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インターネット、そこは最新技術のフロンティア。 これは、コミュニケーションアーキテクトたる“macume”が、新時代のメディアBlogの下に、21世紀において執筆を継続し、未知のネット世界を探索して、新しい情報や人との出会いを求め、永劫進化するネット世界に自由に公開した日誌である。

3月の書店散策の収穫7冊のご紹介

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ここ数日、ようやく春らしい日差しが感じられる時期となった。
3月の都内の大型書店散策に出かけたのだが、懐の寂しいときに限って欲しい本をいくつも目についてしまう(>_<)。

今回は新刊だけにかぎらず、既刊でも思わぬ本が出ていることを発見した。
「いやぁ、書店散策って本当にいいもんですね〜」(と水野晴郎口調)


(1)『震災後の日本で戦争を引きうける――吉本隆明『共同幻想論』を読み直す』(田中和生:現代書館/¥2200+税)
今年は、吉本隆明没後5年。ここのところ、吉本隆明やその著作に関する本の刊行が相次いでいる。著書は1974年生まれという、ここのところ相次いで登場している新世代の批評家である。
同著書は、すでに『吉本隆明』(アーツアンドクラフツ)も著している。こうした若い世代から福田恆存や吉本隆明について批評が誕生してくるのは歓迎だ\(^O^)/。

(2)『ブルデュー 国家資本(山本哲士:文化科学高等研究院出版局/¥4,800
80年代後半から90年代にかけ、構造主義、ポストモダンとは別に「ディスタンクシオン」や「ハビトゥス (Habitus)」という概念とともにフランスから登場してきたピエール・ブルデューは一部での思想界では随分と話題となった社会学者だ。
久々に名前を見かけた。山本哲士のこの本は、昨年末に刊行された『吉本隆明と『共同幻想論』、『フーコー 国家論』とをもって
国家論3部作」完結となるそうだ

(3)『社会学の使い方ジグムント・バウマン:青土社/¥2,376
ここのところ続々と翻訳本が刊行されている社会学者のバウマン。『リキッド・モダニティ』が日本の論客にも影響を与えたこともあるからだろうか。本書は社会学の入門書のようだ。

(4)『排除型社会(ジョック・ヤング:洛北出版/¥2,800+税)
本書は、困難〔difficulty〕と差異〔difference〕について書かれた本である。」と序文で著者は語っている。また、ジグムント・バウマンが「画期的な書物。驚異的なまでの博識、事実への深い洞察、明晰な論旨と論証が結びついたこの著作に、私は圧倒された。」とまで語っているのが本書である。

(5)『古典文学読本三島由紀夫/中公文庫/¥700
同文庫には、『文章読本』、『小説読本』『作家論』がある。この新刊は日本文学や古典の魅力を綴ったエッセイを初集成。文庫オリジナル。

(6)『無意識の幻想D・H・ロレンス/中公文庫/¥1,000
福田恆存が、ロレンスの『黙示録論 (ちくま学芸文庫)に大きな影響を受けたということで読んだのが、難渋な内容で途中で諦めたことがある。今回ははたして読み切れるだろうか。

(7)『高橋和巳(河出書房新社/¥2,052
同社では、これまでにもこうしたガイドブックとしては小林秀雄、吉本隆明、三島由紀夫、福田恆存などが刊行されている。まさか高橋和巳がでるとは思わなかった。

高橋和巳といえば、60年から70年代にかけて学生には吉本隆明とともに絶大な人気があった。70年代後半、遅れてやってきた学生だった私も吉本とならんで最も薫陶を受けた作家・批評家である。
最近、河出文庫から主要著作『憂鬱なる党派(上・下)』、『悲の器』や『邪宗門(上・下)』が新刊書として平積みされているのを見かけたし、4月には同文庫から『わが解体』も発売される。

個人的には、同社『高橋和巳全集』(全20巻)の第11巻(評論1)〜第14巻(評論4)をすべて文庫化してくれると嬉しくてありがたいが、それは無理だろうな。

【書評】『文庫解説ワンダーランド』ーー「目のつけどころが斎藤美奈子でしょ」

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私的公開日誌@170222.01

私は文芸批評家の斎藤美奈子の“書評を読むのが好きだ。彼女の書評を読んでいると、これが今様の「文芸批評または批評家の生きる道」という感じがしている。
斎藤美奈子の本業は文芸批評であるが、書評に関する刊行物の方が多いくらいだ。
ざっと上げただけでも、

・『読者は踊る』(文春文庫)
・『誤読日記』(文春文庫)
・『本の本 1994-2007』(ちくま文庫)
・『趣味は読書。』(ちくま文庫)
・『文芸誤報』(朝日新聞出版)

本人も書評が大好きだと公言しているのだが、これほどまでにその人の書評が書籍として刊行され、さらには文庫化までされている人を私はほかに知らない。『本の本』にいたっては800ページもあり、通常の文庫の2〜3倍のぶ厚さである。

私の学生時代、批評は随分と喧しい情況だったが書評はほとんどだれも気にもとめなかった記憶がある。今日、批評に比べて書評がメディアに溢れニーズがあるにもかかわらず、それでもまだ書評本というのは実は少ない
その理由は、雑誌も含めた様々なメディアや巷で書評コーナーが実はいわゆる「本の時評」のことであり、旬(新刊、話題の本扱い期間など)が過ぎればただの古い情報でしかなく、その価値はほとんど無も同然になってしまうからだ。
なかでも、3ヶ月や半年で陳腐化するようなビジネス書、ダイエットや健康に関する実用書などであればとくにそうで、それらの書評ともなれば書籍としてあとになって刊行するには出版社としてはリスクが高いからだ。

