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インターネット、そこは最新技術のフロンティア。 これは、コミュニケーションアーキテクトたる“macume”が、新時代のメディアBlogの下に、21世紀において執筆を継続し、未知のネット世界を探索して、新しい情報や人との出会いを求め、永劫進化するネット世界に自由に公開した日誌である。

17年新春、書店散策は欲しい本が続々と。困った、実に困った……。

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私的公開日誌@170122.01

都内の大型書店散策というのは、私にはテーマパークを楽しむような感覚がある。何時間すごしていても、私にはまったく飽きるということがない。

今回は、仕事帰りに新宿の紀伊國屋書店本店に立ち寄った。目的は、下記の(1)だけを購入するためだ。ついでに、ツアーというほどではなく軽い書店散策のつもりだったが、いつも通りに欲しい本に続々とバッタリと出会ってしまう羽目になったのだった。


(1)『文庫開設ワンダーランド』(岩波新書:840円+税)
私は斎藤美奈子の書評が好きである。実は、彼女の本業の文芸批評は読んだことはない。彼女の“余技”である書評が好きなのだ。その斎藤が、今度は文庫本の巻末にある解説について“書評”を出したのが本書だ。
文庫本の解説はオマケだが、それが欲しく(読みたく)てそれを買った経験は誰にでもあるだろう。特に好きな作家や批評家が解説を担当しているとなればなおさらである。

(2)『増補 日本人の自画像』(岩波現代文庫:1,480円+税)
https://www.iwanami.co.jp/book/b279052.html
今日では、文芸批評は絶滅危惧ジャンルである。それでもいまだに私が読み続けているのは、笠井潔、加藤典洋、神山睦美、山城むつみくらいだ。そうした中で、もっとも文庫化されているのが加藤である。
しかも、文庫化に際しては、そのほとんどが増補版としての発売。本書もその例にもれない。

(3)『愉しい学問』(講談社学術文庫:1,450円+税)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924061
こういう意外な本を、ひょっこりと刊行するのが学術文庫の得意技だろう。本書は2012年に『喜ばしき知恵』のタイトルで河出文庫から出たばかりだ。こちらか『悦ばしき知識』という訳書名が一般的によく知られ流通している。
ニーチェの代表作は、ほぼ1882〜88年に集中している。つまり、それは『ツァラトゥストラ』しかり『善悪の彼岸』、『道徳の系譜』などがそれにあたる。
「訳者あとがき」に、なぜ刊行することにしたのかについて3つの理由を語っているのだが、それを読んで本書を無視できなくなってしまった。

(4)『テロルとゴジラ』(作品社:2,200円+税)
http://www.sakuhinsha.com/nonfiction/26061.html
こちらも思わず見つけてしまった。今回はサブカルチャー(アニメや映画など)と政治論とを収めた新刊。本人によれば、こうした社会思想論の本は『黙示録的情熱と死』(94年)以来、約20年ぶりとのこと。しかし、新書版の『国家民営化論』(95年)、『例外社会』(分厚い700ページ)も同じ領域だと私は思うのだが……。
とにかく、本書の「あとがき」に、代表作である『テロルの現象学』(84年刊)の続編ともいうべき『ユートピアの現象学』の執筆に向くとのことで、そちらも楽しみに待とうではないか。

(5)『吉本隆明と『共同幻想論』』(晶文社:4,500円+税)
http://www.shobunsha.co.jp/?p=4140
あら〜。先日、同じく高額なブランショの『終わりなき対話』第1巻を見つけても手が出なかったが、当然ながらこちらもしばらくはお預けになる。吉本隆明のこの代表作はこれまでにもっとも「論」が書かれている書である。
イリイチ、そしてフーコーの研究者と知られている山本哲士が、それらを踏まえて吉本理論の現在性を照射する書らしい。こちらも分厚い。

(6)『批評の熱度〜体験的吉本隆明論』(勁草書房:2,500円+税)
吉本隆明没後5年。著者は新聞社の学芸部に所属する記者として、晩年の吉本に何度もインタビューをしてきた。吉本の著作に触れたのは80年代前半で、初めて直接合ったのは97年。それから亡くなる12年まで年1回の取材が続く。
1980年代から2012年まで、著者がじかに接した吉本と読書体験のなかで著作を論じ、その仕事が現在と未来において持つ意義、さらにはその限界をも語る。


それでは、今年も良書とともに愉しい読書を\(^O^)/。

16年師走の書店ツアー、食費を削ってでも購入したい「至福の収穫文庫」この5冊

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私的公開日誌@161230.01

2016年の師走。今年も今日と明日を残すのみ。思わぬ事情からプロレタリアートだということを実感する日々ではあり、今年ほど1年が短いと感じたことはなかった。
それでも、大型書店を気ままに散策し、気になる本を手にしたり、思わぬ書とのめぐり会いが私には最も楽しいひと時である。

一昨年(14年)末に書店ツアーで年末を締めくくったが、今年は約2年ぶりの楽しい年末書店ツアーとなった。今回は仕事帰りだったこともありブックファースト新宿店、丸善&ジュンク堂書店渋谷店の2店だけとなった。
待ちかまえていたのは「至福の収穫文庫」に加え、あの大著の思わぬ発見となった\(^O^)/。

今日、スマートフォンやメール、メッセンジャーの普及さらにはGPSの進展で、街中や集まりなどでも人と偶然にも「バッタリ」出くわす機会は少ないように思う。
amazonなどオンライン書店が当たり前で目的の本がすぐに見つかる今日、気ままな書店散策だからこそ経験できる思わぬ本との悦ばしい邂逅というものがある(これはブックオフや古書店でも同様)。

