卒業しました。
春から無職です。

さて、最近思うこと。

法律の資格試験の勉強をしていると、どうも病んできてしまう。

特に、司法試験や国家公務員一種試験の短答式試験というのがまた厄介で、
ひたすら選択肢と我慢比べをし、意地悪な引っかけ問題をかわさなければならない。

20歳のころ、入院していたときにも実感したことなのだが、
やはり、人間というもの追い込まれると兎角他者に攻撃的になるように思う。

勉強の合間合間に同じ勉強をしているほかの人たちから
何某か攻撃的な言葉が聞こえてくることが増えたのである。

たしかに。
そのおかれている立場や、臨もうとしている関門の大きさに神経質になってしまうことは良く分かる。
まして、直前期ともなろうものなら、世の中の春に浮かれたものたちに悪態もつきたくなろう。

しかし
「〜のくせに」とか「私の気持ちも分かってよ」とか言う言葉を聞くに付け
その人の人となりを垣間見てしまったような気分がして、胸糞悪いのである。

自分にとって一番大変な時期に他人の気持ちを慮ることができないなら、
法曹を目指すのはおやめになればいい。
自分が人より強い立場でありたいなら、
官僚になるのは著しく不向きである。

これは言うまでもないことである。

あなた方のくだらないエリート意識で、社会的弱者や知的財産権の侵害の危機にある企業が左右されるのかと思うとぞっとする。
あなた方の権力欲を満足させるための行政施策には決して従いたくはない。

それならばお願いだから私を法曹にしてください。

そう思う。

自信があるのならば、きっと能力もあるのだから、その能力を遺憾なく社会に還元するのが私たちを養ってくれた社会に対するせめてもの恩返しである。
すなわちそれは責務なのだと。

そして、今大変ならば、その分大変な境遇にある人たちの力になってあげられるのだから忘れずにいよう。
世の中には、能力があるのに、資力がなくて夢をあきらめる人がいる。
そもそも夢を描くことすら期待できない人たちがいる。
そういう人たちを踏み潰して毎日の学習環境があるのだということをゆめゆめ忘れてはならない。

私はそう思う。

お金を稼ぎたいなら法曹や官僚は向かない。
官僚は税金で生活しているし、法曹は人の不幸を糧にしているからだ。
商才があるならば、それを使って尊敬される経営者になればいい。
その意味で法曹は賃金に謙抑的になるべきだと思っている。

私の友人にも優秀な人間は何人もいる。
しかしどの一人をとっても決しておごらない。

初任給が1000万を超える大手渉外法律事務所の内定を断って検察官になるもの、
小児科の極端に不足しているといわれる現状にあってあえて小児科を目指すもの、
学生時代からアフリカでエイズ撲滅のためのNGO活動をしているもの、
官僚不信の時代時代にあって薄給を覚悟で官僚になったもの、
その誰もが心から尊敬に値する立派な友人たちであって、誇りに思う。

私は、世の中の理不尽なことに目をつむりたくない。
まじめに生きている人たちが報われる世の中でありたいと思う。
そのために法曹になりたいと決意した。

その思いは日に日に強まっていくばかりだ。
だから
機会に恵まれた人たちは決してそれを不意にするような半端なことはしてほしくないのだ。


東風吹かば

にほひをこせよ

梅の花

主なしとて

春な忘れそ


本郷の桜はまだ三分である。

卒業式