社会学者の橋爪大三郎は書評集『書評のおしごと』(海鳥社)のなかで、書評を規定演技のあるスポーツ競技にたとえて以下のように語っている。

「書評だけをあつめた本は、あまりみたことがない。それは、いわば規定演技のカタログ。著者(というか、評者)のまとまった考え(自由演技)がそこに書いてあるはずがないのは、明らかだ。というわけで、あまり売れそうにない。」

それでも、メディアで書評は需要の高い定番コンテンツで、最近でも時事通信文化部編集によるなんと1998年〜2014年まで、16年間分の膨大な書評を1冊にまとめた『書評大全』(三省堂刊、なんと17,820円+税)で、2,560ページという『広辞苑』も真っ青な分厚さの本が刊行されるほどだ。
こうした図書が刊行されるほど、書評に対する情報が求められているのだなとむしろ驚く。

書評家を生業としている人たちがどのくらい存在しているのか私は詳らかではないが、出版洪水の中で書評というのはほとんどが読み捨て情報なので、それもよほどの作家(文豪)や学者や著名人でもないかぎり、メディアでの連載書評を集めて書籍として刊行されることは一般的にはほとんどない。
まれな例では、<狐>の匿名でも書評集を著した村山修、ジャーナリストの立花隆などくらいだろう。

そもそも書評は、なにをもって正統な書評とするかだ。
それというのも「書評家は原理的に「専門職」にはなり得ない職業である。書籍とというものが森羅万象、あらゆるジャンルにわたっている以上、すべてのジャンルに精通している人間などいるわけないからだ。」(『本の本』)と、書評大好きな斎藤本人もよく自覚している。

もとより、本の時評あるいは書評といえども、小林秀雄の『小林秀雄全文芸時評集<上/下>』(講談社文芸文庫)、吉本隆明の『空虚としての主題』(福武文庫)、『消費のなかの芸〜ベストセラーを読む』(ロッキング・オン)、柄谷行人の『反文学論』(講談社文芸文庫)などのクラスになると、本の時評といえどもあだやおろそかにはできない。
すなわち、大御所の書評や時評ともなればそれ自体がすでに一編の批評作品ともなっていることは、あらためて説明するまでもないだろう。


独自のポジショニング=斎藤美奈子の本

斎藤は、いわゆるオーソドックスな批評家ではないし、書評家としても正統派ではない

前者は、たとえば小林秀雄を頂点とし中村光夫、高橋英夫、江藤淳、磯田光一などから、最近では神山睦美、加藤典洋、山城むつみまで、細々とそれでも脈々と受け継がれているがそれらのだれとも異なる。
後者は、いわゆる新聞の書評欄のように学者、作家、ジャーナリスト、エッセイストなどが担当しているコーナーを基準とすれば、斎藤の書評は“逸脱”している
斎藤の書評スタイルには顔をしかめる人もいるだろ。文章は痛快無比で自由闊達、快刀乱麻にして軽妙洒脱である。辛辣な比喩も頼もしく、“褒め殺し”は天下一品である。

さらに彼女自身の本のタイトルの付け方、書評の見出しなどもコピーライター的なセンス抜群で文体も読んでいて愉しい。もちろん本のタイルは、編集担当者の協力もあってのことだろう。
だからというわけではあるまいが、“さとなお”の愛称で知られる元電通の佐藤尚之が、斎藤の『文学的商品学』(文春文庫)の解説を書いているというのも頷ける。

「面白い書評はあっても、正しい書評なんてない。」(豊崎由美著『ニッポンの書評』)わけなので、凡百の型どおり(規定演技)の新聞などメディアの書評に比べると、斎藤の穿つような独特の読み方は書評を超えた批評家としての資質が文章のいたるところで発現している

「書評とも時評ともつかない小論を集めた」と、自身で評する『読者は踊る』(文春文庫)などは彼女の特質が存分に発揮されている。
同書の冒頭には、「本書をお読みになる前に」として読み手が踊る読者か否かを判定するため20項目掲げられているので以下にご紹介。読書好きあるいは書評を読むのが好きな皆さまも、この機会に是非挑戦してみてはいかがだろう。私は、以下の○がついているのが該当項目だ。

○(1)空いた時間を書店でつぶすことがある。
(2)書店に入ったら、新刊書コーナーを見る。
(3)売れている本のベストテンが気になる。
(4)話題のタレント本を買うのはちょっと抵抗がある
(5)文字の少ないスカスカの本は損した気がする。
(6)見てくれが立派な本は中身も信頼できそうな気がする。
(7)上下二巻の本があったら、最初は上巻だけを買う。
(8)ベストセラーはできるだけヒトに借りて読む。
(9)欲しい本があったが、値段を見て止めたことがある。
(10)読みかけて途中でやめた本が何冊もある。
(11)新しいことを始めるときには必ずハウツー本を買う。
(12)似たような本が何冊もあったら、著者の肩書きと経歴を見て選ぶ。
(13)芥川賞・直木賞の受賞者くらいは読んでおいた方が良いような気がする。
(14)ブックガイドを読むのが好きだ。
(15)「知の最前線」「時代を読むキーワード」といった言葉に弱い。
(16)喫茶店や列車で何も読むものがないと寂しい。
(17)人の家に行くと、思わず本棚を見てしまう。
(18)本はあとがきから、文庫本は解説から読む。
(19)最近の本は値段が高すぎると思う。
(20)世の中にはくだらない本が多すぎると思う。

