まどのせです。
あけましておめでとうございます。
皆さんのシケた一年も終わり、今年もクソシケた一年の始まりを迎えているところでしょうか。
僕は友達の家で地球防衛軍5をプレイしながらマジ切れしていました。
まごう事なきシケ方であります。
さて、早速新番組が轡を並べ、順次出走しはじめている時分です。
僕はその中でもヴァイオレッド・エヴァーガーデンという作品の一話について、思うところがあったので筆を取った次第です。
京都アニメーションの作品を観ると目がつぶれてしまうという迷信を固く信じている僕でありますが、冒頭で謎の強風が吹き込み、女の書いていた手紙がびゅおーっと風にさらわれていくシーンを見て、これは全く予断を許さない作品であるなという気持ちになりました。
飛んでいった手紙は比喩表現で、手紙が山を越え谷を越え、人混みを抜けてまた人の手に届く。ということを表現していると理解しておりましたが、一話を観終わってから思い返してみてもやっぱりその考え方で合っているのかなと。
「別に世界をぐるりと画面に映し込みたかったから手紙という小道具を使いました」であっても、別に構わないんですけどね。要はなんらかの都合があってこの紙はびゅおーって飛ばされていったんだなという理解をしたということです。
ここら辺はなんとなく「手紙飛びすぎじゃね」という反応が結構あったので、もしかして国語1勢の考え方が支配的なのか…? と不安になったので書きました。
冒頭は女(仮)が病院から引き取られていくところから始まります。
女(仮)が女(感情がない)なのか、女(ホムンクルス)なのか、はたまた女(マシーン)なのかが分からないため女(仮)として見ていました。
手が動かない描写があったので女(錬金術師)の可能性も大いに考えられましたが、手パン錬成をうかつに使うと訴えられてしまいますからね。昨今の訴訟事情は厳しい…。
そして近年の子安にしては珍しくいい奴キャラです。
ちなみに開始一分ほどで謎の男が現れますが、ここではこれを『元カレ』と仮称します。
女(仮)、元カレはどうした。元カレに会わせろ。と主張します。
しかし子安(子安)に上手い事はぐらかされ、女(仮)、謎の家へ。
謎の家は元カレの息がかかった親戚筋の邸宅のようであり、謎のおばばが現れます。
ここで女(仮)の包帯ぐるぐるの手に紅茶がかかり、包帯を剥いてみると機械の手であることが判明します。推定マシーン。
なんだかんだあって謎のおばば邸は出禁になり、子安の会社へ引き取られることになります。
そこでマシーンであるところを如何なく発揮し、そのマシーンっぷりを表現します。この『マシーンである』というアピールが叙述トリックになるのか果たして…。
そして最後に一人の男が訪ねてきます。
「故郷のナオンに手紙を書いてほしい。」
男(佐村河内)は女(ゴーストライター)にそう言います。
女は当然マシーンなので書けないため、代わりに同僚が書いてあげます。
その様子を見て「すっげ私も手紙代筆業してえ…」となって一話が終わりとなりました。
一話を観ていて、これはバッドエンドになる可能性が非常に高いなと考えました。
というのも、元カレが死去ったような描写が全力で作中に散りばめられており、仮に元カレがマジで死去っていた場合、女が報われることは一生無いというわけです。
ちなみにここでのバッドエンドの定義は、想い人と結ばれないという結末であり、『大事なものは失ったが私は前に進んでいます』などという、なよなよしたエンディングはバッドもバッド、クソバッドであるとしております。
ブラスバンド頑張って大会優勝しました~とかいっても何にもならないし、ARIAの灯里ちゃんばりに日々の幸せを享受できるようになったとしても、我々は「でもぉ、カレシ死んじゃったんでしょお~? 意味なくな~い?」とかなんとか今どき渋谷のどこ探しても見つからないような化石的ギャル語調で感想をつぶやかなくてはいけなくなってしまうわけです。
イリヤは幸せだったという妄言は絶対許さないよ。
じゃあその後も浅羽といられたらもっと幸せだったろうが。最高を選べなかったやつが自分を納得させるために苦し紛れに「いや俺は幸せだったが????」と言うのとどこが違うんだっつーの。
エンディングが綺麗かどうかとハッピーかバッドかはまた別の話だからな。考えろよ…マジ…。
というわけで、原作未読おじさん、なんとなく予感する着地点から目をそらしつつ、続きを所望する次第なのでありました。俺はハッピーエンドにうるさいぞ。