今回紹介する書籍は、遊興(交際)費を削ってでも購入すべきと私自身は思った。しかも、今回は文庫が多いので棚の専有面積を大きくとらないのもありがたい。
年末年始、スカパー!恒例の海外人気ドラマの一挙放送の誘惑をはねのけ、ここは是非とも読書三昧で過ごしたいものだ。

それにしてもだ、どの本も文庫なのに1冊1,500円以上なので痛い出費となるが、良書を手に入れるためならその分だけ食費(私に遊興費の余裕などはない^-^;)を削るのが学生時代から変わらぬ私の癖である(>_<)。

まずは下記の3冊からご紹介。


(1)『内的時間意識の現象学』エトムント・フッサール(ちくま学芸文庫/定価:本体1,700円+税)
フッサールの本は、みすず書房から主要著作はほとんど刊行されているが、この本は現在は絶版となっている。
フッサールが文庫化されるのは、古くは『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中央公論社)、最近では『間主観性の現象学 その方法(1〜3)』以来のこと。
そもそも、フッサールほどの大哲学者の著作は、ほかの哲学者(例:ヘーゲルなど)に比較しても文庫化されていないのが不思議なほどだ。

ポストモダンとそれに続くマルクス主義の崩壊、もっとも重要な哲学者としては、ニーチェとフッサールが代表だろう。しかし、前者ほどには後者は文庫がされなすぎるぞ。もっともメルロ=ポンティもそうだが……。

今後、みすず書房刊の『イデーン〜純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想』『現象学の理念』だけではなく、『厳密な学としての哲学』『現象学序説〜デカルト的省察録』なども、この学芸文庫化してくれることを強く希望するものである。是非とも、学芸文庫の担当者には文庫化にむけて最大限の努力をして欲しい、と勝手なお願いをしておこう。

(2)『哲学史講義 検截如Γ廖Γ董Ε悄璽殴 (河出文庫/1,728円+税)
長谷川宏訳によるヘーゲルの同書もついに最終(第4)巻。
全集を刊行している岩波文庫ですらこの大ヘーゲルの著書はほとんど絶版になっていて手に入らず、今日では『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)くらいしか常備(刊行)されていないのは悲しく残念な状況で、むしろ憤りすら感じる。

同文庫には頑張ってもらい、同氏訳による『精神現象学』『法哲学講義』、いわゆる哲学諸学綱要(『論理学』、『精神哲学』、『自然哲学』)も文庫化を強く望みたいぞ。

(3)『ブルジョワ 近代経済人の精神史』ヴェルナー・ゾンバルト(講談社学術文庫/定価 : 本体1,750円+消費税)
つい先日『ユダヤ人と経済生活』が、同文庫から刊行されたばかり。
マックス・ヴェーバーが、ハイゲルベルク大学を去るにあたり自ら後継者に彼を指名したそうだ。しかし、その当時はマルクス主義経済学者として名をはせていたことから、同大学教授への任官を拒否されたとのこと。
しかし、ゾンバルトはマルクス主義者ではない。

最近では、欧州をはじめとしてゾンバルト見直しの気運がたかまっているそうで、こうなれば代表作と評価されている『近代資本主義』、それにマルクス主義学者としての評判を高めたと評されている『ドイツ社会主義』の2冊も、是非ともこの学術文庫で文庫化を強く、本当に強く望みたいものだ。


【講談社学術文庫40周年】1976〜2002年の名著20点を「特別復刊!」
この文庫に限らず、同社の文芸文庫でもやむを得ない出費となってしまう。もっとも、上記のちくま学芸文庫と同様にこれらの著作群は刊行されるだけでも実にありがたい。
そもそもが、こうした本などは好事家しかくらいしか購入しないことはわかりきっていて、ニッチ市場の文庫である。高くても買うだろう(ほら、文庫にしたぞ。欲しいだろう君)と見透かされているような気がするのは私だけか。

今回のリクエスト復刻は、帯には「全国の書店員が選んだ今だから読みたい20冊」と謳ってある。
ただし、今回のリクエスト限定復刊は岩波文庫のそれとは異なり、どこの書店にも常設されていないようだ。丸善&ジュンク堂書店渋谷店には当然あるだろうと仕事帰りに立ち寄ったら、なんと1冊も置いてなかったのには驚いた。
店員に聞いたところ、今回の復刻については書店員なのに知らなかった様子だった。

逆に「ないだろうな」と思っていたいた渋谷駅前のブックファースト店には、B1書店入口の文庫コーナーに特設コーナーがあり復刻版の全ラインアップが揃っていた。

今回の復刊文庫の購入をご検討に皆さま、購入の際には書店選びにはご注意を。購入したのは下記の2点。

(4)『マルクス主義の地平』(廣松渉講談社学術文庫/定価 :
原著の出版は69年。今日では、マルクス“主義はケンシロウ風にいえば「すでに死んでいる」。廣松は、歪められたマルクスその人の思想を復元し、継承・発展させることに挑みながら独自の哲学を築いてきた。

マルクス主義の終わりを告げられていた最中、93年にデリダは『マルクスと亡霊たち』、98年はネグリの『マルクスを超えるマルクス』など、マルクスその人自身の言説と理念の「遺産創造」または「資産継承」をしようとする“心ある人たち”の本が著された。
私自身も、マルクスその人の“理念はまだ死んではいないし、再び光があたる時がくるだろうと考えている。

最近書店に出向くと、90年代〜2000年代に書店から消えつつあったマルクス関連の書籍が、四半世紀をへて再び増えていることに気がつく。
昨今ではピケティ『21世紀の資本』のおかげもあり、資本主義社会を分析するツール(社会学)としての有用性についての本が多く、現在の軋みを孕んでいる世界的な格差社会を象徴していることは否定できないだろう。

それでも、マルクスの業績がイデオロギーの消滅とともに葬り去られることなく、継承されているのは悦ばしいことだろう。
こうなると、いまではすべて手に入らないが、大月書店の国民文庫も限定復刻で高くてももよいのでなんとか復刊してほしいものだ。