皆さんはどのような判定結果だろうか。
上記のうち、斎藤によれば10個以上○の人はかなり重度の「踊る読者」。5個以上は将来の「踊る読者」候補生だそうな。

私の場合は○が「8個」なので、「かなり重度の踊る読者」がほぼ当確のようだ。踊る読者のことを小市民読者と斎藤は呼んでいるがだが、私はこれまでそう感じたことはなかったが、斎藤によると私は“立派な小市民読者”ということになる。
(1)は「ことがある」どころではなく「必ず」で、人と待ち合わせをするときには書店でする。(10)は蔵書の半分は「積ん読」のままだし、(14)はブックガイドではないが、各出版社が毎年発行している「解説目録」に目を通すのがなにより楽しみだ。
(16)は空き時間があれば、本を読みたいと思う。(17)は他人の読書傾向を知りたい好奇心。(18)はまったくその通りの人間。(20)は、9割方はそうした本ばかりだと思う。

さて、そもそも斎藤のデビュー作『妊娠小説』以降『紅一点論』(共にちくま文庫)、『モダンガール論』『文壇アイドル論』(共に文春文庫)など、一連の批評著作群も極めてユニークで独創的な着想が光る書だ。

私が読んだ唯一の文芸批評は『文学的商品学』(文春文庫)だけだが、同書は高度資本主義(大衆消費)社会と文学作品におけるモノの語られ方と時代性を論じた批評で、その独特の目の付け所がいかにも斎藤美奈子らしい。
また、『読者は踊るで』(文春文庫)で指摘されている、日本の私小説の伝統は今日ではタレントの告白本に継承されているのが現在の出版情況だという見解は、これまで考えてもみなかった卓見であると思う。
『文章読本さん江』(ちくま文庫)は、文豪はなぜにかくも文章読本を著すのが好きなのか。「すべての文章読本は他の文章読本の批評になっている、という興味深い現象」に着目し、あまたの文豪の文章読本を俎上にのせた批評を展開している。
しかも、同書ではなんと第1回小林秀雄賞」を受賞してしまうというオマケ付きだ(ちなみに第2回は吉本隆明の『夏目漱石を読む』)


■本の時評+書評+批評=斎藤美奈子

その斎藤の新刊が『文庫解説ワンダーランド』で、これも着想(発想)の勝利でかつての広告コピー風にいえば「目のつけどころが斎藤美奈子でしょ」ってところだ。

しかも岩波新書である。岩波書店では、新刊案内も兼ねた読書家向けの雑誌として『図書』という薄い小冊子(PR誌)を発行している。大型書店などでは、場合によっては無料でも手にすることもできるが一年間の購読料でも1,000円しかかからない。その誌上で連載されていた『文庫解説を読む』を元に、大幅な加筆をして刊行されたのが今回の新書である。

もっとも、斎藤自身、「文庫解説という仕事が私はわりと好きである。書評より好きかもしれない。」というだけあって、自著の文庫化にさいしても『本の本』(ちくま文庫)、『誤読日記』(文春文庫)などは、書いた本人が文庫に自らが解説を付すことまでやってのける。

さて、文庫には必ず解説がつきものだ。その多くは文芸批評家や著名作家がその作品の解説を担当する。解説は、作品理解を助けるために存在していると誰でもが当たり前のように思っているだろうが、斎藤がそうではないことを暴露してしまう。
誰でも読んだことのある古典文学から現代文学までを俎上にのせ、様々な文庫解説について批評を展開する芸当は実にユニークだ。私たちは、ふつうは文庫の巻末に解説がついているのが当然と思っている。その当たり前を「なぜ」、「なんのために」と実に素朴な疑問を出発点にして以下のように語る。

「巻末の解説は文庫の付録、読者サービスのためのオマケである。しかし、人はしばしばオマケが欲しくて商品を買う。文庫解説もまた一個の作品。」

たとえば、食玩のオマケ、雑誌のオマケなどが欲しくてそれらを買った経験はだれにでもあるだろう。
私についていえば、バタイユの『文学と悪』(ちくま学芸文庫)は吉本隆明の、その吉本著『空虚としての主題』(福武文庫)は笠井潔『小林秀雄全文芸時評集(上/下)』(講談社文芸文庫)山城むつみの、と各々のオマケが欲しく(解説が読みたく)て手にした本だ。

今回の『文庫解説ワンダーランド』は、そのオマケ(解説)が批評対象で、国内では夏目漱石、川端康成、太宰治から、渡辺淳一、松本清張、赤川次郎、村上龍など、海外ではマルクス、シェイクスピアからフィッツジェラルド、カポーティ、チャンドラー、サガンまで多彩な各社の文庫解説を渉猟しながら各者各様の解説がなぜこれほどまでに違うのか、そうした事情や情況に対し「解説に解説を加える」という離れ業を披露している。
語り口は相変わらずの美奈子節が全開炸裂し、読んでいて思わずニヤリとしてしまうこと請け合いの面白さだ。

ところで、斎藤美奈子を文芸批評あるいは批評家の列に加えることに異論のある人もいるだろうことも承知している。伝統ある文芸批評とは、たとえば小林秀雄を頂点とする一連の批評家とその著作群であって、それらとは異なると。

私も、そうした伝統的な文芸批評や批評に長らく親しんできた人間だ。しかし、そうした批評家による百家争鳴の時代は、昨今では文芸批評や批評そのものはすでに絶滅危惧だと各方面から指摘されているほどだ。かつてのような情況は、悲しく残念ながら二度と到来することはないだろう。
もちろん、これには併走してきたいわゆる純文学の衰退という実情とも大いに関係している。
今日では、書評家による百家争鳴の時代ではあるだろうが。

しかし、考えてみれば先に紹介した吉本隆明著作(『空虚としての主題』や『消費の中の芸〜ベストセラーを読む』など)も、いまという高度消費社会における小説やベストセラー、それらを含めたサブカルチャー作品までも論じた著書である。
また、かつて『サブカルチャー文学論』(朝日文庫)を著した大塚英志のような批評家もいたが、現在ではそうした批評領域から足を洗ってしまった。

