200万円に満たない人(低所得者=貧困層)か、年収1,000万円の以上の人(高額所得者=富裕層)であるかに関係ない。
プロレタリアートとは、己の労働力を売ることでしか生活の糧をえるしか術のない賃金労働者であれば、金額の多寡があるだけでそれは等しく労働者階級であり、厳然たるプロレタリアートという現実は否定のしようがない事実として私たちに突きつけられている。

「形ばかりホワイトカラー」(高橋和巳)という言葉と消費行動に酔いしれていた中間所得層の幻想は、20世紀後半から21世紀の資本主義のグローバリゼーションとIT化の加速により打ち砕かれ(中流意識の崩壊)、それまで巧みに覆い隠されていた階級社会の実態が露わになり、今日、リストラなどにあって自分たちが本質的にはただのプロレタリアートにすぎないということに気がつかされ、あるいはいやがうえにも自覚させられる結果となった。

加えて、つながりや相互理解、多様性を促進するはずだったインターネット(特にソーシャルメディア)が、テクノロジーのもたらす「フィルターバブル」(イーライ・パリサーの言葉)によって、むしろ視野狭窄的・近視眼的な思考形成に一役買っている

ヒト・モノ・コトなどすべてが国境を越えて瞬時に世界を駆けめぐる中で、なぜ人々は国家だとか国民あるいは国境、そして宗教(宗派)などという狭量な共同体意識に呪縛され(アイデンティティを求め)、それを至上の存在として頑なに希求し維持しようとするのか
しかも、旧来のメディアも劣化が進行しつつある中で、インターネットのフィルターバブルに依存して人々は「類は友を呼ぶ」だけの関係性に収斂しつつあり異質なものを排除して同じ価値観だけを情報を共有し、それ以外に対してはルサンチマンを吐き出すような情況が世界規模で勃発している。

なぜ、これほどまでに技術や科学が発達した21世紀の今日においても、人間(人類)をよりよい世界へと導き、幸福をもたらしあるいは解放しようとする様々な思念は、これほどまでに戦争や紛争、テロや殺戮、怨嗟をともなった排除など、非人道的な暴力は止むことがなく反復されているのか。

笠井潔が『テロルの現象学新版【観念批判論序説】』(作品社)でも指摘しているように「21世紀の今日でも、観念的倒錯の病理から人間が解放されたわけではない。宗教原理主義や新型の排外主義による暴力の連鎖からもこの点は明らかだろう」ということだ。

人間は、自由、平等や幸福を求め、命をかけてまで反乱や革命を繰り返し、社会経済の発展は拡張したコミュニティ(共同体)を求めて世界規模で成長し続けてきた。
それなのに、現在では同じように自由、平等や幸福を求めてより小さくて閉じた共同体=共同幻想・共同観念を求めあるいは獲得しようとして世界規模で争っている。

ニーチェ的な言いぐさをすれば、絶対主義王制時代に臣民と呼ばれていたものたちが、啓蒙主義思想や近代政治理念の恩恵で、国民(nation)だとか市民(citizen)などと称されるようになっただけのことで、それは所詮は欺瞞でしかなく存在しているのは常に“大衆(群衆)”(massあるいはcrowd)またはせいぜい民衆にすぎないと。

あら〜、なんでこうなってしまうの(^_^;)
書き始めるとき、単にいま私が感じていることを少し書いて、あとは『21世紀資本』の参考あるいは関連図書を紹介するだけのつもりだったのだが……。
徒然に書いていたら、またも懲りずに想定外に長くなってしまった(~_~;)。

図書の紹介は次回に譲ることになってしまった。ごめんなさい。
なにとぞ、なにとぞその寛容な御心に免じ、どうか、どうかご容赦を(._.)オジギ。

(下に続く)


(関連リンク)
▼『21世紀の資本』(みすず書房サイト)
http://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html

▼「21世紀の資本論」が問う、中間層への警告」-『週刊東洋経済』 2014年7月26日号
http://toyokeizai.net/articles/-/43050

▼「資本主義をとことん考えよう」-『週刊エコノミスト』2014年8月12・19日合併号
http://goo.gl/EXOtup

▼世界の貧富の格差が拡大、1820年代の水準にまで悪化 OECD
http://www.afpbb.com/articles/-/3028048?ctm_campaign=nowon_txt

▼ピケティ『21世紀の資本論』はなぜ論争を呼んでいるのか
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20140519/397924/?rt=nocnt

▼トマ・ピケティ『21世紀の資本論』の衝撃
http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2014052200002.html