(5)『近代化の理論』(講談社学術文庫/定価 :1,500円+消費税
恥ずかしながら、富永健一という社会学者を私は知らなかった。主著と言われる『社会構造と社会変動』(岩波書店)に、この数十年の激変するの世界情勢を盛り込み、著書の理論的な成熟度も加えて新しいものとして書き上げたとのこと。
本書副題「近代化における西洋と東洋」とあるように、市場経済と民主主義が西洋に興り、東洋ではそれが遅れたのかを考えるために指針となるような本だ。

私も資本主義がなぜ欧州で勃興し発達したのか、という年来の歴史的な関心があるので思わず購入した。
また、英米2カ国の歴史分析を通じ、資本主義と民主主義がどのように成立してきたのかを分析した大塚久雄の『国民経済』も、今回の復刊入りを果たしているので、あわせて購入するとよいだろう。
今後とも、同文庫には今回のようなリクエスト復刊を定期的かつ継続的に行って欲しいと心より願うものである。

こうした文庫は、岩波文庫を除き各社がときおり復刊刊行している状況なのだが、来年で21回目を迎えるリクエストによる一般書籍の「書物復権」(10共同復刊)のような、複数の出版社による共同文庫復刊として企画するのはどうだろうと私は思っている。
ただ、文庫のような単価の安い書籍でそれを実施するのは採算的に難しいのか否か、私にはわからないが是非とも検討して今後の文庫も「文庫復権」とでもなって、定期的にフェア実施してくれれば実に申し分がないのであるのだが。


(6)モーリス・ブランショ畢生の大作『終わりなき対話』が刊行開始!!!
文学、批評、言語そして哲学。
『文学空間』『来たるべき書物』どでも知られ、フランスのみならず20世紀文学史上比類なきモーリス・ブランショ畢生の大著。
原著刊行から半世紀、筑摩書房より全3巻でついに全訳刊行が開始されていることをはじめて知った。
しかし、第1巻は価が本体4,500円+消費税なので、かつてであればそれでも迷わずに飛びついていたが、現況では悲しいかなすぐには手が出せない(>_<)。

筑摩書房では『来たるべき書物』がすでに学芸文庫(2,000円+税)入りしているので、一刻も早い『文学空間』の学芸文庫化も待望しているぞ!

最後に、私がお気に入りの下北沢の古書店「クラリスブックス」にふらっと立ち寄り、年末の挨拶をするだけで本を買う予定はなかったのだが、つい余計な本を購入してしまった(^_^;)。
それでは皆さん、良書の読書とともに良い年をお過ごしください。 


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現代日雇い日記ーー21世紀資本主義社会の変容(後編)

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私的公開日誌@161208.01

前編で語ったように、フリーターという言葉はバブル経済時期に誕生し、その後の社会経済環境の変化で増加の一途をたどってきた。
21世紀の今日、こうしたフリーターというのは非正規雇用労働者の代名詞となって激増し続け、しかもその状況は国内だけに限らず、世界的な傾向となり国際社会の大きな問題として浮上している。

欧州では、移民問題とも絡んで人種間対立が生じ、米国では格差はさらに深刻化して富裕層だけの自治区域(ジョージア州など)を設けるなど貧富の差が先鋭化し、地域社会の分断化や分裂、排除が一層進んで国家的な問題となっている。
つまり、先進国、新興諸国を問わず、格差社会は世界中いたるところで進行しつつあるということだ。

資本主義(厳密には、資本制生産様式に基づく経済活動による近代市民社会)は、人々に経済的な豊かさと社会的な発展とをもたらす一方で、社会に格差を生み出し増進する苗床(または副作用)があることが白日の下となった。


■3Kから新3Kあるいはブラック体質社会へ

バブル崩壊後に増加したフリーターは、それまでは敬遠されていたいわゆる3K職場(きつい、汚い、危険)や業界にも多くの人たちが流れていくようになる。
それまで特に若者が敬遠して人材が集まらなかった運送業、土木・建築業、各種工員(組み立て作業員、溶接工、旋盤工、塗装工)など、いわゆるブルーカラーに職を求めるようになった。

しかしながら、最近ではこうした業界を象徴する3Kという言葉はすっかりと耳にしなくなったが、それに代わり特サービス業に顕著な傾向として「ブラック企業」や「ブラックバイト」という言葉が定着している。

これは特に、飲食業界や小売業界などはその代表だが、看護師や介護士、保育士からIT系企業に至るまで、様々な業界の隅々にまで「新3K」(きつい、帰れない、給料が安い)が蔓延する社会として現出している。

今日、サービス産業では、労働者の半数以上(飲食業や宿泊業では75%以上、娯楽業や教育業などの場合でも50%を超え)もの人たちが非正規雇用形態で働いている。
つまり、これらの産業や職種では、正規雇用数よりも、非正規雇用者数の方が圧倒的に多いというのが実態で、人材派遣や請負ビジネスなど仕事を紹介したり人材派遣をしてピンハネ稼業が業界をさらに潤している。

いまの我が国では、サービス産業がGDP(国内総生産)全体の70%を占めているが、こうなると非正規雇用者がむしろ必要とされ、こうした働き手がいなくては成り立たないともいえるほどの社会状況だ。
こうした非正規雇用、格差社会の問題は日本だけあるいは若年層に偏った現象ではなく、全世界のあらゆる世代に共通している課題である。

特にEU諸国では、紛争と貧困から中東(シリアなど)やアフリカから難民が押し寄せていることがEU全体の問題となり、難民受け入れとその反対派による対立や暴動、各国間での不協和音の増大など、かつては国家や民族を超えて統合の象徴とまで期待されたEUすら分裂の危機に瀕している