斎藤美奈子の書くものは、時評であり書評であり批評をもあわせもった(融解した)ような著書であることが特異で、あまたの書評家(という言い方が斎藤に許されれば)のなかでも独自のポジショニングを確保して異彩を放っている。


■斎藤美奈子の書評を私が好きな理由

とにかく、斎藤の作品はどれも一筋縄ではいかず、これまでの伝統的な文芸批評や批評の枠を超えた“企画力”がある
しかも、それらをひねりのきいたユーモアと巧みな比喩にのせ、おもわず上手いこと言うなと感心させられてしまう文章は魅力たっぷりで、もはやその文体(語り口)はまるで「書評漫談」のようなエンタテイメントですらある。

私が斎藤の書評を気に入っている理由、それは私が理想とする「批評と書評と架橋する」ということをいわば体現しているからだろう。それが、まさに斎藤美奈子の著す作品の新しさだ。
書評家の豊崎由美が、先の『ニッポンの書評』の中で、書評(ブックレビュー)と批評(クリティック)が明確に棲み分けられている(批評が格上で、書評が格下)のは日本だけで、欧米では両者に区別はないと語っていたが、こうした視点から見ればむしろ斎藤美奈子というのは日本では珍しい世界標準の書き手であるということもできよう。

私自身、もっと彼女のようにユーモア感覚にあふれ、読む人の笑いを誘うようなそれでいて辛辣だが嫌みのない比喩が上手い文章を書いてみたい、と密かに思ってはいるのだが……。

ところで、これは余談なのだが、私の手元にある書評本で一番古いのは久野収による『私の読書、私の書評』(三一新書)だ。
刊行は1976年で、この当時は読書論や文学論(批評)と比べても書評の名を冠した本が刊行されたこと自体が貴重のように感じる。この本は、様々な新聞と雑誌に久野が寄稿した書評だけを約80編を収めてある。読書論もなにも一切なく、ただそっけなく書評だけが並んでいる。
入手できたのはいつもお世話になっている下北沢の古書店「クラリスブックス」でだが、それはセレンディピティ以上のむしろ奇蹟ともいうべきで、しかも40年も前の本ながら新刊のような状態なのにも驚いた。

本書の刊行時は私の学生時代。もちろん久野収だけではなく書評というものは知っていたが、批評ばかり読んでいたので特に気にもとめなかった本だ。今日あれば真っ先に買い求めるところなのだが。
その内容はといえば、1950年代、60年代、70年代の三部構成で、目次にラインアップされている書評本をながめるだけでその当時の時代情況の息吹もさることながら、むしろ愉しいとさえ感じてしまう私である。

これは極めて私的な意見なのだが、先の村山修やこの久野の書評がたぶん王道で、本当は範ともすべきのような気が私にはする。それらを読んでいると「いやぁ、書評って本当にいいもんですね〜」と、かつての映画評論家のようなフレーズが思わず口を突いて出てくる


【他の書評リンク】
▼文庫本「解説」の「解説」の面白さ ―書評 斎藤美奈子著『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書)―

文庫解説ワンダーランドーー目黒考ニの何もない日々

斎藤美奈子の「文庫解説ワンダーランド」を読んだ!

文庫解説ワンダーランド (岩波新書)ーーBooklogレビュー

▼文庫解説ワンダーランド 一日一読ー


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2月の書店散策。新刊収穫のご紹介。

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私的公開日誌@170216.01

先月は新春早々欲しい本数冊と出会ってしまったが、2月も中旬、ちくま学芸文庫、講談社学術文庫・同文芸文庫などの発売が続く。

これらの文庫では、今月はなにが刊行されるのか関心の高い本が集中するの日々なので、いつも通り都内の大型書店散歩をすると困ったことにまたまた欲しい本を発見してしまう。

それにしても、私が読みたいと思う本はとにかく文庫といえども価格が高く、引き続き食費を削ることを強いられるわけだ。いつも私の懐が寂しい状態がずっと続いているのは、そうした本が刊行されることが大きな原因となっている。

単行本では1冊3,000〜5,000円、文庫ですら1,500円以上するのがつらい。
これまでに購入した文庫で一番高かったのはモーリス・ブランショの『文学空間』(ちくま学芸文庫)で2,000円(税別)だったが、これはもはや文庫価格ではない。が、読みたいのでしようがない。
もっとも、そうした本ばかり欲しがるのが悪いのだ、といわれれば返す言葉はないのであるが(>_<)。

こうしてみると、新潮社をはじめとする一般文庫と新書というのは、まことに安いとしみじみ実感する。


(1)『革命論集』アントニオ・グラムシ(講談社学術文庫/本体1,680円+税)
先日「意外な本を、ひょっこりと刊行するのが学術文庫の得意技」と言ったばかりだったが、今月も驚いた本が文庫化。21世紀の今日、イタリア出身、マルキスト、アントニオといえば<帝国>や<マルチチュード>という言葉とともにアントニオ・ネグリが広く認知されている。しかし、20世紀、イタリア人でマルキストのアントニオといえば、「ヘゲモニー論」で有名だったのがこのグラムシだ。
グラムシ没後80年ということで、日本独自のアンソロジーだが「本邦初訳の論考を数多く含む」というのにとてもそそられるぞ。

(2)『北一輝――国家と進化』嘉戸一将(講談社学術文庫/本体1,680円+税)
皇道派青年将校による二・二六事件の理論的指導者として逮捕され、軍法会議により銃殺刑に処せられた北一輝。彼の主著『国家論及び純正社会主義』も『日本改造法案大綱』も、恥ずかしながら私は読んだことがない。
ただ、北一輝の思想には感心があり、いつかどこかでじっくりと繙いてみたいとは思っている。