▼「格差」が経済の大きな足かせになる理由(英フィナンシャル・タイムズ紙)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41863

▼あなたもホームレスや売春婦に!?広まる「現代型貧困」の実態と対処法(Huffington Post)
http://www.huffingtonpost.jp/skincare-university/poverty_b_6163908.html

▼“独立”する富裕層〜アメリカ 深まる社会の分断〜
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3488_1.html

▼イスラム国を育てたのは、いったい誰なのか?
http://president.jp/articles/-/13869

▼日本でも格差は広がる―欧米で話題『21世紀の資本論』
http://goo.gl/TzyAzG

▼『21世紀の資本論』が問う、中間層への警告
http://societyzero.wordpress.com/2014/07/31/00-41/

▼『21世紀の資本論』と「イスラム国」の兵士

▼【オピニオン】「21世紀の資本論」ピケティ氏は急進的なのか
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304357604579585450142850362

▼(インタビュー)新しい資本論 トマ・ピケティさん
http://goo.gl/7aeww0

▼21世紀に資本家と労働者の格差は拡大するのか
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41231

▼(まとめ)ピケティ氏の『21世紀の資本論』(1)
http://societyzero.wordpress.com/2014/08/23/00-67/

▼21世紀の資本論:トマ・ピケティの現代資本主義分析
http://philosophy.hix05.com/Economy/2014.8/2014.8.1.pikety.html

▼アメリカ経済を考える「格差問題に関する米国の論点(5)〜「21世紀の資本論」とリベラル派の焦り〜」
http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=1316

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【おすすめブログ】
●世界が注目、トマ・ピケティ教授へのインタビューに思うーーはたしてマルクスは甦るか?
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1858306.html

●【書評】セレンディピティや多様性が失われ、「類は友を呼ぶ」だけの世界になってしまうのか?ーー『閉じこもるインターネット』
http://blog.marketing.itmedia.co.jp/macume/entry/671.html

ついに開催した「吉本隆明を読む会」によせて

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私的公開日誌@ウェブ暦:141125.01

ワンテーマのセッション読書会。それはヒト・モノ・コトに焦点を絞り、その題材によるレクチャーなしで読書会だけを行うこと。私も運営をサポートしているユニークな読書会10 over 9 reading clubによる新しいイベントだ。

その記念すべき第1回目として、「吉本隆明を読む会」を11月22日(土)に開催した。
これまでにも、ゲストによるレクチャーでも、吉本隆明(と禿鍔饌犬癲砲遼椶録篩図書には挙げられているが、まさか吉本隆明だけをテーマにした読書会を開催するとは実は思いがけないことであった。

今回の開催趣旨としては、この11月24日で生誕90年(ちなみに、今年は丸山眞男の生誕100年)今年になり晶文社『吉本隆明全集』全38巻・別巻1が刊行され、この年末には筑摩書房から『吉本隆明<未収録>講演集』全12巻も刊行開始となるので、それを記念してというもの。
20世紀後半、日本思想界に聳立してきた知の巨人の課題図書として下記の12冊を選出した。
もちろん、これらの課題図書にこだわることなく、参加者自身にとって、吉本隆明を読んだ中で一番印象に残っている本を持参してもOKというゆるいスタイルで開催した。

(課題図書一覧)
1.吉本隆明初期詩集 (講談社文芸)
2.超恋愛論 (知恵の森文庫)
3.読書の方法 (光文社文庫)
4.カール・マルクス (光文社文庫)
5.ひきこもれ (だいわ文庫)
6.世界認識の方法 (中公文庫)
7.なぜ、猫とつきあうのか (河出文庫)
8.共同幻想論(角川ソフィア文庫)
9.言語にとって美とはなにか/上・下(角川ソフィア文庫)
10.第二の敗戦期:これからの日本をどうよむか(単行本:春秋社)
11.心とは何か―心的現象論入門(単行本:弓立社/絶版)
12.詩人・評論家・作家のための言語論(単行本:メタローグ/絶版)

青春時代の1ページにその名が刻まれている人、いまだに接している人(私)、初めて読んだ人などが集まり、参加者は10名ほどだった。しかも、みな3〜4の複数冊を読んでいた。このあたりが当該読書会の参加者らしいところ。
しかも、ほとんどが吉本の本は初めて読む人たちばかりだ。

『共同幻想論』言語にとって美とはなにか』にも果敢に挑戦した人もいたが、やはりハードルが高くて途中で挫折したとのこと。しかし、私も学生時代に初めてこれらを読んだとき、知識不足と理解力の未熟さからとても歯が立たなかったので気にすることはないのだ。