14年10月、OECD(経済協力開発機構)が公表した報告書によれば、世界の富裕層と貧困層の格差の拡大は1820年代と同じ水準にまで悪化しており、過去200年で「最も憂慮すべき」事柄の1つだと警告している。
15年、大きな話題となったトマ・ピケティ『21世紀の資本』だが、同書は世界20カ国以上各々の国(日本も含む)、それも実に300年間の所得と資産の変遷という膨大な歴史的資料集めた実証データに基づき分析し、結局は資本主義による社会経済体制は格差を助長するものとして語っている実証社会学的な書としてベストセラーとなって話題だった。

かつては、非正規雇用の就労形態が例外的な雇用環境の社会だったが、今日では高学歴ワーキングプアすら存在するほどで世界的規模による格差社会が常態(コモディティ)となっている。


■21世紀が抱える2つの大きな「難題」

1989年、ベルリンの壁崩壊にはじまる東欧諸国とそれに続くソビエト連邦の社会主義の壊で人々は民主主義のにわか勝利に酔いしれた
あれからわずか25年がたった今日、民主主義社会とそれを支えてきた資本主義経済体制はともに危機に瀕している。

私たちは、国家や資本主義経済を自明のことと考えている。
だが、近代国家の礎となった主権国家の誕生から約350年、資本主義経済社会となって約250年、人類の歴史を考えればそうでなかった時代の方がずっと長いのだ。

人々の生活の豊かさをもたらした資本主義体制も袋小路に陥っているだけではなく、啓蒙主義の時代(17世紀後にホッブズやロック、18世紀にはモンテスキューやルソー)から営々と受け継がれてきた民主主義の考え方も、現今の世界情勢を鑑みると黄昏を迎えているようにすら感じる。
つまり、繁栄をもたらしてきた経済社会とそれを支えている民主的な政治制度(社会体制)の2つがともに危うい今日のとなっている。

人間は観念的な生き物だ。したがって、それは後退することがある。
技術や科学が進歩すればそれにつれて人間が進歩するわけではない。かつて、下部構造が進歩するつれてその反作用で上部構造も進歩する、という短絡的な発想の左翼は唯物(ただもの)論として侮蔑された。

それはリベラル派でもご同様だ。ICTが相互理解、多様性、融和をもたらすと信じていたが、残念ながら現今の世界情況は逆の方向へ進んでいる。
ICTの伸展とグローバリゼーションに覆われた21世紀。あれほど希望に満ちた未来の到来が語られていたインターネットですら、今日ではむしろ格差や分断を助長する手段とまでなっている(イーライ・パリサー著『フィルターバブル』)。
 
異なる人種や民族(ときには部族)、言語と宗教、富裕層と貧困層など、様々な要因からソーシャルメディア上でも罵り合い、逆に同じ価値観だけに寄り集まる傾向があり、ヘイトスピーチ、イスラム教徒への嫌がらせや排斥など、多様性の受容や相互理解による寛容性に満ちた社会からますます離れつつあり、より強固なつながりと排他的な共同体を志向し、社会は混乱し市民はただの群衆に転換したとき、そこに分断や内紛、世界規模でテロが頻発している。

そもそも進歩の思想とは歴史観(進歩史観)であり、それはこの300年ほどのあいだ信じられてきた。過去よりも現在、現在よりも未来が進んで優れている、よりよき社会へと向かっているという無謬性に支えられている。
それは左右のイデオロギーを問わない

20世紀、2つの大きな世界大戦をへながらも、資本主義の発展が世界中に豊かさをもたらし、今世紀末には市民主導による民主主義の勝利をもたらした。しかし、経済のグローバリズムによる豊かさが終焉し経済成長が鈍化し、待ちかまえていたのはフリーターやワーキングプアを産み出す格差社会だった。

現在の私たちは、「理念としての民主主義」も「理念としての社会主義」も歴史的な体験としては持っていない。あるのは、「現実の民主主義」と「現実の社会主義」だけだ

後者は、20世紀末には歴史の審判がおりている。
だがしかし、前者もまた歴史の審判を待つ身となっている。先進国が牽引してきた民主主義社会は、なにもその理念を実現してきたわけではない。理念と現実が乖離しているという点では、程度の差があるだけで右派も左派にも違いはない
誤解を恐れずにいえば、所詮は「必要悪」としての「虚妄的な民主主義」にしかすぎなかったのに、あたかも啓蒙主義以来の理念が実現されたかのように勘違いをしていただけだったことが先鋭的かつ露わになっただけだ。


■トランプ大統領誕生がもつ意味ーー「ポピュリズム」だけではない

米大統領選挙は、マスメディアの予想に反してドナルド・トランプが勝利した。世界が驚きをもって報じたその勝利は、国内でもポピュリズム(大衆迎合)だと報じたがそれだけが理由ではない

マーケティング視点で見れば、人々の不平や不満、怨嗟の声を煽ることで耳目を集めるまさに炎上マーケティング手法と同じだ。それほど多くの人々が格差や分断に憤りを感じているのだ。

その選挙前(10月)、NHKスペシャル『シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来』が3回にわたり放送された。
同番組では、成長が鈍化し、一部の富裕層と多くの貧困層を生み出し、世界的な巨大企業と国家との対立を招き、分断や格差を増殖させながら岐路に立つ資本主義について検討された。
一部の富裕層はグローバル資本主義の恩恵でその富を一層増やす一方で、その他の大多数の人々は低所得から離脱できないでいる。すなわち、たとえ高学歴を得てもワーキングプア状況と格差社会が常態化している時代なのだ。

今回の米国大領料選挙の兆候はすでにあった。
2014年、EU(欧州連合)28カ国で行われた選挙では、選挙の行われた諸国では右派または保守派が大きく躍進した。
2016年、英国は国民投票でついにEUから脱退を決めた。そして今回の米国の選挙では、マスメディアの予想に反してトランプ大統領が誕生した。

