アホ理系青年の主張 リバイバル

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オピニオン

メール障壁 窓野総合研究所 第39回

他人が作ったネットサービスを利用していていざ困るのは、急にそのネットサービスが動かなくなったとき。プログラムの知識なんていらねえよ、夏。の私にとって、私のネット環境が悪いのか、はたまたネットサービスの不都合なのかがわからない。

メールを送って管理者に質問すればいいじゃないという声をききながら、こう考えた。わざわざメール文章を書くのは面倒くさくて腹が立つ。かといって何もしなければ今の状況は流される。現状維持を通せば不便で窮屈だ。とかくにネット世界は住みにくい。

とくにプログラミング系の世界にどっぷり浸かっている人は、こういう改善系のメールのやり取りは、結構当たり前にやっているのかも知れない。でも、そうじゃない人はこのメール障壁っていうのが結構でかい。

会社単位でやっているネットサービスならまだしも、個人単位でやっているネットサービスとなるとこういうことを考えてしまうのだ。

メール送るとバカにされるんじゃないかとか、メールを送ると管理人にデートに誘われてチョメチョメタイムになっちゃうんじゃないかとか、メールを送るとそこは雪国だったとか、色んな懸念が妄想レベルで膨れ上がってしまうのだ。(※個人の感想です)

散々サービスを使っておいて何言ってるんだ、このスットコドッコイと言われても、そんなこと言われても知らねえよ、夏。ってことになる。その意味では、フォーラム形式っていうのは、障壁が低くて便利かもしれないよねえ。


ネットに造詣が深い人同士でサービスを提供して仲よくやっている分にはいいけれど、そうじゃない人を相手にする可能性がある場合は、メールで聞いてね形式だけだと、造詣の浅い人たちが抱えている情報が、管理者になかなか入ってこないんじゃないかなあと思う、秋の空。

人を見てブサイクかブサイクでないか判断する能力が自分自身にはないのかもしれない 窓野総合研究所 第37回

早くも、毎度おなじみ、当ブログ更新スピード低下のお知らせが有名無実化してしまっているのはさておき、最近、自分自身のことで気付いたことがあったのだ。

それは、「人を見て、その人がブサイクかブサイクでないか判断する能力が自分自身にはないのかもしれない」ということである。


いわゆる、美人・かわいい・かっこいい・男前か、そうでないかの判断は、それなりにできる。それに、他者が言う「美人・かわいい・かっこいい・男前」に対して、私はそうは思わないということも自分自身の判断で言える。

でも、その該当する人が、「美人・かわいい・かっこいい・男前」ではないことは認識できても、その人がブサイクかどうかは私自身で判断できないのである。


特にそう思ったのは、2009年9月13日に放送されていたエチカの鏡での、ブサイクとされる銀座のホステスさんのサクセスストーリーの話。紹介VTRの中で、その人の過去の写真も映ったりしていた。

確かに、美人でもかわいいわけでもないというのは認識できた。おそらく、周囲にいた他の銀座のホステスさんと比較すると、多分、容姿的にはおちるのかもしれない。でも、改めて、ブサイクなのかどうかとなると、私にはさっぱりわからなかった。そこらへんにいる人との違いがよくわからなかったのだ。

ブサイクキャラで売っている芸能人を見ても、その人はブサイクキャラで売っていると私が理解することで、初めて私自身、その人はブサイクなんだろうなあという認識になる。あるいは、周囲の人がブサイク呼ばわりしているから、多分、この人はブサイクの部類になるんだろうなあという認識になっている。

この容姿に関しては、ブサイクかどうかの判断というものについては他者の意見に依存していて、私自身に、カッコたるブサイクものさしが無いのかもしれないことに気付いてしまったのだ。

私は、ある種、人として何か欠落しているのかなあと、思ってみたりするのだった。自分自身で判断できないことがあるなんてショックというか、癪だからなあ。

どす黒い怒りの部分を書くのは向いていない性分だとわかったセプテンバー

この一週間、視聴メモにかこつけて「と見せかけた主張」シリーズで、私の心の奥底に流れる、テレビに関係するドス黒い怒りの部分のごく一部を垂れ流してみたものの、私は、こういうやり方は向いていないなあというのがよくわかった。