(3)『社会学的想像力』C・ライト・ミルズ(ちくま学芸文庫/本体:1,400円+税)
考えてみれば、ちくま学芸文庫も意外な本をひょっこりと刊行するな。学生時代、確か専攻学科のゼミでミルズの代表作『パワー・エリート<上/下>』(東京大学出版会)を読んだ記憶がある。詳細は忘れてしまったが、少数のエスタブリッシュメントたちと産軍複合体とが、社会だけではなく国家をも支配していることを語っている書だったように思う。
当時はドイツ古典哲学しか眼中にはなく、米国の社会学者ミルズには特に興味がなかったということもあるので、他の書は読んではいない。
しかし、今回のこの本は是非とも読んでみたい。

(4)『吉本隆明 『言語にとって美とはなにか』の読み方』宇田亮一(アルファベータ/本体:2,500円+税)
臨床心理が専門という宇田亮一には、すでに『吉本隆明 『共同幻想論』の読み方』、『吉本隆明 『心的現象論』の読み方』(ともに文芸社)も刊行されている。これで吉本主著三部作の「読み方」本が出揃った。
そのほかに、その三部作をまとめてあつかった『吉本隆明“心”から読み解く思想』(彩流社)も著している。


昨年末から3ヶ月連続、欲しい本が続々刊行で痛し痒しだ。

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1億総書評家社会。「書評的思考」あるいは「書評家精神」のすすめーー誰にも読まれない書評。それでも書くことの3つの効用

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私的公開日誌@170127.01

私はまったくの書評家ではない。そもそもライター(文筆)稼業でもない。だがここ最近、書評はとくに力を入れているコンテンツだ。書評は、それまで年に1本書くか否かだった
しかし、友人が主催し残念ながらいまは休止中のユニークな読書倶楽部に参加したこと(こういう巡り会いに感謝)をきっかけに、書評を本格的に手がけるようになる。読書がなにより好きで、そこで得た気づき、ヒント、示唆、発見などに思考をめぐらし(考え抜き)、なにがしかを書かずにはいられない性分だということもある

当該ブログには、それまでにも書店散策で出会ったり発見した本についても雑感記事を書いていたのだが、書評カテゴリを新たに設け名刺には本業のコミュニケーションアーキテクトのほか、「書評エッセイスト」と刷って(自称で“家”はちょっと畏れ多いので^-^;)いるほどだ。
学生時代からほとんど批評家に親しんできたせいで書評の書き方にもずいぶんと苦慮していたが、最近ではようやく他人の著作をダシに自己を語るという癖から脱却しつつあり授かった書評3カ条の恩恵にも感謝)、徐々に“まともな書評”のコツがなんとなく感覚的にわかってきたことも、私が書評に精を出している大きな要因ともなっている。

それでも、書評家(書評を生業にしている)ではないだけにいまでも悩むことが多く、これまでにもその難しさについては何度か記事にしている。それほど好きなのにもかかわらず、新聞や雑誌、ブログなどのメディアに掲載されている他人の書評を頻繁に読むことは実はほんどない

さて、私は当該ブログ、ITmediaマーケティングブログのほか、昨年末(16年11月)より、あるPR専門のベンチャー企業にゲストブロガーとして書評を中心に定期的に寄稿するようになった。書く(執筆)という行為は、誰にとっても主体的かつ能動的なのだが、ことビジネスとして考えれば完全受動的な受注業務である。

今回、マーケティング戦略に強い(実は非常に少ない)オンラインPR企業からのお話しで、ITmediaマーケティングの私のブログも読んでくださっていることもきっかけとなり、同社ネットのブログコーナーにゲストブロガーとして記事を寄稿しませんかとご連絡を頂戴した。
ただし、今の私はこれまでのように自由に多彩なmeetup(セミナー、フォーラム、カンファレンスなど)に積極的に参加し、そこで得た気づきやヒント、示唆などを記事にすることが叶わない実情であることを率直にお伝えした。

そこで、書評を中心に記事を書かせてもらうことでご了解とご快諾をいただいた。それであれば、現状でも書くことが可能で私らしさが表せるし、メディアにとっては定番ともなっている書評という人気コンテンツが新たに加わるとの判断もあった。

ゲストブロガーとして、新刊・既刊にこだわらず選書も私に任され、字数も3.000字程度(文芸誌の書評なみ!)でかまわないうえに、PR会社なのでそれに関連した本は業務上の必要からも皆さんは読んでいるだろうから、むしろそれらにこだわらない方がよいとの助言もいただき、自由かつ好きに書かせてもらえるというなんともありがたい申し出(条件)をいただいた。
これはお断りする理由など一切なく、謹ん(喜ん)でお引き受けすることにした。

そうして書評をいくつか書いたことで、別の視点から考えてみたらその効用や有用性について、まことに恥ずかしながら(ようやく^-^;)「ハタ!」と気づいたことがある。
かりに書いた本人以外の誰にも読まれない書評だとしても、それでも書評を書く意義と価値はあるということ。
私自身はこれを「書評的思考」あるいは「書評家精神」と、またまた勝手な言葉(概念)で表現している。まっ、批評的思考とか批評家精神という言葉はすでにあるので、それに倣っただけではあるのだが(^_^;)。
それは一体どのような視点や考え方でなぜすすめるのか、そのもたらしてくれる恩恵とはなんなのか。5年前、私は文芸批評を読むことの意義と価値について書いたが、今回は書評を書くことの意義と価値についてお話しをしたい。


