magaminの雑記ブログ

2016年05月


資産合計 35,011,728 円


富士通とかアドバンテストに踏まれて、空売り評価損が200万を越えてきています。体感的には粘れそうな感じなのですが。来月に期待です。

アメリカの大統領が広島を訪問というのは歴史的な感じがします。20世紀には考えられないことですよね。感動的ではあるのですが、アメリカの打算というのもあると思います。中国の経済が巨大になって、日本が無条件にアメリカを支持するという基礎的条件が薄くなってきていると思います。日本が中国寄りになるということは将来的には十分ありえると思います。
中国が嫌いという日本人はかなりいると思いますが、そもそも何故彼らは中国嫌いなのでしょうか。日清戦争において日本が勝ちました。あの日清戦争以来、日本の中に中国を馬鹿にするというカテゴリーが生まれました。確かに、近代において中国はいつも頼りなかった。ところが21世紀に入って中国経済は急成長です。すでに中国のGDPは日本の3倍です。もう日本が張り合えるレベルではない。今まで中国を馬鹿にしていた日本人は、その巨大さに恐怖しているというわけです。ただ単に日本は自分の都合で他者を恐怖しているにすぎない。

大東亜戦争において日本はアメリカとも中国とも戦いましたが、この二つの国が日本に取った態度というものはどうだったのでしょうか。アメリカはほぼ勝敗が決まっているにもかかわらず原爆を落としてきました、それも2つ。こんなことをいうとなんなのですが、アジア人に対する蔑視というのはあったでしょうね。中国は戦後捕虜にした日本人を全て日本に返してくれましたよ。罪を憎んで人を憎まずということを蒋介石は言っていました。
中国とアメリカのどちらが信頼できる国かと日本人が判断しなくてはいけなくなった時、近い将来現状の好悪のメーターが逆に振れるというこも十分ありえると思います。アメリカにはそのことが分かっているのでしょうね。何故分かっているのかというのがまた嫌なところではあるのでしょうが。



最後の言葉だけは自分のために取っておく。

昔からそれだけを思う。自分を失わないための方法は、結局殺されても譲らないという狂気にも似た孤独な覚悟に行き着く。これは恐ろしい話でね。能力が足りなければ絶叫したとしても誰も相手にしてくれないという状況までありえる。

恐ろしい結末が待っていたとしても、最後の言葉を失っては生きる意味がないなんていうことは誰にとっても当たり前だと思っていた。でもそうじゃないのかなと思って。他の人はもっと弱いのかなと思って。

わたしの知り合いに、若いころ付き合っていた女性がバイク事故で死んじゃったっていう男がいる。そいつはその事故から20年たった今でも独身だ。彼女の事が忘れられないらしい。
これは呪いだろう。最後の言葉を自分のためにとって置かないで、彼女と共有してしまったのだろう。互いが互いの胸を掘りくずした。彼は20年たった今でも彼女の夢を見るのか。

弱い、弱すぎる。最後の言葉を失った人間に語りかける言葉はない。

残酷なようだけれども、残酷なのはお互い様だから。

人間の苦難の道を2つに集約して、ヴォリンガーは示す。

はるか原始において、人間は世界の中に投げ出されてあった。その起源において、人間は世界に対して恐怖しただろう。
そんな恐怖に満ちた世界からどのように抜け出すか。洗練された言い方をするなら自らの世界観とリアルな世界とをどのように一致させるか、ということが問題になってくるだろう。

自らの世界観とリアルな世界とをどのように一致させるか?

これは結構な難問だ。現代人といえども簡単に失敗する。「二次元の女の子は俺の嫁」とか言っているのも失敗の典型だろう。

歴史上さまざまな努力があったと思う。この人間の苦難の道を2つに集約して、ヴォリンガーは示す。人格主義と個人主義。現代においても、人格主義というのは多数派だと思う。人格主義というのは要するに自分の中の合理的な考えと世界の中の合理的なあり方を一致させようということである。円満な人格を持ったものが理想の世界観を得るという。ヨーロッパで言えば古典主義。東洋で言えば孔孟、朱子学というのもこの人格主義だろう。この人格主義の欠点を言うなら、「つまらない」ということ。あまりの凡庸さに、油断すると生きることの意味を見失ってしまうということもかなりの確率でありえる。

もう一つの道、個人主義。ヨーロッパで言えばゴシック。東洋で言えばなんだろうか、陽明学か。個人主義の起源は、世界が自分の中にもあると考えること。これだけだと分かりにくいかもしれないのだが、世界存在のミニチュア版みたいなものが自分の精神の中にも存在すると考えることと言えば少しは分かりやすくなったか。個人主義は神秘主義として始まる。神秘主義を現代的に言えばロマン主義ということだろう。