どす黒い怒りを書けばかくほどから回り。出来た文を読んでも、ちっとも面白くもなんともない。既存メディアにありがちな、何かあったら、とりあえず決め付けて怒っておけ方式は、多分、私には向いていない。

あくまで、冷静に、そしてニヤニヤしながら指摘しつつ、部分部分で、嘘・大げさ・紛らわしいを追加するぐらいスタイルの方が、多分、性に合っている。その中から、私が持っている、どす黒い部分を上手く薄めて表現できると、素敵なんだけれども。

手垢のついた毒についての話 窓野総合研究所 第33回

私は自称・ネガティブマインドの集合体ってことで、たまに、全方位的に毒を吐きたい衝動に駆られることがあるのだ。例えば、(自主規制)が(自主規制)で(自主規制)だから(自主規制)なんだよと言った返す刀で、(自主規制)を(自主規制)するといった感じで、来るもの全て叩き斬るぐらいの感覚で過ごしたい夜もあるのだ。でも、実際に当ブログ内に毒を吐くときは、相当薄められたものになる。

なんで薄めるのか。それは、毒というのはやっかいで、下手すると自分自身も傷ついちゃうからだ。打算的にいえば好感度が下がって損をしちゃうからだ。

愛のカケラもないものは毒とは言わずただの悪口なので別として、本人が愛を持って毒を吐いたとしても、ある程度、毒を吐く人のパーソナリティが理解されている上でやらないと、毒が毒であるということは、相手には理解されないのである。本人が毒だと思っていても、相手にとってはただの悪口になってしまうのだ。

さらに、二人のやり取りを、別の人、いわゆる第三者が見ているときを考えてみる。二人の間で、ある程度パーソナリティーが理解されていて毒が毒であると認識できた状態にあるとしても、第3者が二人のパーソナリティーがあまりわかっていない場合、二人の中で成立していた毒も、第3者にとっては悪口として認識されてしまう可能性が出てくる。

つまるところ、毒を吐く人は、第三者に誤解されて好感度が下がって損をしちゃうリスクを持ってしまっているということになる。毒を吐く人は、このバランスを見極めないと一気に自分の毒で自分がやられてしまう。だから、毒を使う手法はあまりおすすめできないよねということである。


おそらく、今後テレビなどで求められるであろう、次の毒舌キャラ、いわば、ポスト有吉さんの掘り起こしにかかってくるであろうときに、むやみに毒舌キャラに飛びつこうとしてもロクなことがないよということである。

また、毒舌をかますことを生業としていない人は、毒を吐いても損をするだけってことである。それでも毒を吐きたいときは、古井戸に向かって「王様の耳はロバの耳」とでも叫ぶぐらいにして、他人に毒を吐かない状態にした方が身のためだろう。


えーと、何が言いたかったんだっけ。そうそう、つまり、(自主規制)が(自主規制)で(自主規制)だから、お前らが(以下自主規制)

小粋でおすすめのエントリ2008

どうやら、まなめはうすの中の人がTB企画をやっているらしい。こういうときは、参加しておいた方が色々といいということで、参加してみるのだった。

【TB企画】あなたのブログの中でおすすめのエントリを教えてください2008

というわけで、とりあえず、はてなのブックマーク数が多かったもの2つと、イチオシの1つを紹介してみるのである。

ポジティブ教は他人をむやみに巻き込むから気持ち悪い…殴り書き編
実はこのエントリーは、とあるポジティブマインドな有名人を想定して書いたエントリー。その有名人が、役員の立場を抜きにして言いたいことがあると言い出して、ネガティブマインドを振りまいたのには笑ったが。

アメトークの家電芸人コーナーの書き起こし作業から見えた、各出演者の役割・特徴
秋に放送されたアメトークの家電芸人特集からの分析。トークの支配しているのは誰なのかということに注目すると、また違う世界が見えてくるのだ。

社運を賭けてニュース番組を作りたいなら8:00〜8:45が狙い目 窓野総合研究所 第4回
どうやらTBSは後藤謙次さんと小林麻耶アナとで、夜6時から8時をニュース番組にするらしいけれども、8時台の方がマシだと思うんだけどなあ。