いまとなっては、なにがきっかけだったはもう覚えてはいないのだが、情況論を読んだことでいきなり吉本の言説に引き込まれてしまった。
坂口安吾が『教祖の文学』で評した小林秀雄にかぎらず、吉本隆明、高橋和巳、禿鍔饌犬覆匹發修領鵑鵬辰錣┐討發茲い世蹐Δ隼廚Α
しばらくして、今日では珍しい箱入りの吉本の代表作の『共同幻想論』(当時、河出書房新社刊。現角川ソフィア文庫)を書店で手にすることになったのだ。
そのときの衝撃は、ブログ「ジョブズ逝去以上に大きな訃報だったーー吉本隆明の死を惜しむ」に書いたので、ご興味のある方はあわせてご笑覧願えればありがたい。


■魅了された「自立の思想」
私は吉本隆明に関することでは、過去に3回ブログを書いている。学生時代、わたしはとくに吉本隆明と高橋和巳の二人には大いに薫陶を受けた。

吉本隆明の『自立の思想的拠点』(徳間書店)と高橋和巳の『孤立無援の思想』(河出書房新社)に通底している魂を感じとった。ちなみに、高橋和巳にも『自立の思想』(文和書房)という対談&エッセー集がある。
二人とも、徒党を組むことからは距離置き、党派性に依存した言説を嫌悪していた点では共通している。
後年、遅れて禿鍔饌犬瞭匹濕蠅箸覆辰浸笋蓮彼の批評からそれと同じ精神を感じた。

かつて、文芸批評家の磯田光一が、『禿鍔饌犬筏繁槊缶澄組震杣録的思惟の運命』において、昭和20年代は禿弔琉ζ票圓世辰燭昭和30年代になって吉本の書く文章に惹かれるようになったと語り、「イデオロギー的な偏見さえはずしてしまえば、私の目には両者の姿勢はかなり近いものにさえ見える」と評しているが、正鵠を射た言葉だと思う。
私はその逆で、吉本隆明から禿鍔饌犬悗汎表饌慮海鬚垢垢瓩拭私が文芸批評が愛読書で、いまでも一番好きなのもそうした経緯による。

古典的知識人がすべからくイデオロギーの呪縛されていた時代、そこからの自立した精神を堅持していた点で、特にこの二人は同じような資質を持っていた。
この時代、党派性から自由であった人は少ない。そうした情況下で自立した思考を自己のうちに確立し得たこと自体が希有なことなのだ。

ところで、吉本は晩年(08年当時)の語り下ろしの著書『貧困と思想』(上記10と対の書)の中で、中国はソ連邦のように分裂することはないだろうと語っていた。その根拠を「アジアの不思議、中国の不思議」と語っているのだが、しかし私にはそうは思えない。
古くはチベット、台湾、最近ではウイグル自治区など、国内において分裂する要素を多く孕んでいる。

改革開放は、中国が先行した(78年)。小平の「先富論」(先に豊かになれる者から豊かになれ。そして落伍した者を助けよ)に基づき、先に深謀遠慮にで経済を開放しながら豊かさを人民にもたらせば、政治体制(統治形態)は共産党で維持できると考えた。

一方、ソ連は
「ペレストロイカ」や「グラスノスチ」をスローガンにまず政治的な解放を先行させ(85年)、経済改革をしようともくろんだが、結局はソ連邦や東欧諸国の崩壊と分裂を招いた。
中国は、その歴史的事実を見ているので、ソ連の二の舞にだけはなるまいと頑なに思っているだろう。ソ連と東欧の崩壊は、他山の石としているからこそ、政治的な解放を行わないともいえる。

しかし、実はここには大きな陥穽がある。それは、社会経済体制と政治体制に大きな乖離がある。前者は資本主義社会を邁進しながら、後者は一党独裁を維持するのはそもそもが大きな矛盾である。要するに、社会経済体制と政治体制が「ねじれて」いるのだ。しかも、貧富の差は年々拡大している。
歴史的に類例をみないこの国の“ねじれ体制”が、どこへどのように向かうのかはアジアの平和や安定にも関わることであり、おおいにに気になるところだ。

縦横無尽、変幻自在に白熱したセッション読書会
さて、肝心の当日のセッションは、吉本隆明が読まれていた時代情況から、疎外論や共同幻想の問題、マルクス、フーコー、デリダからポストモダンへ、そして親鸞のなど日本における仏教の課題、さらにはビッグデータにいたるまで、実に縦横無尽、変幻自在に議論が白熱して展開し、気づきや学びがあり大いに頭脳の刺激になった。