20世紀末、「ベルリンの壁崩壊」と東欧の民主化によりそれまでの東西冷戦とイデオロギー対立がなくなり、ICTの発達と普及が相互理解を促し世界はさらに融和し開かれていくに違いないに相違ないという“希望”がつかの間だけあった
しかし、歴史はその反対に進んでいる。
21世紀の今日、テロ、内戦や内紛、国家の分裂、経済格差による社会の分断、怨嗟の声による人々の亀裂など、排他的でより閉じた共同体へと急速に転回しつつある。

「民主主義とは、それほど良いものか。銀河連邦の民主共和制は、行き着くところルドルフによる銀河帝国を生み出す苗床となったではないか。」

上記は、『銀河英雄伝説』の“バーミリオン星域会戦”終結後、銀河帝国ラインハルトに敗れた自由惑星同盟ヤン・ウェンリーとの会見の席で、前者が後者に発した言葉だ。それは遠い未来、遙か彼方の銀河での出来事ではなく、近い将来にこの地球上で起こったとしても不思議ではない。
それでも、「理念」ではなく「現実」として考えれば、私は「腐っても(必要悪としての)民主主義」を支持する人間ではある。


■あらためて問うーープロレタリアートとは何か、そして誰か?

GDPの70%が消費によってもたらされる先進諸国の消費社会では、人々の生活の中心は消費行動であり、したがって労働者の生活の中心や関心は消費行為のなかに融解または溶解させられてしまう
すなわち、自分たちはプロレタリアートなのだと自覚や認識を持ちにくい社会経済構造となっている。

しかし、不動産や株式などを所有しその運用益などの不労所得でも生活を楽しめる層は、グローバルに資産を動かしながら運営し、資産が資産を産む仕組みとなっていて「パナマ文章」(いわゆるTax Haven)騒動に象徴されるように、資産隠しなども巧みにできる。そうしたこととは無縁で資産をもたず、自己の労働力を売ることでしか生活の糧のない無産階級層とがある。

後者は、年収が数百万であろうが仮に数千万円を得ていようが、企業や経済が停滞すれば真っ先に削減対象となって路頭に迷うことになる。
すなわち高額所得層といわれている人々であっても、自己の労働力を企業に預けることだけが収入源だとすれば、その実態は紛う事なきプロレタリアートなのだ。
両者にある違いは、たんなる金額の多寡にしかすぎない

19世紀、進展する産業革命で多くの人々がプロレタリアートとして生み出された。そうした経済社会体制をなんとか解消=変革(労働者の解放)したいと心より願ったマルクスは『共産党宣言』を著し、『資本論』を書き上げた。
その後、彼の思想を体現したと称するマルクス主義”たちによりソ連や東欧諸国、中国などの社会主義国家の誕生を促したが、マルクスの理念が歪められたその政治・経済体制に基づくそれらの国々では真の労働者の解放とはならず、そうした体制に疑念や異論を唱えるような人々を抑圧や弾圧して収容所に押し込めたり粛清するような専制的な恐怖国家にしかならなかった。

しかし、それが崩壊して四半世紀、今度は資本主義、それとともに併走してきた民主主義とが転換点に立たされ、変革の必要性に迫られている
左翼アレルギーへの先入観が消え、さらにはピケティに代表されるように資本主義の悪腫が露わにされている状況になっても、それでももう一度マルクスの理念へ回帰することはないだろうし、それに代替する選択肢(理念)がいまだに私たちには用意できていないことがより混迷を深めている


■21世紀資本主義社会の変容

それこそが、現代に生きる私たちにとって突きつけられた最大の難問なのだ。

21世紀もすでに15年を経過した。かつて資本主義へのカウンターイデオロギー(対抗理念)となっていた選択肢はもはやない
私たちは民主主義と資本主義の双方に疑念を抱き、試練に直面しあるいは絶望しながらも、それにとって代わりうるべき理念や思想をいまだに見いだし得ないでいる。
貨幣主体による合理的・効率的な利益第一主義による経済社会(金融資本主義)ではなく、営利追求以上の高い意識・目的を追求するべき社会を目指す経済活動に基づく視点や発想が強く求められている。

人々の欲望を飲み込む金融経済(資本主義か社会主義を問わず)が継続する限り、人々が金に狂奔するバブル経済は歴史上に何度でも繰り返される。それは先進諸国、新興国などを問わずにだ。

つい最近、“Conscious Capitalism”という言葉を初めて耳にした。
これは、最近米国で主張されている考え方だそうで、これまでの資本主義的とは異なり、企業の社会的な責任と存在理由から出てきたようで、その含意するニュアンスは「社会的意識による資本主義」くらいの意味である。

あるいは、こちらも唱えはじめられている“Kinship Economy Era"(つながりによる経済時代というニュアンス)という考え方、加えて同じように“Sustainable Capitalism”(持続可能な資本主義)という言葉もある。
これらは、ジャック・アタリが『21世紀の歴史の中で語っている調和重視企業、トランスヒューマンとの共通項する志向性があるように感じる。

上記の言葉や考え方が、ほぼ同時期に様々な人たちから提唱あるいはいくつかの企業が誕生している状況(ムーブメント)は、資本主義による経済システムが転換点あるいは変容期を迎えていることを象徴している。

ところで、『新スタートレック(TNG)(例:第1シーズン26話「突然の訪問者」)あるいは劇場映画第8作『ファースト・コンタクトなどでも、エンタープライズ号のピカード艦長は20〜21世紀の人たちと接することになるのだが、24世紀において人はもはやモノを所有することに興味はなく、お金ではなく人類の成長のために働くことが当たり前の世界だと繰り返し語っている。
それは、資本主義でも社会主義でもない、そういうのが当たり前な経済システムや社会(世界)体制となっているのだろう。