以上。

トロッコ問題は前提条件を明確にしないといくらでも逃げが効く

私は見ていなかったのだが、たけしの日本教育白書2008においてトロッコ問題について、話が出ていたらしい。

子供に聞かれたらどう答えるという話になっているようだ。

ただし、今回ウェブサイトに書かれている話だと、2つの選択肢以外に方法がないということや、作業員は逃げられない状況であるということなど、もろもろのことを定義しないと、いくらでも色々な案がでてくる。

だから、これを聞かれたら、「そんなのいくらでも解決法があるじゃないか」とその子供に対して、様々な解決策を教えるという結論になるだろう。


この条件だと、例えば、切り替えレバーを半分だけ倒して、電車を脱線させることもできるだろう。線路に障害物をおいて脱線させるということもできないわけじゃないだろう。

あるいは、発炎筒を炊いて、作業員に電車が来ているということを知らせて逃がすこともできるだろう。あるいは、作業員がつけているであろう無線機にジャミングする手もあるかもしれない。

ひょっとしたら、この作業員は悪の秘密結社に改造された人間で、堺すすむさんのなんでかフラメンコのごとく、トロッコが時速100kmでつっこんできても、作業員が時速101kmで走って逃げきれるかもしれない。


堂々と自分の案を羅列して行くことになるだろう。

ただ、こうなってしまうと、本来番組で聞きたかったであろう話とは、相当かけ離れている気もするけれど…… まあいっか。こんな質問をしてきた子供に、どう答えるかって話なんだからさ。


もっとも、前提条件をはっきりさせたところで、そもそも選択肢が2つしかないっていう条件はおかしい! などどいって、子供に対して大人の汚さ、詭弁最強説を教えこむことになるんだろうけどね。

教育的にそれでいいのか?

ささやかなミスターブシドーブームからみえる、ツッコミエンターテイメントの世界

どうやら、あみみ ブログ・エントリタイトルに「ミスターブシドー」と入れると、アクセスが2倍ぐらいになるお話し。ということなのだそうな。

ちなみに、ミスターブシドーというのは、ガンダム00セカンドシーズンに出てくる、いわゆる主人公サイド(ガンダムに乗っている側)と相対する軍団に所属するキャラクター。主人公のライバル的ポジションにいる人である。

やたらガンダムと戦いたい願望が強い乙女座のパイロットという立場である。さらに、やたらと仰々しい台詞を吐いたり、仮面をかぶり、いかにも世を忍ぶ仮の姿を見せつけているというイカレポンチっぷりが特徴。

ただし、ファーストシーズンから見ている視聴者にとっては、その中身はバレバレである。しかし、他の登場キャラクターは、彼について全くツッコミ入れていないという世界が、このアニメでは構築されている。

ミスターブシドーがやたらヘンテコな状態にあるという点から、ネット上において、彼は完全にツッコミ対象、おイジリ対象になっているのだ。


アニメを見ていない人に対しての、おおかまな部分はこの説明で多分いいだろう。


一歩踏み込んでみる。ここからは事実と推測が入り混じったものになる。

物語において、ミスターブシドーが所属する組織であるアロウズは、この仮面の兄さんに関しては、現状では深い部分には触れないでおこうという立場を取っているというのは、今まで書いてきたことのとおりである。

ただ、彼の正体は誰かというのをほじくり返すのは無粋と考えているのか。それとも、本人だけがバレていないと思っているヅラの上司と、知らないフリをしようとする部下との関係になっているのかは不明である。

そういう、他のキャラがだれも突っ込みを入れないという設定自体がすでに、ネット波及を狙った制作者側の作戦の可能性がある。

登場キャラがつっこまないのなら、視聴者が突っ込みを入れないといけないのかなあ…そんな気分にさせるように、制作者側は誘導しているのではないか?

かつてのガンダムSEED DESTINYにおける超脚本も、なんだかんだいって、ネット上での視聴者のツッコミという部分すら巻き込んでのエンターテイメントになっていただろう。制作者側はそのことに気付いたのではないか。

いや、昔から、テレビ番組についてあれこれツッコミを入れるというのは、個人個人ではやっていたことだし、翌日の学校や職場でテレビ番組の話をして突っ込みを入れるというのは、よくやっていたことだろう。

でも、今は個人がネットという広い場所で発言ができる時代だ。学校や職場でやっていたツッコミが、番組終了後、あるいは番組中ですら、広い場所でできるようになったことで、そのツッコミエンターテイメントの盛り上がり度が桁違いになったのだ。