読書はなんと楽しいのだと実感する時間となった。ひたすら読み込むこと(インプット)も重要だが、こうした
アウトプットを前提としての読書会が私は好きである
そこでは、多様な異なる読み方、各々の人たちを通じて学びと発見があるからだ。人によっては、初めて読んだにもかかわらず、鋭い読み方をしている人の発言などで、斬新で初めて聞くような視点をもらもたらしてくれることもある。

ところで、今回のセッション読書会に深みと奥行きが一段と増した要因は、ブログ「風観羽」としてつとに知られ、私も尊敬している友人ブロガーが参加してくれたことだ。
彼は私と同世代ということ、また70年代半ばに吉本隆明に接したという点で、共通の読書体験を有している。

しかし、私が読んでいない数多くの書を読み込んで、自己の思考と格闘しながら鍛えてきた人であり、広い知見、深い洞察に裏打ちされたブログと同様に、快刀乱麻のごとく自在に語る彼の言葉は際立ち、今回のセッションでも存分に発揮されていた。
今回の読書会が一層素晴らしく充実した内容となったのは、彼の参加の恩恵によるものと心より感謝している。

21世紀の今日、インターネットの「フィルターバブル」が進行し、世界中で止むことのないテロ、紛争や内戦状態にあり、分断と分裂が進行しており、世界は今日にいたってもむしろさまざまな党派観念(笠井潔)に取り込まれつつあり、先達の精神たる「自立の思想」に触れる意義や価値はけっして消滅しないだろう。
いや、むしろ現在の国内や世界情勢を勘案すれば、いまこそわれわれ一人ひとりに「自立の思想」が求められていると言っても過言ではない

最近では、吉本や高橋、禿弔覆匹瞭瓜代をまったく知らない若い世代たちが読み、イデオロギーや党派性からは無縁な視点や精神で、こうした現代日本の“諸子百家たち”の書に触れたり読んだことで、なにがしを語りはじめた本が刊行されつつある。
これら先達の書は、あたかも音楽における、永遠に歌い継がれるスタンダードナンバーのような作品なのだ。
今後も、これらは“古典”として読み継がれていくとだろう。だからこそ、今回のセッション読書会の開催となったのだと感じる次第。

なお、今後、個人的な希望としては、禿鍔饌犬箙盒僅駄Δ覆匹皀錺鵐董璽泙如△い弔読書会を開催してみたいと思っている。なんか、文芸批評家ばかりになってしまう私ではある。あ、誤解のないように、私は文芸批評家だけをワンテーマにしたいといっているので断じてはない(^_^)。


あれ、セッション内容よりまた自己を語る悪い癖のブログになってしまった(>_<)。
小林秀雄の「批評とは畢竟、他人をダシにして己を語ることである」という名句(警句)を、私は別に金科玉条にしているわけではない。
し、しかし、こうなると、文芸批評家に憧れ、それらばかり読んできたことで、なんか無意識的に他者をダシにして己を語るような癖がついてしまったような気がしてならない。
はたしてこれが良かったのか悪かったのか……。あはは(^_^;)、ご容赦を。

<関連リンク>
▼吉本隆明を読む会(11月22日開催)
http://10over9-readingclub.jp/?page_id=1796

▼10 over 9 reading club
http://10over9-readingclub.jp/

▼風観羽ブログ
http://d.hatena.ne.jp/ta26/

▼『吉本隆明<未収録>講演集』全12巻
http://www.chikumashobo.co.jp/special/yoshimoto/

▼『吉本隆明全集』全38巻・別巻1
http://www.yoshimototakaaki.com/index.html


<課題図書以外の参考&推奨図書一覧>
■吉本隆明の関連本
・『マチウ書試論/転向論』吉本隆明(講談社文芸文庫)
・『母型論』吉本隆明(思潮社)
・『アフリカ的段階について』(春秋社)
・『貧困と思想』吉本隆明(青土社)
・『心的現象論序説』 (角川ソフィア文庫)
・『吉本隆明の経済学』中沢新一(筑摩選書)

■マルクスの関連本
・『経済学・哲学草稿』(光文社古典新訳文庫)
・『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説』(岩波文庫)
・『カール・マルクス〜その生涯と思想形成』E・H・カー(未来社)
・『初期マルクスを読む』長谷川宏(岩波書店)
・『青年マルクス論』広松渉(平凡社ライブラリー)
・『マルクスと歴史の現実』広松渉(平凡社ライブラリー)

