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2020年05月31日

痴漢と自粛警察と

20年ほど前、大学生だった時のこと


朝の10時ごろに電車に乗っていると
「痴漢は犯罪です。見かけられた方は・・・」
という、よく聞く車内アナウンスが流れてきました。


私はそのとき座って本を読んでいました。
このアナウンスを引き金に何か起こるかなんて
想像もしていませんでした。


アナウンスが終わるか終わらないかのうちに
同じ車両で座っていたおっさんが立ち上がり
ドスの聞いた声で叫びだしました。


何ふざけたことぬかしとるんじゃ!
 触りたくなるような恰好しとるやつが悪いんやろうが!
 女のほうを取り締まらんと
 男のほうを悪者にするとはどういうことやねん!
 なめたこと言うとったらあかんぞ!!



立ち上がったおっさんは
さらにブツブツとつぶやきながら私のいたほうに歩いてきました。


人生最大級の恐怖です。
その恐怖に支配された頭の中で、そうすればいいか超高速で考えました。


「え? なにこのひと?
 なにいってんの? 狂ってんの?
 ひぃっ、こっち来た!
 同意求められたらどうしよう?
 どうしたらいい??
 ・・・ 
 見たらダメだ、目を合わせたらダメだ
 だけど寝たふりもダメだ、わざとらしく避けたらダメだ
 とにかく反応したらダメだ・・・」


読んでいた本の中身なんて当然頭に入ってきませんでしたが
集中して本を読んでいて周りの音など聞こえないふりをして
ひたすら気配を消して
おっさんが通り過ぎるのを待ちました。


幸い、おっさんは隣の車両に移動していきました。
車内は空いていたとはいえ他にも5人ほど乗っていたのですが
みなから一様に安堵の気配が感じられました。


その後、次の駅で降りて、駅員さんに
「いま乗ってきた電車におかしい人が!
 痴漢防止のアナウンス聞いていきなり怒り出して!!」
ということをとりあえず知らせて
その後数日は新聞を細かくチェックして
その車内で殺人などが起こっていなかったかを確認して
3日ほど経ってようやく危機が過ぎ去ったと安心できました。


車内マナーのアナウンスを聞くと
このことをよく思い出します。
そのたびに、こんなことを考えます。


「気づかぬふりをした自分の行動は正しかったのか?」と。


放置することで誰かが具体的な被害にあったかもしれないではないか
自分は「あなたは間違っている」と指摘するべきだったのではないか、と。


もちろん、そんなことしてたら
私はいま生きていなかったかもしれないのだけれど
それでも、見ぬふりをした自分への後悔のようなものが消えなくて


だから自分は今より強くなりたいと
強くなって、ダメなものをダメだと言えるようになりたいと
そんなことを何度となく思うのです。


そのころから今に至るまで私が走っている目的も
ちょっとだけそこにあったりします。
自分に出来なかったことが出来るようになれば
その分強くなれるかもしれない
身体が強くなれば、心も強くなれるかもしれない
そんな気持ちが、少しあります。


・・・


痴漢防止に文句言ってたおっさんに遭遇してから、20年近くが経ちました。
幸いにして、同じくらい怖い人とリアルで遭遇したことは以後ありません。


しかし、いま同じ状況に遭遇したら自分はどうするかな?と想像してみました。


もちろん、件の怖いおっさんに再び会うことはないでしょう。
しかし、たとえば【自粛警察】が脅迫文を貼り付けているところに遭遇したら?
果たして自分は注意できるのか?


正確な定義は知りませんが、【自粛警察】と言ってもいろいろでしょう。
安全地帯である匿名の世界からのみ攻撃してくる陰湿なのから
表に出てきて物理力を行使するふてぶてしいのまで幅広くいるでしょう。
しかし共通するのは

「自分の考えこそが正義、そこから外れる行動は悪。
 悪を排除するためなら、法に反する手段をとることも許される」

という独善的な行動原理ないしは思想です。
この思想は、痴漢防止に文句を言ってたおっさんと根本的に同じです。
したがって、傍から見たら恐ろしさは同じ。


・・・無理だな、自分には怖くて注意なんかできないな。


残念ながら、私は20年経ってもあまり強くなってはいないようです。






madanemui42195 at 22:30│Comments(0)日記 

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