私なら、昔は良かったなどと懐かしむのではなく、むしろそうした未来社会こそ体験してみたい
はたして、私たちはそうした世界へと向かっていくことができるのだろうか。

「日雇い労働の歴史がまた1ページ……。」と、『銀河英雄伝説のナレーション風に最後は締めておこう。


(了)


(関連リンク)
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▼日本の問題は収入差の拡大より、むしろいろいろな格差の「固定化」が進んでいることだ
http://diamond.jp/articles/-/54697

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PRの本質、それは「法人格」の統合コミュニケーション力のこと
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現代日雇い労働日記ーー21世紀フリーターの変容(前編)

工場日記

私的公開日誌@160913.01

「日雇い労働者、それは最後のプロレタリアート。
これは、惑星連邦マーケティング・スペシャルエージェントが、新時代の非正規用社会の下に、二十一世紀のフリーター社会において日雇い労働を継続し、 新世紀のプロレタリアート体験を通して著した日誌である。」

と大好きな『新スタートレックのナレーションに倣ってはじめてみた。

私自身、これまでいわゆる頭脳労働(ホワイトカラー)をずっと生業にしてきたのだが、今回、いくつかの不運な事情や状況が重なり、思いもかけずに生涯ではじめて肉体労働(ブルーカラー)で糊口をしのぐ身となった。
これもなにかの運あるいは定めなのかもしれない思うことにした。

これから書くことは、直接には私の生業には関係がないし、なにか利益を生むわけではないので無意味なような気もする。しかし、どうしてもなにがしかを書かずにはいられない性分なのだ。
いまの私にとって、こうしたブログを綴るということが唯一の頭脳労働(=楽しみ)でもある。

どうしてこれを日記にしようと思ったかというと、念頭にはあのシモーヌ・ヴェイユ『工場日記』(ちくま学芸文庫)が実はあったからだ。
もっとも、ヴェイユに感化されたのは私だけではなく、調べてみるとすでに13年に柴田広史による『平成工場日記ーー高学歴ワーキングプアが垣間見た社会の一断面』(文芸社)なる著が著されていたことを恥ずかしながらじめて知った次第。未読なのだが、是非とも読んでみたい。

ヴェイユといえば、ハンナ・アレントと並ぶ20世紀を代表する女性の知性では双璧だろう。もちろん、その人の読書体験により彼女たちのほか、スーザン・ソンタグあるいはシモーヌ・ド・ボーヴォワールを上げる人がいるかもしれない。
かしその明晰さ、透徹性と純粋さ、転変の特異性でヴェイユに比類する人はいないだろうし、これほど読むものを引きつける例を私はほかに知らない。

もっとも私の場合、彼女のように堅硬な意志や崇高で純粋な思念から、進んで日雇い労働についたわけではなく「自分の心にそむいて、冷酷な必然の定めに服し」ている由無い仕儀からであり、ヴェイユの日記にあやかること自体、畏れ多いことではあることは本人も重々承知のうえでもある。

それに、日記といっても彼女のように工場での仕事について日々の短信を記し、怜悧な洞察や深い省察を読んだ人たちに与えられるようなことはできるはずもなく、これまでとはまったく異なる仕事環境の日々で過ごすなか、そこから見えてきた社会の断面や世相、人間模様などの情況などについて、ありていにいえば私的心象風景を気が向いたら徒然に書き残すという体たらくであるのでその旨ご承知おきいただきいただきたい。


そもそもフリーターとは

はじめて「フリーター」という言葉をきいたとき、それはフリーランスライターの略かと思った。それが多様な職種でのフリー(ランス)アルバイターの略称だと後に知る。言葉自体、バブル経済の真っ只中(87年)、リクルート社のアルバイト情報誌『フロムエーの造語である

この言葉の出自は、アルバイト(アルバイター)では学生っぽいしパート(タイマー)では主婦のような印象を受ける。そこで、窮屈なサラリーマン(会社員)生活から自由なことあるいは趣味など好きなことに打ち込んだり時間を使ったりして生きていくために、元々は自らが選択するポジティブな働き方を指し示す表現だったような記憶がある。

だから、この言葉に学生は含まれないし、主婦も対象外となっている。
つまり、学校卒業後、正規雇用につかずにアルバイトだけで生計を立てて生活している人たちを総称する言葉なのだ。
例えば、洋の東西を問わず、役者やプロのミュージシャンを目指す人たちはむかしからこうした生き方だっただろう。また、好きな仕事が見つかるまでの執行猶予期間という主体的かつ選択的な就労形態だったはずだ。

しかし、今日では非正規雇用者全体を指し示し、格差社会や貧困生活者を象徴する働き方というネガティブな意味が染み込んでいる
したがって、今日では、フリーター=下流=ワーキングプア=非正規雇用者という図式がすっかりと定着している。要するに、紛う事なきプロレタリアートだということだ。


■フリーターの苗床となったバブル経済

だから、これは私見なのだが、フリーターという言葉は80年代のバブルの頃にはじまったと思っている。

80年代は空前の好景気を背景に、コンビニなどのチェーン店の拡大や不動産バブルにわく建設業界を中心にして高額のアルバイトも多数あり、場合によっては正規雇用よりずっと稼げる仕事が様々に存在していた時代だった。
このころは、求職情報は新聞の求人広告や折り込みチラシより、こうした各種求人情報誌が主流となる(その後、フリーペーパーさらにはネットに)。

リクルート『週刊就職情報』のほかにも同社ではアルバイト専門の『FromA』、女性を対象にした同社の『とらばーゆ』などを含め、様々なアルバイト媒体も創刊され、「ヤリガイ」というコピーやCMが流行り、学生援護会発刊の『日刊アルバイトニュース』が『an』とリニューアルしたにもこのころだ。