■“不滅の人気コンテンツ”の書評

そもそも、書評というのは、私的な読者感想文でもなければレベルの高い批評でもない微妙な存在であると私自身は思っている。もちろん、書評にもある程度は定型の書き方や作法(掟)のようなものはあるのだが、批評のように確立された分野ではない。
 
1990年ごろ、書籍の新刊点数は約4万点だった。昨今、読書離れとか出版不況と喧伝されながらこの4〜5年は国内書籍の年間出版点数は、およそ倍の8万点前後の横ばいで推移している。総務省統計局の出版関連データには、いわゆるビジネス書というジャンル自体が項目としてはないが、年間で約5,000点、1日あたり約14点が書店に並ぶ計算だ。これにはネットによる情報化社会が、それを加速していることも一因である(これについては別稿を予定)。

どのメディア(おもに雑誌、新聞など)でも、ほとんど書評コーナー(ページ)が設けてあり、オンライン書店でもレビューサービス(アマゾンでは「週刊朝日」や「週刊文春」などの書評も提供)、「HONZ」「本が好き!」などの書評サイトも人気を集め、そのほかには一般の人たちもブログ上で書評を公表し、リアルでもオンライン(SNS)でも読書会が人気でコミュニティへの参加やそこでのビブリオバトル(書評プレゼンイベント)にも積極的である。
さらには「Booklog」「読書メーター」から本の要約サービス「bookvinegar」などの多様なソーシャルリーディング、ニュース専用アプリのSmartnewsなどでも書評カテゴリ開設するなど、そうしたブックレビューや書評ブログなどを読んで比較しながらその本を買うべきか否かを判断するなど、書籍購入にも大きく影響する。 
書店などで開催される書評家をゲストに迎えた対談イベントなどもすぐにチケットが売り切れるそうだし、書評講座も人気があると聞く。巷間よくいわれているような読書離れとは思えないほど、つまり今日では書評は人気の高いコンテンツである。

とにかく皆さん書評がお好きなようで(他人のことをとやかくは言えないが^-^;)、「書評の大衆化が起きている」(大澤聡)状況であたかも“1億総書評家社会の様相を呈している。
もちろん、中にはアフィリエイトで小遣い稼ぎだけが目的で書評ブログを書いている人もいることは知っているが、読書が好きでアウトプットするだけの時間と労力を費やしている。

マーケティング視点で見れば、メディアで書評対象の図書としピックアップされることは、今日ではその本の重要なPR戦略である。
たとえビジネス書でも、ビジネス誌だけではなく、複数の様々なメディアに書評として取り上げられれば話題や関心を喚起してその本の売れ行きに大きく影響する。メディアで取り上げられた記事の切り抜きが、書店に出向けばPOPとして置かれているのもよく見かけるし、書評本を集めたフェアもあるほどだ。

メディアに掲載される書評というのは、通常は発売から1〜3ヶ月以内の新刊書籍がおもな対象で、書評書籍もあらかじめ依頼する側(編集部など)から指定された本が対象となる。また、文字数はおおよそ800〜1,200字程度で、その範囲内に収めるのがほとんどのメディアでの習わしである。


■書評とは、情報化社会の「読書コンシェルジュ」

それほど書評の需要が高いのは、上記でも述べたが膨大な刊行図書点数を追い切れないし選択肢に困る。現代は多忙で少しでも時間を節約して読みどころ(ポイント)がわかればそれでよく、他方では読書をしたいが本が多すぎて一体なにを読んだらよいのかわからない人が最近では多いということも関係しているだろう。

ビジネス書ーー多彩なテーマと内容でこのジャンルが書店の一角を占め、年間5,000点以上も刊行し、しかもベストセラーまで次々と輩出するようになったのはこの数十年ほどだ。
ビジネス書を読む行為というは、新しい情報(知識やノウハウなど)を取得することが主な目的で、それは一種の“ビジネスツール”である。読書は時間もお金も費やすのだから効率的に本を利用したい(内容を知りたい)。そのために書評はその本のテーマと内容を知るために必要であり、あわよくば読まずに書評から知見だけ得られればそれにこしたことはないという人もいる。

また、巷間ーーそれも話題書やベストセラー書ともなれば、読んでいないなんて恥ずかしいし、同僚や取引先での雑談などのコミュニケーションにも有用なのでせめて概要だけでも知っておかなくてはという心理も働く。
変化のスピードが速い今日、多忙なビジネスパーソンにしてみれば、玉石混淆の書籍の中から読書はお金も時間も投資するのであるからできるだけ短時(期)間で大きなリターンが欲しいわけで、限られた時間とお金のなかで“読んではいけない本”に手を出すリスクは避けたい。
ビジネスパーソンに速読術が人気が高いのもごもっともなことだ。

できるだけ良質なビジネス書を選定し、その内容を要約してくれる便利なサービスに上記で紹介した“Bookvinegar”がある。
その代表Sさんは年間400冊ちかくを読んでいる。彼によれば、話題性やブームに拘泥せずに良書にこだわってピックアップしても、読んでよかったと思える本は本当に少ないという言葉が印象的だった。
このサービスで、私の場合、食指が動くのは「推薦ポイント」が8ポイント以上とシビアな点数となっているのだが、それが非常に少ないことから判断してもそれは頷ける。
「新刊ビジネス書の9割は読む必要がない」とまで断言する人までいる。私はそこまでは言わないまでも読むべきビジネス書が本当に少ないことはそれでも十分に納得している。またこれはビジネス書に限らないのであるが、新刊書、話題の本、ランキングの書店の3コーナーに興味がなく、これらはいつも散策せずに私は素通りしている。