■人間の観念性について考えるための本
・『テロルの現象学 <新版>観念批判論序説』笠井潔(作品社)
・『例外社会 神的暴力と階級/文化/群衆』笠井潔(朝日新聞出版社)
・『共同体の救済と病理』長崎浩(作品社)
・『社会学的方法の規準』デュルケーム (岩波文庫) 

■【その他】
・『贈与論』マルセル・モース (岩波文庫)
・『経済人類学』栗本慎一郎 (講談社学術文庫)
・『社会学的方法の規準』デュルケーム (岩波文庫) 


【おすすめブログ】

(1)ジョブズ逝去以上に大きな訃報だったーー吉本隆明の死を惜しむ
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1669910.html

(2)ブログ版「追悼 吉本隆明コーナー」ーー文庫や新書でこれから読む吉本隆明
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1685267.html

(3)『最後の吉本隆明』ーー大胆な書名の吉本隆明「論」
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1477253.html

「読めば即ち教養となる」ーーライフネットの出口さんは、読書だけではなく人生の「名人」

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私的公開日誌@
ウェブ暦:140930.01

私は、ライフネット生命の出口さんのお話は、これまで7〜8回ほど聞いているだろうか。その都度でテーマは異なるが、いつでも気づき、発見、確認、学びがあり刺激になる
私の年齢になると、当然ながら年配者で話を聞いて何かを得られるような人は少ない。
率爾ながら、そうした数少ない人がライフネット生命の出口さんである。

9月27日(土)、この2月から始まった読書会10 over 9 reading clubに、その出口さんにようやくおいでいただき「仕事に読書が効く理由ー世界史と古典で自分を磨くには?」をテーマにレクチャーが叶った。この日に集まったのは約30人ほど。
これくらいの人数がちょうど良い。大規模な集まりの意義も理解しているが、いまの私には必要がないことも事実である。

さて、出口さんにお越しいただくまで半年間ほど待っていた
この読書会は、レクチャーとセッションの2つで構成されているユニークさが特長で、私も運営をサポートしている。
この日は、司会進行役も務めることになり、最初に出口さんの読書体験、本の楽しみ方などをインタビューさせていただいことも、とても貴重でありがたかった。


■出口さんとの出会い

出口さんと最初お目にかかたのは1年半(13年2月)ほど前だった。
私の友人が学生(特に就活生)や若い人たちのために開いているコワーキングスペースGarage AKIHABARAだった。その直後、今度は神保町にEditoryという、これも一種のコワーキングスペースがあり、そこのオープニングイベントを手がけたのが友人主催のイベントとき再びお会いすることとなった。
さらに、その後も友人主催の小さな集まりやイベント(20〜50人)でも、何回かご縁があってちょくちょくお目にかかるようになったのだ。

とにかく、『ビジネスに効く教養として「世界史」』(祥伝社)などを読むと、歴史への造詣の深さもさることながら、その好奇心の旺盛なことに驚きを隠せない
だから、出口さんなら、相当に面白い本を推奨してくれるだろうとの思惑もあった。
この読書会は、これまでレクチャーで選ばれる図書が、人文・社会科学などを中心に古典や歴史的な名著が多く、その中からさらに選んだ本を読んで次回のセッション読書会に参加するという独自の運営方式なのだ。

そうしたわけで、多忙を承知で無謀にも今回の読書会でのレクチャーをお願いした。
出口さんに講演を依頼するのは、ほとんどがこうした個人や有志が主催する勉強会や集まりだとのこと。
企業からの依頼は意外にも少ないそうで、その理由を尋ねると「あのおじいさんに余計なことを話されたり吹き込まれ、感化されても困ると感じているではないでしょうか」というようなニュアンスのことを、笑顔でおっしゃっていたのが印象的だった。


■出口さんの読書体験

稀代の読書家としてつとに知られるライフネット生命の出口さんの新刊は、初の新書『本の「使い方』』(角川oneテーマ21)
読書論や読書術といえば、ショーペンハウエル『読書について』、M・J・アドラー/C・V・ドーレン『本を読む本』、小林秀雄『読書について』、加藤周一『読書術』などが特に有名だろう。

出口さんのそれは、しかしそれらのどれとも異なる。
これは出口さんの自伝的読書体験が綴られているのだが、とにかく、本を読むのが楽しくて楽しくて仕方がないという思い(心)が文章から伝わってくる。これを読むと、なんでもいいから思わず読書したくなること請け合いだ。