フリーターは、組織や時間にも拘束されず、堅苦しいネクタイとスーツという制服の着用して企業組織の呪縛からも解放され、都合のいいときに好きに働いて稼いで自由に時間が使える生活という時流の空気感にもマッチし、「ヤリガイ」や「職業選択の自由」という広告コピーとともに当時は大きな話題となって様々なメディアでも随分と喧伝された。
一時などは、いやいやサラリーマンになった人たちからすればむしろ羨望すらあり、メディアでの扱いもあたかも新時代のライフスタイルの到来とでもいったような雰囲気で、随分ともてはやされいたような記憶がある。

いま思えば、「80年代は奇妙な時代」(佐伯啓思の表現)ではあった。こうして80年代半ばのバブル景気による日本社会の背景から注目され、メディアやアルバイト情報誌でフリーターという言葉が盛んに使われるようになった。
その後この言葉が定着し、かの『広辞苑』にも掲載されるようになったのがバブル経済崩壊の91年というのはなんとも皮肉である。
直近で例えれば、似たような言葉ノマド(ワーカー)などはそうかもしれない。

ちなみに、バブル景気は、内閣府による景気動向指数(CI)上は、86年12月〜91年2月までの51カ月間とされる。


■バブル崩壊がもたらしたもの

ところが、そのバブル景気崩壊後にこうした状況は一変する。

バブル崩壊の時期は、内閣府の景気基準日付では91年3月としている。これは、90年3月に大蔵省から通達された「土地関連融資の抑制について(いわゆる総量規制)」が嚆矢となり、土地や株式などの資産価格の暴落、ゼネコンなどの破綻、金融機関の不良債権化、企業業績の急激な悪化、それにともない学生の就職難などをもたらし、90年代後半には大手金融機関の相次ぐ倒産が「金融危機」をもたらすことになり、「失われた10年(さらに20年、その後は……)」の要因となってしまうのだ。

そうなると、今度は学校を卒業して就活に励んでも就職先が見つからないことから、否応なしにフリーターを選択せざるをえない時代となる。
このような不況を背景に就職氷河期(これもリクルートの造語)が訪れる。
企業はリストラを断行し、さらには新卒社員の採用抑制して人員のスリム化を進めるその一方で、派遣社員やパート、アルバイト、嘱託社員などの非正規雇用者でそれを補うようになる。

さて「ガテン系」という言葉がある。
これはブルーカラー(肉体労働)を指す象徴的な表現で、元々はリクルート創刊(91年9月)による求人情報誌の名称で、土木・建築・運送業など、いわゆるブルーカラーに特化した求人情報誌で、この雑誌名が語源である。
バブル当時、ガテン系職業は「3K」(きつい、汚い、危険)といわる三重苦職種として慢性的な人材不足に悩まされていた。そこで、雇用側の仕方がない事情もありそうした職種の職場環境の改善や高給優遇を打ち出す企業が増え、加えてバブル崩壊とも重なって数年後にはガテン系の職種にも人が集まるようになる。

インターネットによるオンライン求人情報が当たり前(主流)となった今日では、すでにほとんどの求人誌が消滅している。この求人誌『ガテン』も09年には休刊しているが、代わって現在では『パワーワーカー』という同じガテン系求人誌が刊行され、『タウンワーク』などと同じように駅やコンビニで無料で入手できる。


■非正規雇用ーー若年層から全世代へ拡大

今年2月に公表された総務省の最新(平成27年)の労働力調査」によれば、全雇用者5,284万人のうち,正規の職員・従業員は,前年に比べ26万人増加して3,304万人という一方で、非正規の職員・従業員は18万人増加して1,980万人だ。

さて、1984年、雇用労働者全体のうち10人のうちの1〜2人だけが非正規雇用労働者で15.3%だった。
しかし、その割合は年々増加の一途をたどり、2014年にはその割合が実に全体の37.4%と、この30年間で10人のうち3人ないしは4人が非正規雇用労働者となっている。

1990 年代前半まで非正規雇用の中心は35〜54歳で、その大半が女性などのいわゆる主婦のパートであった。
バブル崩壊による新卒の採用が落ち込んだここともあり、その後、2000年ごろにかけては若年層の非正規雇用者が増加
しかし、少子化が進み若年人口が減っていくとともに、15〜24歳の非正規雇用者数は2000年ごろをピークに実は減少傾向に転じている。

それとは対照的に、高齢化社会の進展により、65歳以上の非正規雇用者は1990年の41万人から2015年には261万人へと6倍以上にも増えた
非正規雇用者のうち、55歳以上の人は1990年時点ではおよそ5人に1人だったが、2015 年には3人に1人になっている。

こうした各種統計(総務省、厚生労働省、内閣府)による情報は、すでに様々なニュースやメディアなどでもたびたび取り上げられているし、格差社会の是正やセーフティネットの必要性は深刻な社会問題化し、山田昌弘著『希望格差社会〜「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(ちくま文庫)で語られていることはすでによく知られているし、それは国内に限らず世界的情況であることも我々には十分に了解していることである。

「現代日雇い労働の歴史がまた1ページ……。」と、ここはやはり大好きな『銀河英雄伝説のナレーション風に締めておこう。


(続く)


(関連リンク)
▼「中年フリーター」のあまりにも残酷な現実

▼なんで中高年フリーターって正社員採用されないの?と思った時に読む話

▼何歳までフリーターとしてやっていけるか?