ここまでの論理を日本の近代に当てはめてみる。明治国家というのは人格主義だったと思う。美濃部達吉が提唱した天皇機関説は、明治国家を有機的な統一体とみなすことで、日本国家の人格主義を標榜している。これに対して明治国家にもマイナーながら個人主義の流れはあった。昭和期個人主義の代表的な人物は、石原莞爾、井上日召、北一輝、ということになるだろう。神秘主義とは個人主義から出発しながら、直ちに個性を否定せよと教える。自分の中にミニチュアの世界を認識した刹那、自分を世界と合一させようとする。北一輝が個人主義から出発して、日本改造法案大綱の歴史的なものを書いた後、結局晩年北一輝が法華経を唱えてばかりいたのは、この神秘主義の一つの必然だったのだろうと思う。

お名前.com





先日9876コックスを買ったので、実際に店舗に行ってみようかと思いました。高校1年の娘にリュックを買おうかと、溝口のikkaに、オヤジで申し訳ないのですが突撃です。
溝口マルイの五階、そこは百貨店の婦人服売り場で、今までなら全く微量もエスカレーターを降りて直進しようなどとは思わない空間です。エスカレーターを降りてすぐ左が女性下着売り場で、目指すikkaはその左奥だったりしますから。娘がいてコックスを持っているというダブルコンボプッシュがなければ、とてもikkaまではたどり着けなかったでしょう。

実際買ったのがこれです。

【anello】ポリキャンバスリュックダイA
税込みで4860円でした。正直高いのか安いのか全く分からないです。

溝口のikkaって、高齢の女性向けのお店ですよね。本当に何分か店舗内で観察した印象なのですが。ikkaにはメンズの置いてある店舗もありますから、全部の店舗が同じパターンというわけではないでしょうが、女子高生の娘にリュック以外のものはきついなと思いました。来年コックスの優待を貰ったら、店舗直撃というのではなく、コックスのオンラインショップのラインナップをよくみてから、何を買うか判断した方が賢明だと思います。



私の現物での主力である三栄コーポレーションが決算発表をしました。
思ったよりよくなかったですね。さらに来期の経常利益予想が25.7%減の18億円ということになっています。

来期減益予想の根拠は、ブランド販売子会社は利益が増えるものの海外向けOEM事業の売上高減少を予想しているからだそうです。

三栄コーポは、

家具 家庭用品事業、被服雑貨事業、家電事業

の3つのセグメントを持っていて、それぞれのセグメントの中にOEM部門とブランド部門の2つの役割を抱えさせています。トータルでOEM部門とブランド部門の比率は3対1です。
そして三栄コーポのOEM供給先といえば良品計画です。この良品計画に対する売り上げが17、737百万円となっています。三栄コーポの売り上げは49、415百万円でこの75パーセントがOEMなのですから、OEM事業の48%が良品計画向けということになります。

三栄コーポとしてはOEM事業はそこそこにして、ブランド事業をメインにしていきたいというのが正直なところでしょう。OEM事業が主力というのでは、そう株価もあがらないでしょう。三栄コーポのPER6.83に対して良品計画のPERは29.09倍ですから。

三栄コーポ、来期は減益予想とはいえブランド事業拡大という夢への道筋があります。ここはもう何年か持ち株を持続します。



ヒステリックに中国や韓国を嫌ったり、日本への移民をことさら拒否したりする人がいる。彼らは「日本」という抽象的なものに価値を見いだしているのだろう。
人間と世界との関係というのはそもそも調和的なものではなく、本来は相互排除的、二元論的なものだ。世界は不安に満ちている。かといって昔のように地域とか家族とかが、この不安な世界から個人を守ってくれるわけではない。

そこで登場するのが抽象的な「日本」というものだ。

このような心理構造は、よく言えば繊細、悪く言えばプリミティブなものだと思う。
ヨーロッパの中世、ゴシック形式の枠の中で神秘思想というものが生まれた。この神秘思想は今のカテゴリーに当てはめるとロマン派ということだろうけど、神秘思想においては人間と世界の二元化された対立というものはかなり緩和されている。神秘思想の中では惨めな人間の自我が価値あるものと認められる。ゴシックの形式の中で人間は神の器になる。
何でも同時にいいところがあったり悪いところがあったりということだと思うのだが、この神秘思想のいいところは人間と世界との対立感が緩和されることによって、個人が伝統的集団から離れて世界と戦うことが出来るようになった点だ。悪いところはちょっと狂信的なところだと思う。



