ここにいると、「悩むこと」ですら、容易に選択できてしまう。
学生時代、時間をたくさん使って、未来を暗中模索したように、社会人の時、忙しくて考えることができなかったことが、いくらでも考えられる。
その悩みや熟考が、レポートに反映されて深い文章が書けたりするのだ。
あるクラスのひとつの課題には、
「自分が生きてきた中での、異文化体験を例にあげ、自分のアイデンティティ形成にどう影響を与えたか、セオリーに合わせて述べよ」というのがある。
私が日本人であるというアイデンティティだけでは、許されない、もうひとつ奥のアイデンティティを分析させる。
世界に出るなら、まず、己を知れ、ということである。
ここ1、2日、ここに来てはじめてかもしれないが、なんだかちょっと悩みモードに入った。昼間は、部屋にずっといて考え事をしていた。
何がテーマだかわからないけど、なんだかいろいろ考えていた。
これってめちゃくちゃ贅沢だと思った。
今朝、昨日まで悩んで重かった頭が、
すっごいきれいな朝日を見たおかげで、軽くなった。
勉強しなくちゃいけないのに、こんなに悩みに時間を使って・・・と、
昨日の自分に多少後悔したが、
意外にしっかり悩むとその分頭が軽くなることも判明。
この数日は「悩みデー」ということで、ひとくくりにしてしまおう。
今日やることは、その軽くなった頭で、
レポートをもりもり書くこと。
悩んでいることについて、考えられる、その時間があることって
やっぱりすごいかも。

コメント
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「知性」の定義とは、「答えのない問いを問い続ける力」なのです。答えなど生涯問うても得られるはずはないと分かっていながら、それでも問い続ける力。つまり、「不思議」を抱き続ける力なのです。現代の人間の心が抱える最大の問題は、この「答えのない問いを問い続ける力」、すなわち「魂の力」が弱ってしまったことです。そして、我々は、その弱さゆえに、「割り切る」ことに流されてしまう。20世紀において人類の精神に生じたことは、まさに、その意味における「知性の欠如」なのです。