▼わが国サービス産業の現状と問題点(PDF)

▼労働力調査(基本集計) 平成27年度(2015年度)平均(速報)結果

▼世界の貧富の格差が拡大、1820年代の水準にまで悪化 OECD


【おすすめブログ
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戯作【推薦状第2弾】「このブログを読め〜未来のマーケッターに与うる言説ーーニーチェ」

倫敦巴里_ニーチェ
私的公開日誌@ウェブ暦:160405.01

10ヶ月前(15年6月)、川端康成の文体模写で自分のブログへの推薦状を書くというなんとも粋狂なことに挑戦したのだが、やはり実に楽しくて仕方がなかった。

悲しいかな詩も文学作品も創作する才能がない私には、せめてこうした文体模写での遊びくらしかないというわびしさもある(~_~;)。
和田誠の『倫敦巴里』も、なんとか復刻して知らない人たちにやはり楽しんで欲しいものだ。

さて、今回の文体模写は、畏れ多くもニーチェを選んだこれも、文体模写の元ネタ探しで楽しんでいただければ嬉しく思う(明白すぎるかも^o^;)。


戯作【推薦状第2弾】「このブログを読め〜未来のマーケッターに与うる言葉ーーニーチェ」

「この大いに高貴にして才気ある人物について、私がなにがしかを述べておくことは、どうしてもしておかねばならぬことのように思われる。

梅下くんが発する様々な言説のうちで独自の位置をしめているのは、私の言を要するまでもなくDigital Ambient Society(電子環境社会)とCommunication Metamorphoses(交流変容)である。

この2つの言葉は、私のEwig Wiederkehren(永劫回帰)、Wille zur Macht(力への意志)と同様、永遠に語り継がれるであろう。

彼は、この2つの言葉でこれからの新時代のマーケッターたちに最大の贈り物をした。幾千年にも響くであろうこの言葉は、彼自身の魂の深淵からほとばしる叡智よってもたらされたものである。

彼は断じて夢想家ではない。無限のビジョンの充溢と幸福の深みから、一人また一人、一社また一社とつらなってくるのだ。

さあ兄弟たちよ、彼とともにその魂の杯を酌み交わそうではないか。」


学生時代、ドイツ古典哲学こそ最高峰の哲学だと私は思っていた私は、実はニーチェにはまったく関心がなく読んだこともなかった。

徹頭徹尾に論理的な思考(特にヘーゲル)に憧れたていたのは、小学生のころに見た『スタートレック/宇宙大作戦』(OST)の影響かもしれない。
とにかくスポックが一番好きで、感情に流されるカークとは違い常に沈着冷静、論理的に破綻したり誤謬がないのは究極の理想なのだ、と信じていたし将来そうした人間になりたいと思っていたほどだった。
もちろん、今日ではそのようなことはけっして思ってはいないのだが。

初めて読んだニーチェの本は中公文庫の手塚富雄訳による『ツァラトゥストラ』だった。
なにを言いたいのかよくわからなかったが、とにかく魂を揺さぶられるような文章だった。
ちなみに、社会学者の大澤真幸が初めて読んだのも『ツァラトゥストラ』だということを最近になって知った。私と同じように、なにが書いてあるのか理解できなかったが衝撃を受けたと語っている。

古典文献学者だったニーチェは、偶然にもショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』を手にしたことで、哲学者としての誕生することになったといっても過言ではないだろう。
もとより、二人は直接的には面識はないが、まさにセレンディピティの典型例である。ちなみに、ショーペンハウアーはゲーテとは親交があり、そのゲーテは彼を絶賛していたそうだ。

それほどのショーペンハウアーではあっても、同時代には絶対的なヘーゲル哲学が君臨していた。今日においても、どちらかというと、栄華を極めたドイツ古典哲学にショーペンハウアーは入れてもらえず
傍流扱いしかされていない。
ニーチェも、現在ではその独自の思想や影響力、哲学史的意義などが評価されているが、当時はショーペンハウアーと同じような不遇を託つ身となるとは歴史の皮肉だ。

ニーチェが存在しなければ、ショーペンハウアーはほとんど一顧だにされることない哲学者のようにも思う。
しかし、彼はまた、仏教やインド哲学に影響を受けた最初の西欧の哲学者である。それ以降では、同じようにインド哲学、特にヨガの世界観に感化されて人智学を創始したルドルフ・シュタイナーが有名だろう。

ショーペンハウアーは、裕福な商家の出自であり、美味い食事を堪能しつつ厭世哲学を語っていたと言われている。
それが事実か否か、私は彼の研究者でないし彼の主著も読んでいないのでわからない。

70年代、『ニーチェ全集』を刊行していた白水社から、『ショーペンハウアー全集』(全14巻+別巻1)が出ていた記憶はあるのだが、代表作『意志と表象としての世界』ですら、今日では中公クラシックスから刊行(全3冊)されているだけだ。その代表作にしても、世に知られているわりには読まれていない書だろう。

実をいえば、私がショーペンハウアーの著書で読んだことがあるのは、恥ずかしながらエッセイして知られている『読書について』だけだ。
これは、多分、彼の著書中で最も読まれている本だろう。岩波文庫をはじめ各出版社からこれまでにも様々な訳者によっていくつも刊行されている。

「どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じ事が知識についてもいえる。いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある」ーー『読書について』

大量の知識を獲得することが重要だと思っていた私には、この本はとても気づきの多かった著書だった。
いつか主著である『意志と表象としての世界』も、じっくりと読んでみたいと思っている。

あれ!? ニーチェではなく、なんかずっとショーペンハウアーについて語っている(^_^;)……。
な、なにとぞご容赦のほどを。


【おすすめブログ】
戯作【推薦状】「梅下くんのブログを推奨しますーー川端康成」

●「精神の淫売」としての政治という情況ーーニーチェの箴言に寄せて

http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/977751.html

●このブログを見よーーニーチェ人気に寄せて
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1182101.html

●特集「人文書入門」ーー『文藝』2014年夏号
http://blog.livedoor.jp/macumeld/archives/1858840.html

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