しかし、帯にある「1行たりとも読み飛ばしてはいけない」は、それが多い私にとっては実に耳が痛い(>_<)。
これと、この8月に亡くなった哲学者の木田元の読書遍歴を綴った『なにもかも小林秀雄に教わった』(文春新書)は、読書がなんて素敵で楽しいのだということがわかるだろう。
今回、「出口さんにとって、これまでメンター的な人がいるのでしょうか?」とうかがったとき、木田元の名前があがったのは思わぬ発見であった。

さて、私は小学校の頃から教科書以外は読んだことがないような人間で、大学受験の時にもほとんど勉強しないで、その当時の自分の学力で入学できる大学に入れば良いくらいにしか思っていなかった。
大学入学後の最初の2年間は、しかしなんのために自分は大学に来たのか随分と悩んでいた。

私に本当の読書体験がおとづれたのは、大学3年生になってからだ。
何がきっかけだったかいまとなったか正確には覚えていないのだが、吉本隆明と高橋和巳の二人を読んだことが読書に目覚めることになった。この二人は、私の少し上の世代(全共闘世代)にとってはカリスマ的な人たちだった。
遅れてやってきた大学生の私は、特にこの二人に薫陶を受けたのだ

爾来、読書三昧な日々になってしまい、視力も1.0から2年間で一挙に0.1にまで落ちてしまった。それまでメガネとは一生無縁だと思っていたが、いきなりそれが必要な人生となってしまったときはショックだった。
しかし、読書という楽しみと喜びを得た私に後悔はなかった。

そんな私とは違い、出口さんはご幼少の砌(小学校低学年の時)から「活字中毒」の症状が出始めていたようだ。
出口さんは田舎で育ったので、図書館くらいしか行くところ(楽しみ)がなかったと謙遜なさっているが、本を読む限りはそのころから読書の楽しみ方を心得ていたことがわかる。

私も好奇心を保ち続けるようにしているが、とにかく出口さんのその好奇心の旺盛さとその発想が柔軟なことには驚かされる。
例えば、最初に出口さんの講演を聞いたとき、会社の若者に「あなたは年寄りだから、若い人の気持ちがわからないんですよ」と言われ、「言われてみればそうやな」と気がついたとのこと。
私は20代のころ中小企業で5年ほどしか企業(組織)務めた経験しかないが、上司からは「君は若いから、まだ会社や組織というものがわかっていないのだよ」と説教されたことがある。


■読書に限らず人生におけ名人

これは、実は私の勝手な印象なのであるが、私が好きな文芸批評家の禿鍔饌犬暴亳さんは似たようなにおいを感じている。
禿鍔饌犬『私の保守主義観』で次のように語っている。

「私は生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない」と語り、さらには「保守的な態度というのはあっても、保守主義というものはありえないことを言ひたいのだ。保守派はその態度によって人を納得させるべきであって、イデオロギーによって承服させるべきではないし、またそんなことは出来ぬはずである」と。

禿弔旅佑方の根本には、人は過去の資産(歴史や文化)によって立つ以上、その個人が自分の思い(希望)とに関わらず、否定しようが肯定しようが、人としてその中で生きているし受け入れざるを得ないので(是認や承認ではない)、それを受容することを出発点にするしかないからだ。
禿弔砲呂修ΔいΤ亳腓篌覚があり、「自己が居るべきところに居るという実感」(『人間・この劇的なるもの』)がその人の宿命と論じているのだが、出口さんにも同様なものを私は感じ取っている。

すなわち、現実がそうである以上、不平や不満を言っていてもなにも解決しないというようにをおっしゃる。
近著『本の「使い方』』(角川oneテーマ21)に以下のような箇所を見つけた。

「私は、教養は、言葉を替えれば、人間の「精神のあり方」であり、その人の人生のスタンスだと考えています。」
「ほとんどの人間は偶然に左右されて、川の流れに流されて行く。それが人間の人生の自然な姿である。」
「おそらく、私の心性は「保守」的なのでしょう。私に保守の傾向があるのは、基本認識として「人間はちょぼちょぼで、それほど賢くない」と考えているからです。」
「世の中の変化に合わせて微調整をしながら、不都合や不満を少しずつ改善していくのが本来の保守の立場です。」

もちろん禿弔曚姫塒な言葉ではないし、言い方によっては身も蓋もないような印象になってしまうが、出口さんの話し方は、じんわりと身体のなかに浸みてくるような浸透度のある物言いで納得してしまう。