したがって書評とは、膨大な量の書籍の中から私たちにとっての「読書コンシェルジュ」の役割を担っていると考えてもよいだろう。
書評自体、買う前に本の内容を知るための予習代わりが一般的だろうが、しかし、読んだあとで他人の書評に触れる復習が有用で、自分にはなかった視点、気がつかなかったことなどの示唆を得られる。
文芸批評家の斎藤美奈子などは、書評は「読書代行業」でバイヤーズガイドとしての予習としての利用が大多数だが、その本を読んだあとに復習として書評を読むほうが面白く、後者が「読書を立体的にする」とまで語っている。


■読まれない書評=自分自身に向けて書く書評という営為

通常、特に一般メディアに掲載されるような書評は人に読まれることを想定している。それは、市井の書評ブログでも同様だし、私もこれまではそのような心づもりで書いてきた。しかし、かりにその書いた書評が自分以外の誰も読まなかったとしても、それでも大きなメリットがあることに気がついたのだ。

それは「自分自身のために書く書評」というものだ。読書して内容を受容して済ませるだけでははなく、知識として蓄積され読んだことを自分自身の血肉化すためにも不可欠である。
書評を他人にも読んでもらいたいというような気持ち(意識)を捨て、ただ己のためだけに書くということ。さらに、読まれないという考え方はブログのPVに一喜一憂せず、まったく気にかけない(無視する)ということと同義語でもある。

私自身は書評というスタイルが好きで書いているのだが、それほど大げさなものではなく、その人に合った私的な箇条書きなどによる読書ノートやメモのようなものでもかまわないだろう。
読書ノート作成のコツやノウハウなどについての本が書店には並んでいる。かつてであれば、読んだ本についてノートに記すのであるが、そこは現在のありがたいデジタルテクノロジーの恩恵に与るのが賢明な選択というものだ。
 
デジタルに書きためておけば、その内容をキーワード検索できるし、関連する書籍あるいは参考情報(著者プロフィールとその関連書籍、文中の参考図書や資料など)のハイパーリンクを貼り付けておくことでさらにそれらに容易にアクセスができ、情報や知識の拡張性にもつながるなどのメリットは大きい。

書評にかぎらず、私はブログ原稿はすべてEvernoteを活用している。ちょっとでも思いついたことはすべてそこに書きためている。そうすると書きかけのブログが貯まるばかりなのだが、それらが後に同様なテーマや関連する記事を書くときには役立つのでとても重宝している。手書きメモも併用し、方眼紙メモ帳で胸のポケットに収まるサイズを常に持ち歩き、思いついたことやキーワードなどをその場でメモしておき、あとで読み返してからEvernoteにアップしている。
 
先にあげた「読書メーター」「ブクログ」のようなサービスを利用することのもよいだろうし、FileMakerで私家版読書メモを作成するなどデジタルツールの利便性を存分に活用することだ。

さて、書きかけの中には最後まで完成にいたることなく、ずっと眠ったままあるいはそのまま廃棄されてしまった書評もいくつもある。書き上がっていない書評は、もちろんブログにアップされないので誰にも読まれないままだ。
だが、私がここでいう“誰にも読まれない書評”というのは、そうした未完成のものではなくきちんと完成してブログにアップした記事のことである。


■「書評的思考」あるいは「書評家的精神」のすすめーーその3つ重要なポイント

さて、アップすれば誰でもアクセスできるし読まれるのだが、かりに誰にも読まれないあるいは読んで欲しくない密やかな日記のよう内容を、それではなぜ書評として書くことをすすめるのか。
それは、下記の3つの理由(メリット)があるということに気がついたからだ。

(1)思考の整理、論理的思考力の強化が図れる
ただ情報や知識を得るだけで読書をするのと、他人に読まれるか否かに関係なくアウトプットを常に意識して読書をするのとでは随分と違ってくる。
未知の情報や知識を得ること、著者の考え方や視点を理解することだけではない。かりに考え方に納得できなかったり、内容が難しくて了解できなかったとしてもなにがしかの気づきやヒントを得ることができる。
本(著者)と向き合うことで、自分の中にある知識と思考を整理できたり、欠けていたピースを見つけたような経験をしたことのある人も多いだろう。さらに、本を書評にすることで自身の思考力と文章力がさらに鍛錬される

(2)気づきや示唆などを備忘録として活用できる
アマゾンのレビューを読む人は多いと思うが、それらを読むと同じ本を読んでも十人十色だということが実によくわかる。読んだ人たち各々の視点や気づきなどがばらばらで、レビュアーの人たちはどのように読んで理解したか、その人の視点やどこをポイントにしたかなどを知ることができ、自分にはなかった発想や考え方を知る絶好の機会である。
本を読んだあと、そうした他人の書評やレビューに接することでものの見方の多様性、複眼的思考をおのずと自己のうちに持つことができるようになる。
斎藤美奈子が復習で読む書評こそ「読書を立体的にする」というのも頷ける。

(3)読書時の自分との対話し、成長を確認することができる
書評をブログなどに備忘録としてデジタル化しておけば、忘れ(眠っ)ていたり思い出せないことでも、スマホがあればすぐに検索して探し出せる。そうすることで、過去(読んだ当時)の自分と対話することができる
これなど、まさにテクノロジーのありがたさである。また、その本を読んだときに得た知見が活かされているかなど、読書時の自分と現在とを比べて検証するこにも役立つだろう。
わかったつもりがいざ内容をまとめたり要約するとき、読んだ本をどの程度自分が理解しているのか、論点をきちんと把握し咀嚼できているかなどを確認できるし、自分の成長度を測るバロメーターの役割をはたすだろう。
私もときどき、過去の自分の書評をキーワード検索したり読み返してみると、いまでは忘れていたこと、自分でも意外なことを書いていることを発見することがある。