制作者側も、視聴者のツッコミ部分ですらコンテンツの一部と考えるようになってきたんじゃないのかなあと思うのだった。もしそうだったら、おっそろしいなあ、サンライズ。


あと、いざとなったら、この「視聴者にはバレバレ」という部分に、実は正体は○○じゃなくて、××でしたー!といって、なんじゃそりゃー!という、さらなるツッコミエンターテイメントのエッセンスを加えることができるわけで、そうなってきたら底なしだなあ。

収入を得ることができる才能があるくせに行動をとろうとしない人間が心の底から嫌い

この1週間、「月間○○PVのブログを運営しているブロガーがその秘訣を語るシリーズ」がごくごく一部のアクセス論者たちの間で、ひそかなブームになっていたようだ。もちろん、私はいつものパロディエントリーをやろうとしたけれど、どうも書きにくかったので断念していた。

パロディにしてみても、あまり面白い物が作れそうになかったんだよね。当ブログのアクセスダウン論は、元ネタエントリーが比較的、私の意見に近い場合に、そのカウンターパートを演じることで生きるわけだ。でも、今回は元ネタエントリーの思想とはちょっと私とは違った。というか相容れなかったのだ。


だいたい、100万アクセスで月5000円というのはナンセンス。それだったら、ターゲットを絞ってもっと稼げる仕組みを作るべきだろう。そもそも広告だけで相当獲れるだろう。そういう行動をとろうとしない人間は嫌いである。

ここで、少し昔話を。

昔見たテレビ番組で、町工場の社長が、ものすごい技術を持っていて、とある物の鋳型を作るオンリーワンの装置を作ったと紹介されていた。しかし、すぐにその装置を他の会社に売って、別の物を作ることに神経を注いていると放送されていた。これを金儲けに走らず、技術を極めることにまい進する人間として、褒めたたえていた。

しかし、私は、そういう日本的な風土が心の底から嫌いなのである。

そんな技術力と装置を作ったのなら、ライセンス契約をすべきだろう。他の従業員に、お金が回るようにして、従業員の生活をよりよいものにするのが社長の仕事だろう。個人の発明家ならばまだそれでもいいだろう。個人の責任だから。

でも、その人は社長である。社長である以上は、その会社が永遠に続くようにするための施策をとるべきであり、自分の能力を安売りするようなことをしてはならないだろう。


このように、収入を得ることができる才能があるくせに行動をとろうとしない人間が心の底から嫌いなのである。はっきりいって資本主義世界の敵である。

だから、今回の、増田(注:はてなの匿名エントリーのこと)から始まった「月間○○PVのブログを運営しているブロガーがその秘訣を語るシリーズ」に対してパロディエントリーを書く気になれなかったのだ。

もっとも、その増田が嘘っぱちをかましていたら、ここまでの怒りは全くもって無駄なんだけれども。

「いまのテレビはやりたいことが出来ない」と思っている演者さんへの処方箋

ハイパーメディアウォッチャー(ただの視聴者)としては、私も、テレビから出ていくつもりがない芸人が、「いまのテレビはやりたいことが出来ない」とボヤくのが腹立つという立場に近いのかもしれない。

もっとも私は、愛してやまないテレビに対して、そういうこと言って欲しくないなあという恋人感覚の次元での立場なんだけれども。

テレビではテレビでの闘い方というものがあるのは今更わかりきったことなんだから、やりたいことができないのがヤダー!って言うのなら、どうぞテレビ以外の戦場で思う存分戦ってくれと思う。いやいやテレビに出られても、見ている側にとっては迷惑でしかないもの。それに今は昔よりもはるかにやりたいことができる戦場は広がっているんだからさ。

ラジオもよし、舞台もよし、路上パフォーマンスもよし、DVDもよし、ネット動画配信もよし、いくらでもやりたいことができる場はあるんだから。

とはいえ、テレビで自分がやりたいことがやりたいんだよー!コンチクショー!という人にとって、上記の意見は救いにならないのだろう。もう、欲張りさんなんだから♪


でも、「やりたいことが出来ない」じゃなくて、「どうすれば、やりたいことが出来る可能性を高めることができるか」を考えた方がよっぽど建設的なんじゃないの? と思うのである。特にショービジネスの世界で戦っている人間は、ボーっとしていたら消えていくだけなんだから、うごかにゃならんだろう。