人生に達人と名人がいるとすると、出口さんは名人だろう。まさに融通無碍で「読めば即ち教養となる」
達人は剣の腕がたつ人である。悪人でも若い人でもいわゆる手練れはいる。
名人とは、これに加えて生きる姿勢、人格の見事さが備わっている人をいうのだと思う。

池波正太郎の小説『剣客商売』に登場する親子で、息子の秋山大治は手練れ(達人)だろうが、父親の秋山小兵衛のような人物こそまさに名人に域に達した人だ。
出口さんは、読書に限らず本当に老練な「人生の名人」なのだ。

とにかく、読んだ本をすべて自家薬籠中のものとする力量は、読書と思考力に鍛えられたものだと感じるし、私はこの年になってもそれとはほど遠いのだと、改めて感じさせられた日でもあった。

う〜ん、しかし、なんか今回のブログも己を語ってしまった(^_^;)。

小林秀雄の有名な言葉に「批評とは畢竟、他人をダシにして己を語ることである」というのがあるが、それに倣っていえば私のこのブログは出口さんをダシにし、結局は己を語ってしまったようで反省することしきりである。
これもまた、文芸批評が長年の愛読書の私の悪い癖だと思って、ご容赦を願うしかない。

なお、この読書会に関心の方あるいはこれまでゲストでレクチャーしていただいた方々の推薦図書、会で選んだ課題図書に興味津々の方は、下記のサイトでご確認いただける。

最後に、年間300回を超える講演を引き受けられているとのことで、出口さんにはくれぐれもお身体だけは大事にして欲しいと心より願う私である。


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▼10 over 9 reading clubサイト

▼ゲストからのおすすめの本(課題本)

▼10 over 9 reading club(Facebook公式ページ)
▼出口さんのブログ

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▼出口さんの連載(週刊ダイヤモンド)

▼出口さんの連載(ビジネス「誠」ブログ)

▼『なにもかも小林秀雄に教わった』(文春新書)

▼『ビジネスに効く教養として「世界史」』(祥伝社)

▼『本の「使い方』』(角川oneテーマ21)

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M・J・アドラー/C・V・ドーレン『本を読む本』

▼小林秀雄『読書について』

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【後記】セッション読書会と『閉じこもるインターネット』書評を終えて思うこと

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私的公開日誌@ウェブ暦:140918.01

先日(9/13)、前回のレクチャーで、SmartNews社の藤村厚夫さんから推奨していただいた図書のセッション読書会を開催した。

今回の課題図書(『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』)を読んでその書評も投稿した(ITmedia「マーケッター通信」)のだが、この激動の時代について自分史を振り返ることにもなり、いつもとは違う特別なセッション読書会となった。
それについて、ささやかに記しておきたいと思う。


■10 over 9 Reading Clubとは何か? 他の読書会とはどう違うのか?

今年の2月から始まったこの読書会は、『広告批評』の元編集長の河尻さんが代表を務め、私も運営をサポートしている。

この会は、ゲストによるレクチャーの回、そのゲストオススメの本を読むセッションの回という2つで構成され、原則として、土曜日の14〜17時までの3時間、その後に懇親会がある。
基本的に2回で1セットになっているのだが、必ず両方(レクチャーとセッション)に参加しないといけないというわけではない。忙しい人が多いので、都合で、どちらか片方だけへの参加でもOKなのだ。

レクチャーの回は、ゲストの読書体験、読書の意義や価値、テーマについての話し、テーマに基づいた推薦図書の紹介(20〜30冊)、レクチャー後に懇親会で構成されている。
これまでのゲスト、推薦図書、課題図書などについては、参考までに下記のリンクをご覧くださればありがたく思う。

レクチャーでこれまでおこしいただいたゲストは10人。
その中で、『東洋経済オンライン』元編集長の佐々木紀彦さん(現NewsPicks編集長)は10ジャンル60冊をご紹介いただき、さらに『下流社会』(光文社新書)の著者として知られる三浦展さんに至っては、なんと70冊以上の図書をご紹介していただいた。

セッションの回は、レクチャー時に紹介いただいた推薦図書の中から3〜4冊の課題図書を会で選定し、そのどこれか1冊好きな(読みたい)本を読んで参加する。
当日は各自が読んだ課題図書ごとにグループに分かれ、各グループで読んだ本について気がついたこと、感じたことや考えたことなどをシェアし、その後、全体で話し合いを行い、最後にビブリオバトルを行う。これは一種の書評プレゼンで、その本の読みどころを紹介するもので、最近では人気があっていろいろな読書会でも行われているようだ。