このようにして読んで済ませるのではなく、書評にすることで上記のようなメリットが得られる。
書評を書くのは、確かに時間も労力も必要で煩わしく大変な作業ではある。また、人に読んでもらう前提と自分用に備忘録として書くのとでは、もちろん書き方など違うことも私は十分に理解しているつもりである。

読書することで、脳の神経シナプスの奥底で眠っていたあるいは埋もれていた知識や情報が目覚め、一見まったく無関係な情報と情報とが一瞬で結びついたり、人によってはそれで天啓(ひらめき)を得ることもある。
故スティーブ・ジョブズによる有名なスタンフォード大学卒業式でのスピーチでの“CONNECTING DOTSとはこのことで、ヒト・モノ・コトなどすべてのについていえることだというのが私の実感である。
 
書評を書くことで、本の内容について受け身の(受容)読書から攻めの(創造的)読書へと転換することを意味している。その意義と価値は大きい。

私が誰にも読まれない書評を書くことをすすめる大きな理由とは、書評という行為を通してまず著者と対話し、それをログとして残しておくことで数年後にはその読書時の自己とも対話ができる、ということをいまさらながら“発見したからだ。
つまり、自己の精神に「書評的思考」や「書評的精神」を形成することができ生涯の財産を手に入れることができるということなのだ。

ここまで読んで、なんだそんなことか。とっくに実践しているよという人もおられるだろうが、ま〜今頃になって私はあらためてしみじみと実感したという、なんとも情けない次第ではある(^_^;)。


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17年新春、書店散策は欲しい本が続々と。困った、実に困った……。

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私的公開日誌@170122.01

都内の大型書店散策というのは、私にはテーマパークを楽しむような感覚がある。何時間すごしていても、私にはまったく飽きるということがない。

今回は、仕事帰りに新宿の紀伊國屋書店本店に立ち寄った。目的は、下記の(1)だけを購入するためだ。ついでに、ツアーというほどではなく軽い書店散策のつもりだったが、いつも通りに欲しい本に続々とバッタリと出会ってしまう羽目になったのだった。


(1)『文庫開設ワンダーランド』(岩波新書:840円+税)
私は斎藤美奈子の書評が好きである。実は、彼女の本業の文芸批評は読んだことはない。彼女の“余技”である書評が好きなのだ。その斎藤が、今度は文庫本の巻末にある解説について“書評”を出したのが本書だ。
文庫本の解説はオマケだが、それが欲しく(読みたく)てそれを買った経験は誰にでもあるだろう。特に好きな作家や批評家が解説を担当しているとなればなおさらである。

(2)『増補 日本人の自画像』(岩波現代文庫:1,480円+税)
https://www.iwanami.co.jp/book/b279052.html
今日では、文芸批評は絶滅危惧ジャンルである。それでもいまだに私が読み続けているのは、笠井潔、加藤典洋、神山睦美、山城むつみくらいだ。そうした中で、もっとも文庫化されているのが加藤である。
しかも、文庫化に際しては、そのほとんどが増補版としての発売。本書もその例にもれない。

(3)『愉しい学問』(講談社学術文庫:1,450円+税)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924061
こういう意外な本を、ひょっこりと刊行するのが学術文庫の得意技だろう。本書は2012年に『喜ばしき知恵』のタイトルで河出文庫から出たばかりだ。こちらか『悦ばしき知識』という訳書名が一般的によく知られ流通している。
ニーチェの代表作は、ほぼ1882〜88年に集中している。つまり、それは『ツァラトゥストラ』しかり『善悪の彼岸』、『道徳の系譜』などがそれにあたる。
「訳者あとがき」に、なぜ刊行することにしたのかについて3つの理由を語っているのだが、それを読んで本書を無視できなくなってしまった。

(4)『テロルとゴジラ』(作品社:2,200円+税)
http://www.sakuhinsha.com/nonfiction/26061.html
こちらも思わず見つけてしまった。今回はサブカルチャー(アニメや映画など)と政治論とを収めた新刊。本人によれば、こうした社会思想論の本は『黙示録的情熱と死』(94年)以来、約20年ぶりとのこと。しかし、新書版の『国家民営化論』(95年)、『例外社会』(分厚い700ページ)も同じ領域だと私は思うのだが……。
とにかく、本書の「あとがき」に、代表作である『テロルの現象学』(84年刊)の続編ともいうべき『ユートピアの現象学』の執筆に向くとのことで、そちらも楽しみに待とうではないか。

(5)『吉本隆明と『共同幻想論』』(晶文社:4,500円+税)
http://www.shobunsha.co.jp/?p=4140
あら〜。先日、同じく高額なブランショの『終わりなき対話』第1巻を見つけても手が出なかったが、当然ながらこちらもしばらくはお預けになる。吉本隆明のこの代表作はこれまでにもっとも「論」が書かれている書である。
イリイチ、そしてフーコーの研究者と知られている山本哲士が、それらを踏まえて吉本理論の現在性を照射する書らしい。こちらも分厚い。

(6)『批評の熱度〜体験的吉本隆明論』(勁草書房:2,500円+税)
吉本隆明没後5年。著者は新聞社の学芸部に所属する記者として、晩年の吉本に何度もインタビューをしてきた。吉本の著作に触れたのは80年代前半で、初めて直接会ったのは97年。それから亡くなる12年まで年1回の取材が続く。
1980年代から2012年まで、著者がじかに接した吉本と読書体験のなかで著作を論じ、その仕事が現在と未来において持つ意義、さらにはその限界をも語る。


それでは、今年も良書とともに愉しい読書を\(^O^)/。
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