ユニーは今年の8月29日で上場廃止で、ファミリーマートに吸収合併です。ファミリーマート1株にユニー株の割り当てが0.138株です。私はユニーを優待狙いで100株持っているのですが、ファミリーマートの端株をもっていてもしょうがないので売るしかないです。

ここは重要なのですが、昨日届いたユニーの「定時株主総会補足資料」の最終ページに
 ユニー.ファミリーマートホールディングス株式会社は100株以上保有していらっしゃる株主様を対象に、これまで同様、株主優待を実施する予定です。(句読点そのまま)
とあります。
現状ファミマは株主優待を実施していないので、どこかの時点でファミリーマートは株主優待を発動する可能性があります。

私は20年以上前の大学時代、名古屋で下宿生活をしていました。ユニーといえば東海地方スーパーの雄でした。今池ユニーの豚肉焼肉用って美味しかったなー。

あれなんであんなに美味しかったのだろう。

300グラム入って500円ぐらいだったような気がします。6畳一間の下宿、伝家の宝刀ホットプレートで当時の彼女(今の妻)とユニー豚肉をよく食べたなーと思って。

ユニーはえらいよ。ボロボロになるまで単独で頑張るという選択肢だってあったと思います。しかし優待で株価を持ち上げておいてファミリーマートに身売りなわけでしょう。ユニーは最初から最後まで私には優しかった。

はるか昔の人を感情が豊かだったとして美化することはよくある。アダムとイブの話とか、中国の伯夷・叔斉とか、日本では万葉の歌人に自己同一したりとか。
しかし古典以前の人間はどのような感覚の中で暮らしていたのかということをリアルにイメージするということは非常に難しい。ヴォリンガーは、人間の世界認識から古典以前の人間の世界観みたいなものを推測しようとする。
「人間の世界認識」なんて言うとちょっと難しいように思うかもしれないが、別にそんなことはない。現代日本にくらす人間は、この世界というものはまずまず合理的で信頼出来るものだということを前提にして暮らしている。人間と世界とは融和されて存在している。しかしそもそも人間と世界とは仲のいいものではない。世界は人間の事を別に特別扱いしてくれたりはしない。例えば日本人は富士山を特別扱いする。富士は日本一の山とかいって富士山をよいしょする。だけど富士山は日本人の事をなんとも思っていない。あたりまえだ。山なんだから。

まあこのような原初的な世界認識からヴォリンガーは出発する。

原初的な世界認識においては「不安」が支配する。世界は思い通りにはならないのだから不安になるということ。ゴリラは臆病だっていうよね。人間からすれば、あんなごつい体をして臆病なんてもったいないなんて思うんだけれども、結局原初的な世界認識の帰結というのは不安だったり臆病だったりするのだろう。

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そしてこの不安を克服するものが宗教であったり芸術であったりした。美とか芸術の原初形態とは、混沌とした世界を秩序付けようとする人間精神の戦いだったというわけだ。



美とは何かと問われたならば、いろんな人がいろんなことを言うであろう。では美についてさらにこのように問うたらどうだろうか。

様々な時代には最高の美といわれるものがあって、すなわち美とは時代によって遍歴するものである。ではその時代のどのような精神が、その時代の美を決定するものであるのか。

このように問われたならば、その問いの巨大さにたじろがざるをえない。このような巨大な問いに答えるためには何らかの世界の割れ目というか、思考上の足場のようなものが必要だ。ヴォリンガーはこの思考上場の足場を

「人間と世界との変化に富んだ対立」

に定立した。
私達は個人個人で世界についての何らかの認識を持っている。正義とはこうあるべきだとか日本人の道徳とは何だとか、そのようなことも私達の世界認識の一部分だろう。しかし「世界」なるものと私達の世界認識とがつながっているなどということは、いったい何によって保障されているのだろうか。実際ここのところは無条件に保障されているわけではない。戦争や革命や卑近な例で言えば会社の倒産などで今までの世界観が転倒するなんていうことはよくあることだ。
ヴォリンガーは、この人間と世界との関係性から生じる人間精神の傾向から、その時代の芸術を解析していこうということなのだろう。

このヴォリンガーの「ゴシック美術形式論」の訳はドイツ語を日本語に直訳したような感じで、ちょっと読みにくい。けっして読みにくいことが悪いわけではなく、ゆっくり読めていいぐらいのもの。だからここから何回かにわけてヴォリンガーの芸術論について考えていきたいと思う。

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