特に、セッションに勘違いがあるようなのだが、セッションに参加する場合、選んだ図書「完全読破」が参加条件ではない。
皆さん、なかなかお忙しいだろうし、読んだところまで(全部読み切らない)でOKな「ゆるさ」もある。


■セッション読書会は「本好き猛者」の集まり

前回のレクチャー時、上記のテーマに基づいて会が課題図書として選定したのは、下記の4冊。

・『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』
・『輿論と世論―日本的民意の系譜学』
・『マニフェスト 本の未来』
・『内蔵とこころ』

セッションの回は、当然ながらレクチャー時よりも参加者が少ない。
課題図書を読むだけでもハードルが高いが、毎回選ばれる図書がお手軽なノウハウ本や片手間に読めるようなものがなく、主に人文系の図書がほとんどでじっくりと読み込むようなものばかり選定されているということもある。

今回のセッションの参加者は全部で9人。
いつも参加している人と、この読書会自体に初参加が2人、レクチャーの回に参加したことはあるがセッションの回に初参加が2人。

当日、ご本人は「一通りは…」といいながらも、上記の課題図書全て読んできた強者が1人、『内蔵とこころ』は3人、他にも複数冊読んでいる人もいたが、なんと全員が読んでいたのが『閉じこもるインターネット』だった。
嬉しいことに、ここは読書家の猛者が集う会だ\(^O^)/。

そういうわけで、今更という気恥ずかしさもありながら、『閉じこもるインターネット』の書評を書き上げたのだがそうとう長くなってしまった。
これを書評というには、長すぎて分量も多すぎて途中で読むのが嫌になる人がいるのでは、と投稿してみてから自分で思ってしまった。
しかし、こうしたテーマで分割投稿というのもあり得ないような気がしたので一挙にアップした。


■自分のこの20年を振り返る
 
これを書きながら、私にはこのインターネット20年の歩み、趨勢と変化を振り返り確認する作業のようだった。
この20年、私もそうした大激変・激動の時代の中で生きてきたのだなと実感した。

私は、そもそもが文系の人間で、広告代理店の傭兵マーケッターを長らくしていたので、ネット側の人間からすれば「レガシーな人間」ということになる。
たまたま、2000年以降、縁があってネット系のベンチャーやスタートアップで仕事をしてきたが、最初に頃はやはりなかなかそうした視点や発想から抜けられなかった。

だから、ゼロ年代の半ばころ、ブログプロモーションが登場してきたときに、いち早くある企業で導入して半年間続けたたのだが、そこの当時の社長はその予算でブロガーという枠を買っている割には成果が思わしくないと言われたことがあった。
当時はペイ・パー・ポストが当たり前で、そいういう考え方しかできなかったとしても驚かない。
また、Web2.0という言葉が定着しつつあっても、ソーシャルメディアやエンゲージメントという視点も考え方もなかった。私自身、実をいうと当時のブログについては決して良い印象はなかった

その後、3D仮想世界、CGM/UGC(当時は業界でもソーシャルメディアという言葉がなかった)のプロジェクトに参謀として参加したことが、私がソーシャルメディアとマーケティングコミュニケーションの激変を日々実感することになった。

ゼロ年代も、インターネットは大きく進展したが、ここ4〜5年の激変の方が、その前数年間で経験した全ての変化より大きいように感じている

書き終わったあと、読み直してみるとそのようなことを感じたのであった。

ところで、私の書評よりそのブログに掲載した(関連リンク)の方が、参考になるかもしれないとも実は思う(^0^;)。


さて、次回の読書会は9月27日(土)14時から、畏れ多くもライフネット生命の出口さんが「仕事に読書が効く理由ー世界史と古典で自分を磨くには?」をテーマにレクチャーとおすすめ本を紹介してくれる
出口さんほどの方の前では、読書が好きだというのはちょっと気が引けるほどだ。

この読書会に関心がある、会にも本にも興味津々であれば、お気軽に遠慮せず参加いただけるオープンな新しい読書会。

なお、27日に参加を希望する場合、必ず下記↓からにて


(関連リンク)
▼新しいビジネスや暮らし方のヒントに? コミュニティブームで広がる読書イベント

▼これまでの出演ゲストレクチャー

▼ゲストからのおすすめの本・課題本

▼【書評】セレンディピティや多様性が失われ、「類は友を呼ぶ」だけの世界になってしまうのか?ーー『閉じこもるインターネット』

▼新しい教養の場としての読書会〜活字離れと読書会人気に思う

▼10 over 9 Reading Club(サイト)

▼10 over 9 Reading Club(Facebookページ)


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