ということで、「いまのテレビはやりたいことが出来ない」と思っている演者さんへの処方箋を、ただの視聴者である私が授けてやろうではないかということで。

例えば、お笑い番組の現場で働いているテレビスタッフの中で、今現在、地位的に立場の弱い人と信頼関係を結べばいいんじゃないの? そのスタッフの中に、自分のやりたいことに共感してくれる人がいる可能性だってあるし、その人が単発番組を任されるようになって、貴方のために動いてくれる可能性だってゼロではない。

特に、貴方が現在「やりたいことが出来ない」とのたまえるほど余裕があるくらい勝ち馬に乗っている状況なら、なおさらその可能性は高くなる。

仲の良い演者さんや座付きの作家さんだけとつるんでいるだけじゃなく、テレビスタッフとつるむ機会を多くしておきゃ、いくらでもチャンスがつかめると思うよ。

以上、ハイパーメディアウォッチャー(ただの視聴者)の意見なのであった。

時代を少しだけ先取りシリーズ:夏休みの自由研究必勝攻略法?

小学生時代、夏休みの悩みの種といえば自由研究であった。他の宿題ぐらいなら、ラスト1週間集中すれば何とかなることもあるだろうが、自由研究となるとなかなか面倒くさいことになる。

というわけで、切羽詰まって苦し紛れに作ったわりには、意外と好評だった私の自由研究の内容をちょっとだけ書いてみる。もっとも小学校時代から、もうウン十年経過している人間のいうことなので、ひょっとしたら今は通用しないかもしれないので、参考程度にしてね。


小学校高学年のときに、市販のノートを使って、ゲームブックを作ったのだ。筋としては、主人公が悪者を懲らしめにいくという桃太郎ベースのベタなストーリーである。

カレーの国が舞台で、主人公がジャガイモでお供がニンジンとたまねぎと肉、そして悪者は鍋でその手先がスプーンとフォークとナイフという設定で話を作っていったのだった。

といっても、本格的に文字だけで「宝箱を開ける場合は26ページに進む」なんてことをやったところで、ただの趣味やんけ!ってことになるので、一応の工夫はした。

登場キャラの野菜や肉や食器のイラストを随所に入れて、手作り感を出すだけじゃなく、算数の問題とゲームブックをドッキングさせてみたのだ。

例えば、主人公が歩いていると、敵が脱力系の台詞を述べて登場。戦闘と称して算数の計算問題を数問出題。ノルマ以上解けなかったら主人公の体力値が減るけれど、物語自体は進んでいけるようにする。

算数を楽しんでできるような学習用のゲームを作ってきましたよ!という立場で自由研究としてゲームブックを提出したわけである。これが意外と好評だったのだ。


ここで最も重要なのは、物語の中で出てきた敵を「殺した」という表現を使ってはいけないという点。

そういう表現をしてしまうと、小学校の場合は色々ともめる可能性があるので避けたのだ。表現の自由もへったくれもないのだが、小学校の先生ってそういう人が多かったでしょ。皆さん。

というわけで、例えば、バイキンマンやポケモン風に空に飛ばされて星になる表現や、「覚えてろよ〜ふぇーん…」と泣いて逃げていったりする表現をとったりしたのだ。ちなみに、私が作ったゲームブックは、敵ボスの鍋もあくまで呪いが解けて元の善良な鍋に戻るというオチだったもんなあ。

あと、キャラクターのイラストは別に本格的なうまい絵じゃなくてもいいという点も補足しておく。色鉛筆を使った軽いタッチの絵で十分である。手作り感がみえるというのがポイントなのだ。

というわけで、私はゲームブックを作って危機を脱したのだった。ちなみにそのゲームブックはテレビ番組を見ながら、むしろ、テレビの方に集中しながら作った記憶があるので、まあ、相当適当に作っていたのだろう。

万が一の時は、楽しく勉強ができるための物を作ってきましたシリーズは有効ですよと提案してみるのだった。


でも、本当は、夏休み中、新聞に載っている天気図をスクラップし、気温と天気をメモっておいて、高気圧がどこどこで発達してうんぬんというような、毎日コツコツやるパターンの方が楽なんだけどね。。


そういえば、あのノート、どこへやったっけなあ… 多分、家のどこかのダンボールの中に入っていると思うけれども…
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