あけましておめでとうございます。
皆さんのシケた一年も終わり、今年もクソシケた一年の始まりを迎えているところでしょうか。
僕は友達の家で地球防衛軍5をプレイしながらマジ切れしていました。
まごう事なきシケ方であります。
さて、早速新番組が轡を並べ、順次出走しはじめている時分です。
僕はその中でもヴァイオレッド・エヴァーガーデンという作品の一話について、思うところがあったので筆を取った次第です。
京都アニメーションの作品を観ると目がつぶれてしまうという迷信を固く信じている僕でありますが、冒頭で謎の強風が吹き込み、女の書いていた手紙がびゅおーっと風にさらわれていくシーンを見て、これは全く予断を許さない作品であるなという気持ちになりました。
飛んでいった手紙は比喩表現で、手紙が山を越え谷を越え、人混みを抜けてまた人の手に届く。ということを表現していると理解しておりましたが、一話を観終わってから思い返してみてもやっぱりその考え方で合っているのかなと。
「別に世界をぐるりと画面に映し込みたかったから手紙という小道具を使いました」であっても、別に構わないんですけどね。要はなんらかの都合があってこの紙はびゅおーって飛ばされていったんだなという理解をしたということです。
ここら辺はなんとなく「手紙飛びすぎじゃね」という反応が結構あったので、もしかして国語1勢の考え方が支配的なのか…? と不安になったので書きました。
冒頭は女(仮)が病院から引き取られていくところから始まります。
女(仮)が女(感情がない)なのか、女(ホムンクルス)なのか、はたまた女(マシーン)なのかが分からないため女(仮)として見ていました。
手が動かない描写があったので女(錬金術師)の可能性も大いに考えられましたが、手パン錬成をうかつに使うと訴えられてしまいますからね。昨今の訴訟事情は厳しい…。
そして近年の子安にしては珍しくいい奴キャラです。
ちなみに開始一分ほどで謎の男が現れますが、ここではこれを『元カレ』と仮称します。
女(仮)、元カレはどうした。元カレに会わせろ。と主張します。
しかし子安(子安)に上手い事はぐらかされ、女(仮)、謎の家へ。
謎の家は元カレの息がかかった親戚筋の邸宅のようであり、謎のおばばが現れます。
ここで女(仮)の包帯ぐるぐるの手に紅茶がかかり、包帯を剥いてみると機械の手であることが判明します。推定マシーン。
なんだかんだあって謎のおばば邸は出禁になり、子安の会社へ引き取られることになります。
そこでマシーンであるところを如何なく発揮し、そのマシーンっぷりを表現します。この『マシーンである』というアピールが叙述トリックになるのか果たして…。
そして最後に一人の男が訪ねてきます。
「故郷のナオンに手紙を書いてほしい。」
男(佐村河内)は女(ゴーストライター)にそう言います。
女は当然マシーンなので書けないため、代わりに同僚が書いてあげます。
その様子を見て「すっげ私も手紙代筆業してえ…」となって一話が終わりとなりました。
一話を観ていて、これはバッドエンドになる可能性が非常に高いなと考えました。
というのも、元カレが死去ったような描写が全力で作中に散りばめられており、仮に元カレがマジで死去っていた場合、女が報われることは一生無いというわけです。
ちなみにここでのバッドエンドの定義は、想い人と結ばれないという結末であり、『大事なものは失ったが私は前に進んでいます』などという、なよなよしたエンディングはバッドもバッド、クソバッドであるとしております。
ブラスバンド頑張って大会優勝しました~とかいっても何にもならないし、ARIAの灯里ちゃんばりに日々の幸せを享受できるようになったとしても、我々は「でもぉ、カレシ死んじゃったんでしょお~? 意味なくな~い?」とかなんとか今どき渋谷のどこ探しても見つからないような化石的ギャル語調で感想をつぶやかなくてはいけなくなってしまうわけです。
イリヤは幸せだったという妄言は絶対許さないよ。
じゃあその後も浅羽といられたらもっと幸せだったろうが。最高を選べなかったやつが自分を納得させるために苦し紛れに「いや俺は幸せだったが????」と言うのとどこが違うんだっつーの。
エンディングが綺麗かどうかとハッピーかバッドかはまた別の話だからな。考えろよ…マジ…。
というわけで、原作未読おじさん、なんとなく予感する着地点から目をそらしつつ、続きを所望する次第なのでありました。俺はハッピーエンドにうるさいぞ。